第1077話 その教訓は劇薬のように
「という訳で、本日は体を動かす訓練を行う」
「やたーっ!」
「《え~~っ》」
ハルの宣言に、両極端な反応を見せるのはソフィーとヨイヤミ。それぞれの分野で、優れた才能を発揮する二人だ。
場所は、ここ最近はもうお馴染みのゲーム内。ハルの領土内である。
思った通りヨイヤミの世界も早々にハルの世界と接触し、今は自分の所そっちのけでこちらへ遊びに来ている彼女だ。
だがせっかく来たというのに、やることが苦手分野のトレーニングとあって、あからさまにぶーたれていた。
「《どうせならお外でやろうよー。エーテルいっぱいのお外でー》」
「確かに、それは私も気になる! どうしてわざわざこの中で特訓するの?」
「それには色々と理由はあるけど、ソフィーちゃんの場合、こっちの方が思い切り体を動かせるからだね」
「よーし、ガンガン暴れるぞー!」
既にハルが教えるまでもなく、エーテル制御を併用した驚異的な身体能力を見せているソフィーだ。
現実世界では、もう彼女のトレーニングには手狭である。体育館を貸し切るくらいのことが必要になるだろう。さすがの月乃も家に体育館は併設していない。
「《じゃあハルお兄さん。私は? 私のリハビリは、お部屋の中が良いとおもうんだけどなぁ?》」
「君の場合、お部屋の中に居たらネット三昧で体なんか動かしたがらないだろう?」
「《大丈夫、やるよー。たぶん……》」
まるで信用の出来ないその発言を、ハルは黙殺する。
それに、わざわざエーテルの無いこの世界を選んだ事には、サボり防止の他にも理由があるのだった。
「エーテルによる身体制御においては、通常の外気への干渉とは別の技術が必要となる。意識を逆に、自分の体内のエーテルに向けなければならないんだ」
「ふんふん!」
「《それなら出来るよー。私はむしろ、それしかやってこなかったもん!》」
「そうなんだ! すごいねヨイヤミちゃん!」
「《あっ、うん。ども……》」
一切の邪気のない、キラキラとしたソフィーの目に射貫かれて、流石のヨイヤミも照れてしまっている。
しかし、ヨイヤミよ驕ることなかれ。その無邪気な少女は、おそらく既にこの世で最高峰に身体制御の上手い人間なのだから。
「二人とも、自己紹介はした? せっかくだし改めて、お互いに挨拶しようか。今日からリハビリ仲間だよ」
「うん! 私はソフィーだよヨイヤミちゃん! よろしく!」
「《よろしくソフィーちゃん!》 ……あ、あー、ぇと、ヨイ、ヤミ、です」
「うんうん! 頑張ったね! はやくお喋り出来るように一緒に練習しようね!」
「……ソフィーちゃんの基準で頑張らせ続けないように、注意しておくべきか」
出来ないことは練習すればなんとかなる、を地で行く彼女だ。ヨイヤミも普通ではないが、通常の人間に強要していいものではない。
しかし、こうして比べてみると、なかなか似た部分の多い気がする二人だ。明るい天才少女のコンビ。人類の未来も明るそうだ。
「《ねえねえ、ソフィーお姉さんもリハビリなの? 全然そうは見えないんだけど……》」
「本当にね。でも病み上がりなんだよ実際。持ち前のセンスで何とかしているだけで、肉体的には相当無理してる」
「《へぇ~~》」
「えへへ、この前も、ハルさんに怒られちゃった。ヨイヤミちゃんも気を付けるんだよ! 無理すると、はだかにされて精密検査なんだから!」
「《わぁ……、えっちだぁ……》」
「医療行為です。純然な」
「《でも興奮しちゃうんでしょ、お兄さん?》」
「ダメなんだヨイヤミちゃん! この人、女の子のはだかなんて見慣れてるから! お嫁さんいっぱいなんだから!」
「《おお~~!》」
「……無駄口叩いてないで、訓練を始めるよ?」
仲良くなってくれたのはいいが、なぜこうもハルの周りの女子たちはえっちなガールズトークを始めがちなのだろうか?
