第100話 皇
さて、互いに一触即発といった空気感が辺りに漂う中、ハル達はこの先の展開に向けてどう行動すべきか。
相手側は突然現れた爆弾を刺激したくない。ハルは今後の展開を穏便に運ぶために相手の神経を逆撫でしたくない。……もう十分逆撫でしている事実は一先ず置いておく。
相手側がもし攻撃を選択してしまったら不幸だ。主にあの隊長さんが不幸だ。絶対に勝てない上に、確実に責任問題だろう。こちらには他国の王女も居るのだ。
彼が今何を考えているかまでは分からないが、心中穏やかではない事は分かる。キリキリと胃の痛む音がハルの所まで聞こえてくるようだった。心中お察しする。
まるで想定外の事態、判断を取りかねているのだろう。あちこちに目線が泳ぎ、助けを求めたい様子が伺えるが、ここでは自分が一番の上官。姿は無いのに上司との板ばさみになっている。器用な事だ。
そこを、誘導してやれば良いだろうか。
「とりあえず、事情の分かる人に話を通して来てもらえる? この街を観光しながら待ってるからさ」
「……それは、許可出来ない。得体の知れない者を街に解き放てる訳が無いだろう」
「兵士の人達を何人か付けてくれればいいよ。案内して貰えるしさ」
「……駄目だ、せめて兵舎で待て」
「その兵舎、貴人が休めるようになってる? こっちは高貴なお嬢様方が多いのだけど」
「……いや、それは」
要求を二つ与えて、争点は後者を意識させる。それにより前者、上司への通達が意識から外される。本人も心の中で望んでいる事だ。いつの間にか、それが決定事項としてハルに誘導されて話が進んで行く。
この兵舎の立地は神殿の監視目的か、民の信仰を妨害する威圧目的のどちらかだろう。そして住民が兵士を気にせず草むしりをしていた事から、威圧は除外され、監視が目的と推測。
妙な動きがあったら報告が義務付けられているはずだ。ハルは考える間を与えず話を片付ける事にした。神殿へと踵を返す
「分かったよ、僕らは神殿の中で待つから、手早く済ませて来てね」
「待て! お前達を呼ぶ時はどうすればいい!?」
「扉を叩いてくれれば良いよ」
そう言うが早いか、ハル達は有無を言わせずに転移する。神殿内へ、ではなくアイリの屋敷へだ。
ハル達が転移で消えるのを見て、兵士、住民共に驚愕にざわつく様子が“見えた”。玄関先で睨み合っている間に、そこの魔力を黄色く塗り替えてある。そこへ既に視線が通っていた。
そう、扉を叩く事自体に意味は無い。中の部屋に居ても聞こえないだろう。単に、呼ばれたかどうかを目視で常時確認するだけなのだ。また力技で解決していると、カナリーに言われてしまいそうだった。
*
「珍しいわねハル。普段のあなたなら強引に突破して街に遊びに出そうなものじゃない?」
屋敷へ戻ると、外ではお嬢様モードでお澄まししていたルナが問いかけてくる。
確かに珍しいが、理由はいくつかあった。
「いや、隊長の彼が気の毒でね。僕らが勝手に街に出たら、彼が責任を取らされそうな気がして」
「確かに理不尽ね。歩いていたら隕石に当たる様なものだわ?」
「モブも歩けばハル君に当たる」
「二人は僕を何だと思ってるのか」
「徘徊する系の魔王」
「言い得て妙ね?」
ルナとユキが好き放題言う。
何故魔王なのかといえば、最近、ハルは新しい称号を獲得している。それが<魔皇>だった。
プレイヤーの多くがその個人を認めた証、<名誉称号>システムが復活し、<異名>システムとして新生された。……もう、『名誉ではない可能性もある』、と運営が認めたようなものである。
あの一方的すぎる対抗戦の一人勝ちの末、ハルは晴れてプレイヤーの大半が認める世界の敵となった。良い迷惑だ。
同じチームだったソフィーの授かった称号は<次元斬>という格好良い物なのに対して、扱いが違いすぎないだろうか。
なお、掲示板を初めとしたコミュニケーション機能で、ハルを指して語られているのは『魔王』であったのに対して、称号は<魔皇>。おそらくは、<王>が使用不可になっていると考えられる。
「王宮に連れて行かれたら、この称号見る事が出来る人も居るかもなんだよね」
「ハル君、討伐されちゃいそう」
「それより王の僭称が問題にならないかしら?」
「皇だからセーフ」
「ハルさんの目的は、お城なのですか?」
