第1115話 王様の耳の秘密を抱えて生きる者
「んー。こーして見ると、エーテルネットに載ってない情報ってあんがい多いんだねぇ~」
「まあ、行動の監視を厭い、そこから逃れようとする者が絶えないのは世の常さ。自然な流れといえるよコスモス」
「むぅ。あらゆる意識活動を残らずネットに乗せてくれれば楽なのにー」
「コスモスみたいなのが居るからじゃないっすかねえ……」
「なにおぅ」
「しかしそれでも、最終的に世の中で事を起こそうと思えば、どうしてもネットに上らざるを得なくなる。世の中、それで回っているからね」
なので後手に回ってしまうことにはなるが、事を起こせば必ず網に引っかかることになるのだ。
事件は闇に葬られることなく、必ず明るみに引きずりだされる。それが現代の鉄則。
だが、それを面白く思わない勢力が出てくるのもまた自明。闇から闇に、誰の目に触れることもなく行為を完遂したいと思う者が出るのも当然である。
「特にお金持ちは、その傾向が強いよね。と、言うよりも、お金持ちでなければそうした手段を取れないと言った方が良いか」
ハルは言いながら、指先に久々にカード状のウィンドウを生み出しくるくると回転させる。三人の視線はそこに集まり、ハルの言葉を肯定するように皆頷いた。
これは単なる全体を黒一色に染めただけのメニュー画面だが、本物の『ブラックカード』には資金決済とは別の隠された機能がある。
それは、内部をエーテルネットからは決して覗き見られないという仕様を利用した、秘密の通信装置が仕込まれている事だった。
他にも、その黒い塗料を全面に塗った部屋を用意すれば決して知られる事のない密談が出来るし、物を隠すにも最適。
しかし、アンチエーテルの塗料は非常に高価であり、使うのは主にお金持ちに限られる。
「秘密は全てそんな場所や手段で共有されていたら、こっちからじゃお手上げだね」
ハルはカードを消して両手を上げるポーズを取る。実際には、彼の交友関係を洗うなりもう少し詳しく調べる方法はあるのだが、ひとまず雷都についてはこのあたりにする。
彼以外にも、調べるべきことはハルたちには存在した。五人の子供たちの事だ。
「というわけで、お手上げな事は棚上げしておいて、もう一件の調査に移ろう」
「少年の身の上だね。とはいえこちらは、特にどうということなくサーチ可能だ」
「ヨイヤミ様のように戸籍が消されている訳でもなく、身元も問題なく洗えてるっす」
また五つの小皿の上に、それぞれの少年の顔写真つきパネルが表示される。ハルが見た現在のものよりも若干幼いそれは、施設に入る前に登録されたものだろう。
数年前の姿、つまり、彼らはもうあの中で数年間の月日を過ごしていることをこの顔写真はありありと伝えてくるのであった。
「……入院時期はまちまちではあるが、四から六年の期間あそこで過ごしている。遊びたい盛りの子では、退屈にもなるだろう。僕と違ってね」
「流石は三桁単位の大ベテラン様は違うっすね! あっ、いやっ、皮肉じゃないっす! 純粋に褒めてます!」
「褒められても困るんだが……」
「それを皮肉と言うのだよエメ?」
「おしおきかくてい~~」
「ひーんっ!」
おしおきはともかく、ここで重要なのは彼らはヨイヤミと比べれば症状は軽微であるということだ。
ネットから遮断されてさえいれば、普通の少年と同様に元気にはしゃぎ回れる。
外に居た時も、生活に支障が出るレベルで重度の症状ではなく、親兄弟とも意思の疎通は取れていた者がほとんどだった。
「気になるのは、超能力の発現の有無だね。あの力は、学園にくる前から備わっていたのか。それとも今回のゲームで身に着けたのか」
「……見る限り、彼らの周囲でそんな記録は存在しませんね。とはいえ、ハル様が採取したデータにあるレベルの現象では、本人も家族も気付いていない、というだけの可能性も大いにありえるっすけどね」
「そのようだね。『うちの子は静電気が強い』程度のボヤきもない。発症以前は、ごく普通の人間のようだ」
「入院してない人は居るの~?」
「ああ、もちろん居るよ」
全てのエーテル過敏症患者が学園の病棟に入っている訳ではない。中には、家で家族が世話をしている者、通常の病院に入院している者もいくらかは存在した。
ここで、コスモスが急にそうした者について言及してきた理由は予想できる。彼らには、超能力の発現の兆候が見られるのか否か、ということが知りたいのだろう。
しかし、特にそうした記録も噂も存在はしない。エーテル過敏症だから、超能力の才能がある、という単純な相関関係があるわけではないようだ。
「超能力に関する噂なら、奥様が常にチェックしているしね。奥様の耳に入っていないということは、ここで調べても出てくることはなさそうだ」
