第1112話 悪い大人のやりかた
ユウキの口から語られた計画、それは『世界からエーテルを無くす』という途方もないものだった。
現代社会において、何処に行こうと必ず大気中に含まれているナノマシン、エーテル。それを無くしてしまうなど、まるで正気の沙汰とは思えない。
「《馬鹿じゃないの。出来る訳ないじゃんそんなの。物理的に可能かどうかじゃなくて、そんなことしたら社会が立ち行かなくなるじゃない。待っているのはアンタ達の為の世界じゃなくて、誰も得しない共倒れの世界よ?》」
「うるさい! エーテルさえなくなれば、きっとなんとかなる! オレたちがなんとかしてやるさ」
「《出来る訳ないじゃん。ガキなんだから》」
確かに、物理的に可能か不可能かで言えば可能である。
エーテルは自然には増殖しないので、エーテルの『餌』となる物質を生産する工場を全て停止させてしまえば、そのうち稼働中のナノマシンは全て停止しネットは機能を失うだろう。
しかし、そんなテロが成功したとして、その場合、自らも確実に被害を受ける。
現代において、あまねく大気に存在するという性質上、エーテルの恩恵を受けないということは不可能だ。
生活基盤は崩壊し、生活水準はガタ落ちする。国家転覆と共に、自分自身も転覆し溺れ死ぬだろう。
「……そんな終末思想の過激派なんて、居たかしら?」
「まあ、エーテル排斥論者は居るには居るね。とはいえ、心の底から行動している人なんて皆無だろうけど」
「《あーゆー人達は現状に不満が言えれば何でもいいのよ。お笑いよね? エーテルネットの中で、エーテル社会に対する不満を言ってるんだもの。その不満を言えるインフラが整っているおかげで生きていられるってのに!》」
まあ、別にそのくらいはハルも否定はしない。何かに不満を吐き出さねばやっていられない時もあるだろう。
他人に迷惑をかけなければ別にいいし、エーテル社会だって完全無欠の仕組みではないのだから。
だが、だからこそ本気で計画を実行に移す者はいない。いないはずなのだが、子供たちはどうやら本気。
これは、単に彼らが吹き込まれた事を元に空想を肥大化させているだけなのか。それとも悪い大人が、出来もしないことをさも真実の計画のようにでっち上げているだけなのか。
「……もしくは、本気で策があるのかだけど」
「本気さ! ……ボクらは毒でしかないエーテルを世界から抹殺して、ボクらが安心して暮らせる世界を作ってやる!」
「《ほんと馬鹿ねー。世界からエーテルがなくなれば、アンタらなんか三日ともたないよ? そもそも、ある意味世界で一番エーテルの恩恵を受けているのがアンタらよ? この学園の施設維持にどれだけコストかかってるか知ってる?》」
「そ、そんなの、やってみないと分からないだろ! ボクらの希望を否定するな!」
「《アンタらの希望じゃないでしょ。アンタを唆した悪い大人の希望。結局のとこ、自分の意思を他人に委託して、それを自分の願いと思い込んでるだけじゃない。主体性のないやーつら》」
「……くっそぅ。さっきから分かんないことばっかり」
ヨイヤミが早口で指摘する彼らの問題点に、ユウキは半分も付いて行けず目を回しているようだ。
まあ、これに関してはユウキの反応が子供として正常だ。ヨイヤミが、大人の考え方すぎるだけである。
しかし、言っていることは実際ユウキたちが決して忘れてはならないこと。
自分にとって都合の良い『真実』に飛びつき、その内容を精査することなく自分の願いであると思い込んでしまう。
それは悪い大人の都合の良い駒として動く未来に一直線であり、気付いた時にはもう引き返せない道に踏み込んでしまうことになりかねない。
「……まあ、今は分からなくても、よく考えておくことだね。それが本当に、君たちの願いなのか」
「ふんっ……、ボクらの願いに決まってるだろ……」
「まあそれはいいとして」
「《えー! よくないよー! こいつらの間違い正してやろうよー!》」
「いや、そんな義理もないしね」
「なにげに鬼畜なハルさんですねー。ドライですねー」
彼らの道を正すということは、正した道に責任を持つということ。申しわけないが、ハルにはそこまでの労力は割けない。
とはいえ、完全に見捨てる程に無責任でもない。その為にも、もう少し情報を聞き出したいところだった。
「それはいいとして、エーテルをなくす事とあのゲームに何の関係があるの? そこがイマイチ、よく分からないんだけど僕は」
「あっ、そだった。そいえばゲームで戦ってたから来たんだった」
「ユキ、忘れないで……」
まあ無理もない。彼らの口からもたらされた情報があまりに突拍子もなかったため、ゲームの話であることを忘れるのも仕方のないこと。
だが、この話で注意しなければいけないのはそこである。その悪い人はどうして、ただゲームで遊んでいる子供たちに接触し、そんな大それた目標を掲げて、結果ゲームの攻略など指揮しているのか。
言葉にしてしまうと、なんとも間抜けさを感じるその事実を、聞いておきたいハルたちだった。
◇
「……ばーか。教えるかよ」
「そーだなユウ。教えちゃダメだ。それを知らないうちは戦略上? のアドバンテージ? はオレ達にある!」
「ああ、ちなみに教えない場合、キミらの国はこのまま僕らに飲み込まれて滅ぶことになるから」
「卑怯だぞ!」「卑怯じゃないかっ!」
「《ほんとばーか》」
