第1003話 古い因習とその打破と
裏で待機してくれていたアイリスが『釣れた』と語る。これは、制限を外されたエーテルネットの基幹システムに干渉してくる者の存在があったということだ。
現在、このシステム、前時代のコンピュータで言うならばOSにあたる部分に干渉可能な者は、更に言えばその存在を認知している者すら限られる。
現代人では月乃のような有力者で、かつ情報に精通した者。あとは行政に関わる者が知っているくらいだろう。
そして彼女らも知ってはいても、そのシステムに干渉可能な者はといえば皆無である。
要は、確実に神様の、元管理AIによる仕業であった。
「よくやったアイリス。立て続けで悪いが、何処からだ?」
「《今んとこ不明。私も、エーテルネットへこっちからの接続に関しては、自分のことで精一杯なんよ》」
「エメ」
「《申し訳ございませんハル様ー。こっちも、どうやら神界ネットを通じてはいないようで。そうなると調査には時間が掛かってしまいます!》」
「まあ、仕方ない。ここは僕が自分でやるしかないか。管理者として人任せばかりではね」
通常、異世界からこちらに通信するにはかなりの制限が掛かる。神様はハルと違って、自由に次元の壁を越えられない制約があるのだ。
それを緩和するのが次元の裂け目の通路と、そこに設置された神界ネットを経由することなのだが、そうすると今度は設計者のエメに感づかれてしまう。
なので今回の容疑者は、無理を承知で制限の多い自前のルートにてこちらに接続しているようだった。
「まあいいさ。電脳戦で僕に挑んで勝てるわけないと思い知らせてやろう。とはいえ、錆び切ったセキュリティ機能だ。過信は禁物か」
「この百年、そうした事件は?」
「ありませんでしたね奥様。いえ、民間レベルではそこそこ発生しましたけど、エーテルネットの根幹を揺るがすようなハッキングの類は何も」
「……私たちには、その技術すらありはしないものね」
「遺産兵器を発掘して使う異世界の人たちを笑えないわね?」
ある種、再現不可技術をそのまま使っているようなものだ。利用は出来ても、再現も改変も出来ない。
まるで、遺跡から発掘される古代の遺品を使って暮らすSFのようだとルナは言う。言いえて妙である。
「……発信源を特定。日本中全てからか。これは、ネットではなく『人』に仕込みがされていたね」
「理に叶ってますねー。エーテルネットの動力は人脳。ネットへの直接干渉がきついなら、人を介して介入すればいいという訳ですねー」
「カナリーちゃん。唐突だね」
いつの間にかハルの隣には、通信越しでなく直接カナリーの姿があった。人の家の中でもお構いなしだ。
転移許可は出していたし、緊急時なのでハルもうるさい事は言いはしない。
「とはいえ、そんなことをしていたとなればー、自ずと対象は絞られますー。その仕込みが出来た者なんて、限られるんですからー」
「対象者のデータをカナリーちゃんに送る。共通点を洗って」
「はいはーい」
日本中にランダムに配置された干渉点、その配置は法則性がないように見えて、ある一定の法則に基づいている。
その予測の裏付けについて、カナリーに検証を任せるハルだ。
するとすぐに、彼女から対象の共通点について、回答が返ってきた。
「でましたー。これらは全員、以前のゲーム、『フラワリングドリーム』の参加者ですねー」
「やっぱりか。つまりは、アイリス」
「《私じゃねーのよ!?》」
「……落ち着け。君だとは言ってない。アイリス、同僚の動向は?」
「《んー、あいつらクリア後の世界には特に興味ねーみたいでな? 手伝いやしねー。だからわかんね。と言いたいとこだが》」
「ふむ? 続けて?」
「《あいよー。容疑者から外れる奴は居んな。私と、カゲツと、コスモス。こいつらは接続しているからこそ、犯人じゃねーのよさ》」
「どういうことかしら?」
接続しているならば、その三人の中にこそ犯人は居るのではないか。普通に考えればそういうことになるので、ルナが疑問符を浮かべる。
まあ、それは簡単な話だ。接続していれば、その通信内容もアイリスへと共有される。怪しいデータの流れが存在しないと確認できる訳だ。
とはいえ、特に新事実が分かった訳ではない。その三人は元々、既にハル側の人間だったのだから。
「となると現状怪しいのは、ミント、ガザニア、リコリスか」
「どいつも怪しさたっぷりですねー。そうだ、奥様ちゃんー? ゼニスブルーはどーですかー?」
「彼女には確かに私から秘密裏に依頼をしたのだけれど、ごめんなさいね? 私も魔法のプログラムについては、ちんぷんかんぷんなのよ」
「ポンコツ奥様ちゃんですねー。まあ、ゼニスブルーじゃあないでしょー」
ゼニスもまた、月乃経由でゲームに関わっていたとはいえ、その実情は完全に巻き込まれ。
いわば外注業者が頼まれて仕様書通りに仕事をしたまでである。
つまり、ゼニスブルーが悪いとしたら、それはそのまま月乃が悪い。
「……そうか。一応、奥様も疑っておかないといけないのか」
「拘束しましょうか? お母さま? 縄は準備してあるかしら?」
「なに言ってるの美月ちゃん! お母さんは無罪よ! ……いえ無罪かどうかは所説あるわね?」
「でしょうね。で、縄は?」
「あるわよ? ちょっと待ってねー」
「何であるんですか……、あと、取りに行こうとしない……」
「ひうっ!」
「やるわねハル。これが、意識だけ残した催眠状態なのね?」
「真面目な場面なのにこの二人はお構いなしだね本当……」
「元気ですねー」
埒が明かないので月乃の体を強引に掌握し大人しくさせるも、それすらネタにされてしまう。自由な人たちだ。
まあ、それは今はいいとして、恐らくはほぼ確実に前述の三人の誰か、または全員が犯人だろう。
ゲームを通じてユーザーに秘密経路を仕込む形で、彼らの処理能力を間借りしてエーテルネットに干渉してきているのだ。
「いちばん怪しいのは、やっぱりリコリスでしょうかー?」
「まあね。とはいえ、最も動機があるのはミントではある。ガザニアは、今のところ根拠に薄いか」
リコリスだとすれば、泳がせていた甲斐もあったというもの。いや逆に、あの時完全に配下に収めてしまうべきだったのだろうか?
