第107話 小鳥は自ら籠を出るか
魔力圏の外では魔法が使えない。正確にはゲーム中に登場するスキルとしての魔法が使えなくなる。
逆に言えば、この世界に元々存在する魔法ならば使用可能。周囲に魔力が無いので使いにくくなるだけだ。酸素は無いけど内部の燃料だけでエンジンを回す状況、のようなものだろうか。
そして体から魔力が抜けて行く。これも水から出た魚の水分が抜けて行くようなものだ。魔力だけで織られたプレイヤーの体だと、更に顕著である。水分しか無い物が水から出たらどうなるか、語るまでも無い。水から出たクラゲになる。
ただ、減って行くのはじわじわと遅いペースなので、ゼロになる前に補充してやれば問題ない。ゲーム外に出る事を考えるプレイヤーは、回復薬を大量に用意し、それを常時使用しよう。
「ハル君以外に、出ようなんて思う人いないでしょ」
「まあ、そうかも。それで、その僕とアイリは例外なんだよね。僕は神域で待機してるカナリーちゃんと繋がってる。アイリはその僕と繋がってる。空間を越えて魔力の受け渡しが出来るから」
「回復薬すら無くて良い訳だ」
ユキとゲーム外空間についておさらいしながら、考えを纏めて行く。
魔法が使えないから、科学的手法で防御を固めよう、というのが最初の発想だが、ハルとアイリに限っては実は魔法が全く使えない訳ではない。
無理に魔法を縛る必要は、そもそも無かった。
「でもハル君、魔法って言ってもどうすんの? 常に防壁や加速を発動する訳じゃないでしょ?」
「防壁はともかく、加速は難しいね。あの処理はスキルあってこその複雑さだから」
「そもそも、防壁は正しく発動するのでしょうか? わたくし、魔力の無い場所での魔法は経験がありません」
「魔力が抜けて行く感覚は分かる、アイリ?」
「それなら分かります! 場の魔力以上を体内に留めていると、その分が抜けていくのです! だから、外に出て行かないように頑張るのです!」
ぐっ、と力を入れ、アイリはがんばるポーズを取る。とてもかわいらしい。
彼女らNPCは、通常は周囲の魔力濃度と同じくらいのMPしか持っていない。だが最大値はもっと上で、祈りを捧げる、つまり無意識に吸収スキルを使う事で、そこまで溜める事が可能だ。
だが溜めた魔力も集中を解けばまた平均まで戻ってしまう。平均ゼロのゲーム外では、ゼロにまで落ちてしまうのだろう。
「使ってみた感覚だと、やっぱり上手く使えないかな。酸素が無いから燃えないと言うより、媒介物が無いから振動が伝わらないって感じ」
「真空だ。やっぱり宇宙服が要るねハル君」
「わたくしの魔法は、効果範囲のエーテルに干渉して行うものばかりなので、やはり役立たずになってしまいそうです……」
「そのための装備だよ。問題ないさ」
ただ、NPCが外に出るとどんな感じになり、どの程度魔法の効果が落ちるかは確かめておいた方がいいかも知れない。
魔法も交えてスーツを作るなら、検証は必要だ。
「一度行ってみる?」
「はい! 行ってみたいです!」
アイリも快諾する。そうしてハル達は、ユキと護衛のメイドさん数名を交え、前回到達した世界の果てまで<転移>して行くのだった。
*
世界の果て、と言っても見た目はなんら変わらない。
カナリーの神域に比べれば植物の生え方はまばらだが、のどかで落ち着いた風景が広がっている。今日はぽかぽかと晴れているのも影響しているだろう。
「前にうちらで来た時は曇りだったから、雰囲気出てたよね。終末感って言うの? もっと荒れ果てた荒野に見えた」
「岩肌が見えてるし、緑も少ないからね」
「ルナちーは一緒じゃなくてよかったん?」
「どうせ後で来るから、だってさ」
呑気に話すユキやハルとは対照的に、アイリやメイドさんの気配は緊張気味だ。風景を、いや、そこに重なるように見える世界の断絶を肌で感じているのだろう。
「……これは、本当に壁なのですね。ハルさんの言っていた事が分かりました。神々の加護が、そこで途切れているのが分かります」
「そんなに違うものなのかなアイリちゃん。私らと違って魔力が無くても活動は出来るんでしょ?」
「はい。何となく不安感が……、いけませんね、神々に頼りきりでは笑われてしまいます」
「ユキ、僕らで言えば、エーテルネットがそこで途切れているようなものだろうさ」
「世界の終わりだ…………」
「大げさな……」
ユキにとっては大げさでも何でも無いのだろう。ユキは己の存在意義をネットの中にしか見出せない。
比喩ではなく、無くなったら生きては行けない。
「鳥篭の中でしか生きられないと、神に守られた自身を憐憫する声などもありますが、この景色を見てしまえば、そんな事は言えなくなるでしょうね」
