第1076話 解き放たれたじゃじゃ馬
結論から言えば、ヨイヤミを引き取る事については何の問題も起こらなかった。というよりも、問題の発生する領分が存在しなかったのだ。
彼女の両親、産みの親は存在せず、あの学園病棟以外に行き場所がない。
よって月乃が引き取ることに、なんの抵抗も発生しなかったという訳だ。
「……この情報社会で、両親不明ですか」
「もちろん、そんなはずなんてないわよハルくん。それは、あなたが一番よく分かっているはずね」
「それはまあ。要するに、意図的に戸籍を書き換えられた。その辺はまあ、僕も人のことは言えないんですが。カナリーなんて遊びでやってますし……」
つまりは、戸籍を改竄できる立場にある者の子だという訳だ。高確率で。
お金持ちの両親が、外聞の悪い子供を『居なかったことにした』のか。それともそういった者達に伝手のある者なのか。
ともかくまあ、完全情報社会といえど、それを管理するのが人間である以上、隠蔽の余地もまたあるということだ。
まあ、どの時代にもある、滅多にないが有りがちな悲劇という訳だ。
「あの子の両親、調べておきましょうか?」
「別にいいですよ。調べてどうなる訳でなし。それに、調べようと思えば僕の方がきっと適任ですしね」
「でしょうね。ハルくんなら、そんな改竄記録なんて改竄したうちに入らない。でもいいの?」
「何がですか? 別に、彼女も親に復讐したい訳ではないみたいですし。僕も、その辺は特に興味はないです」
「彼女、自分の境遇に恨みごとの一つもないの?」
「そりゃあ、『退屈で死にそう』とは言ってますけどね。でもあの子はその能力で他の患者の主観を覗き見して、親や世間を恨んで生きる事の不毛さがよく分かったとかで」
人の振り見て我が振り直せ、ではないが、ハルとはまた別の方法で、自身を客観的に見ることの出来るもう一つの視点を持っているということだろう。
そのせいで少々達観しているところがあるというか、ヨイヤミはずいぶんと大人びた少女だった。
もちろん、その他の部分ではまだまだ子供と言わざるを得ないが。
「ドライねぇ。でもそうではなくって、あいつらの方から興味を持つ可能性だってあるわよ? だってあの子、『使える』わ?」
「ドライ通り越して冷え切ってますよ奥様……」
「フリーズドライということね!」
月乃も、完全な慈善事業で今回の件を引き受けてくれた訳ではない。その裏には、このような冷徹な計算も存在する。
それを責める訳ではない。ハルとて同じだ。ヨイヤミが何の力も持たぬただの不幸な少女であったら、手を差し伸べてはいなかっただろう。関わることすらなかった。
そんなヨイヤミはハルと同様に、月乃にとってプラスに働く可能性の高い人材だ。その確保であるからこそ、彼女は積極的に、迅速に動いた。
彼女の能力は上手く使えば、月乃の地位をいっそう盤石にしてくれることだろう。
だがそれ故に、その力を『欲しい』と、『惜しい』と感じる者が出てくるだろう。それが彼女の両親だ。
一度は捨てた彼女を拾いなおすため、厚顔無恥に『引き渡せ』と迫って来ることは容易に想像できた。
「それをさせない為にも、先手は重要よハルくん? なんなら、先んじて潰しておきましょうか」
「いや別にそこまでは……」
どちらかというと後手からの反撃の方が慣れているハルだ。何もなければ別にそれはそれでいい。
対して月乃は先手必勝タイプ。これは、後手に回るとハルと違って受けきれなくなるからだと、以前聞いたことがある。
「ともかく、今はそれよりヨイヤミちゃんの身体のことを優先しようと思います。そちらの方が、優先順位は上だ」
「逃げたわね? よくないわよハルくん! まあ、とはいえそれはその通り。何か手はあるのかしら? そもそも本当に外に出して平気なの?」
「ええそれは。とはいえ最後は、あの子次第な所もあるのですけど。『これからは一日中ネットゲームする!』って言い出したりしたら……」
「その時は、お母さんがきちんと躾けてあげるから安心して! お母さん、頑張っちゃうんだから!」
「ほどほどにしておいてくださいね」
こう見えて教育は非常に厳しい月乃だ。果たしてヨイヤミは耐えられるだろうか?
