第1111話 救世主の限界値
「落ち着け君たち。……落ち着いた? 拘束を解くけど、騒がないように。オーケー?」
ハルを睨みつけながらも渋々といった感じで頷くユウキの態度を確認すると、ハルは彼らの拘束を解除する。
警戒するようにじりじりと後ずさる少年たちを刺激しないように、ハルもまたその場を動かず距離を詰めることはしなかった。
「……何しに来たんだよ。ってか、お前もここに居たのな。どーした? ビョーキか?」
「いや、僕らは隣の学園からだ。君らに会いに来た」
「どーやって入ったんだよ……」
そこで初めて、ユウキはハルたちと共に居るヨイヤミに気付いたようだ。その姿を見て得心がいったとばかりに、鼻で笑いつつ推理を導き出した。
「ふんっ。なるほどね。その女をダシに入ってきたって訳か。じゃあここに居る時間はないな。さっさと医者のトコに行きなよ」
「残念。忍び込んできたので急ぐ必要はないんだよね」
「はぁ!? どうやって……」
そこで彼らは、忍び込んできたというハルの言葉から咄嗟に閃きを得る。
壁に埋め込まれたボタンに手をかけると、ニヤリと悪い顔をしてハルに脅しをかけるのだった。
「じゃあ、これを押せばお前を追い払えるって訳だ。すぐに医者が飛んでくる。侵入者のお前らは、捕まっちまうってことだからな」
「ああ、うん。まあそうなんだけど。押されても問題はないよ。その程度の対策もしないで入る訳ないだろ?」
「……は? そ、そんなすぐ分かる嘘をつくな! 押してみれば分かるんだぞ!」
「うん。押してみるといい。むしろ何を怖がっているんだい? ああそうか。普段いたずらで押しすぎて、何でもない時に押すと罰をうけるのかな?」
「……っ~~!」
図星のようだ。とんだいたずら小僧である。
だが、今は実際に緊急性があると、なんとか論理的帰結を得たようで、意を決してユウキは壁のボタンを押し込む。
しかし、ハルの語った通り、彼が何度押し込んでもボタンが反応することはなかったのだった。
「ね? 問題ないでしょ?」
「ぼ、ボクらをどうする気だ!」
「別にどうもしない。ちょっと、話を聞きたいだけだよ」
「騙されないぞ! そいつを攫って行ったみたいに、ボクも人体実験の材料かなにかにする気だろう!」
ユウキはヨイヤミを指さすと怯えた表情を押し殺しながらそう語る。
どうやらやはり、ハルはヨイヤミの意思を無視して無理矢理に誘拐した悪人だと思っているようだ。
まあ、そう思われても仕方のないことではあるが、このままでは話が進まない。どうしたものかとハルが思っているところで、そのヨイヤミ本人から声があがった。
「あーもう! さっきからビクビクビクビクって、みっともないやつら! 私のこと好き勝手に言うのやめてくれる? あんたらこそ、いっつも陰で私の悪口言ってばかりのくせに都合のいい時だけなに言ってんだか。人をダシにすんじゃないわよ!」
「お、おまえ、喋れて……」
「ええ喋るわ! 悪い? ハルお兄さんに喋れるようにしてもらったのよ? ……って、やっぱりキツいわね。こほっ! 《今日はこのくらいにしといてやるわ。命拾いしたわね?》」
「こーら、無理しないの。でもありがとうね、ヨイヤミちゃん」
「《きゃー、のど撫でられちゃってるー。ごろ♪ ごろ♪》」
「猫か……」
まるでメタのように、ご機嫌に『ごろ♪ ごろ♪』とのどを鳴らすヨイヤミに、少年たちはあっけに取られて皆、ぽかん、と口を開けている。
どうやらもっと、大人しく内気な女の子を想像していたようである。気持ちは分かる。幻想が壊れてしまっただろうか?
しかしハルにとってはいいタイミングの助け舟であり、ハルが彼女を虐待などしていないことを本人が証明してくれた。
物理的に自らの口で喋ってくれたことも、外に出て回復に向かっていることが一発で分かる良い手であった。後でお礼をしなければならないだろう。
「《いい? ハルお兄さんは私たちみたいな子の救世主よ。誰よりも私たちの体のこと分かってるわ? あんたらは黙ってお兄さんの言う通りにしなさい。いいわね!》」
どうやら、完全にお膳立てをしてもらったようだ。ここから先は、ハルの仕事。腕の見せ所だということだろう。
ヨイヤミは車椅子を操作し後ろへ下がり、これ以上語る気はないようだ。
そんな彼女の支援をきっちり生かすべく、ハルは反対に一歩前に出て、彼らと改めて向き合っていく。
さて、そんなハルの話を、少年たちは果たしてどの程度聞いてくれるのだろうか。
◇
「……救世主だって? そんなはずない。お前がボクらのヒーローのはずない。だってそうだろ。お前がヒーローなら、なんでボクらはこんな所に閉じ込められてるんだ。何でボクらを助けに来ないんだ!」
「そうだね。僕はヒーローにはなれないよ」
ヨイヤミのおかげで話を聞く態勢が整ったかと思ったが、最後の言葉で一転して今まで以上に強い反発心を抱いてしまったようである。
幼い彼にとって『救世主』、ヒーローという概念は絶対の正義、万能の存在。ハルがそんなヒーローであるならば、悲劇を一身に受けた犠牲者である自分を助けないはずがないのである。
「その女は助けたのに、何でボクらは助けないんだ! 困ってる人は、誰でも助けるもんだろ!」
瞳に溜まった涙が、今にも決壊しそうなユウキ。男の子としての意地だけで、なんとかこらえているのだろう。
