第1014話 この世界で出来ること出来ないこと
ハルの異常な威力の蹴りが、石のような質感の壁へと突き刺さる。
この『神力』、重力制御にて作られた構造物は無敵ではない。それは、カナリーたちのゲームで既に体感している。
まるで砲弾でも直撃したかのように破片となって吹き飛んだ壁から無事に脱出すると、ハルたちは再び元の草原に降り立った。
「脱出成功です!」
「すごい威力だねーハル君。まるでゲームみたい」
「……むしろ、下手なゲームキャラより強くないかしら? 生身、よねあなた?」
「生身だよ。多少、ドーピングしてるけど」
薬物強化ではなく、エーテル強化だが。まだハルの体内に残ったままのナノマシン、エーテル。それによりハルの筋力、肉体強度、それらは常人の何倍にも強化がされた。
石造りの壁など土くれのそれと何も変わらず、ハリボテであるかのように粉砕できる威力だ。
「物理最高ですねー。ハルさんの前には、どんな家のセキュリティでも無力ですねー」
「ハル君リアルでも同じように出来るん?」
「まあ、出来るよ。しないけど。今の住宅の建材って、強度自体はそう強くないからね」
現代では大抵の住宅は、ハルたちが料理を合成したのと同じように、ペースト状のマテリアルを固めて組み上げる方式を取っている。
それは経年劣化にはめっぽう強いが、今のハルの蹴りのような一撃の破壊力には対応している所は少ない。
なのでやろうと思えば、ハルは現実でも同じように、大抵の家に壁からお邪魔することが可能であった。
「大変ね? ハル好みの可愛い女の子には、安息の地なんてないってことだわ? こわいわね?」
「壁を蹴り壊して忍び込んできたヒーローに、さらわれてしまいますー……」
「しないと言っているのに。しかもアイリはなぜ嬉しそうなんだ……」
攫われ願望のあるお姫様であった。壁を壊すのが果たしてヒーローなのかは、置いておくとして。
「しかし、どんな壁でも壊せる訳じゃないよ。例えばルナの実家、奥様の家なんかは物理防御力もしっかりした材質になってるし」
「おやめなさいなハル。余計なことを言うのは。今度はその壁に囲まれるわよ?」
「おっと」
想像が現実になるとするなら、変なことを考えるとそれが実体化しかねない。
現代技術の粋を集めた強化マテリアルの壁なんて出てきた日には、今度こそ脱出不能の密室に閉じ込められてしまう。
ハルたちは、一応先ほどの壁から離れると、草原をのんびりと歩いていった。
壁はきちんと遠ざかり、次第に小さなサイコロにしか見えなくなっていく。
「今は、あの壁の扱いはどうなっているのかしら?」
「《常識的に考えれば、今はただの背景なんでしょうね。見えているだけで、実体はないはずっす。あ、もともと実体などないって突っ込みは無しの方向でお願いします。再び近づけば、また神力を伴って強度を持つはずっす》」
「ふーん? 便利ね?」
昔からゲームではよく使われている手法だ。広大なマップを自在に行き来しているように見えても、詳細に表示されているのは実はキャラクターの周囲ほんの少しのエリアのみ。
そうすることで違和感なく、しかも負荷をかけずにマップ表示が可能になるのだ。
いちいち、マップ全てを描写していてはゲームが重くなりすぎてしまう。
この世界も同様に、自分の周囲以外はそれこそただのハリボテ同然になっていると考えられた。
「じゃあさじゃあさ? もしこっから、あの豆腐に向かってハル君がビーム撃ったらどーなるん?」
「……人間はビームを撃てないから、そんな想定をする必要はないんだよユキ」
恐ろしいことを考えるユキである。自然に仕様の穴を突こうとする、ゲーマーの鑑である。
……いや、優良なゲームプレイヤーはそんなことを考えないか。
このゲームは人間用、実際に肉体を持った日本人がそのままプレイすることを想定されたゲームだ。
当然、ビームを出す者など居ない。ハルではないのだから。
なので、遠方における衝突判定など気にする必要はないと思うのが当然だが、少し気になることがある。
「……超能力で、ビームを撃てたりはするのかな?」
「確かに! このゲームは、アメジスト様が作ったもの。超能力を使うことを前提に、作られているかも知れません!」
「まー、確かにそうですけどねー。でも超能力系スキルって、そんなに出力出ませんよー?」
まあ、カナリーの言う通りではある。<念動>などの超能力系と呼ばれるスキルには、破壊力はさほど備わっていなかった。しかも死ぬほど燃費が悪い。
とはいえ、不可能ではないことは確かだ。一応、検証してみてもいいだろう。
「やってみようか、一応」
「おお、ビームだ、ビーム。ハル君やっぱビーム撃てるんだ」
