第1110話 意識を盗み取る無法者たち
ハルたちは自分たちもログアウトし現実に戻ると、人気のない学園を皆で横切って行く。
幸いというべきか、目指すべき病棟はこの学園に隣り合って建てられた施設。たどり着くのに、さほど苦労することはない。
まだ昼のうちから学園内を練り歩く新鮮さを味わいつつ、慎重にかつ堂々と、ハルたちは病棟へと向かって行った。
「《あはっ、あんまりないよねー、明るいうちに校内を探検すること。夜中に忍び込むのと、ずいぶんイメージ違うよね。かといって、別にお昼に来たい場所でもないけどー。どうせ行くならお外がいいな~?》」
「ごめんねヨイヤミちゃん。帰りは、どこかお店にでも寄って行こうか」
「《やった! でも、明るいうちに帰れるかなぁハルお兄さーん》」
「おっと手厳しい。早く帰れるように頑張るよ」
休日の学園はしんと静まり返っており、昼間であることが逆に非日常の風景を演出している。
普段は人の多い場所に自分たちだけが存在する。そんな様子から受ける独特の感覚は、なんだか世界に自分たちしか居ないような不思議な気分をハルたちに与えるのだった。
もしくは、忍び込んでいる気分を明確に感じさせ、悪いことをしているドキドキ感を加速させるのであろうか。
「いや。この学園は一年中、出入り自由だからこうしていることはそう特別な事でもないんだけどね」
「誰に向かって言い訳しているのかしら? ……とはいえ、見つからないに越したことはないわね? 誰かと出会ったら言い訳が面倒よ?」
「だね」
「《はいはーい。私の診察に来たって言えばいいと思いまーす》」
まあ、確かに筋は通っているか。もともとヨイヤミは病棟に居た者。彼女を連れて来たと言えば、言い訳には十分だろう。
しかし、それでも見られないに越したことはない。ハルは仕掛けた自前のカメラからの映像をチェックし、誰とも出会わないルートでヨイヤミの車椅子を押しつつ進行する。
「ところでハルさん。気になる事というのは、いったいなんなのでしょうか? あの子たちと直接会って、なにを調べたいのですか?」
「ああ、それはねアイリ。彼らの肉体に起こっている変化についてだね。あれは明らかに、ゲームとしてのシステムを超えて、彼らの体その物に変異をもたらしていた」
「まぁ……」
「肉体強化の子なんてまさにだったね。人間の体のまま私と渡り合えるなんて、どう考えてもおかしいもん」
「ああ」
いくらゲーム内とはいえ、空中の足場を縦横無尽に跳び回ってユキと渡り合うなんて芸当は、ただの子供に出来るはずがない。
身体能力だけなら、体を保護するフィールドをパワードスーツのように扱い強化できるかも知れないが、判断能力はそうはいかない。
あれは確実に、彼の反射神経そのものにも手が入っていた。操作補助のシステムを自ら作ってきたハルだ、システム補助の有無はそれこそ一目で分かる。
それに何より、能力の負荷が疲労として結果反映されること。普通のゲームであれば、いやこのゲームでも今までなら、ゲーム上のリソースが減るだけだった。
魔法を使えばMPが減る。ゲームなんて本来この程度に決まっている。
それは、集中して遊べば疲れはするだろう。だが、それが全身疲労となり襲ってくるなど明らかに異常。
「あの場で“診察”しても良かったけどね。でもそれでまた、どんな結果を生んでしまうか分かったものじゃない」
「あの時ハルさんはエーテルを周囲に放出させてましたもんねー。彼らに感染させてしまえば、直接肉体に作用できますもんねー」
「《あっ、ずるーい! あんな奴らになんか入れないで、私に入れてよ私にー!》」
「ごめんねヨイヤミちゃん。帰ったらね」
「繋ぎすぎはだめよ? あなたもちゃんと、ハルに体調を見てもらうのよ?」
「《ぶ~~》」
まるで遊びたい盛りの子供を持ったお母さんなルナに皆で笑いつつ、ハルたちは学園エリアと比べて白がぐっと濃くなった病棟エリアへ差し掛かる。
白なのだから、薄くなったはずであるが、なんだか白すぎる神殿のようなこの病棟への道は、圧迫感が妙に増したイメージを叩きつけてくるのだった。
「さて、ここからは慎重にいかないとね。前と違って今は昼。そして休日とはいえ、施設の中にはスタッフが居るよね」
「《居るよぉ。まー、数は少し減ってるかな。でも入り口の前には大抵誰か居ると思うから、この玄関開けたらバレちゃうだろうねー》」
「まいったね、どうも」
「《私をダシにして堂々と行く?》」
「いや、君に不必要な診察なんて受けさせたくないかな」
「《えへっ。やーさし》」
まあ、この正面玄関となっている数少ない病棟への入り口。そこには受付のような人が常駐しているのはおかしくない。
最初に来た時は夜だったので、最低限の人員しか配置されていなかっただけだ。
エーテルネットから遮断されているこの学園内においては、扉の向こうを探ることすら一苦労だ。
そうして扉に張り付くようにして受付が席を外すまで待機しているうちに、この廊下を誰かが通りがからないという保証もない。
どうしたものかとハルが思案していると、ヨイヤミが振り返りわざわざにんまりとした笑みを作り上げて車椅子を押すハルを見上げた。
「……どうしたのかな? わざわざ、そんな表情制御のパターンなんて作って」
「《むっふふー。お困りですか、お困りですねぇ? ね、ねっ、なんとかしてあげよっかお兄さん。私が、なんとかしてあげよっか。私なら、こんな状況でも一発で解決できちゃうんだけどなぁ》」
