四十七話 ウォ-・ゲーム 3
禍禍しい渦巻く闇が広がってきた。
雲一つとない塗りつぶしたかのような青空の中で、異物が乱入してきた。
スタジアムの審判たちは一瞬それを見やるも、すぐにベースボーラーたちに意識を向ける。
両チームのベンチは苦々しい顔をしつつ、ゲームを進行させる。
多くの人が行きかい、話し合うのはこっちもあっちも同じだ。
「まだゲームを続けろ。必要なのは勝利だけだ」
耳にするそんな状況が分かっていない電話の声に、チームから漂い聞こえてくる雰囲気。
くそったれ、ニックさんが声を殺しながら愛用のバットを握り、締め上げる。
いつもならすぐ動く。
でも今は、動けない。
マウントの新たなピッチャーがボールを投げた時だった。
腕が骨の存在しない触手の如く小さくしなり、奇妙な軌道を描いて投球がなされた時。
爆音が聞こえてきた。
渦から細かい何かが出てくる。
黒い袋に……パイプが数本伸びている?
そこからあんなとんでもない音が聞こえてきたのか?
って、写真でだけど似たようなのを見た気がする。
「バッガーパイプ? あれが今回の異形かよ?」
あ、バグパイプか。楽器の。
何か構造がおかしいけど。
しかし、スタジアムが音で揺れてるぞ。
「セェェェェェェェェェェェェェェェフ!!!!!!」
そんな中でも審判の声が聞こえてきた。
“んぐ!?”
“同士ルノ! 大丈夫か?”
「声に気を付けろ。この状態でも気づく奴は気づく」
耳の良いキャプテン・レッドだけど、大音量の中で耳を澄ますのは前にあったからまだマシか。
ニックさんもチームの人たちもこの異常事態でもゲームへの集中を切らせていない。
実際、現時点で一番ダメージを負っているのは、常識的な体力しかないルノさんだ。
てか、ニックさんに協力する必要性はまるでないのに、損得なしに協力しているんだよな。
“情で力を借りたのだから、情で返すのだよ”そんなことを言いながら。
えーと、ゲームの進行は。
一回の表、ワンアウトでのピッチャーの第一球はあの異形が出現と同時に発した大音量で、ボールが暴投。
キャッチャーが受け止められず、ヒット扱い。
その間に一塁にバッターが進んだ。
まだまだどうなるかわからない。
それ以上にわからないのは異形が耳をつんざく爆音を奏でながらスタジアムの上空に浮かんでいる事だ。
このままで終わるような生易しい存在じゃない。
いっそ、ルノさんと僕が飛び出して異形の排除を試みるか?
「いや、俺かそれ以上のバケモンがここに100人はいる。ルノとヒトシを力で退場させられて終わりだ。ゲームは続く」
審判はゲームの中断を宣言する気配もない。
ピッチャーにボールが渡される。
第二球。
「うわっ」
そのモーションに入った時に、うめき声が聞こえた。
キャプテン・レッドだから、聞こえた。
無数の蟲が、センターの守備に入っている人に群がっている。
蟲だ。
キャプテン・レッドの視力で影から覗き見る。
小さな蝿と思しき蟲がシートを覆い被せたかの様に、一瞬で人に群がっている。
この異常事態にも関わらず、審判はゲームを止めない。
ベンチの監督は叫び抗議するが、電話からは冷徹に進行を止めるな、とだけ声がする。
なんで状況を把握できていないんだ!? あの電話の向こうは。
“同士よ! 映像は送られていないのか! この重要なゲームにも関わらず!”
「テレビカメラはお互い準備できてねぇ。あるなら大砲みてぇな機械がどっかにあるはずだ」
スマホどころかテレビカメラも貴重な世界か!
となると二次大戦終結時点より科学が進んでいない、もしくは人があまりに死んでしまって技術が後退してしまったのか!
そして現状、人の命よりゲームの勝敗が重要視されてしまっている。
悲痛な顔で満たされたスタジアムで第二球が投球される。
これといった技術が使われていない、すっぽぬけと称されるようなボール。
一瞬頷いた相手はそれを打ち抜く。
……レースカーが急加速した様な音を出しながらボールは空間を切り裂いていく。
それは異形を貫いた。
異形からは間抜けに聞こえる音を出た……。
あ。
マズい。
“裁かれろ”
僕とニックさんが止める間もなくルノさんが威力の制御が難しい魔術を使うほどに。
さらに魔術を使いスタジアムに落雷が発生し、異形にギロチンを落とすかの如く切り裂く。
「ルノ!」
“ルノさん!”
