第101話 我
『ユキ』
:ハル君、我だよ我!
『ハル』
:そうだね。『余』かと思ったけど
『ユキ』
:余も似合いそうだね! でも皇帝なんだ? 表示は王だけど
『ハル』
:神が決めたシステムの称号なんて知ったことじゃないんでしょ
表情も、視線すら動かさずにユキとチャットで会話する。このゲームで、王様に合うのも初めてならば、『我』を一人称として語る相手も初めてだ。コテコテのキャラ付けに、ユキのテンションが上がる。
その様子を察知したアイリが、ハルにだけ分かるように笑いを堪えていた。アイリのためにもチャットはここまでにしよう。
クライス皇帝は、王としては年若い方なのだろう。三十台くらいだろうと思われる。高い上背に精悍に整った顔つき。そして目を引くのは男性としては長く伸ばされた金髪だろう。
少し巻き毛ぎみの長髪が、皇帝感を増して演出していた。
鍛えているのだろう、服の上からでもがっしりとしたシルエットが分かる。軍を率いて立つ王である事が察せられる。
「その者達は、貴公の妻か?」
「そうだよ。悪いね、挨拶もさせないで」
「構わん。貞淑で羨ましい事だ」
鉄面皮かと思われたクライス皇帝の顔に、ふと陰りがさす。ほんの一瞬の変化だったが、見逃すハルではなかった。女性関係に苦労しているのであろうか。
皇帝に挨拶もしない無礼を、夫以外の男と口を利いてはならない貞淑さと判断したのだろう。
「貞淑……、皇帝は苦労してるんだね」
「ふん」
追撃するが、もう表情は変わらなかった。ハルもクライス皇帝も揃って席へと座る。
実際には、アイリ以外は妻ではないのだが、まあ些細な問題だろう。そこが争点になる事はあるまい。ユキだけが不意打ちで妻にさせられて、ちょっとあたふたしていたが。
その他の彼女達は、王を相手にしても落ち着いたものだった。
王女としての威厳を発揮するアイリ、皇帝に負けず劣らずのポーカーフェイスのルナ、表情制御においては右に出るもの居ないAIのセレステ。
会談に臨むにあたり、中々のメンバーだ。ユキだってその実、重要な事を表情で悟らせたりはしない。彼女も百戦錬磨のゲーマーである。
──あれ? 僕が一番うっかり口を滑らせそうなのかな。
割とうっかりしたミスの多いハルだ。気を引き締め、脳の使用領域を増やして行った。
「改めて、我が国へとよく参った、ハルとその妻達よ。歓迎しよう、ゆるりとしてまいれ」
「歓迎ありがとう皇帝。でも無用心じゃない? 本人が直接僕らの前に出てくるなんて」
「貴公らは我らに害を及ぼせない。そうだな?」
「その通りだよ」
「ならば問題ないではないか。それに、王女がその身を晒しているのだ。我も臆していては示しがつかぬ」
すっ、と隣に座るアイリの目が細められる。王女の持つ王気が硬質に尖っていくイメージを幻視するハルだ。
いつものように頭を撫でてやると、表情も気配も、ふにゃり、とそれを蕩けさせた。
「……なるほど、信徒との協力関係はあるわけだね」
「いかにも。貴公は聡明で助かるな」
こちらは一言も説明していないのにアイリの事を知っている。考えられる理由は主に二つ。
ひとつ、鎖国はしているが、スパイ等なんらかの理由で他国の様子は知っている。
ふたつ、相手の<称号>を見ることの出来る、神の信徒が仲間に居る。こちらの可能性が大きい。
前者、スパイ等も当然送り込んでいるのだろうが、ピンポイントでアイリを知っている可能性は低くなる。
ユーザーのように、公式紹介ページで顔写真が見られる訳でもない。しかもアイリは領地であるカナリーの神域にひきこもって長いのだ。
よって、どこかで信徒とすれ違ってAR表示を読まれたと見るのが妥当になる。
「しかし、気が付かなかったね。視界に入れば分かるはずなんだけど」
「兵の中に紛れていたのだ」
「それこそすぐ分かる。兵士は全員しっかりチェックしたよ? 色つきは居なかった」
「調度品の鎧も含めてか?」
「む……」
なんと、廊下に飾られていた鎧に偽装していたようだ。そこまでは注意を向けなかった。
AR表示は、『情報を見たい』という意識があって初めて表示されるもの。キャラクターが居れば無条件に表示される訳ではない。
人物が居ても、ただの鎧の置物だとハルが思っていれば表示は無いのだ。そこを突かれた。
「また古典的な手を……、絵画の目の部分が切り取られてる絵があったりしないだろうね?」