状況の打破というよりは、ハルにいたずらを見せたいだけにしか見えないヨイヤミは、ハルからの許可を今か今かと待ち構えているのであった。
*
「《よーし、レッツ開門ー》」
なんの躊躇もないヨイヤミの号令に合わせて、ハルは重苦しい病棟の扉を開く。当然ながらまだその奥にはスタッフが居るままで、その者からはこの光景が丸見えになっているだろう。
この場は隠れる場所のない一本道。ハルたちは見咎められることは避けられない。本来なら、そのはずだ。
「《行こ、ハルお兄さん。見えてないから。あっ、声も抑えなくていいよ。聞こえてもいないから。まあでも、あんまり大声を出すのは良くないかな。感覚を奪ったのは、ドアの周囲の人だけだから》」
だが受付として扉をばっちり視界に収めているはずのスタッフは、ハルたちの姿はおろか、扉が開いたことにすら気付いていない。
まるで、扉の動きも開閉の音もまるで届いていないように、自然な姿のままのんびりと待機を継続していた。
「《監視映像の改竄はお兄さんがお願いね。私は、そっちには侵入できないから》」
「オーケー。しかしヨイヤミちゃん。複数人同時もいけるんだね」
「《えっへん。よゆーよ、よゆーよゆー》」
これは何も受付が著しく正月ボケしている訳ではない。ヨイヤミによる、生体ハッキングの威力であった。
彼女は接近した人物の脳に侵入し、その視界を盗み見たり、逆に視界から自身の存在を排除したりも出来る。
これはハルが技術的に行っている『気配遮断』を、ヨイヤミ独自の直感的に行っているようなもの。
スタッフの意識は、ハルたちの姿をしっかりと目に捉えつつも、脳内でその存在を認識することを放棄していた。
「《ゲームの中じゃないから、今はばんばんやっちゃって良いんでしょハルお兄さん?》」
「ばんばんはしないの。必要最低限ね」
「《ぬーん。つまんないのー。まあ、こんなことよりご褒美に帰ったら繋がせてくれればそれでいーや。ごっほうび、ごっほうびー♪》」
ヨイヤミが陽気なリズムで口ずさむも、彼女の歌に反応する者は居ない。
例えハルたちと至近距離ですれ違ったとしても、患者もスタッフも、誰一人としてハルたちを気にも留めない。
むしろ意識して道の端を行かなければ、何度も肩がぶつかってしまいそうだ。
「この、普段は無意識にお互いに回避し合ってるんだなーって実感するのも、ハル君の奴にそっくりだねー」
「世界は広いわね。こんなことするの、ハルだけだと思っていたわ? いえ、むしろ狭いと言うべきかしらね?」
「広い世界で運命的に出会ったのか、狭い世界で出会うべくして出会ったのか! むむむ、悩ましいですー……」
「《アイリお姉ちゃんロマンチックすぎー。あっ、あいつら二階の病室だよー》」
しかも、ヨイヤミには今誰が何処に居るのかも難なく察知できるようだ。
まるで現実でも彼女だけは、ゲームのマップ機能を持ち込んで使えるようなものである。
「《それとも誰か女の子の部屋にでも行く? なんと触っても気付かれずに、したいほうだいだよお兄さん。ぐへへへへ!》」
「……そういうガチ犯罪に使おうとしないの。やってないだろうねー、外に出てからー」
「《あうー。いたいいたーい。触るの私じゃなくって、ねっ、ねっ? やってないよー。だってお兄さんたちには効かないしー》」
「大丈夫よヨイヤミちゃん? お母さまには効くわ? あとで、いたずらしてみましょうか」
「《えっ……、月乃お母さんは、ちょっと後が怖いかなーって……》」
「大丈夫よ。何の心配もないわ?」
「英才教育やめいルナ。ヨイヤミちゃんを一般人と触れ合わせるが不安になってくるね……」
「《いいもーん。別に他の人となんて仲良くならなくったって。それより、そろそろ着くけどどうする? あいつらも感覚奪っちゃおっか?》」
「そうだね……」
今後の教育方針について真剣に考えねばなるまいか、とハルが思ったあたりで、進行中の作戦に引き戻されるハル。会話のタイミングまで心得ているヨイヤミだ。恐れ入る。
そして、確かに彼らの視界も奪ってしまえば、気付かれないままこっそりと調査を決行できるが、その反面で不都合もあった。
ゲームが彼らの肉体に及ぼしている変化を調べたいところに、ヨイヤミの未知の力による干渉があったままでは正確なデータが取れない可能性があるのだ。
可能なら、不確定な事象は極力排除して調査に臨みたい。よって、ここは彼らの意識から姿を消さずに、直接顔を合わせて協力を求めることにしたハルだ。
「やっぱり、直接対面することにするよ。ヨイヤミちゃんは、彼ら以外に気付かれないようにお願い」
「《ほーい。どーなっても知らないけど、おーせのとーりにー》」
どうやら室内には子供たちが纏まって居るらしく、先ほどの彼らと間を置かずの再会となるようだ。
ハルが部屋の扉を開けると、最初はスタッフが来たのかと鬱陶しそうに睨みつけていた彼らの目が、一気に驚愕に見開かれる。
「あっ……! お前はっ……!! なんでここに、」
「しゃらっぷ」
「……むー!! むぐー!!」
「《どっちにしろ黙らせるんじゃーん》」
大声を上げようとした彼らを咄嗟に、ハルの力で大人しくさせる。結果として大差のない展開に、ヨイヤミのからかうような声だけが室内に響くのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




