第1025話 世界の体力
「ユキ、前に出過ぎないように。敵陣で戦った時のペナルティがあったら怖い」
「だからこそ、生身じゃない私が前に出るべきなんじゃん?」
「そうかも知れないけど、今は運命共同体だよ僕らは。一人のデメリットで済まず、僕ら全体の不利益になりかねない」
「そうかもだけどさー。ぶーぶー」
口ではぶーぶーと言いつつも、大人しく下がってくれたユキだ。素直でありがたい。
ハルとしても、口では全体の為と言いつつも、ユキの身に何かあったらという不安がほぼすべてだ。過保護だとよく言われる。
「しかしこっちの陣地で戦ってるだけじゃ、なんのリスクもなくてつまらんよハル君?」
「いや、つまらなくていいんだよ。つけ込む余地なく、リスクは最小限に、圧倒的に勝利する。それが指揮官の本来あるべき姿だ」
「管理者さんモード出てない? そんなんじゃ生放送で高評価とって視聴者ポイント得られないぞ」
「……まあ、前回ならそうなるね」
とにかく理由をつけて、暴れたいユキであるようだ。
今回は、視聴者の力の全く介在しないゲームであるので、前回のように画面映えを狙った戦略をとる必要はない。
しかし、ユキの言うこともあながち全てが間違いとは言い切れなかった。
見るものが居ない、とは言うが、厳密には違う。ほんの少しの人数ではあれど、確実に見るものは存在する。
敵と、自分たち自身だ。
敵にはあえて特定の戦法を見せることでその後の行動を誘導することが可能だし、自分たちに及ぼす影響というものもなかなか無視できない。
何故ならば、ここは己の心が形になる世界なのだから。
望みを押し殺し、気持ちを鬱屈させて、より良き世界が出来るとは考えにくい。
「よし、じゃあこうしようユキ。君にはあとで、思う存分暴れさせてやる。だから今は様子を見よう。今だけは『待て』だ」
「わんわん! ぐるるるるる」
「可愛い大型犬ちゃんですねー」
「力を、ためているのです!」
「大変ねハル? 飛び掛かられて、のしかかってくるわよ?」
「飛び掛かるのは敵にしてね?」
そんな大型犬ユキがその牙を研いでいる間に、ハルはこの世界でのバトルシステムについて多少は解き明かしておかねばなるまい。
そうして話している間にも既に、機械の兵隊達はハルたちの領土内へと侵略を開始していた。
境界線を乗り越え、列を成して迫ってくる物言わぬ軍隊。その迫力は、見る者によっては恐怖を感じ、すくんでしまうことだろう。このゲームは生身のプレイなのだ。
ただ当然ながら、ハルにそんな恐怖心など欠片もない。
持ち前の精神性を抜きにしても、ハルは今までもずっと生身での戦闘を戦い抜いてきたのだ。しかも常識外れの神々と。
「こいつらの一撃が、まさかセレステのあの鋭さに勝るはずもないだろう」
「《光栄ついでに忠告するがハル。状況をこちらと同等だとは思わぬことだ。今はいつものシールドが機能していないことを、忘れずにおきたまえよ?》」
「ありがとうセレステ。ゆめゆめ忘れずにおくとしよう」
とはいえ、油断する訳ではないが実際のところハルにとって、さしたる脅威ではないことは揺るがない。
人間の限界を超えた肉体強度を持つ上に、そもそもこの肉体を破壊したとして本質的な死をハルに与えられないためである。
そんなハルは、悠々と敵軍の前に歩み寄り、しかし最大限警戒をして、そのがっしりとした巨躯の前に立ちはだかった。
「さて、お手並み拝見といこう」
「見た目通り結構硬かったよハル君! きーつけて!」
「なら、こっちも硬化しておこうかね」
「きーつける場所そこなん!?」
避けろと言いたかっただろうユキの言葉を、都合よく解釈するハルだった。ツッコミが心地良い。
ハルは体内のナノマシンを活性化させると、体組織の一部を都合の良いように変質させてゆく。
その鉄のように硬くなったまさに『鋼の肉体』を、歯車をギチギチと軋ませながら降り降ろされる敵兵の持つ棍棒と直接交差させるように、防御したのだった。
人の身で受け止めたとは思えない、硬質な効果音が辺りに響き渡る。
「ふおっ! だ、大丈夫ですか、ハルさん!」
「平気だよアイリ。全く持って、痛みはないから」
「すごいですー……」
「でもダメですよーハルさんー。いきなりやったら、心臓に悪いんですからねー?」
「……まるで動じてない声で言われてもね。でもまあ、申し訳ない」
激しい衝突音とは裏腹に、ハルの受けたダメージはゼロ。
防御力を高めすぎたか。否。ゲームではないのだ(ゲームだが)、破損が完全にゼロということはあり得ない。
先ほどの衝突音は単なる効果音であり、実際はハルの身からはそこまでの振動は発されていない。
つまりは、物理的には敵の攻撃は、ハルの身体には命中していないのだった。実態としては『寸止め』に近い。
「ふむ? まあ、こうもなるか。ゲーム内で人死にが出るもんね、こうでもしなきゃ」
次いで今度は、硬化を解除して直接受けるハルだったが、やはりケガも痛みもなし。
ただご丁寧に、今度は生身で殴りつけられたような鈍い音が周囲に流れて行ったのだった。
「ヌルゲーか」
「ヌルゲーだね。なんだ、ガッカリだよ」
「ユキは殴られたかったの? 痛いのが好きなのかしら? それは、そのなんというか、特殊な趣味ね? 否定はしないわ?」
「スリルがないって話! ルーナーちー! すぐそゆこと言うんだから!」