「ははは! 良くわかったな。そういう物もあるぞ」
楽しそうに笑うクライス皇帝。神からの脱却を掲げているのにそれで良いのだろうか。確実にそれは神のもたらした発想だ。文化の浸透は、中々深刻なのか。
──いや、額面通りに受け取るのは早い。鎧の中に入っていたのも本当かは分からないんだ。<神眼>にも違和感は無かった。僕に一杯食わせたと思い込ませたいだけで、どこかに監視用の覗き穴があるだけの可能性もある。
この皇帝、自らの感情を表に出さない事に非常に長けている。今の話が嘘か本当か、まだ読めない。
これが日本人であったら、初対面でもほぼ分かるハルだが。異なる文化、異なる価値観で育った人間だ。感情の発露パターンの採取がまだ不足している。
彼の真意を読みとるには、もうしばらく時間がかかりそうだった。
◇
その、ハル達の情報を見破った信徒が、クライス皇帝の呼びかけによって部屋に招き入れられる。
スーツ的な文官服を身にまとった理知的な女性だが、皇帝よりも感情の発露は多彩であるようだった。ハル達を見て、思わず跪きそうになったのを押し止めた様子がハルの目に観察される。
「……カナンと申します。使徒様、王女殿下、お会いできて光栄に存じます」
「ははは! なんだ、我に対するよりも敬意が篭っているようではないか」
「失礼ながら、当然にございましょう……」
「はははは!」
「ハルだよ。よろしくね」
「アイリと申します。同じ信徒同士、かしこまらないで下さいね?」
そういえばアイリも、自分以外の信徒と会うのは初めてであったか。ウィンドウ表示が黄色くなった信徒と、赤色の信徒の邂逅であった。
そして、少し離れた席でお澄まし顔している戦乙女。確実にコイツが、跪きそうになってしまった原因である。皇帝よりも上位の敬意をこちらに向けるのも当たり前の話だ。
何せ神である。王女や使徒どころではない。改めて見ると何だこの集団は。
セレステの表示には、ハルの時と同じように改竄メッセージが仕込まれていた。称号は<武神(剣聖)>。皇帝には剣聖の方を報告したのだろう。
ちなみにカナンには、苗字は無いようだった。
「こやつは我が城で保護していてな。貴公の妻達の世話はこやつに頼むがいい」
「そりゃどうも。しかし保護? 隔離じゃなくて?」
「保護である。民に担ぎ上げられると厄介なのは確かだが、それ以上に、こやつの身の危険が大きい」
「カナン、確かなの?」
「はっ! 確かにございます、ハル様」
カナンには無理やり言わされている様子は見られない。ただし、本意でもないようだが。
様は要らない、というお決まりの台詞をハルは飲み込む。皇帝を前にする以上、偉い奴を演じられるに越したことはない。関係が対等でなければ会話も面倒だ。
「しかし、もうこの地へ到達してしまったのか。こやつが言うには、まだ猶予はあるとの話であったが」
「本隊、と言うんだろうかね? 他の大多数の者が来るまでには、実際まだ猶予はあるよ。僕らはまあ、先触れみたいなものさ」
「ふむ……」
「だけど、いずれ到達するのは間違いないよ。何ヶ月先か、一年以上後になるのかは分からないけどね」
攻略速度についてはハルも読めない。ユーザーの絶対数、そのレベルや装備、今後のアップデートによる強化などが影響してくる。
だが、そう遠くない未来に必ずやって来る。それだけは確実だった。
早いほうがいいのか、遅いほうがいいのか、慎重にクライス皇帝の表情変化を読んでいく。
「……一つ問いたい。貴公は使徒の王であるのか?」
「この称号か……、いや、王ではないよ。影響力は大きいけどね。彼らを率いてここに来る事は可能だけど、彼らが来るのを止める事は不可能だ」
「そうか、貴公も苦労しているのだな」
──あ、信じてないなコイツ。まあ、それも仕方ないか、妻が四人居る事になってるし。一般人じゃ通らないよね。
しかし、その言い方をするということはクライス皇帝も苦労しているのであろうか。
カナンを重用している所を見るに、彼自身は神にそれほど敵対的ではないようだ。そういった勢力と民衆との板ばさみになっており、止める事は出来なかった、のかも知れない。
──なんか思いつめてそうだし、『魔王ってのは、いずれ打ち倒されるべき存在として付けられた物だよ』、とか言うのは止めておこう。彼と話すのに、称号が役に立ったとだけ思っておこうかね。
