第1069話 鳥籠の中よりの来訪者
現代において、ありとあらゆる情報はエーテルネット上に記録されており、それを正しく閲覧すればありとあらゆる情報を手に入れることができる、と思われている。
その考えも一部では正しい。“日常生活に欠かせない”情報はおおよそ全てが記されており、正しく使えば人生に決して不自由はないだろう。
しかし、その一方で、人々が必要としない情報は思った以上に早く削除される。
別に、誰かが『この情報は必要ない』と検閲して消している訳ではない。ハルでもない。参照されないデータは、どんどん劣化して消えていくのだ。
「その中でも特に、『噂』なんてものは追いにくい。気合を入れてかからないとね」
人の噂も七十五日、などと言うくらいで、爆発的に広まり一気に終息するのが流行というもの。
広がったなら情報強度は担保されるのではないか、と思うところだが、そうもいかないのが噂のやっかいな所。
大半の者は、噂の『一次ソース』など気にしないからだ。自分が聞いた直接の相手こそが一次ソースである。『友達の友達から聞いた話』、とはよく言ったものだ。
「ネットへの書き込み記録が一番古い物を抽出すればいいんじゃないの?」
「大手のサービスならね。ただ、相手が相手だ。個人的な雑談から発祥してる場合がある。そういう所だと、既に保管期限が切れていてもおかしくない」
情報の保存というのは大切な事なのではないか? と思う者も多いかも知れないが、全てのものを全て保存しておくことなど不可能だ。現代ではあまりに量が多すぎる。
前時代においてすら、日々生み出されていくデータに、記録用の物理メディアが追いつかないくらいだったのだから。
なので、重要度が低いと位置付けられたデータは保管の義務も薄く、消えるのも早い。
保管しておくことも可能だが、それにはお金がかかる。わざわざコストをかける酔狂な者は稀だ。
お金を払ってエーテルリソースを借り、保存しておきたいデータに自動巡回をかけて活性化させることで『鮮度』を保つのだ。
これは大手オンラインゲームなどでは、広大なマップの維持などでよく利用されている。
「ただ、必ずネットは関わっているはずだよ。そして『最初の一人』は古い書き込みを行った者のすぐ傍にいるはず」
「なして?」
「口伝で広がる範囲には限界があるから。もちろん口コミで爆発的に広がる力を馬鹿にしちゃいけないんだけどね」
「広域に精度の高い噂を広めるには、全国的なメディアが不可欠、なのよね?」
「じゃあ、ネットの無かった時代ってこーゆーのも無かったんだ」
「いえ? 少なくともテレビやラジオ、というメディアのみの段階で、いくらでも例はあったようよ?」
「わからん……」
「わたくしも、わかりません! 初めて触れたのがネットですので!」
「口裂け女とかですねー」
「あっ、それなら分かる」
「わたくしもです!」
「何でそれは分かるのよ……」
ゲームによく出るからである。まあ、それは今は良いだろう。
それ以前の時代になると、噂話、というよりも伝承はその伝達精度を落とし地域差が大きく出るようになる。
それでも、何故か似通った話が多くなる『類型』というものについての研究なども行われていたりするが、それも今は良いだろう。面白い話ではあるが、目の前の問題が先決だ。
「こうした噂、最初の時点では誰かの創作のはずだ。流行らせようとしていたのか、偶然流行ったかの違いはあれど」
「流行らせようとして流行らせることは可能そうかしら?」
「可能か不可能かで言えば可能だね。ただ、僕は面倒なのでやりたくない。対個人に特化しているからね、僕は」
「そーゆーのはー、ルナさんのお母さん、奥様ちゃんの方が得意そうですねー」
「……あの人も怪談をバラ撒いたりはしなさそうだけれどね?」
ただ、売り上げのために流行を作り上げることは、月乃だけではなく大人たちなら皆
興味のあることだろう。それ専門の研究だってある。
ハルとしてはそうした、『多くの人に刺さる』ことよりも、たった一人の思考を深く読むことの方が長けていた。