このままいくと精神的疲労でハルの方が身が持たなくなってしまうので、教官権限で訓練を強行することとした。
「はい! プロデューサー! まずはなにするのかな!」
「まずは、完全オートでの筋肉操作から始めようか。二人に共通して必要な事だ」
「《オートって?》」
「自分が全く意識していなくても、体が動く状態だね」
「《おおぉ~~》」
ハルのオート登校や、オート授業などがこれにあたる。細かく設定すれば、オート答弁なども可能である。
まあ、あまりやりすぎると、今度は自分の主体を見失うことにもなりかねないので、教えるのも程々にしようと思っているハルだ。
……くれぐれも、ヨイヤミは授業中もずっとゲームにログインしているような悪い子には育って欲しくはないのである。ハルお兄さんとの、約束なのである。
なお、ハルお兄さんは自己を省みる気は一切ない。非常に悪い子なのである。
「私にも、それ必要なのかな?」
「覚えておくべきだね。ソフィーちゃんは、全てマニュアルで、センスだけで強引に身体制御している状態だけど。段階をすっ飛ばしているから、まずは基本からだ」
「はいっ!」
「ヨイヤミちゃんは、実生活の面でこっちが必要になるね。自分の意思で体を動かせなくても、オートで動ければ日常生活くらいはこなせるようになる」
「《……うん。頑張る。月乃お母さんにも、甘えっぱなしじゃダメだしね》」
「……あの人には猫かわいがりさせておけばよろしい」
厳しくするだ何だと言っておきつつ、実際にヨイヤミが自宅へと到着すると、その後は酷かった。
幼く可愛らしい彼女を甘やかしたい気持ちは分からないでもないが、普段ハルにする以上にはしゃいでおり、ルナをまた呆れさせていた。
「信じられないかもしれないけど、あの人厳しい時は本当に厳しいよ。そんな時に体が動かないと、逃げるに逃げられない」
「《逃げて、どうにかなるの?》」
「うん。どうせ逃げれば涙目で追いかけて謝って来るから」
「《そ、そうなんだ……》」
まあ、それは冗談として(なお涙目になるのは冗談ではない)、体が動かないと始まらないのは事実。
ならば今からハルが月乃の代わりに、少々スパルタで特訓することに決めたのであった。
*
「さて、まずは基本の仕組みからだ。ナノマシン、エーテルを使った身体操作のシステムの基礎は、エーテルを神経伝達物質の代わりにさせることにある」
「しんけーでんたつぶしつ?」
「《体を動かすのは電気じゃなかったの?》」
「半分正解。神経には電気信号が送られて動くのも確かだね。でも、脳から指先まで、ずっと同一の電気が流れて筋肉を動かす訳じゃないんだ」
「確かに、そんなに電気流れてたら、いつも体ビリビリだもんね」
「まあ、割とビリビリではあるんだけど。生体電位の話はまた後にしようか」
イメージとしては、脳からの命令は一本の線によって筋肉へ送られる想像をするが、実際にはそのラインは寸断され隙間だらけだ。
その隙間を通って命令を送る役目を果たすのが、今ハルが語った物質である。当然、それはとても小さな物質だ。
そして小さいということは、ナノマシンであるエーテルの得意とする分野。
しかもエーテルは情報を高速で伝えるのも得意。となれば、身体操作に使えないはずがない。むしろもってこいの特性なのだった。
「要するにごく簡単に言えば、電気の代わりにエーテル信号を体の各所に飛ばして、神経物質の代わりにエーテルを筋繊維に接触させることで、大幅なショートカットをして直接体を動かせる」
「すごいすごい!」
「……凄い言ってるけどソフィーちゃん、無意識にやってたからねキミ?」
「《へー、お姉さん凄いんだー》」
本当に凄い。人間技ではない。
恐らくこれは、以前にサイボーグの身体であった時に、機械の手足を操作するプログラムを流すイメージと上手く一致したのであろう。
その結果、再生した本当の手足でも、まるで『物を操るかのように』強引に、超人的な挙動をしてみせた。
ただその結果、あの日のソフィーの体はそれはもう内部に無理がたたって、負荷が酷い有様になっていたのだが。
まるで、機械の手足と同じように生身も消耗品にする勢いである。リミッターを外す才能ではあるが、危なっかしいことには間違いない。
「《うーん。でも、なんだかイマイチまだイメージが湧かないなぁ。神経をすっ飛ばして筋肉に直接命令を送るって、どんな感じなんだろう?》」
「そうだと思って、今日はイメージしやすいように良い教材を持ってきた」
「なにかな! なにかな!」
「まあそう慌てなさんなソフィーさん。ほら、これだ」
そう言いつつハルが大仰に取り出したのは、一本の注射器。その中には見るからに怪しい色をした液体が満ち満ちており、見る物を無意味に不安にさせる。
「《ねぇ、ハルお兄さーん? なんだか私、そのお薬とーっても嫌な感じがするんだけど?》」