それに影響されて自己犠牲ルートにでも走ってしまったらハルも寝覚めが悪い。……寝ないのだが。
「ただ、今日見て分かったように、僕らがあの神殿から出てくるのを止める事は出来ない」
「そのようだな。それは、目で見て理解したであろう。万の言葉を重ねるよりも確実だ」
「歓迎する必要は無いけれど、出てきても混乱が起きないように準備しておいた方が良いね」
「であろうな」
どうやら、クライス自身ではなく、説得を聞かない勢力が居るのだろう、この様子だと。相変わらず内心は読めないが、言葉の上ではクライスは信仰寄りだ。
そして国家を運営するにあたって、否定するその勢力はないがしろに出来ない。
これだからハルは嫌なのだ、王というものが。万人に共通した納得などありはしない。それなのに、万人が納得する判断を王は求められる。
クライスはしばらく、静かに思考を巡らせていた。
◇
「奥様方、退屈ではありませんか? よろしければ奥のお部屋に甘いものをご用意いたしますが」
「平気よ、ありがとう。慣れているわ」
「そうそう。退屈だったら勝手に消えるし」
「……ユキ、キミね、勝手に消えられたら困るからカナンが言ってくれてるんだっての」
「ははは! 構わぬ、好きな時に消えるとよいぞ」
「……まあ、少し休憩は貰おうかな。体調に問題が出たら、それこそ本人の意思に関わらず消えちゃうからね」
「なるほど、不便な面もあるのだな貴公らは」
そうして客室の奥へと案内されると、ハルはそこに侵食魔力を設置し、屋敷へと<転移>する。
まだ彼らの事を完全には信用していない、というのもあるが、アイリの世話はやはりメイドさんに任せたい。
ルナは一度ログアウト、ユキとセレステはお菓子を頂くようだ。彼女らは休憩の必要は無い。
ハルはマーカーから分身を作り出すと、クライスの元へと戻る。
「皇帝は休まなくていいの?」
「我はそれこそ慣れている。もっと華の無い会議など、この何倍もあるわ」
「あはは、お疲れ様」
「貴公こそ疲れなど見えぬ、む? 先ほどと感じが違うな?」
分身体である事を察され、その事について説明する。やはり転移については驚いており、流石の彼も表情に出てしまったようだ。
「なるほど、王女と貴公は正に比翼連理と言うことか。仲睦まじいとは思ったがな」
「ひよく……、ああ一心同体の事か。さすが皇帝は難しい事言うね」
聞きなれない言葉だったので検索をかけるハル。日本人のハルより日本語に詳しい様子に、変な話だが皇帝らしさを感じる。
「梔子の国のおみやげでも持ってくるよ。果物とかで良い?」
「有難い事だな。この国では、あまり取れぬ」
「使徒は他の国にも自由に行けるから、依頼すれば手に入るだろうね。僕みたいには自由に転移出来ないけど」
「なるほど、甘い話には飛びつく輩も多かろう」
「果物だけに?」
「果物だけにだな」
否定する家臣の説得に使えるという事だろう。無論、良い事ばかりではない。止める方法の無い流通は混乱を招く。
鎖国中のこの国では余計にだろう。梔子の国は、元々流通の拠点であるために、使徒を手足として上手く使えているだけだ。
だが、例え国家であろうと、人の身では神の定めたルールには抗えない。決められるのは、どう付き合って行くかだけだった。
「……まあ、抗う気持ちも理解は出来るよ。僕らの遊び場として開放しろ、自らの国をそう言われて、納得出来る人間など居ない」
「いや、実はそこは問題にならぬのだ。……思うに、我が国以外で問題視している国はなかろう?」
「僕は梔子以外はあまり知らないけど。……まあ、すんなり受け入れられてるかな?」
「であろう。神への感謝を思えば、その使徒を遊ばせる事に何の抵抗があろうか。むしろ歓迎する者ばかりだ」
また、ハルに馴染みの無い宗教観だ。神への感謝の次元が高すぎる。
自らの生活の実利が脅かされても、それでも受け入れるほどの感謝を持つなど、ハルの価値観の中では狂信レベルだ。もしくはよほどの聖人。
そのどちらも、一般的な民衆には当てはまらない。
「貴公は、遺産が何処から来るか知っているか?」
遺産、ハルが古代兵器と呼んでいる武具の事だろうか。どこからも何も、ほとんど何も知らないに等しい。この国ではどうやら、日常的に使われているようだが。
クライスの口から、その遺産についてが語られていった。




