第103話 その果てを見た者
「休憩のはずがガッツリ話しちゃってたみたいだねハル君さ」
「めんぼくない。でもまあ、彼も忙しかったみたいだし。あまり時間を押させなくて良かったのかも」
伝えることはとりあえず伝えたのか、クライスは部屋を後にして行った。この場にはマゼンタの信徒、カナンが残されハル達の面倒を見てくれるようだ。
屋敷の方でくつろいでいたハルの本体とアイリも合流し、ひとまずここで落ち着いて話をすることにした。
「後でお客様用の寝室へご案内します。どうぞそちらを……、いえ、ご自身の領域へお戻りになられるのでしょうか?」
「そうだね、寝る時はそうなる。僕とアイリも、寝るときは彼女の屋敷に戻るし、使う人は居ないかも」
それでも、ひとまず部屋は用意してくれる事になった。こちらでの活動拠点として、ありがたく使わせてもらおう。
「僕らに用がある時は、そうだな……、何か目印を決めておこうか。それをベッド脇にでも置いておいてくれればいい。日に一度はチェックするよ」
「かしこまりました」
信徒はAR表示を見られるが、システムウィンドウを使える訳ではない。用事があればチャットで呼び出す、という手は使えなかった。
アイリが例外だ。彼女はハルのウィンドウを使う事が出来る。とはいえ、アイリはいつもハルと一緒に居るので、チャットを使う事は無いのだが。
主に、最近はゲーム用に使っている。収録されたゲーム内ミニゲームも、彼女もプレイが可能になり、慣れないながらも楽しんでくれているようだ。
ハルは持参したお土産の果物をカナンへ渡し、自分はこちらで用意して貰ったお菓子を頂く事にする。
「ハル。アイリちゃんが食べても平気なのかしら?」
「大丈夫だよ。先に僕が食べるようにしてるし。それにアイリは“僕と同じ”だ」
「そう。なら、大丈夫なのでしょうけど」
「お屋敷の外の物を頂くのは久しぶりになります!」
一応、敵地へ単身乗り込んだと言っても差し支えない。飲食は最大限警戒するべきだろう。
しかし、アイリには今、ハルによって制御されたナノマシンが体内に循環している。警戒レベルもハルと同等であり、毒物への耐性は非常に高かった。
地球上で既知の毒であればたちどころに分解、無毒化し、この世界特有の未知の毒物があったとしても、すぐさま隔離が行われる。
「ハルは最強の銀のスプーンね?」
「なんだっけそれ。毒物感知?」
どうやらそうらしい。最強と言われると、武器のように聞こえてしまった。
硫黄化合物の毒と反応し変色する銀食器で、毒殺を警戒していた貴族のエピソードだった。
ただ、現代における毒は恐ろしく多岐にわたる。到底、銀だけでは検知できないだろうが、アイリのための銀食器と言われるのは悪い気はしない。細かいことは気にしないでおこう。
それに、似たような例えに『坑道のカナリア』というものがあったはずだ。
カナリーがそんな役目をするのは想像出来ないし、そんな事を言えばまた頬をふくらませるのだろうが、何となく親近感を覚えるハルだった。
◇
お菓子をつまみながら、クライスが語った事を皆と共有する。
ときおりカナンに確認を取るが、彼の言葉はおおむね真実であるようだ。一部、彼女には判断がつかない部分はあれども裏は取れた。
「魔力が国の近くまでしか無いなんて知らなかったよ。この世界、案外狭いんだね。ハル君は知ってた?」
「知らなかったけど、予想してた部分は少しあるかな。空の上まで行こうとした事があるから」
「でもさ、それでも浅く広く、地平の先まで続いてると思うじゃん」
「確かにね」
ユキの言う事は最もだ。魔力のイメージで良くあるのは『世界に満ちる力』。あまねく世界に、普遍的に存在すると思うのが基本だろう。
だがこの世界の魔力は、国境と同程度にしか存在しない。
世界そのものが、神界のように国境と同じ範囲しか描写されていないゲームならばそれでも良いだろう。
だが、クライスの語るようにこの世界は“その先”がある。その先には魔力は存在しないというのは違和感が沸くだろう。
ハルは以前、空の果てまで行こうとした時に、カナリーの神域の形を目視で確認した事があった。
それはドーム状であり、カナリーの言によれば地下も含めて球状であるようだ。その神域が、魔力を引力のように押さえ込んでいると仮定すると、空と同程度に地の魔力にも果てがあるのではないか、とハルの推測があった。
その時の事を思い出したのか、ルナやアイリも会話に入ってくる。
「確か、私達は出られないのだったわね?」
「出た瞬間に、神様に呼ばれてしまったのですよね! わたくしも、ハルさんがお空の上で突然止まってしまったと聞いてびっくりしました!」
「プレイヤーの体のコントロールに魔力が関わってるから、セーフティとして出ないほうが良いって事になってるだけだろうけど」
「物理的に出られない訳ではないという事ね?」
「うん。出ること自体は出来たよ」