「鳥篭の中は安全には違いないからね」
「はい、わたくしは恐ろしいです。神の愛という名の籠から出るのが」
「ヴァーミリオンの人たちは、どんな気持ちで籠を飛び出して行ったんだろうね」
それは勇気だろうか。それとも傲慢だろうか。揺り籠の中だけで一生を終える気は無いという冒険心だろうか。
いずれにせよ、アイリには遠いもののようだった。そこに見える終わりを前にして、足が竦んでしまっている。
見た目に反して非常に落ち着きを見せる所があるのが普段のアイリだ。こういった見た目通りの子供らしい反応は中々貴重だが、それを愛でるのも趣味が悪いだろう。もし本気で怖がっているならば、この企画は中止してもいい。
「怖いなら、出るのはやめておく?」
「いいえ! ハルさんが一緒なら怖くありません! あなたの隣が、わたくしの世界です!」
「言い切った! アイリちゃん大胆だー……」
後ろでメイドさんたちもぱちぱちと拍手をしている。アイリも得意顔だ。
本心からそう思ってくれているのが伝わってきて照れるハルだが、それが本心ならここで引き返すのは失礼だろう。
手を繋ぐと、壁の外へと向かって踏み出す。
「あんまり遠くには行くなよー?」
「はいはい。分かったよユキお姉ちゃん」
「ユキお姉さま! 行ってきます!」
「……結構恥ずいなこれ。そのネタひっぱらないでー」
送り出してくれるユキお姉ちゃんを横目に見送り、二人は外界へと踏み入れた。
途端に、体から何かが放散する感覚がある。ハルはNPCとは違い、プレイヤーとして常に魔力は最大値をキープしているのため、この感覚は慣れないものだった。
一方アイリは日ごろから味わっている感覚のようで、特に別世界に来たというイメージは沸かないようだ。
「思ったよりも、普通、でしょうか? ただの魔力の薄い所、という感じです」
「そうなんだね。僕にとっては本当に世界の外って感じの違和感があるんだけど。メニューも使えないしね」
「本当です! メニューが出ません!」
「ハル君それログアウトも出来ないの?」
「当然出来ないね」
「はー、神様に止められる訳だねー」
アイリが、ぐぐぐっ、と力んでメニューを出そうと気合を入れている。かわいらしい努力の甲斐無く、システムウィンドウは姿を現さなかった。
そうしている間にも、アイリの魔力が抜けていくので、<魔力操作>で彼女に補充する。ほぅ、と吐息を漏らして安心する様子のアイリ。やはり少し不安があったようだ。常に自らを包む魔力が無い不安、内部からそれを補ってやる。
ハルの方は、カナリーと繋がっている体から空間を越えて常時受け渡しが可能なので、特に操作をする必要は無い。
「魔法は……、駄目ですね。わたくしの得意とする物は、ほとんど機能しないようです」
「こうして、火球飛ばすようなのは問題無いけどね」
ハルは掌から火球を生み出すと、それを適当に飛ばす。魔力が無いから飛ばない、という事は無く、ごく普通にそれは飛んで行った。
だがアイリは対象の周囲の魔力を掌握し、その空間ごと意のままに操る高度な攻撃魔法を得意とする。それが一切使えないのは痛手となっているようだ。
「よう分からんのだけど、ハル君それは問題なの? ハル君は基本の魔法だけでも死ぬほど強いよね?」
「それはハルさんだけなのです……、わたくしは弱い魔法にハルさんほどの魔力を込められないのです……」
「僕は<魔力操作>で強引に大魔法並みの威力に出来るからね」
「あ、アイリちゃん、なんかゴメンね? チートの旦那様に慰めて貰って?」
『役立たずなのです……』、とへこむアイリを撫でて慰める。
その旦那様のチートでアイリの魔法を強化する事も出来るのだが、ハルが二発魔法を撃つ事と特に差が無い。アイリの無力感を解消してやるには至らなかった。
確認は出来たので、ふたり手を繋いだままゲーム内へと戻ってくる。
「やっぱり戦力的に不安はあるね。防壁も周囲に魔力が無いと展開しづらいし」
「やっぱスーツかー。早く作っちゃいなよハル君」
「そうだね。もう少しアイデア練りたいけど、なるべく急ぐよ」
「応援してます!」
ただ、それは攻撃力の話だ。防御力だけなら既にもう解決可能だった。
ハルは多少大きめのポーチに入った装置をアイリの腰へと取り付ける。
「ハル君なにそれ?」
「例の環境固定装置だよ。大気掌握機とでも呼ぼうかね? これ付けてれば私服で溶岩の中にも入れるようになる」
「もう出来てたんだ。いつの間に」
「設計図なぞるだけだからね」
「ふーん。簡単なんだ」
もちろん簡単ではない。突っ込み不在であるが、ハルの能力あっての事だ。そうハルは自負している。