ハルがマップを表示して見せると、そこには今も双方無人のままじわじわと浸食されていく子供たちの国が映されていた。
今や、片方は兵数ゼロ。片方は無傷の軍隊が侵攻するユウキの国。このまま放置していれば、いずれ全てがハルの国土へと置き換わってしまうだろう。
そんな状況を見せられて、彼らもまた先ほどの敗走を思い出したようだ。
精一杯の虚勢を張ってみたものの、彼らはハルに完全敗北したばかり。このままでは、大層な計画とやらも水泡に帰す。
国土を人質に取り、そんな絶望の二択を突きつけるハルもまた、悪い大人に違いない。世の中、子供向けのようにストレートに気持ちよく進むことばかりではないのである。
「あっ、あの、それ、どうやって出してるの? じゃなくて、ですかっ?」
「おいっ、敵にそんなこと聞くな!」
「だって、気にならないユウちゃん……? あれ、エーテルネットのウィンドウ、でしょ?」
「うっ、確かに、きになるケド……」
「ああ。僕はちょっと特別でね。この中でも、モニターを出す程度は出来るんだ」
「《飴と鞭かー。ハルお兄さんも悪だよねー》」
そんなヨイヤミの皮肉も聞こえていないようで、子供たちは懐かしいであろうエーテルネットのモニターパネルに釘付けだ。
学園から出られない彼らは当然マップも使うことが出来ず、今までメニューを開くことも出来なかっただろう。
よくよく考えてみれば、よくそのような状態でゲームをあそこまで進行できたものである。不便さよりも、新鮮な楽しみが勝ったか。
「《どう、ハルお兄さん? 情報を話せば、そのメニュー使えるようにしてあげるとかは》」
「!!」
「……そう簡単に約束は出来ないよヨイヤミちゃん。そうやって、むやみに希望を持たせてやるのは、裏に居る人とやっていることは変わらないからね」
「《……ごめんなさい》」
「いいさ。君も、なんだかんだ同じ境遇の子が心配だったんだろう」
「は、はんっ! 人形女になんか心配されるオレらじゃねー! チョーシ乗んなよな!?」
「照れてんのかユウ?」
「なわけねぇだろ!?」
「まあ、お礼は何かしら考えておくよ。それより、話に戻るよ君たち」
「《あれっ? お兄さん嫉妬? ヤキモチ?》」
「そうよヨイヤミちゃん? ハルったら、独占欲は人一倍強いんだから」
「《わーお》」
「話に、戻るよ……?」
こんな所でもからかわないで欲しい。子供たちからすら送られる同情の視線が痛いハルだ。
それらを努めて気にしないようにしつつ、ハルは交渉を再開する。
……なんだか、脅しとしての精度が下がってしまったような気もするが、それも気にしない方が良いだろう。
「取引だ、少年。今回の、僕らの国に攻めてきた作戦について教えてくれれば、君たちのことは見逃そう」
「…………」
「教えない場合は、このまま君たちの国を滅ぼす。悪いけど、本気だよ。そうなればもう、君たちはゲームオーバーだ」
「……もう、ゲームできない?」
「かもね」
領土を全て失うとどうなるかハルは知らないが、少なくとも最初の何もない虚空からやり直しなのは確実だろう。
もしかすると、敗退者は二度とゲームにログインできないという重いペナルティかも知れない。
この彼らにとっては牢獄じみた病棟で、やっと手にした娯楽があのゲームだ。それを失うことは、耐えがたいに違いない。
そんな葛藤から、少年たちは誰もが黙って顔を見合わせ、言葉を発せずにいる。
ちらちらと他の者の顔色をうかがったり、それでいて直接目を合わせないようにうつむいたり、子供らしいいじらしさが見え隠れしていた。
「まあ、今すぐに答えを出せっていうのも大変だよね。また後で、聞くとしよう」
ここで無理に迫っても、そんな子供たちから結論が出るはずもない。その結果、彼らの国はただ時間切れで滅びるだけになりかねない。
そんな結果はハルも望まない。別にハルは、彼らを追い込みたくてここに来たのではないのだから。
「僕らはその間、もう一方の敵を滅ぼしてくるから。みんなで話し合って決めるように」
「確かに! わたくしたちはまだまだ、二正面作戦の途中でしたね!」
「ですねー。あっちはもう分別の付く歳の生徒ですからねー。容赦なく滅ぼしちゃいましょー」
「そだねー。じゃあさっさと行こーか」
「そういえば、この病棟にもログインルームがあるのよね? そこを使えばいいのでなくって?」
「《あるよー。私が案内するねルナお姉さん!》」
子供たちが、ぽかん、とする間に、あれよあれよと話が決まり、女の子たちはぞろぞろと部屋を出て行く。もう話は終わりの空気を察してくれたのだろう。
「じゃあ、そういうことで。またね君たち」
ハルもその流れに乗って、立ち尽くす子供たちを置き去りに彼らの部屋を後にするのだった。
*
「……んでハル君。当初の“本当の”目的、忘れてないかね?」
「忘れてないよユキ。そっちはそっちで、データは取ったさ」
「おや、いつの間に」
「最初から。彼らの口を塞いだのもエーテルだし、モニターを見せられたのだって室内にエーテルがあるからだよ」
「おお、確かに」
病棟内のログインルームへと行く道すがら、ユキがこっそりとハルに確認する内容。それは、彼らの体を調べるという当初の目的を忘れていないかということだ。
当然、そんなヘマをするハルではない。そして、そこからも実際興味深い内容のデータが採取できている。
「少し、色々と調べたいことが出来た。出来れば中のことは君たちに任せて、僕はそっちに集中したいと思うんだ」




