第1012話 人を食らう音楽室?
現代においても、楽器の演奏というものが廃れることはない。特に、こんな学園であればなおさらだ。
エーテル技術と無関係な教養。上流階級の嗜み。まさにこの学園向けの授業である『音楽』は、他校と比べるに恥じない音楽室を用意していた。
だがそんな音楽室にも、残念ながら前時代と比べて変わってしまったところがある。
「動く肖像画が、ないのです!」
「アイリちゃん。音楽家の絵は、別に最初から動かないよ?」
そう、怪談だ。音楽室に付き物だった、ハルの時代の怪談、『動き出す音楽家たちの肖像』。
……いや、ハルも別に、自分でその渦中に居た訳ではないのだが。
ただアイリが知っていることからも分かるように、その話は実に有名になり、多数のゲームにイベントとして実装された。
そんな由緒正しい(?)音楽家の肖像だが、残念ながらこの音楽室には存在しない。
いや、今の時代、特に何処を探しても見かけることはないのだろう。
教育施設にも流行り廃りがある。あのスタイルは、今の時代の標準設備ではなくなったということだ。
「なんと。あの絵は、退治されてしまったのですね……」
「そうだね。そうとも言えるかも知れない。怪談という噂を殺すのは、無情にも時の流れだってことだ」
「まぁ。物悲しいですー……」
「なにを浸っているのかしら……」
「そうですねー。今は動く絵のことなんかより、この室内で何が起こっていたのかを調べましょー」
カナリーが、夜の学園の不気味さにもまるで動じることなく、ずんずんと暗い音楽室を突っ切って行く。
容赦なく周囲の備品を持ち上げて調べ、ひっくり返しては投げ出している。
「あはは。カナちゃんに怖いものなんてなさそうだ」
「もっと備品の破損を怖がってほしい。あとは現場保存とか」
「どーせ毎日何人もが使ってる場所ですよー。基本的に、保持しておく必要のある状態などないと見ましたー」
「《それに平気っすよハル様。この部屋に入った時点の最初の状態は、既にわたしが記録してありますから。まあ、ハル様だってそのくらいお安い御用だとは思いますけど、いざって時はわたしが『最初の状態に戻す』ボタンの役をやるっすよ!》」
「実際に戻すのは私たちですけどねー」
「《むう。仕方ないじゃないっすか仕方ないじゃないっすか! わたしは、物理的にそっちに行けないんすから!》」
今まさに、問題となっているのもそのことだ。
アメジストの『ゲーム』とやらが行われているのは、ガザニアの作り出した新空間。そこに到達する手段を、ハルたちは探している。
この音楽室は、舞台であって舞台でない。目的地はこことはまったく別の空間で、本質的にはこの部屋をじっくりと調べることに意味はないのだ。
「見つかりませんねー」
「そだね。まあ、探して見つかっちゃったら、意味がないんだと思う。だからきっと、その何かは見つからない形になってるんだ」
「確かに、ユキさんの言う通りです。このお部屋は、他の生徒さんたちも使うんですものね」
事情を知らぬ生徒が偶然その『何か』を発見してしまい、強制的にゲームに参加させられてしまう。
そんなことになれば大事件だ。運よく騒ぎにならなかったとしても、『人食い音楽室』の神隠しとして、新たな怪談が誕生してしまう。
「夜の音楽室に忍び込むような悪い子は、おばけに連れていかれてしまうのです!」
「そういう噂があるから、忍び込む子が出るのだとおもうのだけれど……」
「今回も初めは、そんな怪談だったのかな?」
あり得る話だと思う。思えば、ぽてとの語っていた学校で流れる都市伝説とやらは、このゲームの入り口を知らせる為の仕込みだったのかも知れない。
他の学校では他愛のない噂話でしかないが、この学園でだけは真実として機能する。
確か、夜中に何かの儀式をするのだったか。その儀式の噂を精査すれば、もしかしたら突破口が開くのだろうか?
