第1010話 真夜中の校舎侵入大作戦!
ハルたちが学園へと潜入した時には、もうすっかり夜になっていた。構わないだろう。むしろこっそり忍び込むには、丁度いい。
家を出る時から姿を消し、気配を消し、エーテルネットにすら感知されず、現代においては社会的に居ないものとなりハルたちは進む。
この時間だ、普通の学校なら誰もいないものだが、この学園は特殊だ。
もちろんほぼ人影は見えないが、中にはまだ出歩いている者の姿もちらほら確認できる。
「門限とかないのん、ルナちゃ?」
「まあ、あることはあるわね。ただ、形骸化して久しいと言うか、最も有名無実なルールになってるわ?」
「お嬢様学校じゃなかったの?」
「男子も居るわよ。それに、お嬢様学校だからこそ、なのではなくて? 知らないけれど」
「あはは。知らんのかーい」
世のお嬢様学校がどうなっているかなど、特にハルも興味はもっていない。
ただ、ルナの言う通り、この学園においては『バレなきゃルール違反ではない』という意識がまかり通っている。
現代を生きる貴族を預かることを任された学び舎がそれでいいのかと思わないでもないが、逆に、それだからこそ見逃している節もある。
ルールの穴を突く生き方を、今から鍛えているつもりだろうか?
そのあたりの事情は、良く分からないし深く首を突っ込む気もないハルだった。
「ただ今回は、その緩さが事態をややこしくしているね。まさにアメジストにとっては、うってつけの実験場だったわけだ」
「やっぱり邪悪な場所でしたー。こんなとこ、存在しちゃいけなかったんですよー」
「まあ、一応、必要な場所ではあるんだ。前も言ったでしょ?」
「なんでしたっけー。都合の悪いことは忘れましたー」
「こらこら」
この、社会のどこに行ってもエーテルネットに接続した世界。接続用のナノマシンが、社会の何処にでも存在する世界。
そうした世の中において、エーテルの存在しない場所、というのは非常に貴重な場所となる。
ほぼ言い訳でしかない学園の教育方針、『ネットが無くても生きていける人材の育成』を除いても、その役割は多い。
まずは研究目的。エーテルの『混入』を防ぐことの出来る環境は、ここくらいだ。
アメジストでなくとも、この唯一無二の環境に魅力を感じる研究者は多い。そうした機関が、複数在籍している。
まあ、ハルとしてはそうした研究がしたいなら、自前でそうエーテル操作すればいいだけに感じはするが。
そして、次の内容が最も重要だ。ハルはそのことを、特に強調して皆に語っていく。
「このエーテル社会において、全ての人間が問題なくネットに適合できた訳じゃない。そうした、ネットに馴染めない人たちのセーフティーエリアとして、この学園は非常に重要な役目を負っているのさ」
「私と同じ、社会不適合者だ」
「ユキとは、ちょうど真逆になるのかな」
電脳世界にあまりに適合しすぎたため、現実感の欠如を起こしてしまったユキ。
それとは逆に、電脳世界にこそ拒否反応を示す者もまた稀に存在する。
そうした者たちに対するセーフティーネット、いやセーフティーエリア。
もはや『ネット』という言葉そのものすら配慮する、彼らの最後の聖域だった。
「甘やかしすぎじゃね? 私は、そんな支援なんて受けなかった」
「ユキも苦労したのでしょうけれど、この制度が妥当か否かの是非は、今は置いておきましょうか?」
「うぃ。めんご」
「まあつまりは、そうした人たちが学園の中には居るってことさ。常にね」
「しかしハルさん。今改めてそのお話をしたということは?」
「うん。アメジストが彼らに接触した可能性が、十分に考えられる」
言い方は悪いが、特殊な環境下で育った特殊な個体。研究対象にはぴったりだ。
学生以外にも、彼らにも注意を払った方が良いだろう。
そんな校舎内へと、中庭を抜けてハルたちは侵入を試みる。学校としては仰々しすぎる正面玄関が、ハルたちを威圧するように出迎えるのであった。
*
「ふえぇ。毎日こんなとこ通ってがっこ行くん?」
「毎日どころではないわユキ? 体育なんかで校庭を使うときは、時間割ごとにこの『エアロック』を出入りして教室移動よ?」
「ふええ……」
「たいへんですー……」
まあ、慣れてしまえばどうということもない。宇宙船のエアロックよりは、セキュリティは薄い。
基本的には通り抜けるだけ。ただ、ボックス状になった昇降口には、一度に数人しか入れない。
普通の学校なら連なって通り抜けるだけだが、この学園ではその分の『待ち時間』が発生し、そちらの方が大変になるのだ。
「基本的に、お嬢様や御曹司の多い学園だから、朝の通学がギリギリで詰まる、なんてことはないんだけど」
「教室移動の際は、どうしてもね……」
クラス全員で移動するものだから、どうしても詰まる。
その光景を思い出して、辟易しているハルとルナであった。
そんな昇降口のエアロックだが、これこそがこの学園の内部を『クリーン』に保つ肝である。
このエレベータのボックスのような玄関の中に入ると、エーテルを含んだ空気はそこで吸い取られ、『不純物』の無い清浄な空気と交換される。
その作業が済むと初めて、進行方向の扉が開かれて内部へと入れるのであった。
