第1051話 過去の業が足元より這い出ずる
「来い。そして俺の前に立ちはだかる障害を焼き尽くせ」
ソウシがそう命じると、彼の前に巨大なドラゴンが姿を現す。これが、彼の作り上げた特殊ユニットか。
ドラゴンはずっしりとした重量を感じさせるその体を、四本の太い足でしっかりと支え地を這っている。
翼は無く、見た目では飛行するタイプには見えてこない。基本に忠実な、王道ファンタジーのドラゴンといったところか。
「竜と騎士、無骨なファンタジーが好きなのかな?」
「ハル君とは気が合わなそーだ」
「……合わなくはないけど、まあ確かに僕は翼のあるドラゴンの方が好きかな」
「びゅんびゅん空中戦をやって、ばんばん魔法を撃ち合うのですね!」
「ビームを吐かなければドラゴンと認めなさそうよねハルは?」
誤解である。確かにそういう派手なタイプが好きだが、基本に忠実な地味なものも否定する気はない。
そんな、ハルの趣味とは関係ない部分だが、この造形は朗報と言えるかも知れない。
地に根を下ろしている以上、飛行タイプよりも対処が易い。前の戦いのリコのように、飛行ユニットで攻めて来ないのはありがたかった。
「僕なんかは、選択可能な時はほとんど飛行タイプを選んじゃうけど、性格かな?」
「かもですねー。踏み潰すのが好きなんでしょーかー」
もっと良い言い方をするなら、一歩一歩着実に踏みしめるのが好きなのだろうか。
悪く言うなら、端から順に蹂躙して行くのが好き。
そうした個人の好みが色濃く出るゲームだ。戦略もまた、そうした資質による傾向に左右される部分が大きいのかも知れない。
「さて、君たち。ここは僕一人で対処する。いったん下がっていて」
「ご武運を、お祈りしているのです!」
「ハル君ならへーきだとは思うけど、なんでなん?」
「情報を与えない為と、知っているかどうかのテストだね」
ハルたちが例外的に複数人でログイン出来ているという事情は、まだ知っているのはリコだけだ。
リコの派閥には伝わっている可能性は高いと思うが、そこから先は未知数だ。
この情報を知っているかどうかで、まだ見ぬ勢力図の全体像把握に、一歩近づく。
「こうは言っているけれど、実のところ一番の理由は私たちを男性の前に出したくない、ってところかしら?」
「ふおおおお! これはつまり、『オレの女』宣言、ということでしょうか!?」
「独占欲の強い旦那様を持つと大変ね?」
「……どう見ても、この状況で大変そうに見えるのは僕の方だと思うんだけど?」
去り際まできっちりからかってくるお嫁さんたちを見送って、ハルは改めて巨大なドラゴンを壁の中から見据える。
物理的衝撃に対して無敵の強度を誇るこの壁ではあるが、前述のとおり弱点もある。
熱と重量。その弱点を、ドラゴンは見事に満たしていた。いや、熱はどうか分からないが、どうせ火を吹く。お約束だ。間違いないのだ。
「そんな最善の解決法を迷わず選択して見せたのは、彼の才覚か、それとも偶然かね」
はたまた、弱点を看破するスキルでもあるのだろうか。
なんにせよ、この壁はドラゴンの攻撃で突破されてしまうだろうとハルは見ている。
そんなドラゴンが、のしり、のしり、と威容を見せつけるようにしてゆっくり迫る。
そして、戦場を中ほどまでに進んだ頃、敵司令官のソウシからついに攻撃命令が下ったのだった。
「焼き払え! 俺の前に立つ生意気な壁を、蒸発させてしまえっ!」
「やはり炎か。しかし蒸発とは、大きく出たね」
金属を気化させるとは、太陽でも吐くつもりだろうか。その場合、ドラゴンさんの喉は平気なのだろうか? 気になって仕方ないハルだ。
そんな、実にどうでもいい物思いにふけっている間に、その喉から強烈な火炎放射が放たれた。
ちなみに、喉は無事のようである。一安心だ。
「ふんっ! どうやら魔法まで反射する訳ではなかったようだな!」
