第1098話 交じり合う世界
突如現れた暗雲のように、いや大空に浮き出たシミであるかのように、巨大な飛行船は晴天を切り取って前触れなく敵地へと飛来する。
本来、互いに中央部から歩いて外周に向かうしかないはずの中での空中からの奇襲だ。その効果のほどは計り知れない。
「まあ、メリットばかりではないんだけどね。運用を間違えれば、ただ敵地に孤立する部隊を作り出すだけに過ぎないんだし」
「このゲーム、次々と増援があることが基本ですものね。その中での片道切符は、思った以上に不利かも知れません」
「そうだねアイリ。向こうが無限に復活するなかで、こっちは補充が効かないんだから」
もし奇襲し不意を突いても、倒した部隊はすぐに中央で復活する。それを再び前線に向かわせられたら、今度は簡単に挟み撃ちにされてしまうのだ。
それゆえ降下の場所は慎重に選ばねばならない。誤れば待っているのは退路の無い全滅だけだ。
「……とはいえ、適当に降ろしてもいいっちゃいいんだよねえ。兵士は全て無敵板を着込んだ騎士装備だし」
「油断は、いけません! 敵の能力は未知数なのです!」
「確かにね。気を付けるよアイリ」
「そだぞーハル君。それに、装備を奪われでもしたら面倒さね」
「それも確かに」
「一般的な鎧の形状である以上、奪取されたらそのまま相手が装備してしまいそうだものね?」
実際の挙動がどうなるかは分からないが、その危険がある以上無茶はできない。
もしそうならば、敵にとっては人形兵はレア装備を落とすレアモンスターだ。そうした無駄なモチベーションなど、わざわざ与えてやることはない。
「……とはいえ取られるのを恐れて、装備無しで突っ込むなんてのもね」
「そうそれ。本末転倒で臆病すぎー。取られたら取り返せばいいんよ。むしろ、あえて流通さしちゃえ」
「特定の勢力に最新装備を流してパワーバランスを崩すって? 死の商人だねユキは」
「いやハル君が得意なやつじゃんそれ……」
確かに、交易するふりをして兵器の開発資材を特定国にばら撒いて、自分の手は汚さずに軍事バランスを崩壊させる、というプレイは戦略ゲームではハルの得意なところだ。
この周囲が敵だらけの状況でそれを決められれば戦略的に美しいだろうが、生憎敵対の矢印は全てハルに向いている。
今の状況では、奪った装備でそのままハルに対抗される未来しか残されていなかった。
「ハル様、敵地との境界線上を越えました。上空から敵部隊が確認できます。敵も、こちらを察知しているようです」
「無視してそのまま前進。奴らの頭の上を通り過ぎて、中央部へ進む」
「はっ! そのまま首都と思しき場所まで向かいますか?」
「いや、道中で降下する。途中で、中央から来る補充の兵と鉢合うはずだ」
「その孤立した兵を叩くのですね」
恐らくその兵が、最も油断した部隊だろう。
ハルの防衛装置によって倒された兵を、そのままルーチンワークで元の前線に送り返す。自国内を歩いて向かわせるだけの、安全な行軍だ。
そこをまさか前線を飛び越えて、直接叩かれるとは思いもすまい。
ハルたちは空を切り取る巨大な影に慌てふためき、対処に迷う兵士たちを見下ろしながら彼らを無視し、彼らが来た道を遡った。
この国はほぼ同時に国境を接してきた五つの国のひとつであり、その中央。左右どちらからも三番目の位置となる。
荒涼とした大地に、岩肌の露出した小高い崖が切り立つような、荒れ地の国だ。吹き抜ける空気も、なんだかひどく乾いているように錯覚する。
そんな丘陵の間の狭い道を、皆一様にぼろ切れじみた衣服を着込んだ一団がこちらへと向かってくる。防壁の前に倒れた兵の、補充だろう。
「よし、奴らの頭上に降下し強襲。片づけた後にただちに反転する」
「はっ! ハッチ開きます。降下準備よし。いつでもどうぞ!」
アルベルトにより飛行船の扉が開かれ、そこから次々に銀色の鎧を着込んだ人形兵が降下していく。
敵兵も一瞬硬直するが、ただ黙ってぽかんと口を開けている訳ではない。ライフル状に長い粗野なデザインの銃を構えると、空中の人形兵たちに向け発砲する。
「へえ。ここも銃器持ちか。時代でも進んだかな?」
「そーゆーシステムでしたっけー? それにしても、この荒れ地も合わさって、なんだか山賊みたいですねー」
「山賊が好きなのかしら? 趣味が悪いのね?」
「おぅ、ルナちーが天然で相手の心をえぐっていくぅ」
「……だって悪趣味じゃない? ま、まあ、<盗賊>ロールもけっこう流行ったみたいですし、そういう物なのかしら?」
「どうなのでしょう! ハルさんも、人形さんたちの見た目は自動で決まっちゃいましたし!」
「じゃあリアルで山賊タイプだってことかー」
「どんなタイプだ……」
ユキの発言も聞かれれば大概心が折れそうだ。せめてゲリラとか、局地戦闘兵とか言ってあげてはいかがだろうか。
とはいえ言葉のうえでどう取り繕っても、戦力はやられ役の山賊と大差ないことは変わらない。