「そうだね! まるで、毒薬みたいだね!」
「その通り。見ての通り、毒薬だ」
「《やっぱり!》」
その毒々しい色をした、事実、毒でしかないそれを、ハルは躊躇なく己の腕に突きさし注入していった。
「良い子は真似しないように」
「これぜったい悪い子でもダメなやつだ!」
「《うわぁ~! お兄さん、思ったよりヤバい人だった!》」
「授業に必要なことだからね。体を張らなきゃ」
打ち込んだ毒はすぐさま体に回ると、まずは瞬時に注入した周囲の部位、すなわち腕に異変を引き起こす。
人として危ない動きにて、ガクガクと痙攣を引き起こすハルの腕。その様子は、見る者に本能的な危機感と恐怖感を感じさせた。
「《ヤバいってハルお兄さん! その動きヤバいってば!》」
「これ知ってる! 故障したときの動きだ! こうなると命令受け付けないんだよ。お爺ちゃんは、これを狙って引き起こすのが得意なんだー」
「《冷静に言ってる場合!? ソフィーお姉さん、止めてあげなくていいの!?》」
「うん。へーきへーき。ハルさんだし」
「うん。当然、問題ないからこそやってるんだよ」
「《見てる方の精神にちょーっと問題があるかもー……》」
ガタガタと不安を煽る動きで動き続けるハルの腕。このまま毒が回れば、全身が『こう』なって死に至るだろう。
それを見せるのが本題ではないので、ハルは適当に腕からの毒の流入を妨げる。その処置も本題ではないので、特に話題にはしない。
「さて、これはご存じ神経毒だ。神経毒の一部の仕組みは、今日の授業に実にぴったりでね。この動きを止めて欲しかったら、それが何か当ててみるといい」
「えー。毒なんて知らないよーハルさんー!」
「毒の種類を当てろって言ってるんじゃないんだ。オートシステムと、どう関係あるかを考えて」
「《……その毒は、エーテルの代わりに、じゃなかった、神経伝達物質の代わりになる成分がある。って、ことかな?》」
「はい、ヨイヤミちゃん正解」
「《うわ! ビタッ! って止まった!》」
「中和したんだ!」
「はいソフィーちゃん正解。正しくは、毒が神経に入り込む前にエーテルを先回りさせて穴を塞いだんだけど」
「《分かったからまたビクビクさせないで!?》」
見ての通り、この操作を極めれば毒を防ぐことも、毒と同じ作用をさせることも自由自在だ。
神経毒による痙攣は、神経が毒を伝達物質だと誤認することで引き起こされる人体のバグとも言える。
そのバグを都合よく引き起こし、『仕様』のレベルまで昇華させるのがエーテルによる身体制御の肝である。
「要はイメージとしては、体に神経毒を行きわたらせるイメージだ。その毒を完璧に調合し制御すると、ロボットのように狙って自分の体を動かせる」
「いいから解毒剤、飲もう!」
「案ずるなソフィーちゃん。基本的に僕に解毒剤は不要さ」
用が済んだので、体内のエーテルにて完全に神経毒を分解する。この技術も役に立つが、それはまた別の機会に教えるとしよう。
……いや、こんな技術、教えることなどない方が平和なのだが。教える必要のある日は来てしまうのだろうか?
「うーん……、わかんないなー……」
「無意識で出来る分、ソフィーちゃんは意識すると難しいかもね。ヨイヤミちゃんは?」
「《理屈は分かる気がする。やり方も、他人を操る時の操作を自分にやれば……》」
「感覚だけじゃなくて肉体まで操れるんかい……」
「《でも、私のこの体は運動が出来ないから、操るプログラムが入っていないのが問題で……》」
「ならそのプログラムを、一から組んでみよう。安心して、最初からあの子みたいに全身運動はさせないよ。まずは手の指から、ちょっとずつ自動で動かしてみよう」
なんだか難しい顔をして唸りながら、バック転をしたり人間の域を超えた大ジャンプをしてみたりと、顔と体がアンバランスすぎるソフィー。
その様子を横目で苦笑いしながら、ハルとヨイヤミは基本の制御プログラムを一つずつ試していった。
こうしたエーテル制御に関する知識は、ヨイヤミの方が優れている。既に応用しまくりなソフィーには後で丁寧な座学が必要そうだ。
「《わぁ、出来た出来た。ぐーぱーしてる! すごぉい……、自分の体なのに、自分じゃないみたい……》」
今はまだ、ハルの作ったものをそのまま流し込んだだけであるが、彼女ならすぐに自分流にアレンジした制御が可能だろう。
右手を開いて閉じて、まるでロボットのようなぎこちない動きだが、動かなかったヨイヤミの体が、動き出すその第一歩を刻んだのだった。
ゆくゆくは、本当にその足で本当に地面を踏みしめ歩けるようにと、彼女は実に楽しそうに訓練を続けていくのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/12/22)