だが、スキルの一部は停止してしまうようだった。常時、自動で発動する<MP回復>が停止し、飛行のコストが維持できなくなったのは苦い記憶だ。
「じゃあ、私とルナちゃんは無理か。んー、くっそー、楽しそうなんだけどなぁ」
「ユキも体を持ってきて貰うかしら?」
「えっ!? それは、その……」
「そもそもハルさん。国境の外に行くことは決定しているのですか?」
「ああ、うん。僕やユキみたいなのはね、新しい場所が提示されたら、とりあえず行くことを前提に考えちゃうんだよ。行くかどうかは別にしてね」
「ハル君は慎重派だよねー。私はまずは突撃」
「すごいですー……」
アイリは、新しい土地に行く事へは慎重、というよりも抵抗があるようだ。無理も無い、ずっとあの屋敷で暮らしていたのだから。
「ねーハル君、何かまた抜け道無いの?」
「あるだろうね。僕の分身が学園行けてるし」
「あ、そっか。リアルには魔力なんて無いもんね!」
「あちらのエーテルでも、操作可能という事かしら? ……ハルが特殊な例すぎて判別がつかないわね」
「ルナも日本に<転移>で呼び出そうか。それで確認できる」
「私を好きな時に部屋に呼びつける魔法なんて。えっちな事をするつもりなのね?」
「しないが。……欲求不満なの、ルナ?」
「ええ」
……反応に困る。
えっちな事はともかく、色々と試して、法則を探っていった方がいいだろう。ハルはアルベルトの協力を得ていたりと、一般的なユーザーとして語ることが出来ない。
もしハルの部屋にある魔力溜りの範囲外で、ルナのキャラクターが動けたら、彼女の言うように向こうのエーテルでも何故か操作は可能という事になる。
だが、それが分かったとして、解決にはなるだろうか。こちらの世界に、ナノマシンを散布して侵食するのは軽率だろう。
「それでしたら、わたくし達のからだにもナノさんが入っているのですよね? 国境の外では、わたくしとルナさんがずっと手を繋いでいれば解決ですね!」
「素敵な提案ね、アイリちゃん」
「ユキはとっさに飛び出してって停止しそうだね。首輪付けとかないと」
「犬か私は。噛むよハル君」
「かかって来い。がくがく動物ランドで相手になろう」
「わんわん!」
「そういうプレイかしら?」
ゲームの話である。通称がくがく動物ランド。わくわくではない。
元はわくわくしたコンセプトの、動物になりきれるタイプのゲームだったのだが、プレイヤー同士の戦闘行動を禁止していなかったため、対人狂い達の遊び場になってしまった。
のんびりとした触れ合い広場は、一転してルール無用のサバンナと化した。当然すぐに修正されたのだが、血の味が忘れられない肉食獣共の懇願により、『サバンナモード』として復活。
今も獣たちの弱肉強食の宴が繰り広げられている。ちなみに草食とか肉食とか関係ない。
余談であった。ユキはそこで犬を愛用している。
さて、首輪はともかく、手を繋いで行くのは微笑ましいが、難しいだろう。安全の保証された場所とは限らない。とっさの行動が取れないのは致命的だ。
手を繋いで、にこにこと楽しそうにするアイリとルナを見て、ここで癒されるに留めておこう。
「ねえ、優雅にお茶してる運営の人? 何か良い方法って無いの?」
「攻略に関する質問にはお答えしかねます。ご理解ください」
先ほどから我関せずで、ゆったりとお茶を楽しんでいるセレステへと話を振るが、定形文で返されてしまった。
「……期待はしてなかったけどね。でもセレステはここに何しに来たのさ」
「無論、異国のお茶会を楽しみにだとも。カナリーのとこのお茶も良いが、ここの物もまた格別だね」
「きょ、恐縮であります……」
「カナン、信仰違うでしょ? この神の事はそんなに気にしなくていいから、緊張しないで」
「まったく、失礼なハルだね。それに、彼女が緊張してるのはキミにビビってるのさ。私は神気を抑えていると言ったろう?」
「抑えたって、セレステが神な事には変わりないじゃん……」
だが、セレステの言うとおり、カナンがハルに対して圧を感じているのは事実のようだ。カナンだけではない、ここに来るまでにすれ違った者は皆その様子が観察された。
それが見られなかったのは皇帝、クライスだけだ。クライスも同じ物を感じていたとすれば、凄まじい胆力だ。彼の評価がまた上がった。
それとも、<王>の称号の効果だろうか。王は威圧を受け付けない、とか。
「あー、王と言えば、結局クライスは勘違いしたままだったな。この称号は使徒のお遊びなんだけど。……カナンからも後で言っておいて?」
「いえ、ハル様、王は恐らく分かっていて言っていたのでしょう。あなた様と対等に話すには、その方が都合が良いですから」
「そっか、考えてなかったな。やっぱり大変だね、王様やるのって」
彼がその身ひとつで、ハルとの会談に臨むにはそれなりの理由が必要だった、ということだろう。カナンが言う事は。
ある意味、彼がハルの立場まで下がって来てくれた事になる。王というのは高圧的な物だ、と決めてかかっていた所のあるハルには予想外であった。
