八話 峠の走り屋
アクセル一踏み、かっとばす。
一千万かけてチューンアップしたエンジンが雄叫び挙げて、誰もいない早朝の峠を風となって吹き去っていく!
峠最強最速、俺は走り屋淳。
命知らずのドライビングで名を知られている。
ミリ単位で切り込むドリフトやって、向こうが見えないカーブもノーブレーキでカチこんでいく!
あの時も、いつもと同じく峠を攻めていた。
あの時の時速200キロ。
うなるエンジンを鼻歌混じりの冷徹なハンドリングで手綱取る。
その時も絶好調。
周囲の風景はレーザービームとなって過ぎ去り、ぶっ飛んでいく。
誰も追いつけない。俺だけの世界。俺はスピード中毒のキングだ。
「オマチクダサイマセ。ゴシュジンサマ」
そう、あの時まで。
「ヨロシイデショウカ。ゴシュジンサマ」
もう一度言う。あの時の時速は200キロ。
ハンドル握る俺の横に、メイドがいた。
「オトマリクダサイマセ。ゴシュジンサマ」
その顔は無機質に張り付いたように無表情に微笑み、走って追い付いている。
ビタッ、と窓に小さい手を当てたかと思うと、ギシギシとパワーステアリングの窓を押し下げてくる!
何だよオイ、コレェェェェ!
幽霊? メイド姿の幽霊なんて聞いた事ねーよ!!
冷たい笑顔が余計に怖い!!
アクセルをさらに踏み込んで速度を上げる。
「ゴヨウガアリマス。ゴシュジンサマ」
両手を吸盤の様に窓にくっつけてメイドはまだ離れない!
勘弁してくれぇぇぇぇ!!
対向車線も使って細かいドリフトをかましまくる。
「ゴムタイデゴザイマス。ゴシュジンサマ……」
ロボットの様なメイドの声は遠くなり、窓にもその顔はなくなっていた。
なんとか振り切れた。
何だったんだあれは。
こうまでスピードを出している中であんな事あったなんて誰も信じやしない。
まあ、もう二度とないだろう。
そう思っていた。
バン!
何かが車の後ろにぶつかったような音がした。
違う、誰かが車の後ろを掴んだ音だ。
「おう、ちょっといいかよ」
野球のユニフォームを着た黒人が、走りながら車を掴んでいた。
この時の時速はさらにアップして220キロ!
なのに黒人が走って追い付いてきて、車をつかんで離さない!
しかも片手にはバット! 背にはなんでか派手な剣!
なんだよ、こいつゥゥゥ!!
「止まってくんねぇかよ」
すると車の上にひらり飛び乗ってくる!
手足が吸盤になっているかのように超高速の車上を平然と移動してる!
どんな幽霊だよ!
でもってなんか日本語やけに上手いし!
よし、さっきと同じく小刻みなドリフトで振り落とせばいい。
「おおっと」
黒人もバランスを崩して車上から落ちる……、待て。
転げ落ちそうになった黒人、地面に向かってバットを振るって。
「おらよ」
ドゴ、という音と共にアスファルトを抉って、その反動で車の上に戻ってきた。
ありえねーだろ!!
いや、そうだ。
もうすぐあれがある。
辺鄙な場所に設置された、誰が使うんだっていう自動販売機。
これにぶつかって成仏しやがれェェェェ!!!
人様の車にとびかかってきたお前が悪いんだぁぁぁぁ!!
さらにスピードをアップ。
時速250キロで黒人とぶつける!
幽霊だってこれでミンチだ!
「ほいっと」
黒人はバットを振るった。
バゴォン、という爆発した様な音を出して、自販機は四散した。
……無敵か、コイツゥゥゥゥ!!
落ち着け、大丈夫だ。
次に来るのはヘヤピンカーブ!
食らえ必殺の、神速スーパードリフト!!!
「ヤベ!」
とんでもない横への遠心力。それによってさすがの黒人も車から振り落とされた。
俺にとってもギリギリなドライビングだ。
もう幽霊なんぞ現れやしないだろ………………なんか来てるよ。
それは青い髪だった。
あまり見た事のないデザインのドレスの青い女。
コスプレ……の女がなんで走って追いかけてくるんだよぉぉぉぉぉぉ!!
さすがにスピードは落ちてる!
メイドや黒人並みの足の速さなら、追い付かれるぞ!
アクセルを踏み込もうとした時、違和感。いくつか。
一つ、黒人がぶっ壊した自販機の中身と思われるジュースが、宙に浮いている。それが女が手にしている風呂敷に入っていく。それを腰に結んだ。
二つ、走っているというよりもはや空中に浮かんでいる。
「『吹き飛べ』」
そんな声が聞こえてくる。
三つ。アクセルを踏んでもいつもよりスピード出ないよ。
「『沈め』」
何か言ってるし。
あれ? てかなんでさっきから外にいる奴の声聞こえるの?