反射するのは物理だけ、その確認が済んだ事に、ソウシの顔はわずかながら安堵にゆるむ。
内心、ドラゴンブレスまでもが反射されてしまったらどうしようかと不安だったのだろう。可愛らしいことだ。
「……ふむ? これで一つはっきりしたか。どうやら弱点看破の類ではないらしい」
火が弱点だと知っていれば、不安を感じる要素などないからだ。つまりは、そうしたスキルなど備えていないということ。
しかし惜しい。それならば、もしファイアブレスでなくアイスやウィンドな感じのブレスであったなら。『魔法も効かないのか!?』といった反応を引き出せたものを。
一発で当たりを引く冷静なその才覚、実に小憎らしい。
そのファイアブレスの温度はアルミの融点を軽く上回ったようで、壁の表面はドロリと融解し溶け落ちる。
表面の防御力に任せたこの壁は、あとはハリボテの舞台裏のように簡素な造りで、その勢いのまま脆くも全て吹き飛ばされてしまったのだった。
「他愛無い」
巨大な穴を空けた防壁のその向こうには、少々焦げついた平和な草原が広がるのみ。
あとはこの穴から、歩兵を侵攻させてゲームエンドと考えているのだろう。
だが、そう上手くは行かせない。むしろここからが、本当の闘いのスタートである。
◇
「ふむ? 兵を動かさないね」
このまま全軍で突撃かと思われたが、ソウシは兵を突入させる気配を見せない。
いや、前進それ自体はさせているので攻め込む気が無い訳ではないようだが、その歩みはゆっくりとしたものだった。貴族の余裕だろうか?
見れば彼自身は兵よりも先に立ち、ドラゴンを先頭にしてその後ろを、歩みに合わせてゆっくりと続く。
騎士たちはその後を、陣形を保ちながら厳かに続いてくるのであった。
「あくまでドラゴンメインってことかな? まあ、なんにせよお出迎えするとしようか」
ハルは焼け残った壁の中から外に出ると、溶け落ちた穴から顔を出すように敵軍の前に立ちはだかる。
ハルの姿を認めたソウシは、大仰に片手を上げて行軍を一時停止した。
「降参が決まったか? このまま降伏するなら、これ以上の損害は与えないでおいてやろう」
「えぇ……、第一声が降伏勧告とか、どんだけ自信家なのさ……」
互いの自己紹介もまだのうちから、軍門に下れと宣告してくる。その己が勝利への絶対的な確信は、いっそ評価に値する。
見ている分には正直ハルの好みなタイプだが、対峙するとなれば少々鬱陶しい気分だ。
そんなハルの顔に、どうやら敵は覚えがあるようだった。
……出来れば、この辟易顔に心当たりがある訳でないと助かる所だが。
「ん? お前、藤宮のところの……」
「ハルだよ、よろしく。僕を知ってるの?」
「知らないはずがないだろう」
「まあ、美月は有名だもんね」
「お前を知らないはずがないと言っている! 自覚がないのか、自分の知名度に!」
ハルの返答に、常に冷静で優雅だったソウシの顔が初めて歪んだ。なんだかレア実績でも達成した気分だ。実に愉快に思うハル。悪趣味である。
どうやら彼はハルの事をよく知っていたようで、システムについての仮説の裏付けとなった。
無関係だと思っていた彼は、どうやらハルに向ける何らかの感情があったようだ。その判定に引かれて、こうして世界同士の接触と相成ったという訳か。
「……とはいえ、僕の方は君を知らないけど? いや、名前くらいは知ってるけどさ」
「当然だな」
この『当然』は、自分の名を知っていて当然という『当然』のようだ。凄い自信である。
常に美月や月乃の傍にいるので感覚が麻痺しているが、エメのデータによれば彼の家もそこそこ大きなもの。
お金持ちの集まるあの学園においても、それこそ『知らぬ者など居ぬ』家柄なのだろう。
「そんなソウシ君が、何故僕を? ああ、そうか、理解した。横恋慕だね?」