アイリが首をかしげる。最初は観光しようと言っていたのに、目的が変わっているからだろう。
引き返した理由の二つ目だ。あの住民達の様子を見て、観光気分ではなくなってしまった。神の使いとしてあがめられながら観光など、どうにも気分が出ない。
「観光気分が健在なら、無理にでも押し通って居たのかもしれないけどさ」
「思ったよりも、目立ちすぎてしまったのですね?」
「うん、失敗したね? 信仰の失われた国だって言うから、『使徒? なにそれ?』、くらいの反応だと思ってたんだ」
「神の存在を裏付ける神殿が、ああして存在するのです。信仰は消そうと思っても、消えはしないでしょう」
確かに、この世界には実際に神が存在するという事を、ハルは失念していた。
ハルの世界のように、あやふやな存在ではないのだ。確かに其処に居た、絶対的な存在。ハルにとっては親しみやすいAIだが、現地の住人にとってはそうではない。
「あの人達は、神様に飢えてたんだねー。そこに突然、うちらが出てきちゃったと」
「一部、本物の神も混じって居たことですしね?」
「安心してくれたまえ。私の神威はしまってあるよ?」
ルナが視線を向けるも、セレステはどこ吹く風だ。彼女たち運営のおかげでこのような事態になっているというのに、呑気なことだ。
この状態のまま、一般プレイヤーが押しかけたらどうなってしまうのか。案外、順応するのかも知れないが、最初の混乱は必至だろう。首を突っ込んでしまった以上、その緩和くらいはしておきたい。
だが、そのヴァーミリオンの街から呼び出しが掛かるのは未だしばらく先の事だろう。
ルナはログアウトして、その時まで体を休めて待つ事にし、アイリも身支度を整えにメイドさんと共に部屋に入っていった。
残されたハルはカナリーを捕まえると、今回の事を追及したりと、ちょっぴり意地悪をして過ごすのだった。
◇
「おー? そろそろ動きそうですかねー?」
「カナちゃんも見てるんだ」
「はいー。この調子で各地にハルさんが侵食を広げて行ってくれれば便利ですねー」
「カナちゃんは監視社会に興味あるん?」
ユキのその発言に、ハルの膝の上に収まったカナリーが口を尖らせる。
曰く、自分が見たいときに、見たい物を見るだけであり、監視なんて面倒な事はゴメンだとの事。ハルも全方位で同意見である。似たもの主従だった。
そのカナリーの視点で彼の地の神殿の外を観察すると、兵士が集結している所であり準備が整いつつある様子を感じる。そろそろ呼び出しがかかるだろう。
向こうが準備している間に、こちらも侵食を進めて神殿の周囲をすっぽりと覆うまでになった。覗き見し放題。
住民達にも噂は広まっているようで、兵士だけでなく市民の数も多くなっている。ハルは少し複雑だが、証人は多い方が良いのでそこは良しとしよう。
「お手洗いとか行ってきていいよ?」
「大丈夫です!」
「少し待たせる位がちょうど良いものね?」
「扉叩く直前に出て、驚かすくらいがちょうど良くない?」
ルナとユキの意見は二つに割れた。驚かす必要は無いので、ルナの方を採用。扉が叩かれたのを確認してからゆっくり<転移>して行く。
少し時間を置き、ハル達が扉を開けると、周囲にどよめきの波が広がって行く。
大半は住民の物だったが、兵士の方から漏れ聞こえる声もちらほら有る。その様子を、ハルは多視点を使って観察していく。
この後、この国について偉い人から何か聞かされるのかも知れないが、生の声は貴重だ。
兵士側の先頭に立っているのは、先の隊長ではなく、武装の無い文官へと変わっていた。ぴっしりと折り目正しい、表情に出ない役人タイプ。
しかし老獪さを感じさせる壮年のその彼も、緊張に震えるのを隠せないようだった。それほどなのだろうか? この国における使徒の存在というのは。
『ジャンド=レッドストン』と名乗った彼に先導され、少し広い道に駐めてあった馬車へと一同は乗り込んだ。予想通り王宮へと向かうようだ。
このファンタジー世界に来て、初めての馬車となるハルだった。
「……この国の人は皆苗字があるんだね」
「何か言いたそうね、ハル」
「ビビり過ぎだー、って思ってるんでしょハル君」
「ハルさんの王気に当てられてしまったのですよ!」
──オーラなんて出していないハズだけど。<魔皇>の称号が何か悪さしてないだろうな……?