エンジンの音で外の声なんか聞こえないはずなんだけど。
ズシ、と車の上に何か乗ったよ。
「さて、止まってくれないかな」
コスプレ女と思しき声が聞こえたんだ。
♪峠には幽霊なんていないのさ
絶対ただの勘違いなんだよ♪
「『燃えろ』」
一瞬、フロントガラスが炎に覆われた。
現実逃避させてもらえないくらい、リアルに車の上に人が、いる。
ガソリンか何か、撒きやがった。
「脅迫のようで悪いが、止まって欲しい」
…………いい加減にしてくれェェェェ!!!
食らえ! 超必殺チョロQ的な大スピン!!
「んな?! 待てえええええぇぇぇぇぇ!!!」
ふう、さすがに車の上には誰もいない。
女はぶっ飛んでいった。
スピンして車は完全に止まったが、すぐに発進だ。
あとはいつも通りに峠を攻めればなんてことない。
幽霊なんて夢だった事になる。
アクセルを再び踏み込んだ時だった。
俺の愛車は一瞬で時速100キロ位になる。
その時に。
「オマチクダサイマセ。ゴシュジンサマ」
「まあ、ちょっと話をきいてくれよな」
メイドの無機質な声と黒人の太い声が聞こえてきた。
助手席側に黒人の顔、運転席側にメイドの姿。
体勢的にいつの間にか車の上にのっかっている。
バックミラーを見ると、あのコスプレ女まで後ろ側にいる。
「なぜに私だけあれほど派手に飛ばされなければならんのだよ! 毎度ながら、本当についておらん!!」
髪に小枝や葉っぱがついてたからぶっ飛んだのは確か、なのになんで無傷なんだよ!!
「オイツクコトガデキ、ヨカッタデゴザイマス。ゴシュジンサマ」
「剣を倒したら、この車が発進するとこだったからな。しかもやたら速ぇしよ。ルノの魔術がなかったら見失ってたな」
「君らの足の速さで助かったがね。風魔術での加速が思ったより少なく済んだよ」
「トコロデ、オツカレデハゴザイマセンカ? ゴシュジンサマ」
「ああ、さっき思わず膝をつくくらいだったが、問題ない。このくらいでへこたれていては魔王の職を全うできんからな」
なんか、普通に会話してますけど!
そこ俺の愛車の上! 峠を時速150キロで走ってんですけど!
メイドと黒人野球選手とコスプレ女が乗ってるって、どんな状態だよ!!
「しかし、念信魔術で私たちの声は聞こえているはずなのだがな。止まる気配がないな」
「しゃーねぇ。ちょっと無理に止めるか」
「オテツダイイタシマス。ゴシュジンサマ」
「ふむ。もう少し炙るか」
やめてぇぇぇぇええ!!!
「ナニカキテオリマス。ゴシュジンサマ――――――同士たちよ! 来るぞ! 我らを狙うダークシャドウだ!」
……メイドが、特撮的なヒーローに変わった?
バックミラーとサイドミラーにさらなる何かが映っている。
魚。
晴れた早朝の峠のはずなのに夜のような闇が一点に現れている。
そこに口の大きい不気味な深海魚のような魚が、闇の中、空中を泳いでいる。
真っ白い色彩にピンク色のまだら模様が、異常で異様で寒気と吐き気を催す。
逃げなきゃ。
死ぬ。
「おっと、スピード上げたか!」
「むしろ都合がいいかもしれん。やばそうだ」
魚が大きく口を開く。
小魚が無限のように出てきた。
アクセル踏んで、エンジンは絶好調な音楽を奏でる。
ハンドリングも冴えわたる。
なのに逃げきれない。
心拍が跳ね上がる時速240キロ超。
それでも魚が、来た。
俺の真横。雪の様に真っ白な体の毒々しいまだらなピンク色の。
がりがり。
サイドミラーを噛みついてくる。
後ろにはそんな奴らの魚群。更には大きな親。
「レッドソード! この速度で追い付いてくるとは、厄介だぞ!」
赤黒のヒーロー的な奴がサイドミラーに噛みついたのを切り裂く。
「ヒトシ! 車に近寄った奴を頼む! まとめてぶっ飛ばす!」
すると屈みこんで地面へバットを再び振るう。
車内にまで聞こえてくる衝撃音と共にアスファルトの無数の破片が小魚を仕留める。
何度も何度もバットを同じように振るい続け、魚群の規模を小さくしていく。
「ニック、実に良い攻撃だ。『巻き上がれ』」
すると起こったのは竜巻。
黒人が撒いた破片を再度魚群へ襲わせる。
って、どういう原理?
というより、こいつらみんなどうなってんの?
メイドらしき小さな手が、また運転席の窓ガラスにくっついた。
力で無理矢理押し下げてきた。
「ゴシュジンサマヨリオハナシガゴザイマス。ゴシュジンサマ」
もう日本語が滅茶苦茶だよ! なんだよ、おい!