「違うっ! 断じて違う! ……確かに過去、あの女との縁談が持ち上がった事実は存在するが」
「やはりか。すまないが、ルナは僕の物だから、あげられないな」
「要るかっ! 違うと言っているだろうがっ!」
「それなら安心だ」
本当に良かった。これで『ルナとの結婚を賭けて勝負だ』などと言われたら、どうしてくれようかと思っていたところだ。
しかし、それなら何故ハルをそこまで意識しているのだろうか? いや、まだシステムの仮定が間違っていたという結末もあるが。
ルナとの婚姻による成り上がりを画策する者は多く、そうした家にとってハルの存在は邪魔でしかない。
そうやって敵意を向けられるならば、不快ではあるが納得はしやすいのだが。
「……お前、本当に心当たりがないと言う気か?」
「いや、ありはする。けど心当たりが多すぎて、何で恨まれているか特定しきれない」
「自覚があったらあったで頭に来るな! ロクな死に方をせんぞお前……」
「そうだね。“普通の死に方は出来ない”さ」
神域のジョークである。残念ながら、目の前の相手には通じないが。
「……いいだろう。ならば教えてやる。お前の存在で俺の家が、グループが、どれほどの損害を被ったか」
「その話って長くなる?」
「いいから聞け!」
ドラゴンを放置してずかずかと進み出て、ソウシはハルの目の前までやって来た。先ほどまでの冷静さは何処に行ったのか。
それほどまでに、怒り心頭といった雰囲気である。
ハルも空気を読んで、このまま彼に直接攻撃を加えることは止めておいた。
「ことの始まりは数年前のことだ。その時は俺はまだ知らなかったが、お前が、俺の家のサービスを潰してくれたようだな」
「なるほど、それで恨みを買ってしまったと。……ところで、何のサービス?」
「何で複数心当たりがあるのだっ!!」
月乃が大喜びでぽんぽんハルに依頼してきたからである。文句のほどは奥様まで。
「俺の家は、古くから食品産業に従事していてな……」
「あー……」
そこで理解した。実に、心当たりが大きくあるハルだった。
忘れもしない、ハルの記念すべき初仕事である。電脳ドラッグまがいの多幸感を利用した、味覚の拡張。その違法ゲームを潰したのが他でもないハルである。
いや実際は、ハルの提供したデータにより動いた行政に潰されたというのが正しいが、恨みが向きやすいのはハル個人であろう。
「しかし良く知ってたね。僕の名前は一切、公になってないはずだけど」
「俺たち上流階級の間では、皆その程度お見通しだ。あの魔女の振るう小刀の名などな」
「魔女って言ってたって奥様に言ってやろ」
「おまっ! いちいちそうやって話の腰をだな!」
「焦ってる焦ってる」
基本的に皆、月乃のことは怖いらしい。体外的には、徹底的に冷徹な仮面を被っている彼女だ。その甲斐あったということだろう。
「しかしアレ、君の会社だったんだ」
「俺の、ではない。家の、系列グループの末端だ。もちろん被害が及ぶ前に切除した」
何でもないように、そうサラリと言ってのける。この辺の感性は、やはり特有の貴族らしさが出ているようだ。
しかし、これで得心がいった。彼は、まごうことなくハルの被害者だ。
食品業界といえば、もちろん語るべきことはそれだけではない。つい最近の、ハルの大きなやらかしがある。
ごく短期間で青天の霹靂の如く、味覚に関わる業界は大きく移り変わった。
まるで進んでいなかった電脳世界の味覚の、完全なデータベース化。更にはそのデータを、現実に再現合成する技術、およびそれに特化した装置の開発。
その変革の恩恵に預かり特需に湧くものが出る中、もちろんあおりを受けて業績が沈む者だって出る。
これは、ハルの行動が招いた影。その影が、ゲームにおける敵として形を持ち、ここにハルの業を追いかけて来たのであった。