他の勢力がちょっかいをかける前に、ハル達に接触し、その協力を取り付ける必要がある。そのためには、ハルもまた王であった方が都合が良かったのだろうか。
そしてそれとは別に、カナンがクライスの事を『王』と呼んだ事がハルの意識に引っかかった。
『陛下』でも『皇帝』でもなく、そう呼んだのは、どんな思いが彼女にあっての事なのだろう。
◇
「とりあえず、外に出るか出ないかに関わらず、果ては見ておこうかな?」
「あ、ハル君! 私も行く、私も! せっかく取った<飛行>も使いたいし」
「遅いのに我慢出来ずに走っちゃいそう。ユキは」
「さもあり」
「何のモンスターだ」
さもありなん、を半端に略すとよく分からないモンスターになる。また一つ賢くなったハルだった。この知識を使う事はもう無いだろう。
「最初はMPを物凄く使うわ? 墜落しないように注意するのよ?」
「ルナちゃんありがとー。ギルド倉庫に回復薬たっぷりあるから、それ貰うよ」
「わたくしにして頂いたように、ハルさんに魔力を供給して貰えば良いのではないでしょうか!」
「えっ、大丈夫ハル君? ……その、接触とか無い?」
「……たぶんね。高速で動いてる人に供給するの大変そうだけど」
ユキの飛行レベルはまだ低い、そこまで高速にはならないだろうから行けるとは思うが、少し不安なハルだ。肌が触れるのを恥ずかしがるユキなので、空間を介しての複雑な<魔力操作>が要求される。
ハルが二の足を踏んでいると、セレステに発破をかけられてしまった。
「訓練だと思って励みたまえよハル。なに、失敗してもユキが墜落するだけだ。その場でリスポーンすれば良い」
「セレちんひどくない!? ハル君にデメリット無いじゃんそれ!」
「あるっての。僕の失敗で君が落ちるのは嫌だ。慎重にもなるさ」
「あ、うん。ありがとハル君……」
「普段ぞんざいな扱いだから、急に大事にされると弱いのだね、ユキは」
一言多い神様だ。照れ隠しにユキに殴りかかられるが、そこは流石の武神、片手で余裕で受け止めていた。
照れ隠しとはいえ全力だ、それをあしらえるとは、支配されても彼女の力量は健在のようだ。……全力で殴るユキもユキであるが。
「じゃあ行こう! 窓から出る?」
「待って。さすがにそれは見咎められるよ。僕が街の外、城壁の先まで飛んで行って、そこからにしよう」
先にハルの分身を飛ばして、そこにユキを<転移>させる。そうやって目立たないように行くことにした。
窓を少し開け、そこから目玉を飛び立たせる。気味の悪さを改良した新型であった。
「……ハル? 今のファンシーな生物は何かしら」
「いつもの目玉。幽体研究所の改造データを参考にして羽を生やしたり、キモさ低減してみた」
「わたくしもお手伝いしました!」
キャラ改造するに当たって、必要な部分と不要な部分の差分も明らかになった。目玉を丸ごと作り出さなくても、見える機能が再現可能になった。
後はその保護と、装飾だ。ふわふわな体や、羽は特に必須ではない。かわいいデザインを、アイリにお願いしてみた。
クライスとの話をしている間に、暇をしているアイリと作っていた物である。
「そう、あの可愛いのもハルなのね」
「……使い魔みたいな物だと思ってよ」
その可愛いくせに高速で飛翔する物体を城壁から十分離れた場所へ降ろし、そこを基点にユキを<転移>させる。
そうしてユキと二人で国境まで<飛行>して行った。
遠慮なしに全速前進するユキに大量のMPを供給する操作は骨が折れたが、速度の甲斐あって、ほどなく二人は国境沿い、真の国境とも言える魔力の限界ラインまで到達する。
「本当に壁だねハル君。押しても殴ってもこれ以上行けなくなってる。ハル君はどうやって出たの?」
「殴るな殴るな。僕の時は<魔力操作>でコブみたいに突出させて、<MP吸収>でそこ吸い取ってゼロにした」
「うわ。ユニークスキルのオンパレードじゃん。常人じゃ出れないんだね」
ユキが、むぐーっ、と力を入れているが、壁は全く動く様子は無い。
「あ、称号取れたみたい。<その果てを見た者>だって。珍しいタイプの名前だね」
「詩的じゃん。……僕の時は取れなかったんだけど? 空じゃ駄目なのかな」
「まあまあ、今回取れるし良いじゃん」
「そうだね」
そうしてハルも魔力の壁、境界線に手を伸ばすが、それは何の抵抗も無くその先まで突き抜けてしまった。
当然のように、称号も取れない。
「……なんでさ?」
「あはは、もう存在自体がバグなんだねキミ。神様もきっと押さえ込むの諦めたんだよ」
「だとしても、称号はくれてもよくない? 黒曜?」
「《何もアナウンスはありません、ハル様。称号は取得出来ないようです》」
「まあ、ハル君。キミの場合は称号取っても変更不能だし」
「……まあね。でもコレクションしておきたかった。……ユキにも変な異名が付きますように」
「八つ当たりだ!」
しばらくそうして何時ものようにじゃれ合いながら、国境の先を眺める二人だった。