「どするんハル君? これ、夜でも動いてるん?」
「もちろん。校舎はさっきも言ったような理由で、二十四時間、三百六十五日、休むことなく営業中さ」
「おお」
「だから夜中に校舎内に侵入する学生が出ても、防げはしないのだけれど。流石に記録には残るわ?」
「エーテルネット無いのに記録できんの?」
「この現代っ子のユキめ……」
「分かりました! “こんぴゅーた”で、記録するのですね!」
「正解だよアイリ」
主にレトロゲームでばかり地球のことを知っているアイリだ。現代人ではぱっと思いつかない、機械式のセキュリティの事も即座に思い描けたようだ。
「困りましたねー。今は、エーテル技術で気配を消している私たちですが、機械には通用しませんー。ハッキングしますかー?」
「まあ、それでもいいんだけど、もっと楽な方法がある」
エアロックを作動させて中に入れば、そのことが記録に残る。
当然ハルなら誤魔化すことも可能だが、今回はそれすらする必要はない。ここはまだ、エーテルの大気の中である。つまりはハルの、お膝元だ。
「こっち来て。ここから入るよ」
ハルはエアロックの箱が並んだ昇降口の脇まで移動し、内部が一望できる巨大な一枚ガラスの前に立つ。
ここからは、今は誰もいない広々とした正面玄関の中がよく見て取れた。
「割るん、ハル君?」
「割らんて」
……確かにこれを割れば侵入は容易だが、それこそ警報が鳴ってしまうだろう。わざわざエアロックを避けた意味がない。
「僕がエーテルを使える状況下で、こんなガラス一枚無いのと同じさ」
「なんと!」
ハルが少々格好つけながら、そのガラスへと手を伸ばすと、その手は押し返されることなくガラスの中へとすり抜けていく。
まるでハルが鏡の中の世界にでも入って行くような光景だが、もちろんそんなことはない。
ハルの体の形に添ってゆるく波紋を広げるガラスは、その身を完全に呑み込み終わると、元の一枚板に戻ってその幻想的な入り口を閉じた。
「はい。ここから入れるから、みんなも続いて」
「すごいですー! ではわたくしも。とうっ!」
「……おっと。いきなり難度の高い制御を要求してくれるお転婆さんだ」
「えへへへへ、すみません、つい」
思い切りよくガラスに飛び込むアイリの勢いで、飛び散りそうになったガラスの『水滴』を慌ててハルは制御する。
そう、今このガラスは、ハルにより特性を弄られて液状になっていた。
ガラスは分子の構造上、液体に似た振る舞いをすることがあり、今ハルはそれを極端に加速させてやった。
これは、現代のエーテル技術により製造された特殊ガラスの特性によるところが大きい。
エーテル制御してやることで、まるでスライムのように自分で延びて自在に建築できる。今のように逆順に命令を出してやることで、解体も容易。実に便利だ。
「まるで、魔法みたいなのです!」
「そだねー。ハル君、こっちの世界でも魔法使いだ」
「……どうかな。僕は元々、こっちでは限界を感じてゲームにのめり込んでたくらいだよ」
「出来る分、理想が高すぎるのよハルは」
「見る人が見れば、十分に魔法ですよねー」
口々に賞賛され面映ゆいハルだが、それでもこの気持ちは変わらない。
この技術を持たぬものからすれば贅沢な話だとは分かっているが、『この技術では魔法に至れない』というのが今も変わらぬハルの本音である。
「……それは今はいいさ。さ、ここからはこっそり進むよ。もう気配遮断は効かないんだから」
「ほんとうです! この中には、ナノさんが居ないのですね!」
「アイリちゃんー。しーっ」
「……は、はいっ。しーっ」
カナリーとアイリが、口に指を当てて可愛らしく『しーっ』としている。
夜の校舎にはなんだか無駄に声が響くように感じてしまう。ハルたちは広々とした玄関を足早に去り、狭い廊下の方へと入り込んでそそくさと身を潜めた。
「ここからが、本格的な探検だねー。ハル君、それこそ魔法は使わないの?」
「そうね? どうするのハル? あなたが魔力で校舎中を覆ってしまえば、話は早いと思うのだけれど」
「それは、止めておいた方がいいかもですねー。とりあえずー」
「そう、ですね。アメジスト様が既に内部に干渉しているとするなら、魔力に対する感知も可能だと思って行動した方が良いかも知れません!」
「そうだね。まあ、先制攻撃、先手必勝というならば、魔力で一帯を掌握してしまうのも良さそうだが、さて……」
いかにアメジストが周到に準備をしようが、『神様特攻』とも言えるスキルを持つハルの前では、無力であるのは変わらない。
ならばユキの言うように、問答無用で校舎全てを魔力で浸食してしまうのも、有りと言えば有りだ。
しかし、一方で懸念もまたある。アメジストの拠点にて、ハルとアイリスたちは背後に出現するガザニアに直前まで気が付かなかった。
もし、魔力のセンサーにも引っかからない仕様であるならば、先手のつもりが完全に後手に回ってしまうことになる。それは避けたい。
結局、ハルたちは夜中に校舎に忍び込んで遊ぶいけない生徒そのものであるかの如く、こっそりひっそりと、息を潜めて探検を進めていくことにしたのであった。