「で、自然に流行ったならまだいいんだ。しかし、これが誰かが意図的に流行らせた噂だとしたら、一気にきな臭くなる」
「アメジスト様と、繋がっているということになるからですね!」
「そうだねアイリ。アメジストに協力する目的で、噂を流したのだと考えられてしまう」
今回の件、意図的に流しても商業的に得はあまりないからだ。これが出来るなら、もっと効率的な噂などいくらでも作れるだろう。
ならばわざわざ、こんな噂を流すとなれば、最初からアメジストと接触していたと思えてしまうのだ。
逆に自然発生的な噂であれば、単に都合が良かったのでアメジストがそれに乗っかっただけ、という可能性が高くなる。
そちらの方が、安心といえば安心なハルだ。もちろん追うのは難しくなってしまうが、人々に危険が及ぶ確率も低く済む。
そんな話をしながら、ハルは得意の並列思考にて、ネット上のデータを片っ端から漁っていった。
「まいったね、どうも。噂なだけあってやたらと数が多すぎる。見つからないよりマシなのかも知れないが、これは……」
「お手伝いしますねー」
今やハルと同等の機能を有するようになったカナリーにも手伝ってもらいながら、ハルは調査を進めて行く。
引っかかる数が多すぎるので、まずは日付の若い物を片っ端から非表示にしていく。
そしてある程度まで古い物が絞り込めたら、その投稿された場所、および投稿者からラインを伸ばす。
関連性の深い場所、及び投稿者個人がよく利用する場所へと糸を伸ばすのだ。
その糸の数が多く集まる先の情報を、今度は噂の件に限らず一から十まで精査する。ハルはその中から、直接探査には引っかからなかったが関連性の高い情報を探り出していった。
「……嫌な予感がしてきた。このリストに挙がってる個人の中に、学園の生徒が多く含まれている。不思議な話だけど、彼らが直接噂を流してはいないというのも不気味だ」
「んー、これは、最初から狙われてましたねーきっとー。学園の生徒が集まりやすいコミュニティを、狙い打ちですよー?」
「だね」
再初期に噂に関する書き込みや、会話などがあった場所には、学園生がそれなりの数アクセスしていた。
その中で、初期の情報成熟が行われていったようだ。この時点では、全国的に広まる前の段階である。
「……もちろん、お金持ちが集まりやすいという条件も満たすから、学園の生徒じゃなくて彼らのお財布目当て、っていう可能性もあるけど」
「希望的観測ね? この段階で、黒だと断定して調べた方がいいのでなくて?」
「ですねー」
「まあ、そうなるね」
自分で言っていてハルも現実逃避でしかないと感じていた。そもそも直前に、『稼ぎ目的ではないだろう』と判断したのは自分ではないか。
そうして、そのコミュニティ内で行われた会話を、ハルとカナリーは精査していった。
ほとんどは電脳スペースにて、ゲームでいう交流エリアのような場所で行われた他愛もない雑談。
少しばかり上品で、ちょっとだけお金持ちアピールが鼻につく、そんな程度の平和な物。
しかしそんな会話の参加者の中に、どうにも無視できない人物が紛れ込んでいるのを、ハルたちは見つけてしまったのだった。
◇
「結論から言おう。思った以上に厄いネタだった」
「厄い厄い。ちなみに、どんなもんだったんハル君?」
「この世に存在しないはずの人物が紛れ込んでいる」
「おばけが! ネットにログインを!?」
「死してなお、残留思念がネット上をさまよっているのですねー。それが生者との交流を求めて、ネットスペースで雑談をー」
「意味不明な嘘をついてアイリを脅かすなよ元神様が……」
「冗談なのですか? よかったです!」
「……場合によっては、幽霊の方がマシなのではなくて? その、『存在しない』というのはどういった意味なのかしら?」
現代において、自らの存在を社会に知られないという事はほぼ完全に不可能だ。なにせ空気そのものが調査機関を兼ねている。
その状態でエーテルネットを欺ける者などハルとカナリーくらいなもので、戸籍の改竄だって現実的ではない。