「君、できるだけ道の端に寄せたまえ」
青い髪のコスプレ女の声だ。
ああもう、わかったよ! 小便漏らしそうな速度の中、命懸けの微妙なハンドリングで路肩ギリギリを攻める。俺以外誰もやれねーぞ。
「ニック、やれるな? 頼むぞ」
「OK!」
黒人は車のサイドに、左手一本でぶら下がるように張り付いた。
でっぱりもほとんどない後部座席のドア辺りで。その手がまるで吸盤のようにくっつけて。
そして、右手でバットをスイング。
そのバットは全く見えなかった。
すると、道幅一杯のアスファルトが大きな円形を描いて、剥がれた。
そのまま魚群とその親魚に向かっていく。
押しつぶす気だ。
「『飲み込まれろ』」
魚たちは、その言葉通りに飲み込まれたかのように、いなくなった。
終わった。
…………あ。あああああああああああああああああ!!!
「む? おそらく曲がれんな」
峠の終わり、最後のカーブ。
ただ今の時速、下り坂なので300キロを超えてます。
曲がれません。オワタ。
「では飛ぶぞ。1、2の3だ」
「任せてくれ」
「ウケタマリマシタ。ゴシュジンサマ」
車上の3人が何やら動き出す。
「1、2の」
メイドと黒人が車の後方に移動した。
「3!」
メイドは半ば飛び降りる様に、車の後ろ側を掴んで両足で地面を蹴る。
黒人はまた左手でぶら下がるような体勢でバットを振るう。
で、コスプレ女は。
「『吹き飛べ』」
何か言っている。
次の瞬間。
ガードレールさえ飛び越えて、舞った。
朝日照らす、空中を。
♪お空が青くて目に染みる♪
「ソレデハウケトメマス。ゴシュジンサマ――――――…………ォォォオオオオォォォ…………」
メイドが何やら言って、移動したと思った。
変身した。
鉄鉱石の塊みたいなでかい奴になった。
ん? 見た事ある?
何かのゲームの、召喚獣の……。
すると先回りする形で着地地点にいたそいつに俺の愛車はキャッチされた。
ちょうど公園だったそこの駐車場にまでそのまま運ばれ、下ろされた。
「死んだみてぇな顔してやがんな。大丈夫かよ」
黒人に抱きかかえられるように車から下ろされた俺。
足が震え、立つ事さえもままならない。
なんとか愛車にすがりつくように立つ。
「結果的に君に助けられたのかな。ここまで速度を出してくれなかったら、あの魚はもっと厄介だっただろう。礼を言うよ」
青い髪のコスプレ女が言う。
……ん、まつ毛まで青いぞ? そういうのがあるのか?
てかなんで人気のない峠でそんな恰好をしてるんだ?
「…………ォォォオオオオォォォ…………―――――――とは言え、ご迷惑をおかけして、すいません」
あの巨大な奴がどこにでもいそうな学生服の高校生に変わった。
もう、なんでもいいよ……。
「それでよ、お前さんに用があるんだ。この剣を抜いてくれねぇか?」
黒人が背負っていた剣を手渡してきた。
やけに派手だ。赤を基調にした、どこかのゲームに伝説の剣とか英雄の剣とかで出てきそうなデザインだ。
素材がよくわからないな。
まあいい、ここまで訳の分からない目にあったんだ。抜いてやる。
……抜けないな。
「アンタでもなかったか。仕方ねぇな」
と黒人。
するとさっきまでの命がけのハンドリングで握力を無くした俺は、剣を落とした。
剣は、俺の愛車に向かって倒れた。
なんだか物理を無視したような倒れ方だった。
正直、もうどうでもよかったんだけど。
「……そっちかよ!」
「待て! これは生物ではないだろう! 人形よりタチが悪いぞ! わかるわけがなかろうが!! そもそもこれはどうやって動くのだ!? 魔術は関係ないはずだ!!」
「ガソリンという鉱物油で動くんですけどそれはいいとして、どうやって剣を引き抜けってんですか? これ!」
「……ドアを開いてだな」
「挟めるか」
「抜けないですね。やっぱり」
「違うよな。さすがに……て、おいぃぃぃぃぃ!」
「これはないだろうがぁぁぁぁぁ!」
「って、ここ日本だよなぁぁぁぁぁ!」
さっきまで俺の愛車の上で暴れてた三人組は、落とし穴に落ちたかのように、消え去った。
夢だった。
そう信じたい。
メイドと黒人野球選手とコスプレ女が、時速200キロ以上のスピードで峠を攻める俺の愛車の上で、訳の分からない気持ち悪い魚の群れと戦っていたなんて。
夢だ。
そうに違いない。
でも、足跡や手跡、魚に噛みつかれた跡が生生しく残る俺の愛車が、現実だったと教えてくれた。
もうどうでもよくなった俺は、崩れるように座り込んだ。
もう、峠攻めるの、やめようかな。