第10話 停止と再発行をお願いします
「その王子様の用件は何だったのかしら」
結局、足跡追跡はお流れとなった。屋敷の近くに大きめの川が流れているためだ。
テラスからも、その流れを見渡すことが出来た。ゆるやかな流れが朝の光を反射して、美しく輝いている。
別に流れに掛けた洒落ではない。訓練を受けた人間なら、追跡をかわすため川に入るだろうからだ。足跡を追うのは難しくなる。
──いちおう、後でどちらの方向に意識が行っているかだけ読み取れるか試してみよう。
ルナの問い、王子の用件についてアイリは微妙に言い辛そうにしていたが、意を決して話し始めた。
「うー、そのー、なんと言いますか。求婚の申し出、でした」
「よし断ろう」
「はい! そうですよね!」
「あなたたちね……」
高度に政治的な判断は感情的に即断でキャンセルされた。
「アイリちゃんが嫌なら断る事そのものは構わないけど、求婚の目的だけは聞かせてもらえる?」
「はい、そうですね、すみません。まず我が国の立地から説明しないといけませんね」
「地理については一応知ってるよ、四方を三つの大国に囲まれているんだよね」
「それぞれの大国とは平原で地続き。山脈の谷間に存在する国であるために、どこも背にすることが出来ない土地ね」
地図上における位置エネルギーはとても低いと言えよう。もちろん海は無い。
位置エネルギーはハルが使っている戦略上の土地の評価基準だ。“オセロの四隅”を思い浮かべると分かりやすいかも知れない。その位置に陣地を確保すると有利になる場所は、エネルギーが高い。
<飛行>等の魔法的手段が存在することを考えると、断言するのは危険かも知れないが、四方が他国家と地続きである事で保有エネルギーはとても低くなる。
対応しなければならない事が多いので時間ごとの消費エネルギーが増える土地、と言い換えてもいい。
「はい、どの国も脅威です。しかし、どの国とも接している事は利点とも言えます」
「流通の要所になるんだね」
「その通りです。三国が互いに山脈や厳しい関所に阻まれ、直接の貿易が滞る中、我が国はその中継点となるべく関税を最小限とし、商業の要として成り立ってきました」
この国での売買をする時のみ関税を多めに取り、通り抜けるだけなら最小限。商人は当然この国を経由して他の二国と商売をする。この国での売買が高くつくとはいえ、三国からの物資が全て集まる場所だ。自然、少々割高でも取引は多くなる。
どの国もその利益を無視する事は出来ず、また一箇所だけ注視すれば良いので通行の制限も甘くなった。商人がこの国の経由する時にだけ使える三国共通の手形が発行されている。
ある意味濡れ手に粟で利益を上げる事が出来る。そういった利点を持った立地でもあった。
「この均衡はどのくらい続いているの?」
「だいたい百年くらいになるでしょうか」
「長いわね……。よく今の状態で持っているものね。逆にこの国が版図を広げていてもおかしくないでしょうに」
「経済力に任せて軍備を増強?」
「そうね。それ以外にはハンザ同盟のように周囲の都市を吸収したりかしら」
──聞きなれない言葉だな、これか。巨大な『商人ギルド』って感じか。安定した流通はその収入で多くの傭兵を抱える事を容易とし、傭兵にとってもそこは安定した職場となる。ギルドは『国』として、傭兵は『軍隊』としての振る舞いを見せるようになるって事か。
ハルは外の思考で検索をかける。このあたりはハルにしか出来ない特権であった。
それらを駆使してなんとか話に付いていく。真剣に情報を噛み砕こうとしているのは本心だが、アイリに無知を晒したくない見栄もあったと言えよう。
学園の理念(ネットに頼らない知性)が台無しである。
「でもそれだと、この国そのものの力は強くならないんじゃない?」
「そうね、国威が形骸化する場合もあるでしょう。そういう意味でも今の状況を維持しているのが不思議ね」
他国が侵略してくる事もなく、またこちらが逆に勢力を伸ばす事も無い。そんな状態が百年続いた。ありえない、と言うほどではないかも知れないが、不自然さを感じる。
公式説明によれば、北の国は軍事国家で、南は慢性的な資源不足があり、東は商業が栄えライバルとなる。安定を崩す要因は多く見れた。
その答えはすぐにアイリからもたらされる。
