第1070話 学園の病棟
ハルたちの通う学園には、学生が授業に使う為の施設とは、関係ない施設が一部混じっている。
それは、リコのような研究生たちが使っている研究棟だったり、今回の目的地である病棟だったりした。
「授業と関係ない施設の割合もそれなりに大きくてね。あそこでしか出来ない実験だったり、あそこに保管しておきたい設備があったりと、様々だ」
「こんな突拍子もない学園を作るにあたって、そうした様々な機関を巻き込んで資金を出させたそうよ?」
「うへー。スケールの大きな話だねルナちゃん」
「そうね? そして、巻き込んだのは研究機関だけじゃないわ?」
「お医者さんたち、ですね!」
「そうよアイリちゃん」
この社会に適応できない、『エーテル過敏症』などと分類された者達。彼らの救済のためにも、学園は一役買っている。
ご存じ病的なまでのナノマシンの侵入を排した空間だ。それと相性の悪い、いやむしろ良すぎて困っている者にとっては、ここは日本で唯一の安住の地であると言えるのかも知れない。
「良い話に聞こえるかも知れないけれど」
「ちがうん?」
「違うのよユキ。もちろん、そういった慈善事業も本心からやっているのでしょうけど、優先順位の最も高い目的は別にあるわ?」
「あの学園の存続だね。知っての通り、意味不明なコンセプトの学園だ。世間から、『ここ要らなくね?』と言われないとも限らない」
「ふんふん。その時に、『要るよ、いるいる』、って言い訳できる用の備えって訳だ」
「人権を盾にとられると弱いですからねー」
見方によっては卑怯で胸糞の悪い話であろうが、互いの利益が一致した結果なのも事実であった。そこに文句はつけられないだろう。
医療機関としても、自前でエーテルを完全排除した施設を作り、維持するコストなどかけられない。しかも、こんな大規模に。
それならば、ここ一か所に患者を集中させておいた方が都合が良い。各地に独房のような個室が点在するより、患者にとっても良いだろう。
「言ってしまえば、異様に広い無菌室だからね、ここは」
「エーテルは『菌』かいなハル君」
「それも、言ってしまえば」
「肯定するんかーい」
「確か、発想は菌糸や粘菌の持つ情報伝達ネットワークだった、なんて話も聞くわね? 自己増殖し、ネットワークを構築する。確かに菌ね?」
「それを寄せ付けないクリーンルーム。確かに、病棟ですねー」
そんな病棟の中では、外界に出られない人たちが一年をずっとそこで過ごしている。
ずっとその中など不自由であるのは間違いないだろうが、あの黒い塗料、アンチエーテルで塗り固められたあの独房のような小部屋と比較すれば、幾分かマシだ。
「さて、ここで話は戻るが、今回の重要参考人たるヨイヤミ。彼女もそこの住人だ」
「本来、クリーンルームから出られないはずの、つまりはエーテルネットに決して接続できないはずの子が、どうやってか外部に噂を撒いていた。そうよね?」
「うん。間違いなく本人の行動ログである以上、首をかしげざるを得ない結論だ」
ハルたちはいま一度、そのヨイヤミの映っているネットスペースの雑談ルーム、その会話ログを再生する。
モニターの中の彼女は、明るく快活な少女であり病弱さを感じさせない。まあ、病人に分類定義されてはいるが、肉体は健康そのものだ。これはおかしくない。
だがおかしなのは、電脳空間の中では彼女は、患者ではなく学園の普通の生徒として、他の学生との会話に問題なく混じっていることであった。
「……まあ、病棟の住人であることを隠すのは分かる。非常に良く分かる。それを言えば、『なんでここに来れてるの?』って返しが来るからね当然」
「でも、ここまで自然に授業の話が出来るのはおかしいわね?」
「病棟のみなさまは、一緒に授業を受けたりしているのですか?」
「いや、基本的には交流はない。行き来は禁止されてはいないとはいえ、実質互いに不可侵だ。デリケートな問題だからね」
「私も行ったことはないわ? 研究棟も似たようなものよ」
研究棟には一度、ルナと共にエメの起こした事件の際に侵入したことがあるが、学生が通常のカリキュラムでお世話になることはあまりない。
進路によっては、そちらにお世話になる者も出てくることがある、程度だろうか。
ただ病棟はその特性上、本当に誰も関わりがない。基本的には、そのはずだった。
「だれか親切な学生さんがー、そちらを訪ねてお話でも聞かせているのでしょうかー?」
「病気の女の子に、今日の出来事をお話してあげるアレですね!」
「アレだねー。快活な女の子が、病弱な女の子に世話をやくやつだ」
「はい! 病弱な子はお見舞いの子に感謝をしつつも、元気な子に嫉妬と劣等感を日に日に募らせ、ドロドロしていくのです!」
「そして元気な子の思い人の男の子を取っちゃうんだよね」
「はい!」
「……はいでいいのかしら? それ?」
……なかなか興味深い話である。まあ、人間の感情というものはそれくらい複雑だということだ。
「……まあ、今回に限っては、その可能性は低そうだと考えられる」
「そーなんハル君?」
「うん。彼女の会話記録を観察してみた限り、これは伝聞の情報をそれっぽく語った訳ではなく、明確に自身の体験を語っている」
「おお、流石ハル君の洞察力。でもさ、でもさ? それって変じゃん?」
「うん。確実であることが、確実におかしい……」
「この子はー、授業なんか受けていないはずですからねー?」
「妄想を自分の体験だと思い込んでいる可能性は?」
「なくはない。けれどいくつかの授業内容は、他の生徒の情報から裏が取れている」
「むむむ! 記憶を覗いた、とかでしょうか!」
「漫画のように他人の記憶を覗くのはとても難しいんだよアイリ」
絶対に不可能とは言わないが、難易度の高さ、接続環境の悪さ、自身の体験として落とし込む手間、その三重苦を乗り越える必要がある。
会話にリアリティを持たせる為だけに、そこまでやるだろうか?