ハルがヨイヤミを連れ出したとき、奥でじっと二人の方を見ていた彼らの姿がよみがえる。
あの時も、心の奥では『なぜ自分を助けないのか』、『なぜその子だけを助けるのか』と恨めしく思っていたに違いない。
ひとえに、ハルの器の問題だ。誰もかれもを等しくすくい上げていっては、すぐにその器には入りきらずにこぼれ落ちてしまう。
それをよく理解しているから、ハルは彼らの悲劇を見て見ぬふりと決め込んだのである。そこに一切の言い訳の余地はない。ハルは彼らを選ばなかったのだ。
「……僕は、君らのヒーローにはなれない。だけどね、君たちにこれ以上の悲劇が降りかかることを避けることは出来る。それを見て見ぬふりするほど薄情ではなくてね」
「ふんっ! 何言ってんだか! ボクらはもうどん底だ、これ以上悪くなったところで、大差ないさ。どう変わるっていうんだ」
「自暴自棄になるのはよしなよ。状況はそう悪いものじゃ、」
「悪いさ! 世界で一番! 僕ら以上に不幸な人間なんて居るもんか! 知ってるのかよお前!」
「うん。知ってるよ。昔はそういう『不幸ランキング』作るのもお仕事だったからね。自分が何位か知りたい? オススメはしないけどね」
「なに……、いってんだよ、お前……」
事実である。最近話題に出たように、国民の幸不幸を集計し、リスト化するという趣味の悪い役目もハルは担っていたことがある。
そうして本当に不幸な人から支援するなんていう趣味の悪い管理社会になる計画があったのだが、幸か不幸か、それは初期の段階で計画倒れに終わったのだった。
そんな集計で数値化したならば、彼らは案外上位に居ることに驚くだろう。
別に、だから現状を受け入れろ、という話ではない。そんな不幸ランキングを決めることに意味などないということだ。
「僕が何を言っているかというとね。重要なのは誰が不幸かではなくて、君がこれからどうするかってことさ。嘆いてるだけじゃ、変わらないよ。何か当てはあるの?」
あるはずだ。それを探ることも、ハルがここに来た理由の一つ。
彼らの行動には、その目が見据える先にはなんらかの希望があるように見えた。何か、現状を打破する計画があるはずだ。
だが、今話して分かったように彼ら自身は現状に一切の希望を持っていない。ならばそれは、外からもたらされた物のはず。
人か神かは分からぬが、その希望が本当に彼らの望むものであるのか。その可能性は、相当低いようにハルには思えた。
彼らが盲目に、その偽りの希望に向けて突き進むことは出来れば止めてやりたい。
「当てならあるさ! 成功すれば、世界がひっくり返るんだ! お前だって、もう偉そうになんてしてられないぞ!」
「おいユウ! 秘密にしてないと!」
「構わないさ! ヒーロー気取りのこいつに教えてやるんだ! ボクらを苦しめるエーテルが、世界から消えてなくなるってこと!」
「……オレは、信用してないけどな、アイツの言うことも」
「こんなやつよりは信用できるだろ!」
……どうやら、思った以上に大それたことを考えているらしい。本気だろうか?
いや、本気も偽りもない。彼ら自身が立てた計画ではないのだ。恐らくは、何者かに吹き込まれて誘導されている。
一応、話の筋自体は通っているのだろう。世界からナノマシンが消えてなくなれば、『エーテル過敏症』である彼らも自由の身だ。
毒の大気に等しい外気を気にすることなく外に出られ、安全地帯であるこの学園に縛られる必要もなくなるのだから。
しかし、計画はあまりに非現実的。前時代で言うならば、『世界から電気を無くしてしまおう』と言っているのと変わらない。
当時そんなことを言ったとして、笑いものになるだけだろう。いったい誰が信じるというのか。
「《ばっかじゃないのアンタら? そんなデタラメに飛びついて。嘆いてばっかで勉強しないからそーなるのよ。あんた達じゃ、ネットに繋げたところで、自分にとって心地いい『真実』に浸って終りね? ここに居るのと大差ないわよ?》」
「デタラメじゃない!」
「《んべっ》」
わざわざ舌を操作するプログラムを組んでまで、ユウキを挑発するヨイヤミ。辛辣な意見である。
とはいえ、言っていることは中々に含蓄がある。今の世の中、ネットを潜れば何処かに自分にとって心地の良い『真実の情報』が転がっているのは確かだろう。
もちろん、その真実は一面でしかなく、それを否定する真実もまたどこかに存在するが、自らに都合の良い真実を発見してしまった者には、もう一方の真実は目に入らなくなる。
エーテルネットに適性がありすぎるヨイヤミだからこそ、そうした現代の状況がよく見えているのだろう。自分にとっての『真実』に浸りすぎる人間の多さも。
「なら教えてやる! 外に出られるようになって、ネット出来るようになっていい気になってるようだがな、新しい時代が来ればお前も終わりだ。人形に逆戻りだ!」
「《へー。どーせ無理だろうから、興味なんかないけどねー?》」
「なにをっ!」
「ユウちゃん、ムキになっちゃだめだよ!」
「ダメだこりゃ、ユウのやつ……」
いつの間にか、会話の誘導を完全にヨイヤミがとって変わっていた。気付かれぬようにハルに悪戯っぽい笑みを送る彼女が末恐ろしい。
そんな子供同士の意地簿張り合いの中で、それに見合わぬ巨大な企みが語られようとしていたのだった。