「とりあえず今は、この状況をなんとかしよう」
「ですねー」
エーテルネット基幹システムを改変しようとする者がいる警報が鳴りやまない。こんな状況では、落ち着いて推理もできないだろう。
ハルとカナリーはひとまず、その状況の沈静化へと動くのだった。
◇
「《な、なんとかなったっすね……。解決が力技すぎっすよ。対象者全員を一人ひとり切り離すとか。何人居たと思ってるんすかー》」
「泣き言を言うなエメ。どのみち、彼らの安全の為にも必要なことだ」
「そうですよー?」
「《カナリーはリストアップしてただけじゃないっすかあ! 一人だけ楽してえ!》」
まあ、そのリストアップも大切な仕事だ。おかげで、大体の状況は飲み込めてきた。
やはり、下手人はリコリスだろう。状況証拠が、それを物語っている。
いわゆる『踏み台』にされたユーザーの全てが、プレイヤーだった。要するに視聴者ではない。
特に、共通しているのは少なくとも一度はスキルを使った者のみ。スキルシステム、つまりリコリスの領分に触れた者のみだ。
「それで、結局彼女は何をしようとしていたのかしら?」
月乃が、体の自由を拘束された状態でなお冷静にハルへと問いかける。大した冷静さだ。実に冷静だ。
まさに今、その動かぬ体を娘であるルナに弄られ、変なポーズを取らされている真っ最中であるというのに。流石は、良家の当主である。
「……まあ、いいか。……その、それが、今のところ要領を得ないんですよね。何がしたかったのか、良く分かりません。彼女は、とあるシステムの制限を解除しようとしていました」
「ズバリ! 人々の安全を脅かすものね!」
「いえ、それが奥様、そうでもなくて」
「あらら? 結局なんだったの?」
「それが、『ウィンドウパネルの非表示不可』。その制限解除です」
「……あら?」
「いちおうー、安全に関わる物には違いないんですけどねー。通行人が歩きながら、非表示の画面を見ているのがこっちから確認できなければー、危険と言えば危険ではありますー」
歩きながら、何かネット上の画面を見ている。そのモニターが本人にしか見えていなければ、他の通行人にとって危険といえば危険だ。接触事故を起こしかねない。
現在、主にそうした理由によりエーテルネットを参照するモニターの非公開は不可能となっている。
これに『融通がきかない』と文句を言う者も多いが、一方でもう既に『そういうもの』として受け入れられてしまっている。
こういった細かなことも、基幹システムの改変不可によってアップデートが不可能となっていた。
たまに、ハルたちも『エーテルネットの融通がきかない部分』の分かりやすい例として取り上げる物ではある。
しかし、だからといって最優先で改変しようとは思わない。
実際、危ないものは危ない。この設計思想は、そこそこ妥当な物だ。改変するにしても社会で十分に議論されてからでしかるべきだろう。
「よーするにー、リコリス、もしくはその協力者か誰かの計画にですねー、このシステムの何かが邪魔になってるんですねー?」
「《だろーなー。それが分かれば、事件は一気に解決だぜお兄ちゃん! よっしゃ、そこから推理していこうじぇ!》」
「《……そんなことよりも、リコリスとっ捕まえちゃえば良くないっすかー?》」
まあ、エメの言うとおりだ。この謎の干渉によりリコリスが何を狙っていたか判断がつきにくいが、それは直接聞きだしてしまえば済むことではある。
あれこれ考えていても、結局答えは出ないのだ。
ハルたちはそれ以上、新たな干渉が発生しないことを確認すると、根本の解決の為に異世界へと飛ぶのであった。