ともかく、書類上はつつがなく、彼女は月乃の預かりと相成ったのである。あとは、ハルの仕事ということだった。
*
ヨイヤミの『退院』は粛々と行われつつも、病棟内では一大事の様相を呈していた。
一生出られないと思っていた患者が外に出ることがめでたいから、ではない。
金持ちの道楽でいたずらに患者を殺してしまうことを危惧しているから、というのが半分。
もう半分は、その心配はないと断言するハルの自信に医療スタッフが興味を覚えたからだった。
「その小さな装置で、本当になんとかなるのですか?」
「ええ。彼女の症状は、ネットワークへの入出力が過剰すぎるために発生している物となります。このチョーカーを付ければ、それを大幅に抑制できるでしょう」
大嘘である。もちろん、全てが嘘ではないが、ヨイヤミの首に巻かれたこの可愛らしいチョーカーにそこまでの機能はない。
それらの処理は、ハルが手動で行うことになる。首の装置はあくまで補助だ。
「そんな装置があれば、患者さんたちはみんな外に出ていけるんじゃないですか? もし良ければ……」
「いえ、お気持ちは分かりますけど、首にこれを付ければ一発解決、という訳にはいきません。あくまで、我が社の二十四時間体制のバックアップと、奥様の資金力あってのこととお考え下さい」
特に、月乃の資金力の部分がスタッフには効いたようだ。それを出されては二の句が継げない。
ハルの、ルナが社長の会社の知名度もそこそこ上ってきてはいるが、言ってしまえばただのゲーム会社。病人相手に何をすると言うのか、としか思われないだろう。
やはり、月乃の力は絶大であると言わざるを得ない。
「そうだぞ君。それに、一口に患者と言ってもエーテル過敏症の症状は一人ひとり違う。安易な発言は控えることだ」
施設の偉い人からもスタッフを牽制する援護射撃が飛んでくる。当然、月乃の息がかかった者だ。
そんな風に、期待と不安の入り混じった多くの瞳に見守られつつ、ヨイヤミはハルに車椅子を押されて病棟の出口へと向かう。
その瞳の中には、彼女と同じ施設の患者のものも混じってはいたが、彼らは遠巻きに、そして不審そうにこちらを見据えるだけで、決して近寄って来ることはないのだった。
そんな子供たちを一瞥し、ハルは神殿の大扉のごとき病棟の門を抜け、参道を下るようにその場を去る。
そうしてまだオフラインの学園の廊下を通り、ついには昇降口の、大仰な『エアロック』へと差し掛かる。
この二重扉を抜ければ、そこからはもうナノマシンの飛び交う現代の世界だ。
「ほ、本当に大丈夫なのですよね? もし万一のことがあったら、どうす、」
「この期に及んで、いい加減にしないか、君。それに、何かあってもすぐに中に戻せば済むだけのこと。別に、エーテルに触れたら死ぬ病気という訳でなし!」
「ご心配はもっともですけどね」
ヨイヤミの世話をしていた女性スタッフには、ハルが人さらいのように見えているのだろう。無理もない。
ただ、それについての問答をするのも面倒だ。当のヨイヤミが、“口を開いて”説明する気はないようなのだから。ハルが何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。
「では、開けますね」
なのでハルは有無を言わさず、ヨイヤミと共にエアロックへとずんずん入り、もったいつけずに外気を遮断している扉も開いた。
学園を取り囲んでいた、エーテルをたっぷりと含んだ大気が風圧と共に一気に流れこんでくる。
そんな外気の中へと、ハルはヨイヤミの車椅子を押しながら一歩一歩踏み出して行った。
「あっ……、う、あぁ……」
そんな、『新鮮な空気』を胸いっぱいに吸い込んで、ヨイヤミがか細く、しかしはっきりと肉声を発した。ハルも初めて聞く、生の声である。
それは症状に苦しんでいる声ではなく、久々の、本当に久しぶりであろう生の世界との接触に、歓喜に打ち震えているようだった。
ハルたちを追い慌てて左右の昇降口から出てきた医療スタッフたちも、その様子を驚愕の表情で見守っていた。
冬の寒空の中、木々の葉も落ち切った色彩の乏しい風景だが、それでも白一色の神殿から出た彼女には感動の景色のようだ。
自分の吐く白い息にすら、感激しているらしい。目には涙の筋さえ見えた。
