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  作者: 桂田武史
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二章 慢心


 九月になれば残暑なんていうが、それでも肌寒い日が増えてきた印象がある。近藤はそろそろジャケットが必要になる九月が好きだった。春先には丁度良かったはずの腕周りが夏の間に鍛えた筋肉でぱつぱつになっているのがたまらない。スーツを新調したこともあるが、出費さえ快感だった。

 今年は新調するほどでもなかったが、いい感じに仕上がっている。女性事務員たちがこちらを見ている。なんならばきばき感に磨きのかかった腹筋も自慢したい。今日早めに出勤したのも適当に若いのを捕まえ上の道場で筋肉の調子を確認したいからだった。


 階段を上ろうとしたときだ。特徴のある足音を聞いた。片足を少し引きずっているような不規則な音。振り返るとやはり能勢だ。近藤は引き返しエレベーターのボタンを押した。


「おお、早いな」


 何故こんなに早くと訊こうと思ったが、能勢の顔にくまを見つけて黙った。


「先輩。おはようございます」

「もう五ヶ月ちょっと一緒に居るんだ。そろそろ近藤でいいぞ」


 少し間をおいて能勢が頷いた。丁度エレベーターが到着する。近藤が先に乗り込み、開ボタンを押した。他に乗り込んでくる者はない。礼をするように頭を下げた能勢にゆっくりでいいぞと言った。

 能勢は仕事の飲み込みが早かったし、頭の回転も速い。勘も鋭く、体力も根性も十分にある。顔つきも長身もよい武器になるのか被疑者になめられることもない。


 が。職場に馴染んだかといえば、全くそうではなかった。相変わらず能勢の定評は「根暗」「若さがない」といった調子だ。むしろ四月よりも悪化している。美人の馬場が能勢に話しかけるのも男たちは気に入らないらしい。「顔だけ」が加わった。

 近藤も能勢に職場での人間関係の重要さを説いてみるのだが、さほど強くは言わなかった。その実本心は別にあるからだ。


 もし、能勢が社交的になりでもしたら。

 間違いなく能勢はモテる。となれば署内随一の人気者ではいられなくなってしまう。それだけでなく、近藤は能勢を飼いならしている優越を手放すことになる。能勢と一緒に居るだけで特別な努力をしなくても「親切な人」になれるおいしい状況もだ。職場の人間が言うほど能勢は悪い存在ではなく、驚くほど手が掛からないことに気付かれてはいけない。


 ほどなくしてエレベーターが止まる。扉が開くと交通課の女警たちが並んでいた。先に能勢がさりげなく開延長を押して出て行ったのだが、近藤はエレベーター内に居座り女たちが全員乗り込むまで開ボタンを押して待機した。


「近藤さんおはようございます」

「おお、おはよう。今日は雨で床が滑りやすいからな。足元には気をつけてな」

「はーい」


 最後の一人が乗り込んだ。女警ではなく、馬場だ。能勢が最近目に見えてご執心らしい。近藤はじっと馬場を見つめた。すると。ただの事務員と思っていたが、とんでもなくいい女ではないか。頭も良さそうだし申し分ない。近藤はぎこちなく女たちに手を振ってエレベーターを降りた。

 降りたところで能勢が直立不動で近藤を待っている。


「悪い、待たせたな」

「いえ。近藤さんは毎日こんな朝早くに出勤するんですか」

「時々、な。朝礼の前に一汗流しておきたくてな」

「そうなんですか。今日は雨ですし誰も捕まらないかもしれませんね」

「いや、石倉班長あたりがいるだろう」


 能勢がもったりと頷いた。石倉のやくざ顔負けの悪人面を思い浮かべているのかもしれない。最近はこの無表情のことも理解してきた。


「そういえば、石倉班長はエクレアがすきなんですか」

「ああ、昼飯か。うまい棒も食べてるぞ」


 やはりだ。近藤は内心でガッツポーズをした。こいつを理解して上手に扱えるのは俺だけだ、と誇らしくなった。


「今日は私も早かったんです。その、この足ですから何かで遅れたらいけませんし」

「そうか」

「私もご一緒しても良いですか」

「構わんぞ。能勢も何かするのか」


 二人はもう一度エレベーターに乗り込んだ。


「いえ、今日は見ているだけにします。一応は剣道を選択していますが。近藤さんは」

「柔道だ」


 近藤はにわかに右足の不自由な能勢に同情した。これでは他の者よりも動きが遅れてしまうだろう。もしかしたら素人の近藤でもその気になれば勝てるかもしれない。


「その、なんだ。俺ではさして役には立たんかもしらんが練習のときは付き合うぞ」

「ありがとうございます」


 道場には案の定石倉が居て、一人で受身の練習をしていた。


「班長」

「おう、近藤か。能勢もいるな。きみの剣腕は相当だそうじゃないか。うらやましいねえ、きみは拳銃も得意だというのに。なんでも一歩も動かずに相手を叩き伏せるんだってな。いつかは手合わせ願いたいもんだねえ」


 近藤は笑みを浮かべた。が、頬が引き攣るのを自覚していた。隣の能勢は否定も肯定もせずただ長身を腰から折って礼をした。近藤の中に、かえって謙遜した態度や尊大な態度をとられるよりも馬鹿にされている感覚が湧き上がった。一方で背中にびっしりと冷たい汗が浮いているのも自覚していた。


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