「皆ハルを見ていたものね?」
「ルナもそう見えた? 使徒が珍しいなら、僕ら全員を見るはずだよね」
「ここの神様が男の子だからじゃない? 男の子はうちらじゃハル君一人だし! 勘違いしたのかも」
「まあ、そうかも……」
向かいの座席に座るセレステを見るが、完璧な所作で微笑を向けるだけで何も語らなかった。この反応は、逆に何か隠しているからだと最近は学習しているハルである。
「……気にしても仕方ない。観光出来なかった分、窓からゆっくり景色でも見ようか」
「質実剛健、といった印象を受けますね!」
「そうだねアイリ。君のとこは、もっと装飾に凝ってるよね」
「はい。道に敷く石も、きっちり小さく切りそろえて、模様を描いたりするのが好きですね」
「この街は切り出したままの姿を重視しているわね。日本の城壁みたいね?」
「そのせいか少しデコボコするねー」
馬車は、割とがたがたと振動して進んで行く。完全に姿勢制御された乗り物に慣れた現代人には辛そうだ。
それとも、短時間であればこれも旅の醍醐味になるのだろうか。
ハルは好きには成れなさそうだったので、対振動の魔法を開発しようと心に決めた。現状感じている体の痛みや不快感は、体内のナノマシンで中和する。
アイリにも同様の処置をしようかと提案したが、彼女は慣れているようだった。ぐっ、っと両手を握って平気な事をアピールしてくる。
そんな中、ちょっかいを出して場をかき混ぜてくる神が一人。
「お尻が痛くなりそうだね、これは」
「ならないでしょ? 絶対ならないでしょセレステ? 神様の体でさ」
「ならないけど、なりそうだ。ハル、お尻をさすってはくれないかな?」
何を言い出すのだろうかこの神様は。彼女も色欲担当なのか。
そしてそんな発言に反応してしまう女の子が一人。
「……なるほど!」
「そういう事だよ、お姫様。強いばかりが攻め方じゃない」
「そこの強さしか感じない神は、人の妻に変なコト教えないの」
誰も侵食していないのに、なんだか車内がピンク色に染まって来た。愛の神はオレンジだったはずだが。
結局、きゃいきゃいと騒がしくなり、あまり風景は楽しめずに終わる。まあ、また見る機会もあるだろう。
念のため、防音魔法は張っておいて良かったと思うハルであった。
*
山肌を削るように建つ城の、その側面から入るように城の裏手へと通されたハル達は、そのまま内部へ通され、豪奢な客室へと案内された。
馬車を降りるなり兵士が待ち構えていたらどうするか、という考えは杞憂に終わった。
兵士といえばここの兵士、皆様々な古代兵器を身につけていた。それは見た目が何となくSFチックな合成素材感があり、時代にそぐわない。
何より、すれ違う兵士のAR表示で見える装備の名前が、どれも意味不明だ。
この国は、古代兵器の産出国だとでも言うのだろうか。
それに反し、城の内部はまさにアイリの言うように質実剛健。装飾性を廃した、堅牢な造りになっている。その統一感が機能美を演出し、逆に美しさを感じる。
廊下にはやはり石材が壁に剥き出しており、初夏なのに涼しさを感じる気候と合わせ、ひんやりとしたイメージを送ってくる。
ハルの通された客室の暖炉を観察してみれば、つい最近まで使用された形跡が見える。この国の冬は、さぞ寒くなるのだろう。
「鎖国すべき国じゃないね。何食べてんだろ?」
「雪に閉ざされる土地こそ、案外自給自足でまかなうものでなくて? 外に頼っていてはそれが死活問題になるわ」
「呼んだ?」
「君は雪じゃなくてユキ」
ルナの言うことも分かるが、それは冬の間だろう。やはり夏は外に出て物資の確保にあたるべきだ。
やはり肉か、肉が豊富なのだろうか。騒ぎつつも馬車の窓から見た景色には、割と肉屋や吊り下げられた動物の皮が見られた気がする。
侵略している噂も聞かないのに、あの兵器群を何に使っているのかと思ったが、狩りなのだろうか。
この部屋にも立派な毛皮の装飾がある事だし。
「黒曜、あれって何の皮?」
「《データにありません。この世界固有の動物であると推測されます》」
「あら? 初めてね、固有種は。全部日本からの輸入かと思っていたわ」
「ルナも街で見たこと無かったの?」
「ええ。食べ物はさほど詳しく見ていなかったけれど。牛とか豚が主だったわよ?」
「我が国では、畜産が盛んですから」
ハルが席を立って毛皮を見に行っていると、客室の扉が開いた。
お行儀の悪い所を見られてしまったようだ。ほんの数分すら座って待てないのか、と言われてしまいそうだ。
だが入ってきた彼は、そんなハルの行動を咎める事はせず、鷹揚に笑ってみせた。
「調度品は気に入ってくれたようで良かった。こんな物しか無くて恥ずかしいのだがね」
「見たことが無い物だったからね。恥じる事は無い、楽しませてもらっているよ」
男の笑みを見て、ハルは警戒感を強める。つい、こちらも上から目線になってしまう。
いわゆる、『目が笑っていない』、という奴だ。貼り付けたような笑顔とも言う。ハルの同類だ。
自分の内心を読ませず、相手の心理を読む事を生業とする。そのタイプに特有の顔だった。
このタイプを相手にすると、ついゲーム感覚のスイッチが入ってしまうハルだ。ポーカーフェイスの読み合い、その始まりに気分が高揚してくる。
仲間内に咎める者が居ないのもハルの失礼さに拍車をかけていたが、今更取り繕っても仕方ない。“相手は王だが”このまま行くとしよう。
「それは何よりだ。……名乗りが遅れたな、失敬。我はクライス、クライス=ヴァーミリオンである。この国の皇帝だ」
「ハルだよ。幸運の神、カナリーの使徒だ。よろしく」
無用心にも直接現れた、この国の長。AR表示に見える称号も、紛れも無く<王>であった。