そんな中で、ネット上にしか存在しない個人、などという者の実在は、幽霊であった方がマシというルナの意見も良く分かる。
要するにそれは、この完璧であるはずのエーテルネットのセキュリティが人知れず破られていることを意味するのだから。
「言葉が足りなかったね。該当個人の戸籍情報は、今もきちんと存在してるよ」
「ただー、その人の住所が問題でしてー」
「何処なの? もったいぶらずにおっしゃいな?」
「それがー、学園の中なんですよねー」
「……はい?」
カナリーがはっきりと事実を告げるも、それでも幽霊の存在を聞いたような顔をしてしまうルナ。
無理もない。ハルも最初は、そんな気分だったのだから。
「このアバター名『ヨイヤミ』、本名『岡野千鶴』ちゃんだね。彼女は、学園の施設内で生活している子だよ」
「高度のエーテル過敏症とやらでー、お外では生活が大変なんですねー。現代では、さぞ生きにくいことでしょうー」
「なるほど。なので、完全に外気を遮断している学園で、暮らす必要があったのですね? しかし、それでは……」
「そだよ。なんでネット上でしれっとお話してるん? あの学園の中からは、ネットに絶対繋げないはずなのに」
「だから『幽霊』、なのね? そして、ハルもやっていたようにネット接続も『絶対』に不可能な訳じゃない……」
「結論を急ぐのは早いけどね」
ハルとしても、考えもしなかった。自分以外にも、あの裏口めいた手法で外部にアクセスしている者が居るという可能性は。
考えてみれば、あれはハルの特異性によるものではなく、エーテルそのものの特異性だ。ならば、他にもその力に気付く者が出たって別におかしくはないだろう。
「……でも傲慢だった。僕以外に、そんな存在居るはずないと思うなんて」
「仕方がないわよ? 本来、あなたを基準にすることなんてあり得ないんだから」
「そだね。自慢じゃないけど、私だって無理だったと思うよ?」
「どうなんでしょうねー? もしユキさんが学園に通ってたら、ゲームやりたさに覚醒してたかもですねー?」
「あはは。まず、学校行くって前提が無理」
学園内に居るということは、自然と周囲に適性の高い人間の数が担保されているということだ。
それに、『エーテル過敏症』であるということもその可能性を後押ししていた。
「あの、そのエーテル過敏症というのはいったどんなご病気なのですか?」
「ああ、正確には『病気』って訳じゃないんだよアイリ。同一の症状とも限らない」
「まぁ。同じ名前でも、別の症状が……」
「エーテルネット全盛のこの社会に、上手く適応できていない人のことを、まとめてそう呼んでいるだけ、みたいなところがあるからね」
少々、乱暴な話であった。しかし無理もない、原因不明、解決策不明の、いわば『不治の病』のようなものだ。
エーテルその物の働きが完全な解明を見ていない以上、それにより引き起こされる不都合もまた、完全には解決できない。
そんな、今の社会では生きづらい者達を受け入れる器としても、あの学園は役立っている。なにせ、あんな場所は殆どこの世に存在しないのだから。
「症状は人それぞれとは言えど、多くは自閉症に似た発症の傾向があると言われている」
「例の病院で、ハルが人知れず手助けしていた子たちもその一部ね?」
「だね。まあ、僕は別に善意で助けた訳じゃないんだけど」
単に、ずっと入院していられると自分の存在が露呈してしまう危険が高まるから、という自己都合なだけだった。
彼らは、『過敏』の名の通り、エーテルと相性が悪い訳ではない。むしろ他人より適性が高いことが殆どだ。
それゆえ、電脳世界にダイブしたきり戻ってこない、といった傾向があり、人間として生活がままならなかった。
そんな者の一人が、今回の件の火付け役であるらしい。そう分かった。
さて、分かったはいいのだが、この情報をどう処理していけばいいのだろうか? 頭を悩ますハルたちだった。
※誤字修正を行いました。「発祥」→「発症」。この逆は気づいて直したのですが、更に逆は油断していました! 誤字報告、ありがとうございました。




