第1118話 突撃幽霊のお宅訪問
そうして幽霊の如く誰の目にも映らぬように、ハルは雷都氏の邸宅にまでたどり着く。
そこはまさに豪邸と呼ぶに相応しく、アイリの屋敷よりも、月乃の家よりも、ずっとずっと広大な敷地を有していた。
この敷地面積を維持するために、街から離れている必要があったようだ。
「まあ、遠くからの通勤ご苦労様といったところか」
ここまで結構な距離を歩かされたハルはついそうぼやく。
万能に近いエーテル技術だが、輸送に関しては苦手分野だ。まあ、普段は本人が出向くことなく、ネット上で業務のほぼすべてが完結するのかも知れないが。
「《<飛行>して来れば良かったではないか》」
「《そーそー。わざわざ律儀に電車に揺られる必要あったの?》」
「電車じゃないし揺れもしないよマゼンタ君。それに<飛行>だけどね。スピード出して飛べば現代は気象観測に引っかかる可能性があるし」
「《うげー。めんどくさ》」
気流への干渉は防げないこの気配遮断だ。高速で気流をかき乱せば、それが謎の気象データとして察知され警報が鳴りかねない。
そうした空の警戒網、侮れないのが現代だ。空にもエーテルネットは地上と変わらず存在しており、常に異変を警戒している。
「ミサイルか何かと勘違いされても困るしね。もちろんデータの書き換えは可能だけど、整合性を取るのも面倒だ」
「《そっすねー。出来ないこともないと思いますが、誤魔化すにはいろいろと計算が面倒そうです。まあ、このわたしの優秀すぎる頭脳にかかれば、もちろん不可能じゃなかったっすけどね! いやー、披露できなくって残念っすねえ》」
「そういうこと言ってると帰りは<飛行>で帰るよエメ? さて、そして変な話だけど、ここからは<飛行>して行くとしよう」
「《うむっ。センサーの類を警戒するならば、足跡を付けるのも慎重に行わねばね!》」
「そういうこと」
セレステの言うように、透明化していようと存在は隠せず、足跡も残ってしまう。そこから侵入者を発見する警報がセットされていないとも限らず、敷地内への侵入には万全を期す必要があるだろう。
「《現代では、透明化の警戒も必要になるのか?》」
「興味があるかいウィスト?」
「《オーキッドの奴は技術マニアだからねぇ》」
「《フン……、貴様が無頓着すぎるだけだ……》」
「一応、透明化すること自体は可能ではある。僕も以前アイリを隠す為にやったしね」
いわゆる光学迷彩。体の周囲を通過する光をねじ曲げて、対象の目に反射光が届かないようにする。
何処に行っても空気中にナノマシンが、エーテルが存在する現代、空気それ自体を体表を覆う薄布のようにレンズ化することも容易である。
そんな事情を、日本の事情に興味津々の神様たちにハルは語っていった。
「《多分それ、容易なのはハルさんだけなんだろーねー》」
「《まあそうでしょうね。普通は無理というか、よっぽど特殊な補助装置でも持ってないと不可能なはずっすよ。それこそ特殊部隊とか》」
「《学校行ったふりして、バレずに寝てる時とかに使えるー。きっと、子供が頑張って覚えるはず!》」
「《いや布団が盛り上がってて一発でバレるじゃないっすかコスモスそれ……》」
「《むぅ。じゃあ、ベッドごと消すー》」
透明技術の妙な活用法で盛り上がる彼女らは放置して、ハルは慎重に豪邸の玄関を目指す。
巨大な鉄格子の門を飛び越えた先からも、屋敷の玄関まではまだまだ距離があった。
「《しかしハルよ。現代は攻めも守りもエーテルなのだろう? お前がそこまで警戒する必要はあるのか?》」
「《そーそー。ボクも気になってた。ハルさんたちは世界最高クラスのセキュリティである月乃邸にもバレずに侵入できるじゃん? 今さら下位互換に警戒することあるの?》」
「まあ、そうなんだけどね。少し気になる事があって。雷都氏の趣味が、機械集めだったでしょ?」
現代においては骨董品扱いとなった、電気で動く機械の収集。その目的が、単に収集癖や投資目的を超えて実用目的だった場合。
それはエーテルネットに頼らぬ独自のセキュリティを構築している可能性を思わせる。
「特に、奥様の話では彼らのような人種は決してエーテルネットを信頼していないらしいからね。っと、やっぱりあった」
玄関にたどり着いたハルが、その巨大な大扉の構造をサーチすると、その内部には予想通りに機械部品が仕込まれているようだった。
もしエーテル技術に優れた侵入者がネット上のセキュリティを突破して解錠に成功したとしても、扉を開けたことがこの機械部品を通じて記録される。
ネットからは独立したこのシステムが罠となり、気付かずにまんまと入り込んだ侵入者を補足するのだろう。
「本当に警戒心が強いね。ちぐはぐな気もするけど」
「《そっすねえ。どーせなら、その機械技術を扉を開けさせない方向に使えばいいっすのに》」
「《んっ。きっと、わざと開けさせて、捕まえたい。性格悪い~》」
策略を立て、罠に嵌めることが生きがいなのかも知れない。だとしたら確かに性格が悪そうだ。
「まあ、色々言ってきたけど、僕にはそんな二重のセキュリティも無意味なんだけどね」
ハルは体内から扉に向けて魔力を放射すると、室内に向けて充満させる。
そうして安全が確認されると、せっかくのギミック満載の扉をまるで無視して、内部に<転移>してしまうのだった。
*
