第1114話 彼らにも見通せぬ深い所
ハルはゆっくりと深く椅子に腰を沈めると、ここではない世界へと精神を没頭させてゆく。
慣れ親しんだエーテルネット。その膨大なデータの中から、今回の件に関わるデータの痕跡を探し当てるのだ。
「しかし、珍しい光景だねハル。君がそうして、ラフな格好でくつろいでいるのも」
「まあ、女の子たちが一緒の時は、なんだかんだでみんな僕にも着飾らせたがるしね」
「ジーパンはきついよぉ。もっとふわふわのを着て、良質な睡眠をとろう」
「ルナ様がお洋服作りが趣味ですしねー」
お菓子をつまみながら、この場の彼女たちもハルの電脳探査をサポートしてくれる。
見かけ上はのんびりとくつろいでいるようにしか見えないハルたち四人も、精神は忙しくネットの海を行ったり来たりしていた。
「しかしだねハル。裏に居る人物を特定するだけなら、ヨイヤミとやらにでも聞けばいいだけの話ではないかな?」
「まあ、それはそうではある」
「うむっ。例の能力で、きっと秘密の会話も盗み聞きしていただろうからね」
「かんたんー」
「とはいえ、裏は取らなければいけませんし、ヨイヤミ様はあくまで中での状況しか知りません。患者の方々があの場に来た経緯、推定黒幕が外で何を考えているかなどは、やはり調べる必要がありそうです」
「そうだね。それに、ヨイヤミちゃんには彼女が話したくなるまであまり色々聞くのは待とうと思っている。必要そうなら、あの子の口から話してくれるさ」
まあ、それに関しては、少々ハルとしても彼女の考えとズレているかも知れないと気がかりな所はあるのだが。
彼女はハルのことを、ネットにおいて万能無敵の『神』と思っているフシがある。
そんなハルなのだから、『この程度のこと知っていて当然』と思われているかも知れず、聞かなければ答えてくれない可能性もあった。
「あまり無知をさらけ出して、幻滅されてもなんだけど、意地を張って重要な情報を聞き逃すのもなあ……」
「ははっ。幼子に格好つけたいのかなハル? ハルも、お兄ちゃんになったのだね」
「なっていないが」
「どっちかというと、おとうさん」
「それこそなってないが……」
まあ、お兄ちゃんかお父さんかはさておき、ヨイヤミには人物の絞り込みが終わったのちに改めて確認をすればいいだろう。
結局のところ、中での行動は彼女に聞く以外に確認方法がなく、彼女が覗き見ていたならば、その重要な手掛かりは逃すことなく確保したかった。
「さて、それは今はいいとして」
「サーチ開始っすね! お手伝いするっす!」
「がんばー」
やる気のないコスモスの応援に見送られつつ、ハルはエメのサポートのもとまずはその黒幕について探査を開始する。
学園、そして併設された病棟内での出来事は、確かにエーテルネットとは完全に遮断され探知不可能。しかし、学園に入るまではまた別だ。
肉体を備えた人間。必ず徒歩で学園設備に入り込む必要があり、そこまでの行動はしっかりとエーテルネットに記録される。
つまりは、学園に足を踏み入れた者の全ての記録をリストアップすれば、その中に必ず対象の人物は居るということだ。
《よし、エメ、リストは大人に限定だ。学園の生徒の登校は除外。その時点で、相当に絞り込めるはず》
《確かにそっすね。でもいいんすか? まだ、生徒の誰かが黒幕だって線も完全に否定された訳じゃないと思いますけど》
《構わない。子供たちの反応から、相手は生徒ではなくもっと大人だろうと読み取れた。それに、背の低い者も除外だ。彼らが状況を思い出す際に、皆揃って視線が僕より上に泳いでいた》
《ハル様よりも背の高い方、っと……》
恐らくそこに間違いはない。相手は大人で、高身長。ハルの洞察力に加え、子供の反応の素直さだ。そこは、嘘のない反応と見て間違いはないとハルは感じていた。
《しかし、老け顔ノッポの生徒が私服で尋ねていた場合はどうするっすか?》
《じゃあ該当者ゼロだった場合に改めてその可能性について考えることにするよ……》
《にししっ。らじゃっす!》
いや確かにその可能性もゼロではない。ゼロではないが、突拍子もないエメの提案になんだか出鼻をくじかれ気の抜けてしまうハルだった。
まあ、そのくらい柔軟な発想で、気負いすぎずにやった方がいいのだろう。
《けっこうたくさんいるねぇ。みんな忙しそう、目が回っちゃいそうだぁ~》
《これの何倍もの意識データを捌いていたじゃあないか、コスモスは。この程度、どうということもなかろう?》
《そうだけどー、この人たち全員起きてるし。あっ、眠そうな人はっけーん》
《ふむ。起き抜けの通勤というやつだね。大変そうだ》
《私たちには、縁がない~》
《この自堕落コンビはほんとアレっすね……》
より分けたデータを、コスモスとセレステが精査してくれる。
絞り込んだとはいえ、閉じた学園とはいえその数はまだまだ多く、誰がその人なのかは分からない。
しかし、確実にその中の誰かであるはずなのだ。それこそ、ハルたちのように<転移>でも出来ない限り。