まず材料が用意できないし、用意出来てもその加工が不可能だろう。
パーツ一つが分子レベルまで小さい物もあり、ナノマシンの大きさを下回っている。ほとんど万能のエーテル技術の限界点だった。微細な加工自体は大の得意分野ではあるが、物によってはエーテル自体が邪魔になったり、不純物になってしまう。
この分野では意外にも、前時代の方が優れている部分もあった。
ハルはそれを、最初から完成品を<物質化>している。加工が出来ないなら、最初から分子レベルで生成してしまえばいい。ズルである。
アイリもメイドさんも、また何か変な事したんだな、程度にしか思っていないが、この場にルナが居たらジト目で呆れながら賞賛してくれただろう。
「体の表面に、なんだか違和感があります!」
「そこを境界に世界が遮断されてるよ。アイリ、嫌な感じはしない?」
「大丈夫です! わたくしの魔力が、ハルさんに勝手に使われていますね。えへへへ……」
「燃費が悪いからねー」
ポーチの中には装置と、その燃料が入っている。燃料は数秒で消費し尽くされ、当然そこで装置は停止する。
だが、ハルは精神的に繋がったアイリの魔力を経由して、常に<物質化>をポーチの中に座標指定して行い、燃料を補充していっていた。
その魔力も神域から無制限に供給される。科学の限界点を魔法で解決した二者共栄装置だ。
「僕も付けてみるから、ユキ殴ってみて。全力で」
「え!? 嫌だよ……、もし防御抜いちゃったら……」
「大丈夫だって。燃費悪いだけあって凄い強力だからコレ」
そう言って手をかかげる。誰も顔を殴れとは言っていない。危ない所だった。無意識に顔に狙いを定めていたユキである。
「でも、装置利いてなかったら手でも粉々に吹き飛ぶよ?」
「それこそ平気だって。腕の一本や二本吹き飛んだ所で、すぐ再生すれば済むことだし」
「……ハル君が化け物なの忘れてたよ。リアルの体でもチートだったんだ」
ため息を吐かれてしまう。だが流石の切り替えの早さですぐに決心したようで、手の平に向けて全力のパンチが飛んでくる。
その拳が肌に触れる直前、薄皮一枚の所で、びたり、とユキのパンチは停止していた。成功である。装置は正常に作動しているようだ。
「……なんだろ、変なの? 反動で衝撃が来るかと思ったのに、それも全く無いし。吸い付く訳でもない。何時までも無限に届かないハル君に向かって殴り続けてるみたいだ」
「ユキの感覚はすごいね。原理的にはそんな感じらしいよ。“僕には絶対追いつけない空間”が展開されてるみたい」
「ウサギとカメ?」
「それ追いついちゃう奴じゃん……」
実際に、何でも無限に遮断出来はしないので、ユキの言う事はやはり正しいのだろう。
溶岩の中で昼寝をしてはいけないという事だ。
ハルを傷つけずに済んで安堵している一方で、攻撃を防がれた事には不満があるらしく、『次は魔法で強化して殴って良いか』とユキは聞いてきた。
勘弁していただきたい。ユキがあらゆる手を尽くしたら防御を抜かれないとも限らない。再生出来るとは言っても痛いものは痛いのだ。
*
その日の夜、アイリが寝静まった後で、ハルはスーツの作成に励む。
久しぶりに、眠れぬ夜の間を有効活用できる作業に手を付けられている気がする。だが無為に引き伸ばしたりせず、完成させてしまおう。
そうして作業していると、行為を終え眠るアイリの(ついでにハルも)身支度を整えてくれていたメイドさんから声がかかった。
最近はハルも結構、気恥ずかしさにも慣れて、彼女らとアイリを起こさない程度に会話を交わす事も可能になっていた。
だが今日は雑談ではなく、真剣な様子であった。
話を聞くに、どうか自分達用のパワードスーツも作ってくれないか、ということ。
どうやら、神々の加護の外、魔力の無い土地へと赴くアイリの不安を感じ取ったようだ。自分たちも主人の共をしたい。しかし主人同様に魔法が使えなくては力になれない。
そこで自らも武装して護衛に着きたい、とのこと。
「私共は、アイリ様のように顔を出す事も、体型を気にする必要もありません。どうかお力をお与えください」
「君たちだって皆かわいいよ?」
「お上手ですね、旦那様。しかし、戦場においては私共はアイリ様と旦那様を守る盾。個性は不要にございます。なにとぞ、強力な物を」
パワードスーツに身を包んだメイドさん部隊。それもまた、一興だろうか。
その光景に思いを馳せ、ハルは心を浮き立たせるのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2022/6/24)