こちらの鎧は銃弾程度は容易く弾き返し、無傷で悠々と地面まで降下する。
その後は全員が速やかに刀を抜くと、乱射してくる中をお構いなく接近し次々と斬り倒していった。
大人と子供の喧嘩でしかない。すぐに立っているのは銀の鎧の者だけとなり、増援は本隊との合流を果たすことなく谷の底にて乾いてゆく。
「ここからは、中央へは向かわず反転するのでしたね」
「うん。とりあえず本隊を、トラップとの挟み撃ちで殲滅してしまおう」
この位置から攻められては、敵には引く場所がない。背にしているのはミルフィーユのように無駄に何層にもなった防壁と、その内部のマシンガン。
そんな敵兵たちの辿る未来については、もはや語るまでもないのであった。
◇
そうして国境沿いは逆にハルに占拠され、じわじわと逆浸食が始まった。
すぐに取り返せると高を括って手放した領地は、飛行船からの強襲という予期せぬ形で取り戻す術を失った。
単にハルへの領地プレゼントの無料サービスとなり、敵はさぞかし悔しがっているだろう。
「《あっ! 今どんな顔してるか見に行ってやろ! 悔しいだろうねー、悔しいだろうねー》」
「こーらっ。お止めなさいヨイヤミちゃん? 趣味が悪いわ?」
「《えー、だってー。悔しがってるとこ見たいよー。指さして笑いたいよー!》」
「それはまあ、実際に見たら私も笑ってしまうでしょうけど」
「《でしょでしょ!》」
「でも、わざわざ見に行くのはやっぱり趣味の悪いことよ? こっちへいらっしゃい。もっとお淑やかで有意義な時間の使い方について、教えてあげる」
「《わわっ。お説教は許してルナお母さんー》」
「誰がお母さんよ……」
「大丈夫じゃヤミ子。ルナちーのことだからきっとえっちな事だ」
「……ユキには本当にお説教が必要かしらね?」
まあ、いちいち相手の反応を気にしていたり煽りに行ったりするのは、実際に足元を掬われやすい。
そうした悪癖の矯正はルナお母さんに任せ、ハルは今後の戦略を練ることにする。
緒戦は優勢となったが、戦争はまだまだこれから。前線拠点を確保した程度の状況だ。
「プレゼントは嬉しいけど、だからといってここを無理に守り切ろうとするのも良くない。アイリの言ったように敵の能力も未知数だし」
「はい。それに、この先は電力供給も出来ません。無論、ハル様の兵士は鎧と剣さえあればそれだけで国を落とせるだけの実力を秘めていますが」
「無理に持ち上げるなアルベルト。雑に扱えなくなる」
「とはいえー、この場ではちょーっとばかり大事にしてあげないといけませんねー? 補充がききませんからねー」
その通りだ。どうせ復活するからと捨て駒にしては、また送り届ける為に空を運ばねばならない。
ひとまずはここに運んできた部隊のみで、何らかの成果を上げないとならなかった。
「一度に運べるのは、数百人が限度?」
「はい。あの図体で嘆かわしいことですが、こればかりはご容赦ください」
「構わないさ。飛行船ってそんなものだしね」
体積の大半が浮遊のためのガスである。まさか、その中に兵士をぎゅうぎゅうに詰めて飛ぶわけにはいくまい。
リコの国を攻めた時のように、今は扇状に敵国をこちらが浸食し食い込んでいる。
ここからどんどん食い進んで行けば勝利だが、そう上手くはいくまい。早くも、その予想を裏付ける不吉な兆候が国境の先に出始めた。
「《わーわー、景色が不気味になってくー。きーもちわるーい》」
「これが、敵の能力でしょうか! 世界そのものを変革させるとは、ずいぶんと強大そうですね! いったい何なのでしょう!」
「《気になる? 気になるアイリお姉ちゃん? 私が調べてきてあげよっか!》」
「だめですよヨイヤミちゃん。ここで、不用意に相手の体に侵入してはいけないとハルさんが言っていたでしょう?」
「《あっ、はい。ごめんなさいアイリお姉さん》」
「おお。アイリちゃんがちゃんと年上感出してる。珍し」
「べ、別にそんなつもりじゃあないのです! 見ての通り、わたくしも幼いのです!」
「それでよいのかおぬし」
とはいえ確かに、この奇妙な現象はハルもついヨイヤミを使ったネタバレに頼りたくなるというものだ。
今まで戦った生徒の中で、己の世界の風景そのものを変容させる者など居なかった。
世界のありさまという物は、自分の内面、アイデンティティーといった物に深く結びついていると思われる。それを変貌させるという状況は仕様的に特殊すぎる現象だ。
「ハル様。今後の展開に、予測がおつきになられますか?」
「……そうだね、恐らくだけど。よくよく観察してみれば、この歪み方は五種類のパターンが交じり合ったマーブルだ。今の状況で五種類となると、思い浮かぶものは一つしかない」
「同盟五つの、融合でしょうか!」
「そうなるね」
世界ごと束ねるようにして、五つの戦力を全て集中させる気か。
それは果たして、どのような結果として、ゲームに、そして彼らの精神に反映されるのだろうか?