「まあ、今回の彼らと同様にごく微量の、現実的には何の影響もなく気付かないレベルの事象という可能性もある。私は、それを軸に追跡調査をしてみるよ」
「ん。覗き見。ストーキング」
「はっはっは。張り込み調査と言いたまえよコスモス。これは公務なのだよ!」
「それじゃわたしは、お子様がたの遺伝子データの精査をするっすね」
「頼んだ。僕は、奥様に話を聞きに行ってみるとしよう」
分かってはいたが、自然に違法行為の数々に手を染めることになるのがハルたちの調査だ。どちらが悪人か分かったものではない。
こんな調査をしようとする者が出る可能性を意識しては、お金持ちは気が休まらないことだろう。秘密の部屋や通信システムを作ろうというもの。
だが、同情はするが止めることはない。そんなプライバシーもなにもない調査に意識を回しつつ、ハルは月乃の元に分身を飛ばすのであった。
*
「……ということなんですけど、奥様は何か心当たりがあります?」
「これまた唐突ねぇハル君。……ちなみにだけど、このハル君とのお話も筒抜けになっちゃうの!?」
「ええまあ、僕がその気になれば。ただ、この家のセキュリティなら、僕以外には覗き見られる心配はないですよ」
「ハル君専用ってことね! ちょっと恥ずかしいけど、いつでも見られても構わないようにしておくわね!」
「馬鹿なこと言ってないで話を続けましょう奥様……」
いつも通りの奥の間で月乃と二人、ひそひそ話に興じるハルだ。別に、声を潜める必要はないのだが、月乃が妙に芝居がかった仕草でハルの耳に手を当ててくる。
彼女の言う通りこの瞬間もエーテルネットを通して聞き耳を立てることは可能なのは確かだが、それが可能なのは元管理者であるハルくらい。
あくまで、理論的には可能、というだけでありそれを心配して生きる者はほぼ居ないだろう。
「……まあ、もちろん私がそんなことを気にして生活している訳ではないのだけれど。案外、病的に気にする者は多いわ。特に私の周囲には。半分くらい、私のせいだけど」
「奥様に秘密を暴かれた者達ですね」
「そうねー。別に私は、四六時中盗聴盗撮して弱みを握っている訳ではないんだけど。相手からはそう見えるらしいわね?」
なので、物理的にネット経由で追いようがない場所やシステムを求めるのだとか。ネットのある場所では心が休まらない。現代では、さぞ生き辛かろう。
「彼らこそ真の、『エーテル過敏症』なんじゃないかしらね? そんな連中がこの世からエーテルを無くしたがっていると聞いても、私は驚かないわ?」
「ご冗談を。そうした既得権益者こそ、エーテル無しではその地位を維持できないでしょうに」
「ええ、そうね。だから、現実的には“世界全て”ではなく“限定的に”、エーテルの侵入範囲を制限する、というのが妥当でしょうね」
「……そういった計画を耳にしておいでで?」
「ええ。割と頻繁に。でも基本的に企画倒れよ? ハル君もよく知っての通り、エーテルネットの基幹システムにはやろうと思っても自由に変更が加えられないもの」
もちろん、よく存じている。というよりハルが、つい最近までその制限の鍵を握っていた。
もし権力者がエーテルネットのシステムを都合よく操ろうとしても、その為には全人類の承認が必要。つまり事実上不可能である。
最近、その制限の一部をハルは解除したが、月乃以外の有力者がそれを知ることはないし、知ったとしても己の都合よくシステムを弄れる類の変更ではない。
現状は、そのことは分けて考えても構わないだろう。
「……偉そうなことを言っているけど、私も、そうした恐怖心に支配されていた人間の一人でね? ほら、こんなもの埋め込んでいるくらいには」
「そのおかげで、僕もしてやられましたね……」
月乃が言いながら頭のあたりとトントンと叩く『こんなもの』とは、自分の肉体を完全制御するための装置のことだ。
その制御は癖や仕草から内心を読み取られることを完璧に防ぎきり、ハルの目さえ欺いてみせた。
そんな月乃だからこそ、彼らの持つ病的な恐怖心もまた理解できるということなのだろう。
「そういう人はね? 日々強烈なストレスを抱えて生きているものなの! そして、その抑圧した内心を吐き出す場をいつも求めているわ!」
「なるほど。『王様の耳はロバの耳』、ってやつですね」
「その通りよハル君! 上手いこと言うわね!」
だからこそ、彼らがエーテルネットから解放された時は、その抑圧された内面が露わになるらしい。
ならば、病棟で子供たちに語られた約束とやらもまた真実なのだろうか? ハルはそのあたりの事情を、雷都氏の素性も合わせてより詳しく月乃から聞き出していくのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




