四十六話 ウォー・ゲーム2
スタジアムには、猛烈な暴風雨が吹き荒れていた。
「………」
“………”
もちろん、ルノさんの仕業だ。
ピッチャーマウントに局所的に竜巻が発生し、外野スタンドには連続で雷が落ち続け設備が黒焦げになり、スタジアムは沼地か田んぼと見間違うレベルで水浸しだ。
「……これで延期になってくれりゃいいんだけどよ」
ニックさんが控えているベンチで呟く。
他のメンバーと敵チームは体を冷やさないように控室にいるようだけど、抜け出してもらっている。
“流石に危険すぎるだろう。君たち程の人間は頑丈とは言え希少でもあるのだ”
「無茶をさせるために飼われているもの事実なんだけどよ」
“今回はそこまでのものなのかな?”
「多分な」
すると、雨合羽を着た人が数人ぬかるんだスタジアムに足を踏み入れ……いや車椅子か?
「審判があの人たちかよ。なら本気で交渉が拗れやがったな」
無理矢理スタジアムに侵入し、それでも高らかに宣言した。
「プレイボール!」
彼らは厚手の雨合羽を脱ぎ、本塁ベースの場所に向かう……って。
“キャプテン・レッドが確認するに! 今回の審判は彼らなのか! 信じられん!”
“これは傷病者だろう?! 機敏な行動は困難ではないのか?”
「ああ言った体に欠損がある奴の方が、威圧やらに飲まれない傾向があるんだ。詳しい理由は知らねぇけどよ。体の部位が少ない分、脳の要領に余裕があってバグを起こしにくいって話だ。この天気でもやりやがるし、あの審判たちは数少ない中立国のメンツだ。この試合で決めてぇんだろうな」
この世界の命運を、か。
「ニック、あのルノとかいう女は落ち着いたのか?」
さっきのキャプテンだ。
「ああ、大丈夫です。弟が付いていますし。ただ今日一杯はそっとしといてやって下さい。それに、俺らはもうそこまで気を回せねぇでしょうよ」
「……お偉いさんも今回はかなり余裕がない。お前も今は集中してくれ。お前がどこで何をやっていたのかは、今は聞かん。お前の役割だけを考えろ」
「わかってます」
まあ、そのルノさんは目の前、というかすぐそこにいるんですが。
“くそう。何度も味わったが、好きになれん。戦争はどんな物でも嫌いだな”
“それはそうと! キャプテン・レッドが思うに! 気づかれてはいないな!”
「そうだけどよ、くれぐれも注意してくれ。バレたら説明できねぇ」
僕とルノさんがいるのは、影。その中。
ニックさんが壁際にいてもらって、その影に隠れている。
ルノさんが万が一の脱出用に用意していた『沈み込め』という魔術の応用を持って文字通り影に隠れているのだ。
僕がルノさんに変化して、ルノさん本人がこの魔術で隠れていた時には影から外界を探れなかったのだけど、備品の箒のパイプ状になっていた柄を切断してそれを影から突き出して周囲を確認している。
ルノさんの魔術でそのパイプも黒くしていて、周囲はそれどころじゃないから意外とバレなさそうだ。
“想定外すぎると多少あからさまでも気づかなくなるものではあるのだよ”
続々と控室から険しい顔の選手がベンチに揃い出す。
ニックさん側の人はニックさんみたいな黒い肌の人が多い。
相手側は……相手側も割と肌の色が濃いな。
アジア系みたいな人もいるけど。
「俺の世界じゃルノやヒトシみてぇな色の薄い奴はそんな多くねぇんだ。高山や極地の少数民族くれぇだな。相手の国にはそこそこいる。
さて、始まりやがる。ルノ、天気を元に戻してくれ。もう意味がねぇ」
“待て、全員あの天気で何故に平然としている! 竜巻に落雷が巻き起こっている中で!”
沼地同然のスアジアムでさもいい天気な風にスタメンが集まり整列し始める。
そういやあのキャプテンもこの天気には無反応だったな……。
「だからバケモンなんだよ。俺らは」
ルノさんが魔術を止めたのか急に天気は回復し始める。
この争いを嘆き狂う天気に日差しが入り始める。
それでも雷鳴の余韻を切り裂く声が、両腕が半ば欠損している審判が発する。
「これよりクシニ・ヴァシリカ代表ムブカ・ムリンズィ対アンセル・ステイツ代表ウッドランド・ウォリャーズの試合をこれより実施します!」
お互い大きな口を開いて噛みつき合いそうな雰囲気で、空気が澱むのを感じる。
これが、人間同士の戦争なのか。
“ヒトシ、すまないが耐えてもらうぞ。君の能力もこの場では十分有益になりうる”
「目の良さは重要だしな。それもヒトシなら客観的に見れるだろうしよ。ただ、異形との戦いとは別だ。相手もバケモンだけどよ、人間だ」
先攻は相手チームか。
白地に緑のユニフォームのニックさんのチームが広がり、青地に白のユニフォームの相手一人がバッターボックスに入る。
ニックさんは万が一の補欠要員。
普段なら登録抹消でベンチ入りもできない、とは言っていた。
それだけ緊急事態で人を集めきれていないようだ。
“さて、まずはこちらの一人が玉を投げ、相手がニックがいつも持ち歩いている様な棍棒で打ち返せるかどうかだな。打ち返せたら、左回りで三つの陣地を巡り返って来れるかで得点が入る、だったか”
“このキャプテン・レッドが知る野球と同じとおも…………?!”