「それはこの国の成り立ちが関わってきます。国の発足時、神々によって現在の国境を動かす事が禁止されたのです。許しあるまで変えるべからずと」
「納得したわ」
「力技すぎるでしょ」
その言葉に二人はすんなり納得を得る。
最初にプレイヤーが降り立つ事になる地を、最初の国らしく維持するための方便。
平和であり、大国ではなく、野心も無い。安定した統治による穏やかな国風と、軍事力に頼らない開放感のある町並みは、まさに『さいしょのまち』に相応しいと言えよう。
──まあ、まだ町には行ってないんだけど。
「そしてその期限が切れる日、それが昨日だったのです」
「うわぁ」
「自分の都合で動きすぎでしょ神」
昨日は何の日か。
もちろんそれはサービス開始日だった。
◇
話を続ける前に、少しの休憩が入る。アイリとルナが一時席を外す。
さわやかな風が髪をなびかせるテラスは、優雅で、それでいてどこか牧歌的な雰囲気を演出している。人が欠け、会話が止まれば事態が動き出した事を忘れそうになる。
周囲に家が無い、ということも影響しているのだろう。見渡せばその中に人の姿は映らず、自然が広がるのみだ。まるで国同士で何があろうと、ここだけは無関係であるような錯覚を抱かせた。
だが当然それは錯覚だ。世界は動き続けている。
──ネットで世界が繋がってないと、こういう気分になるんだな。
ぱたぱたとアイリに駆け寄っていく侍従を遠目に捉え、現実に引き戻される。いや、どちらにせよこれは現実ではないのだろうか。
「戻りました。ハルさん、どうかなさいました?」
「いや、景色を眺めてただけ」
「えへへ、ここからの眺めはわたくしもお気に入りなんです」
お気に入りを共有できた事にアイリの頬がゆるむ。
やはりこういう表情の方がアイリには似合う。ハルが見惚れるが、すぐに王女としての顔に戻ってしまった。
──これはこれで凛々しくて好きだけどさ。
「こうして景色を眺めてのんびり過ごしたかったですね。……ですが、そうもいかないですよね」
「何か動きがあった?」
「はい。小船が一隻無くなっていました。それを使ったと仮定して捜索します」
小船で最寄りの町まで移動したと考えるのが自然だろう。フェイクであっても船の発見によりそれを確定させるのは急務だ。
ハルはメイドがざぶざぶと川をさかのぼって行くイメージを廃棄する。魔法の世界であっても船の方が楽だ。当然だ。
──でも出来る人間居てもおかしくないよなー。
諦めの悪いハルだった。
「上流下流ともに腕利きのメイドを向かわせます。ひとまず報告を待ちましょう」
「腕利きのメイド……」
やはり居るのだろうか? 川をさかのぼるメイド。
◇
ルナも帰還し、話が再開される。王子の目的についてだ。
王子の国は北、つまりそこは軍事国家であった。侵略を重ね領土を拡張する。自然に考えれば次の矛先がこの国に向いたと捉えられる。
「昨日は不可侵の誓約の期限が切れる日。つまりその日を待っていた瑠璃の王国が最初の一手を打ってきたって考えていいのかな」
「そう考えるのが自然ではあるわね」
領土を求めて邁進する国にとっては忌々しい縛りだっただろう。見えない壁だ。しかも決して壊せない。
それが無くなるならば動かない理由は無い。
「そうですね。政略結婚により干渉の土台を作り、実質属国化。それを橋頭堡に更に東進を狙っているのだと思われます。本人とは会いませんでしたが、従者の態度も、書面からも強気が読み取れました。断れば『プライドを傷つけた』と軍事行動もあるのではないでしょうか」
「無茶な話だね。ゲームの宣戦布告なら僕も冗談でやるけど」
「理由は何だっていいのよ」
この場合は誰に対する理由だろうか。国民か、それとも諸外国か。
受けても断っても、どちらにせよ事態は相手側の思うように進むのだろう。二択から選ぶ事そのものが用意された死路といえた。
「王子の序列はどうなっていて?」
「第五王子ですね。不勉強ながら現在の継承権までは知りませんが、以前は四位だったはずです」
「後継者レースってことか。でも結婚決める事ってマイナスにならないの?」
「そうとも限りませんね。現国王も妃を何人も増やしていたはずです」
実力主義ということだろうか。他の候補者に先を越されないよう、初日に迅速に行動を開始した。
それなら内部で足を引っ張り合ってくれれば助かるというものだ。