“流石に見過ごせん!”
宙に浮かんでいたバグパイプは破損しながら、なおもスタジアム上空を舞う。
そうしているうちに真っ赤に染まり、そこを中心に蟲たちが集まり出す。
ルノさんの魔術が切り裂いたのはこのタイミング。
それでも速度は変わることなく断末魔と言うべき変容は続き、真っ赤な心臓に見えるバグパイプが騒音をかき鳴らしながら鼓動する巨大な蠅が発生した。
いつの間にか外野の守備に入っていた三人には膨大な数の蟲が群がり、人の形すら確認できなくなっていた。
“くそう! 『裁かれ……』”
ルノさんが魔術を展開しようとした矢先、歪んだ。
うわ。キャプテン・レッドの眼で持っても。
なんだ? あの異形の能力か?
音が、聞こえない。
「バケモン100人とやり合う気か? クソ野郎」
異形が場外に落ちていた。
「バグってろ」
いつの間にか、外野手に群がっていた蟲たちは地面に転がっていた。
「プレイボール!」
主審が叫ぶ。この状況下でも。
“威圧か”
ニックさんが大人数を怯ませ、行動不能にさせるある種の能力だ。
それをここにいるほぼ全員ができるとしたら、まともな知能を持っていないだろう異形さえも行動不能にさせかねない。
異形は動きを止め、心臓に見えるバグパイプも動いていない。
ゲームはツーアウト、ランナー三塁に進行。
まさかボールを取っているとは思わなかった。
この世界のルールでは鳥などいきなり空中に現れた物に当った場合ノーバウンド扱いらしい。
なので異形に当たって軌道が変化してキャッチした場合も、アウトになる。
バッター交代。右のバッターボックスに入る。アジア系に見えなくもない人だ。
再び投手は腕を触手だと思わせる身体操作で投球。
それは異常なカーブを描き、それに対しバッターはパンと乾いた音を鳴らすバテッィングで対応。
だが、ボールは瞬間移動したようにミットに収まった。
第二球。
バッター……、構えが?
“抜剣術?”
ルノさんの一言で思い出す。
居合道だ。腰にバットの持ち手を当てて、先端を地面に……。
「ヤベェ」
ニックさんとベンチにいる数人から同じ言葉が漏れる。
小枝が折れたみたいな音が微かに聞こえた。
その刹那、ピッチャークラブにボールが挟まっている。
が、威力は消えずクラブから逃げ出そうと、ボールが暴れ続けている。
“くそう。檻の中の獣だ。まるで”
使える魔術がない、と呟きが聞こえた時だった。
内野手全員がいつの間にか集合して、そのクラブを取り押さえていた。
「噴!!!」
全員の息が揃い、ボールは停止した。
スリーアウト。チェンジ。
……なんだこれ。
“これがベースボールというものなのか?”
「俺らにとってはな」
いや、違う。なんでもありすぎる。
昔のアニメの魔球や超常プレイに近い事を身体能力だけでやってのけてる。
いや、物理学を無視した魔術とも違う別な何かを使っている気もする。
と言うかニックさんが、俺たちは物理学を無視している、とか言ってたか。
それとどうもゲームはピッチャーVSバッターの色合いが強い。
超人たちの能力が特殊過ぎてそういう構図になりやすいのか。
ともかく、ニックさんたちのチームの攻撃だ。
えーと、一番バッターの人は……?
…………!
“同士よ!”
くっそ。
“くそう。ニック行け『吹き飛べ』”
「オイ!? って、クソが!」
ベンチに座っていたニックさんがルノさんの風魔術によりグラウンドにまで一気に吹き飛ぶ。
僕たちが入っている影も、それに付随してルノさんの風により無理矢理移動する。
ウッドランド・ウォーリャーズのベンチに異様なパイプが繋がり、それはあのバグパイプから明らかに伸びていた。
そして、ベンチには蠅が一気に充満し始めていた。