声が途切れた。
先発ピッチャー、周囲を確認しながら、明後日を見つつビー玉を弾くみたいにボールを腕を伸ばした状態の指先だけで発射。
旋盤が回転するみたいな音をがなり上げ、キャチャーミットに届けた。
「ストラーイク!」
“魔術の類は……使っていないはずだ”
幾つかの世界を巡ってもここまでの魔術師は誰もいなかった、見聞の広い魔王でもあるルノさんが絶句している。
“ウチのバカとも、私に並ぶ魔王たちとも全く違う、この世界の技術と身体の頂点が、これか”
“キャプテン・レッドの目でも! 確認できなかった! これは……我らが手を出せる世界か?!”
“ヒトシ、気持ちを切らすな。君はまずそれに集中するのだ”
ピッチャーにボールが渡る。
同じく周囲を確認しつつ第二球。
今度は体勢が低い。アンダースローか!
大雨でまだ水が多くグランドに溜まっている。
それを使ってボールが大波を纏って直進する!
こんなの、どこかで見た魔球だぞ!
「ストラーイク!」
バッター、反応できず。
“相手はこれで最後の棍棒を振るう機会になるのか”
「そうだ。ただで終わるかは、わからねぇ」
ボールをピッチャーグローブに入れて、第三球。
ピッチャー、今度はちゃんと構
「 投げるな 」
え?
ボールは、明らかに精彩を欠いている。
相手がバットを振るう。
高く高く、ボールは跳ね上がる。
“『吹き飛べ』”
そのボールはセンターのグローブに収まった。
“ワンアウト、かな”
「そうだけどよ、ルノの魔術はどこまで通じるかだな。両者無得点のままなら延長だ。それも今回はかなり長く試合が続く」
“その前にだ! 今のは……、相手バッターの威圧か何かか!”
今一瞬、思考が「投げるな」一色になった。
僕だったら、完全に暴投、いやボールを地面に落として気絶もあり得る。
「ルノに変な服着せた世界あっただろ。あの時と同じだ。あのバッターの感情とかでスタジアムの人間の脳をバグらせた。身体能力と脳のバグの合わせ技が、俺らのベースボールだ」
……まさに一万文の一の存在による人を超えたゲームか。
新たなバッターがボックスに入る。
ピッチャー、アンダースロー。
今だ水気の多いグラウンドの水をボールが竜巻の様に吸い上げた!
そういや、ニックさんが言ってた。
物理を俺たちは無視できる、とか。
水を相手バッターだけでなく、味方キャッチャーと中立の審判にも津波の様に水をぶっかけまくる!
いや、ルールどうなってんだ?
今度は何やら、鉄球同士がぶつかったみたいな音がした。
キャプテン・レッドの目と耳だから確認できた。
バットはボールを捉えていた。固い音は間違いなくそこからのものだ。
水は瞬時に飛び散り、ボールは変形し三角錐に変形する。
……一回ニックさんもこれやってた。
「バッティングバレット」
ニックさんから高速の呟きが聞こえ、それ以上の速度でストライクゾーンより、弾丸上のボールが発射される。
ピッチャー……グローブで受けるも、変形したボールはそれを貫きピッチャーの腹を抉った!
「クッソ! もうやりやがった! オースティン! 大丈夫か!?」
白いユニフォームを血液が汚している。
“戦争。まさにか”
先発ピッチャーは腹を手で押さえながら自力でベンチまで戻って来る。
オースティンというこの人はこの大怪我でも軽口を言いながら奥へ引っ込んでいく。
いや、キャプテン・レッドの目と耳で確認するに、内臓にまで損傷が及んでいる。
危険な状態だ。
続いてのピッチャーがマウントへ向かう。
予想以上にスタジアムに動揺が、ない。
“人が数人死んだ程度では何も収まらんよ。その覚悟で皆がいると言うだけなのだろう”
古代か中世の世界の魔王のルノさんが言う。
目に泥が思いっきり入って、顔を拭いながら。
あの直径一センチくらいのパイプに入り込んだのか。僕は平気なのに。
“まだ一応のルールに乗っ取って、代表者数十人で決めるだけ、マシだよ。
私の世界なら魔族も人間も、相手を殲滅するのを考える“
「それをやって痛い目にあったからベールボールで決めるんだけどよ……」
続けて言う。
「こうやってバケモン同士の削り合いがウォー・ゲームだ。怪我や殺しも普通にありやがる。相手のバッターは技巧者で有名な奴だった。まさかやるかな、とは思ったけどよ」
ボールが地面に着かずにキャッチされたと判定されて、ツーアウト。
先発ピッチャーをほぼいきなり潰されたのは痛いか。
「さっきのバッターは相手の国の別チームから引っ張ってきてやがる。こっちはそこまでやる余裕がなかった。だから俺さえもベンチに入れている。
……なあ、ヒトシ。来る気配はないか? 正直、あのクソ共に一刻も早く来て貰いてぇ」
ルノさんの魔術の影響がすっかりなくなった、青空。
そこに禍禍しい渦巻く闇が広がってきた。