……きっとその息の中に、今はたっぷりとエーテルが含まれていることを、感覚的に理解しているのだろう。
「……大丈夫なようですね。では、このまま家に連れて行きますね。車を待たせていますので」
「は、はい、お気をつけて……、もし何かありましたら……」
「ええ、すぐに連絡します。しばらくは、症状についても定期的にデータを送りますので」
「よろしくお願いいたします……」
そんな、誰の目にも明らかな少女の喜びの感情の爆発に、もう誰も文句を言えなくなってしまったようだ。足早に去るハルを止める者はもう居ない。
そんな彼らを尻目に、ハルはなるべく不自然にならぬように、しかしその上で迅速に、月乃の用意してくれた現代では珍しい自動車に乗って、逃げるように学園を去って行ったのだった。
*
「《すごいすごい! お兄さんすごい! やっぱり、外の世界って素敵ね!》」
「落ち着け! いいからちょっと落ち着け! なんだこのデータ量は! 制御する僕の身にもなれ!」
二人を乗せた車内、珍しく声を荒げるハルの慌てる様子と、無邪気にはしゃぐヨイヤミの対照的な様子が窓に映し出されている。
ハルが急いだ理由がここにある。エーテルネットに繋いだ途端流れこんだ、ヨイヤミの引き起こす膨大なデータの奔流への対処に、ハルは手一杯になっていた。
月乃に車を用意してもらっていて良かったと言える。徒歩であったら、この叫びだしたくなる気分を押さえる為にたまらず<転移>して帰っていたところだ。
「《なんでも分かる! どこでも行ける! これこそ世界! あそこは地獄!》」
「いいから落ち着けと言うに! その『世界』そのものを取り込んで、その小さな体が無事に済むわけなかろうと!」
「《でもこんなの、我慢なんかできないもん!》」
「だから病院送りになるんだネット廃人! カット!」
「《ああっ!》」
たまらず、ヨイヤミへのデータの流入を全て遮断するハル。いきなりお楽しみを奪われて、ご機嫌だったヨイヤミも一気にむくれ顔だ。
「《ひどいわハルお兄さん! いきなりペアレンタルコントロール? 過干渉の親は嫌われるよ?》」
「誰が親だ誰が。規制したくもなる。まったく、君にとっては世界全てが有害サイトに等しいよ」
「《なんでなんでー!》」
その能力の高さにかまけ、取り込めるデータを一気に取り込もうとするものだから、彼女の体の方が悲鳴を上げる。
それでもきっと、ヨイヤミは接続を切ることはないだろう。まずは、そこの危険性と我慢を憶えるところから教育していかないといけないようだった。
「それにこれ、僕の意識拡張の危険にも近いところがあるね。自分の意識も際限なくネットに送信し続けてしまうため、下手すると自我の散逸の危険性まである」
「《どゆことー?》」
「ネットの海から戻ってこれなくなるってこと?」
「《別にいいんじゃない?》」
「良くないよ。君が思ってるような良いものじゃない。有り体に言えば死ぬのと変わらない」
「《うそぉ……》」
本当だ。自分の小さな意識が世界全てに拡散し薄くなり、それらを形作っていた意味も姿も全て消えてしまうだろう。
「……なので、今から君のアクセス制限レベルは病棟内に居た時と同レベルまで絞ることとする」
「《そんなっ……!》」
「この世の終わりみたいな顔をするんじゃない。お薬の時間以外にも繋げるだけ、十分にマシだと思ってくれ」
「《それはまあ……、確かに……?》」
「大丈夫。訓練して慣れれば、すぐに負荷なく繋げられるようになるさ」
「《ほんと?》」
「ああ、本当。それに、体も動かせるようになるよ」
「《あっ、それは別にいいかな》」
「動かすの! サボったら規制解かないからね?」
「《そんなっ……!》」
……なんだろうか、彼女を引き取ったのは失敗だったのかも知れない。ここまで負荷が大きいとは思わなかった。
しかし、それだけ能力も高いということ。制御できるようになれば、大きな助けになってくれるかもしれない。
とはいえ、それまではこの電脳やんちゃ娘の手綱取りに、ハルたちは四苦八苦せねばならないようだった。
「《しょーがないね。ゲームは一日23時間までにする》」
「一時間休めるんだ。偉いね」
「《その返しは予想外だった……!》」
しかし困るのは、こと廃人具合に関しては、ハルも一切人のことを注意できないあたりであった。