「さて、なんにせよ、そんな男のもとにアイリはやれない。断固阻止しなきゃね」
「良かったわねアイリちゃん」
「はい! 勝ちました!」
──何に勝ったんだろうか。
ルナには通じているようである。
並列思考による洞察など無くとも短期間で通じ合える彼女達のシンパシーに感心しながら、ハルは今後の展開に思考を巡らせた。
◇
「元メイドのクレアですが、今回の事はある種有効に活用が可能です。先ほどの話ではないですが、聖印を奪われた事はこちらの大義名分として機能します」
アイリにはそれを狙っていた節がある。スパイの排除と一石二鳥の手だ。
「彼女は陛下、つまりわたくしのお父様からの紹介でしたので、お父様に対する手札にもなります」
「アイリ、怒ってる」
「お父様は脇が甘いのです」
かわいらしくむくれるアイリ。手札と言うが、表立って対立してるという訳でもなさそうだ。ハルはその事に胸を撫で下ろす。
「彼女の称号が普通だったのはそういう事情があったのかな。称号ロンダリングっていうのかな? 国王に斡旋されることで上書きしたとか」
「元々称号は個人の所属を明確にするものではないですが。保険としてそういう意識はあったかも知れません。わたくしが称号を確認できるのは知れている事ですし。……<-王国スパイ>のような称号があるのかは、分かりませんね」
彼女の称号は<王国侍従>だった。アイリの<王女>もそうだが『何処の』という情報が抜けているのが微妙な所だ。
神がどの程度の犯罪行為にマイナス称号を付けるかも分からないので、想像の域を出ない。
「でも神授の品を相手側に渡しても良かったの? むしろ権威付けに活用されてしまうのではないかしら」
「まあ、そこは神の実在が証明されてる世界だからね。正当な所有者も明白だろう」
「はい、わたくし以外が正当な所有者となれないのは知る人には知られています。所持している事のマイナスの方が大きいでしょう」
「カナリーちゃん信者一人かー」
それでも実際に効果のある神の宝物である以上、敵の手に渡っていない方がいいのは確かだろう。取り替えす算段はつけておくべきだ。
──空き巣に入られるしね。番兵を配置するのもコストを使う。
「ああ、そのことは本人に聞いてみようか、<神託>」
「い、いきなりは心の準備が」
アイリの動揺をよそに、取り出したウィンドウからカナリーの声が響いてくる。今回はちびカナリーの立体映像も出てきた。映像と分からないほどのハッキリとした作りだ。
「別に準備なんてしなくていいですよー」
「まあ、かわいらしいわね」
──なぜこんなところをアップデートするのか。
「それで何のご用でしょうか。いえ、大体分かってはいるのですがー」
「うん、君の家のカギが盗難にあった。停止と再発行は受け付けてる?」
「申し訳ありません、カナリー様……」
「アイリちゃん気にしないでー。再発行は出来なくはないですが、今回はしません。自分の力で取り戻しましょうー」
「レベルが足りないから?」
「……神の試練なのですー」
「試練感ゼロだね」
再発行はしてくれないようだ。
まあ、今解決してしまったらアイリの戦略がご破算になる。最終手段に使える事が確認出来ただけでも良いだろう。
「今何処にあるのかは分かる?」
「この国の首都ですねー」
「あ、それは言っていいんだ」
「ダメでしたー?」
このあたり、調子がズレる事があるとハルは感じていた。なんというか、AIらしさを感じられてある意味安心できる。
嘘はつかない。だが正直に話す訳ではない。話しても良い事は躊躇なく話す。
「ダメじゃないよ。教えてくれてありがとう」
「お役に立てれば幸いですよー。それではこの辺で。さよならー」
「カナリー様! ありがとうございました!」
──向こうから切れるのか……。
今回は半端にならないように自分から切ったようだ。
《スキル・<神託>のレベルが上昇しました:Lv.3》
「首都にもう一人向かわせましょう。ハルさんとカナリー様のおかげで進展がありそうです」
「私も同行して構わない? 町を見てみたいわ」
「もちろんです! ハルさんも一緒に行きますか?」
「僕はここに残るよ。分散した戦力の穴埋めにはなるだろう」
「ハルさんが居れば勝利なのです!」
何に勝つのだろうか。
ハルの洞察力でもそれは読めなかったが、無上の信頼には答えなければならない。そう改めて誓うのだった。