「おっ? 検証すんのハル君?」
「……いや、どうしようかな。さすがに僕も、おまじないのごっこ遊びをここで次々と試すのは気が引けるというか」
「失敗したら恥ずかしいですねー。お顔真っ赤のハルさんですねー」
「気分を盛り上げるために、みんなでコスプレでもしましょうか」
「おお! “はろいん”、なのですね!」
「ええ。アイリちゃんはうんと可愛いのにしましょうね?」
「楽しみです~」
ちょうど世間ではイベント時期である仮装について語り合う女の子たちの微笑ましい様子を見つつ、ハルはその儀式とやらについて考察する。
おそらく正確な内容は、この学内だけでひっそりと語り伝えられているのだろう。
手っ取り早いのは、洗いだされた儀式場の候補地である教室に全て隠しカメラでも仕掛けて、その内容を学園のシステム外で録画することだ。
ただ、それでは運任せになるというか、もし参加者が都合よく今日現れなければ待ちぼうけになるだけ。
すぐにでも調査を始めたいハルたちとしては、やはり儀式内容を洗いだすのが丸いだろう。
「……ふむ?」
「おっ。ハル君なんか気づいたんか?」
「まあ、何となくねユキ。儀式の内容はさっぱりだけど、結局重要なのはその結果の方なんだ」
「ほうほう」
儀式を行えば、入り口が開くのではない。儀式を行った結果、入り口を開くための条件がなにか発生するのだ。
その何かとはなにか? 決まっている、魔力である。
「推測に過ぎないが、恐らくアメジストは儀式を行った生徒の魔力を使ってガザニア空間の扉を開いている」
「あ、そかそか。結局ガザニアちゃんのアレも魔法なんだから、どうあれ魔力が必要なんだよね」
「そういうこと」
それに儀式がどう関係するかは分からないが、魔力を発生させればいいのならハルたちにとっては容易いことだ。
単に、ハルを通して異世界から逆流させてやればいい。
ハルは慎重に慎重に出力を調整しつつ、己の身の中に潜むコアから、魔力を放出するのであった。
*
その瞬間、ハルたちは一瞬で空間の裂け目に飲み込まれた。まさに自分自身を中心として発動した、回避不能のトラップ。
先の奇襲もそうだが、このガザニアの力、もし戦闘用に使ったらなかなかえげつない効力を発揮しそうだ。
いや、ガザニアは奇襲したつもりはないことは分かっているが。
「みんな、平気?」
「はいー」
「大丈夫なのです!」
「びっくっしたぁ……」
「お尻を打ったわハル? さすって?」
「はいはい。大丈夫そうだね」
「しかしー、全員が同じ場所に出ましたねー? 個人用ゲームだと、推測していたのですがー」
確かに、ハルも何となくそう思っていた。ガザニアの空間は『個室』であるイメージが強かったからだ。
一人入るのが精一杯の個室を、重力制御と遠大な背景で誤魔化して、まるで広々としたワールドマップのように演出する。それがコンセプト。
その仕様上、基本的に『ソロプレイ』が前提となる。複数人居ると、背景の移動が上手く行えないからだ。
「多人数が可能となると、前提の推測を修正する必要があるか? それとも、僕らの方がエラーなんだろうか?」
「《あり得るっすね。ハル様たちの存在は、通常の在り方を逸脱しています。わたしが調整する前は、神界ネットでも混線されて判定されていました。このゲームにおいても、その状態であることは十分に考えられるかと》」
「わたくしが、しばらくハルさんとご一緒に<転移>してしまっていたことですね!」
ハルたちの精神は、ハルのエゴにて彼女たちを半ば取り込むようにして融合してしまった。
その結果は多方面に様々なエラーを発生させ、しばらくは対処に苦労することとなった。
アイリの語った同時転移に加え、エーテルネット上の判定においては、物理的にどう見ても他人であるのに、アイリが『ハル』として判定されたとか。そうした不具合が生じることとなった。
今回も、同じことの可能性は高いのではないだろうか?
あの場に一緒に居たからではなく、精神的に繋がっていたからこそ、今ハルたちは同時にここに居る。
そう考えるのが、納得のいく結論ではあるだろう。
「まあ、そんなことは別にいいですー。今は、このしみったれた世界について考えましょうー」
「そうね? 狭い個室と聞いて期待したけれど、特に問題なく全員が余裕をもって滞在できているわ?」
「ルナちゃ。そこは今重要じゃないよ……、いや重要だけど……」
「なんにも、ないですね?」
アイリの言う通り、この世界にはまだ何もない。どんよりと暗い世界に、ただハルたちが存在しているだけのようだ。
まるで、前回のゲームの神界、『裏世界』。天に紋章の星座が無いぶん、輪をかけて殺風景だ。
こんな見るからに『初期状態』の世界で、いったい何をしろというのか?
ゲームとは聞いたが、特に今のところゲーム的な初期説明もない。
これでは本当に、音楽室の怪異に飲まれて神隠しにあってしまったのと変わらない。
「次元幽閉が目的なら、これでいいんだけど。いやよくないけど」
「儀式した生徒のひと、パニックじゃない? いや、むしろこれでいいんかな?」
「そうね? もしかしたら、ゲームゲームしくせずに、没入感を重視しているのかも知れないわ?」
「攻略法は、手探りで探し当てるのですね!」
とはいえそういうゲームも、ゲームとして認識しているからこそ楽しめるのだ。
急にこんな世界に放り込まれて『手探り』などと言われても、ユキの言うようにパニックを誘発するだけではないか。
そんな風に、素人ゲーム開発者に対して文句を言いたくなってきてしまったハルたちだった。
ハルたちはまだいい。他の生徒は、恐らく一人でこの暗い世界に投げ出されたのだ。
もし恐怖やストレスを与えることを厭わず、むしろ積極的に研究の為に活用するとでもいうのであれば、こちらも少々強引に事を進める必要があるだろうか?
「まあ、まだ判断するのは早いのです! もう少し、アメジスト様の意図を探ってみましょう!」
「……まあ、そうだね。自分のこらえ性の無さを棚に上げてのクソゲー認定は、恥ずべき行為だ」
「いや、クソゲーはクソゲーだと思うよハル君」
「しかし、何かをするにしても、こう何もなくてはね?」
「むむむ! 確かにそうです。『お約束』のように、最初は一面の草原にでも出れば……」
アイリがそう言った途端、世界に顕著すぎる変化が表れた。
何もなかった足元に、一瞬で広々とした草原が出現したのである。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。ルビを振っておいてのミス申し訳ありません。