「さて、侵入成功。おっと、いきなりふかふかの絨毯がお出迎えだね」
「《それ知ってるー。足跡残るやつー》」
「ああ、少し懐かしいねコスモス。僕が、ソロモン君に仕掛けた罠だ」
「《やっぱ透明人間を警戒してんすかね? どんな想定をしてんでしょーか、まったく》」
この毛が長く飛び出たふかふかすぎる敷物。そこに足を沈めれば、一発で足跡が浮き彫りになるという寸法だ。
周囲に目をやれば、やはり機械式の監視カメラも存在し、そうした足跡を見逃さぬ構えとなっている。
もし本当に光学迷彩を備えた万全の装備の侵入者が入っても、玄関からしっかりと発見していく警備であった。
「病的、と言わざるを得ない。やはり、エーテル技術への不信感が感じられるね。……本気でエーテル排斥を目論んでたりするのか?」
「《決めつけるのは早かろう。その前に、もっと根拠となる物証を揃えるのだハル》」
「そうかもね。すまないウィスト」
「《フン》」
確かに、せっかく証拠だらけの本拠地に乗り込んで来ているのだ。推理を広げるよりも、まずは徹底的に証拠品を物色するのが吉。
ハルは決して地に足を付けぬように低空<飛行>を続け、広い屋敷の中を次々と見て回って行った。
「センサー類も多い。どんだけ他人を警戒してるんだこの人? 息苦しくないのかな」
「《普通に透明になったくらいじゃ誤魔化せなさそうだね。でも、安心してよハルさん。今のハルさんの状態は、大抵のセンサーには引っかからない》」
「ついでに物体も透過しとかない?」
「《贅沢言うなっての!》」
そして、もし今のハルに反応するセンサーがあったとしても、そのセンサーもエーテルネットに触れていることには変わらない。
ハルならばネット経由で内部の機構に侵入し、センサーが反応したという事実をも一瞬で無かったことに出来るのだった。
そんな二重で万全の構えで堂々と、ハルは屋敷内を堂々と徘徊し、邸内の調査を続けて行った。しかし。
「……予想通りとはいえ、何も怪しいものがない。警戒はしていても、警戒に値する物が何もない。公明正大すぎる」
「《単に値打ちもの盗られるのを恐れてるんじゃないっすかね? 普通の考えでは?》」
「《ハルさん金品には興味なさそうだもんね》」
「……まあ、納得はいくけど。普通、あるでしょ? 不正の証拠とかそういう後ろ暗い物が、こういう所には」
この屋敷には、至る所に貴金属や美術品、豪華な調度品が飾られている。
そんな成金趣味の高価な品々を盗まれないようにこの厳重で時代錯誤のセキュリティを構築している、という理由でも納得はいく。
しかし、やはりどうにも腑に落ちないのがハルの正直な気分。
その金銀財宝すら、『私はこれを守りたいんですよ』、といった目くらましなのではないか、という気がするのだ。
「確かに高価な物が多い。多いんだけど、そのラインナップに一貫性がない。高価な物を一通り端から揃えたって感じだ」
成金なんてそんなもの、といえばそうなのかも知れない。しかし、雷都の人物像からは、そうした成金趣味の気質はあまり感じられなかった。
何かしらの、明確な企みを持っている者は、単純な金品では満足しない傾向がある。
現に、この家の収集品の中で最も力を入れて、明確な意思の下に収集されている貴重品は機械の警備システムその物だ。
そして、表向き一切の隙がない公明正大さとも、成金趣味は噛み合わない。
別に悪いことではないのだが、そうした潔癖な人物は、もっと質素に生活している傾向がある。
「……よって、これらの表側はダミーであると僕は断言する。なら、表面上見えない本性を隠すのは何処か? 当然、地下だよね」
「《ん。定番》」
だが、ふわふわと幽霊のように飛び回り、広い屋敷の部屋は全て見た。その中に地下室の入り口のような物は見当たらない。
「ならば何処かに隠し通路があるはずだ。それを見つけ出すとしよう」
「《ん。それも定番》」
「《最初からそうすれば良かったんじゃない? 豪邸訪問も悪くなかったけどさー。一気に魔力広げてサーチすれば一発だったじゃん?》」
「《まあ落ち着き給えよマゼンタ。そこは日本だ。あまり魔力による影響を出したくないというハルの意思を汲もうじゃないか》」
「《分かるけどさセレステ。じゃあどうやって探査するの?》」
「それはまあ、当然エーテルでだね」
家の主が警戒に警戒を重ねているように、現代では決してエーテルネットからは逃げられない。
空気があれば何処にでも、壁の隙間にも地中にでも、エーテルの粒子は入り込む。
それは、ネットから独立させて警備している電子機器も例外ではない。今も姿の見えぬ侵入者を捉えようとしているセンサー類も、空気に触れている以上エーテルの浸食を受ける。
「センサーに逆に入り込み、通信用のケーブルを辿る。何処かに統括用の監視ルームか何かがあるはずだけど、ここまでそうした部屋は発見できなかった」
ならば、何処かにその隠し部屋があり、そこから連鎖的に秘密の空間が発見できるはずだ。
「よし、見つけた。書斎の地下に隠し部屋へのはしごが降りているようだね」
「《ん。定番》」
「《相変わらず、ハルさんに目を付けられた悪党は涙目だよね。この万能さ》」
悪党か否かはまだ確定していないが、どうしても隠したい物があるのは確定だろう。
その監視ルームの先には、エーテルでは決して探知できない、黒塗りにされた扉が存在しているようであった。