《……地下に秘密の入り口があったり、その人物もまた学内でずっと生活していたらどうしよう》
《おいおい。変なところで不安になるのはよしたまえよハル。秘密の入り口は、確か君自身が完全に否定していたはずだろう?》
《そっすよ。それに、学内にずっと居るってことも考えにくいっす。その方は、子供たちに約束をしたんすよね? 大言でも虚言でも、その人物が外部との交流が皆無であればそんな約束できる立場ではありません》
《んっ。そだねー。中から、どーやって世界を変えるっておはなしだもんねぇ》
《確かに》
もちろんゼロとは断定できないが、可能性は著しく低い。それに、ハルたちにはもう一つ手がかりとなる指針があった。
それは子供たちと共に、ハルたちの国に挟み撃ちを仕掛けてきた生徒たち。今ユキたちが、全力で攻め落としている最中の相手である。
彼らに指示を出せる立場の人間、もしくは、その派閥上位の生徒の関係者。そんな要素を加えるだけで、対象はずいぶんと狭まることになる。
そしてついに、そんなハルたちの捜査線上に、ある一人の人物が浮かび上がってくるのであった。
◇
「ふむ。最有力はこいつかな? 雷都征十郎。四十二歳。医薬品メーカー重役。政界とも太いパイプを持つ。学園にも足しげく通っており、その目的は自社も出資している病棟の視察。つまりあの場にも確実に顔を出している」
セレステが空になった菓子皿の上に乗せるように表示したパネルには、ある男性の顔写真が映し出されていた。
その人物こそが『黒幕』の有力候補であり、子供たちと接触した可能性のある人物。
大それた約束をするにも説得力のある、立場のある存在ということもその信憑性を後押ししている。
「しかし大物すぎません? こういう人って、直通で奥に通されてそこで接待されて終わりじゃないすかね? 子供たちと密会するような、自由な時間取れるもんすかね? そこが、わたしはちょっと疑問っす!」
「妙なことを気にするのだねエメは。まあ確かに、現実的な視点ではあるがね?」
「あたまかたーい」
「確かに、彼がどうやって子供らと接触したかは気になるが、そこは後だ。ひとまず彼の背後を探ろう」
「らじゃっす!」
続けてハルたちは雷都のパーソナルデータを暴きだしていく。対象が絞れれば、あとの作業はどうということはない。
本人の情報を起点として、彼が普段どんな人物と接し、何処で行動し、何を考えているのか。この四人にかかれば簡単に丸裸になるのであった。
「ん。これとかどーお?」
「うむっ。良さそうだね。どうやら彼は、前時代の電気文明に傾倒しているきらいがあるようだ。その財力にて『骨董品』の収集を行っている」
「もっと過激思想のコミュニティと繋がりがある、とかないっすかねえ。『エーテル文明滅ぼせ委員会』みたいなのと繋がりがある、とか出たら一発なんすけど」
「さすがに、そんなあからさまな足跡は表では残していないと思うけどねえ」
とはいえ、このまま普段何をしているかを探って行けば、必ずそこには個人の思考と嗜好が浮き彫りとなって来る。
彼が、子供たちに『エーテルを無くす』と約束したならば、その背景が何か見えてくるはずなのだ。
「電気文明が好きだから、エーテルぶっ潰して電気文明の再興とかっすか?」
「アルベルトとは接触させられないね。とはいえ弱いね。彼は別段、そうした投資などは行ってはいないようだ。再興する気は見えないよ」
「単に、骨董品としての収集、金持ち趣味の一環でしかないと言える。ハルと同じだね?」
「一緒にしないで欲しいんだけど……」
「なりきんー」
エーテルネットから見える彼のパーソナルには、見る限り隙がない。いや、隙がなさすぎる。
こずるい悪事の一つや二つ出てくるかと思いきや、そうした様子もない。もしや、単に子供たちを心から気にかけているだけの善人なのだろうか?
「いやそれもない。ただの善人ではなさそうだ」
「悪人ヅラっすもんね!」
「そういう意味ではないけどね……」
善人であるにしては、彼は特にエーテル過敏症について何のアプローチもしていない。足しげく病棟に通っているにも関わらず。
もし心から彼らを助けようと思っているのならば、その行動の方こそがハルたちのサーチに引っかかるはずなのだ。
ならば、ここから導かれる答えは、この男は普段からエーテルネットのログには絶対に痕跡を残さないように、慎重に行動を重ねているタイプということ。
重要な密談はネットを決して介さずに、必ずオフラインで行っているということだ。それこそ、学園のような。
「……彼も、『ブラックカード』を持っているね」
「そのようっすね。例の、ブラックカードネットワーク。その会員である可能性も高いでしょう。そこでのやり取りは、こちらからは情報が得られないっす」
「奥様にでも聞いてみるか……」
エーテルネットでも見通せない闇。そんな、現代に潜む何か深い物に、ハルは踏み込んだような感覚を覚えるのであった。