これでは、指揮官が現場に出張るだけで無双できてしまう。
まあ、個人が生身で出来ることなど限界があるので、それでもバランス崩壊にはならないのかも知れないが、ユキの言う通り興醒め感は否めない。
まあ、アイリたちの安全を思えば、この方が良いのは間違いないが。
「ただ、なーんか違和感あんだよね。無敵ならいちいち、材質に合わせて効果音変える?」
「確かに気になるね」
「よし! 確かめちゃる! ドマゾらしい私も、殴られ役に参加しよう!」
「わ、わたくしも、お手伝いするのです……! “どまぞ”さんに、なるのです!」
「ユキ……? アイリちゃんに変な言葉を教えないでちょうだいな」
「なんか私が責められるの納得いかないんだけど!?」
「どマゾですよー」
安全確認が済んだということで、後ろからわらわらと女の子たちが詰めかけてきた。
細長くなっている『敵国』との接触面に、通せんぼをするように皆で立ちふさがる。
そのハルたちの密集防御を突破せんと、物言わぬ機械の兵たちが押し込んでくるように一斉攻撃を仕掛けてきた。
「おー。くすぐったいですねー。いや、くすぐったくすらないですねー?」
「強いて言えば、押されている、といった感じかしら? これも重力操作による影響ということね?」
「この敵も神力で出来ているだろうからね」
常に余裕なカナリーはつまらなそうに、最初は少々おっかなびっくりだったルナも今は堂々と不動の構えだ。
敵の攻撃は彼女らを退かせることは敵わず、その見た目も相まって『壊れた機械のように』その場で武器をふるい続けるのみ。
その敵の姿はもちろん、なんとなく自分たちまでもが滑稽に見えてくるハルたちだ。
「ここはやっぱ痛みがなくても、殴られるエフェクトに合わせて吹っ飛んだりするべきかなぁ」
「『ぐわあああああ!』、ですね! わたくし、ダメージ演出を一度やってみたいと思っていたのです!」
「よしアイリちゃん、一緒にやろっか!」
「はい!」
「……そこ、隊列を乱さないように」
気持ちは分かるが、ファランクスを解いてしまうと敵が防衛線を突破し自国の奥深くに侵入してしまいかねない。
今は見た目がマヌケでも、棒立ちで通せんぼしておいて欲しいハルだった。
「……なるほど」
「何かわかりましたか、ハルさん!」
「うん。どうやら僕らにはきっちり、『ダメージ』は入っているようだね」
「なんと! しかしメニューには、HPの表示のようなものは何処にも見当たりませんが!」
「よーく見てみるといいよアイリ」
「むむむむ!?」
むむむ、とアイリが食い入るようにメニューを睨みつけるが、やはり体力バーのようなものはどこにも隠されていない。
しかし、それは間違いなく今もアイリの目の前に表示されている。その『表示』が、ついにハルたちの足元を通り過ぎた。
「なるほどっ。私たちの代わりに、この『国の体力』が削られるってことかー」
「!! なるほど! つまりはこの『マップ』こそが、『体力ゲージ』!」
「その通り」
まるで体力ゲージが赤く染まるように、足元の地面の色が切り替わってゆく。
草原を踏みしめていた感触が消え、かたい台地と薄暗い空が、流れるように押し寄せてきた。
ハルたちのダメージエフェクトと、マップの削られる速度を照らし合わせれば、そのタイミングと割合に相関関係が見出せる。
君主、指揮官、司令官。呼び方はともかく、この世界を導くプレイヤーは無敵ではない。文字通り、この世界がプレイヤーの命なのだ。
「よし、撤退しよう!」
「切り替えが早いねユキ。でもその通りだ。下がろうかみんな」
「はい!」
そうと分かれば、もうこれ以上殴られてやる謂れはない。ハルたちは一目散に、領土の奥へと向かって駆けこんで行った。
「……しかし、これはつまり、相手を殴れば逆にこちらの領土と出来るということではなくて?」
「そうなるねルナ」
「なるほど? それじゃあユキ? またお城に殴りこんで、あの先輩をぼっこぼこにしてしまいなさいな」
「わーお。ルナちーがおっそろしい」
「まるで悪の女帝ですねー」
女帝はともかく、有効な策ではあるのだろう。画的に大変よろしくないので、間違ってもやってほしくはないが。
リコももしかしたらあの場で、ハルたちを包囲して一気に勝負を決めるつもりだったのかも知れない。
「ともかく! これ以上踏み込ませるわけにもいかん! ルナちーたちはここに居て。私が、侵入者を駆除してこよう!」
「ファイトです、ユキさん!」
実に楽しそうに、ユキが機械の兵隊へと突っ込んでいく。その鈍重な攻撃は、もう一切ユキに命中することはない。
敵の振り降ろしをひらりと躱し、逆に彼らの隙間へと滑り込み、足元を振り払ったかと思えばその勢いで鉄の頭を蹴り飛ばす。
すらりと長いユキの足と、遅れて弧を描く綺麗な長髪が乱戦の中に良く映えていた。
「あっはっはー、弱い弱い、遅い遅い。これじゃブリキの兵隊じゃなくて、ただのカカシだねー」
難なく次々と敵を葬り去るユキ。この勢いで全滅も可能かと思われる大活躍だが、一つ大きな落とし穴がある。
今の彼女を構成している魔力には、限りがあるということだった。
※誤字修正を行いました。「興覚め」→「興醒め」。言われなければ気付かなかったんじゃないかと思います。誤字報告、ありがとうございました。