「まあそれも、本人に会ってみれば分かることだ。実際に行ってみようか、現地に」
百聞は一見にしかず。ハルたちはヨイヤミに会うべく、いつものように学園へと忍び込むことにしたのであった。
*
「もう慣れたねー。裏口入学するの」
「試験免除……、なのです……!」
人気のない夜の学園に、慣れた手つきで侵入していくハルたち。手慣れてくるのも無理もない、毎日こうして侵入しているのだ。
あのゲームにログインするには学園に入るしかなく、アイリやユキたちも共に行く以上は不法侵入するしかない。
「こうして考えると、例のログインポイント設置の報酬が欲しくなるね」
「ですね! 自宅からログインできれば、この手間もなくなるのです! 手に入れましょう!」
「確かにそうなのだけれど、でもねアイリちゃん? ハルなんかに直通の道を渡してみなさいな。何を持ち込むか分かったものではないわ?」
「確かに! 兵器を好きなだけ、入れ放題なのです!」
「いやまあ、たしかにやらないとは約束できないけどさ……」
そもそも、その報酬を得た時点でそれは勝敗が決しているのではないだろうか? 条件が不明なだけに何とも言えないが。
それに、よく考えてみれば自宅に魔力を吸収する厄介な施設を置くことになる。それも、なんだか気持ちが悪い気のするハルだった。
そんなハルたちは、そのログインルームたるいつもの音楽室には向かわず、学園の奥へ奥へと足を進める。
病棟は学園の中でも最も奥まった位置にあり、学生たちも普段はそちらを意識することはほぼなかった。
「そいやさハル君? その子も噂の出どころである以上、ゲームには参加してんだよね?」
「まあ、恐らくそうだろう、とは僕も思っている」
「じゃあさじゃあさ? 監視カメラには映ってないの? ログインするには学園内のログインルームのどれかを使ってるんじゃないかね」
「それなんだけど、ヨイヤミがカメラに映ったデータは存在しない。これは昼間も含めてだ。そうだねエメ?」
「《はいっす! 一応、事件発生前まで遡ってチェックしていますが、彼女の姿は引っかかりません。ハル様のカメラほど精度が高くないとはいえ、学園の監視カメラも正常に機能しています。このデータからは、ヨイヤミ様は学園側へは来ていないと言えるっす》」
「なるほど。ありがとうエメ」
……では、彼女はどうやって授業を受けたのだろうか? 変な話だが、一方で彼女が授業を受けているであろうこともまた確実なのだ。二つのデータが矛盾する。
もしくはヨイヤミが天才的な演技派で、ハルの目さえ欺くほどの実力を持っていた、とか。
あり得ない話、ではない。つい最近も、ハルの目を欺く演技力の者を身近で見たばかりだ。身内であるという補正と、体内の機械による肉体の強制操作という特例ではあるが。
そんな月乃と同じ条件とも思えないが、エーテル過敏症という特殊な例だ。通常の認識では読み切れない、ということも十分あり得る。
「まーまー。今は、彼女が授業を受けていたのか、妄想なのかは最重要じゃありませんー」
「そうだねカナリーちゃん。まずは、彼女がこの事件の発端なのか、アメジストと面識があるのかを調べなきゃ」
そう、気にはなるが、その問題と比べれば大した話ではないと言える。今は最も重要な部分に集中しよう。
ハルたちは教室の連なるエリアを抜け、特別室や備品倉庫といった使用頻度の低いエリアをさらに通り過ぎ、長い渡り廊下へと入って行った。
研究棟に来た時もあったようなこの廊下。しかし今回は特に雰囲気が違って感じる。
物々しい、という訳ではない。どちらかと言えばすっきりとしていて、全体的に白く清潔だ。過剰なまでに。
そんな、何だが神殿の入り口にでも来たかのような異世界感すら感じる病棟の入り口は、エアロックで外気と隔てられた学園内で更に、分厚い扉で隔離されていた。
「……これ、開くのかしら? いえ、愚問でしょうけど、なんというか、開けていいのかしら?」
「んー、当然開けられるけど、なるべく迷惑はかけたくないしね。慎重にいこうか」
中は学園以上のクリーンルーム。変な物でも持ち込まないように細心の注意をはらいつつ、ハルたちは病棟の内部へと侵入して行くのであった。