「無理すればね」
「相変わらず、人間辞めているわねぇ」
「流石はハルさんなのです! 荷電粒子砲なのです、ルシファーです!」
「さすがにルシファーと同じことしたら僕の神経が焼き切れるよ」
「出力も足りなさそうですしねー」
今使えるナノマシンは、ハルの体内に残った物のみだ。ルシファーの巨大なボディのそれとは、総量が比較にならない。
それでも、遠距離攻撃のやりようはあった。なにも粒子加速器にならねば遠距離攻撃が出来ない訳ではなかった。
「ビームじゃなくて、レーザーになっちゃうけどね」
ハルが両手を合わせてその内側にひし形のような空間を作る。すると、内部に徐々に光が集まり、次第に輝きを増していった。
その輝きを一点に収束するように解き放ち、レーザー光線として発射する。
狙うは先ほどと同じ石壁! ……ではなく、その足元にゆらぐ草むらの草だ。さすがに、そこまでの破壊力は出せはしない。
タイムラグなく一瞬で到達したそのレーザー光は、じゅっ、という音でも届いてきそうなほどあっさりと、標的の草の一本を焼き切ってしまった。
これで、もしあの背景が見た目だけなら、レーザーは草に触れることなくそのまま透過して終わりだっただろう。
「ふむ?」
「当たり判定がありますねー。これは、ちょっと考えることが出てきましたねー?」
「そーなん?」
「なにが、問題なのでしょう!?」
「きっとエネルギー源ね? 遠景にまで実体があるということは、それを構成する為のエネルギーが必要になるわ?」
「《その通りっすルナ様。特に、このゲームは他とは事情が違います。参加者から魔力が発生しません。何かやるたびに赤字が発生しっぱなしのはずなんです。だというのに、この無駄な処理。これが示す事実は、この『無駄』が実は無駄なんかじゃなくよっぽど重要な処理なのか》」
「それか、どこかにそれだけの収入源があるのかですねー?」
無から有は生まれない。魔力が無ければ神様はゲームを作れない。
その大原則に照らし合わせて考えると、このゲームが、どうにもきな臭く思えてきて仕方ないハルたちだった。
◇
「……まあ、いいか。どうせきな臭いのは最初からだし」
「そですねー。怪しいところが一個増えたところで、誤差です誤差ー」
「それでいーんかーいっ」
「よくはないけどね。でもユキ、どうせ今は、調べる方法がない」
「まあ、そか」
まずは一歩一歩、地道に進んでいくしかなかった。ハルたちはまだ、突然現れるオブジェクトについても分かっていないのだ。
「このゲームの目的って、そもそも何なのかしら? 箱庭系ゲームというか、自分の理想の世界を作り上げて満足すること?」
「それだと、不便すぎない? 完全に理想通りとはいかないけど、それこそ環境ソフトでいーんくない?」
「確かに、その方が制限なく何でも好き放題出来るのがあるからね」
ユキの言うことに、ハルも同意する。望みの世界を作るだけなら、それ専用のソフトが既にある。
もちろん、それはヴァーチャルなものだ。この世界のように、生身で楽しめるようにはなっていない。
ただ、その『生身でプレイできる』という部分が、そこまで特別感のあるポイントだろうか?
もちろん、魅力に思う者も居るだろう。しかし、全てのプレイヤーにとってそうとは限らない。
「ごく一部のニッチ需要を満たすためだけに、神が動くとは思えませんねー。いったい、何を企んでるんでしょーかー?」
「何か、このゲームを続けることに対する、『ご褒美』があるはずだと思うんだけど……」
通常なら、そのご褒美はゲームプレイそのものだ。それは、ユキの言ったような派手なアクションを楽しむことだったり、基本的に分かりやすいもの。
ただ、このゲームはそれがまだ分からない。いや、画期的だし楽しいといえば楽しいが、万人向けではないし不親切だ。
それを探って行こうにも、進め方そのものが分からない現状では、やりようがないというのが正直な話。
これが、もし普通のゲームであれば、以前ユキとやったように、ひたすら愚痴りながらも楽しい検証の日々を過ごしてもいいのだが。生憎急ぎだ。
「仕方ない。チートを使うか」
「ですねー。このゲームが何か危険なものだったら、目も当てられませんー。ことは急を要しますー」
「まあ、そうね? でもどうやってするのかしら? ここには、私たちの体ひとつしか存在しないのよ?」
「存在しないなら、持ってきてしまえばいいんだよルナ。僕の体ひとつあれば、魔力の移動は容易だ」
まさに反則。ゲームルールの根底を覆す、超級の違反行為。ハルは躊躇うことなく、その行為に手を染める。
しかしその瞬間ハルたちの視界は、元居た音楽室へと戻っていたのであった。




