四十五話 ウォー・ゲーム 1
また別な世界に着いたその瞬間だった。
音もなく、白い何かが僕たちの目の前に来ていた。
明らかに高速で、気配もなく襲い掛かって来る。
身体が、反応できない。
色彩が消えて、意思も半ば消えている。
このままだとこれが顔面に当る。
それが、わかっているのに。
「シッ」
ニックさんのバットが、それを遮った。
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ
ドリルで無理矢理穴を開けようとするかの様に、白い球体がニックさんの頑強なバットにめり込んでいる。
「ニック! 異形か?!」
ルノさんの声した。
あ、今回は僕たちのすぐ側だ。なんだか珍しい。
「シッィ…………………!」
……ニックさんがその質問に答えない。
余裕がない?
見回す……スタジアム? ここ、野球用の?
「シャァ!」
形容しがたい音と共にその球体はスタジアムのフェンスに届く安打コースに弾道を描く。
「ニィィィク! テメー、どこ行ってやがったんだ!」
本来選手が控えているだろうベンチからニックさんと同じ様な肌色の男が、鼓膜を破りかねない爆音で怒鳴りつける!
うわ、さっきとは全く別な意味で耳が聞こえない!!
耳鳴りが凄いぞ……。
「やっぱ、キャプテンの球じゃないですか! でもここウッドランドじゃないですよね?
アウェーの……いや、ここは知らねぇんですけど」
ニックさんの大声はこの状態でも届く……。
「……ウォー・ゲームだ」
「…………う、マジかァァァァァ…………!」
ニックさんの、いや今までの誰からも聞いた事のない、絶望的なうめき声が、耳鳴りの向こうから聞こえてきた。
「クソがァァァァ…………!」
「いきなりいなくなったから知らなかったか。……チームの数人の前で落とし穴に落っこちたみたいに消え去ったらしいから、誘拐や買収とも違うとは思ったが、何があった?」
「いや、何て言いますかね……」
耳鳴りが消えてきて、会話が明瞭に聞こえてきた。
「私と弟のヒトシを守って下さったんです! 何度も何度も危険から助けてくれたんです! ニック様は私たちの恩人です! どうか、どうかご容赦を!」
ん、誰だこの声?
か弱く涙ながらに訴える、庇護欲を煽るみたいな声だけど。
“ヒトシ、合わせたまえ”
って、ルノさんかよ!
いつの間にか髪と服を黒くさせ、しかもその黒くした度合いも漆黒とかじゃなくて僕の学生服や髪に合わせたみたいな自然な感じだ。
というか、どこからそんな声を出しているんだ。
下手な声優より声を変えているぞ。
えーと、まあ今はいいや。
「そ、そうなんです。ニックさんは僕と姉を何度も守ってくれたんです」
う、目にゴミ……じゃない水だ。
この不自然なタイミングはルノさんの魔術だな。
ウソ泣きしろって事ですか。
「私たち私たちも、もよくわからないまま、誘拐されてしまいまして、同じような目に合われたニック様が、私たちを励まして下さいました。絶望するなと何度も言い、ご自分の取り分の水や食料まで私たちに分け与えて下さったのです。
私などは何度命を断とうとしたことでしょう。
ニック様がいなければ、もう私は弟共に心中していたに違いありません。
いきなり失踪してしまったのでしょうが、どうかどうかどうかどうかどうかどうか、ご容赦を!」
「お、お願いします!」
ルノさんに合わせて深々と頭を下げる。
てか半狂乱の演技、凄いな。産まれたての小鹿みたいに震え、弱々しさを醸し出している。
水魔術を使っているにしても涙と鼻水の量がエグイぞ。
うわ、僕の鼻からも水を出されてきた。
「ああ、まあわかりました。それでお名前は?」
「失礼いたしました。私はルノ・スズキと申します。こちらは弟のヒトシ・スズキです」
そう、僕の肩を力なく抱きしめるルノさん。
……流石、キャリア24年の政治家でもある魔王様。
ここまで口八丁手八丁をやってしまうとは。
ルノって名前の日本人はいそうだけどさ。
「ではニック。詳しい説明を頼む」
いつものルノさんの声と態度だとなんだか安心できる。
小一時間駆け付けたチームの監督や他の選手、関係者が駆け付け、泣きじゃくりながらニックさんをかばい続けたルノさん。僕は完全についでにいるだけだった。
半狂乱の演技が凄すぎて、呼吸困難を意図的に作って僕たち三人だけの状態にした。
精神不安の女性を何とか励まして落ち着かせろ、とさっきのキャプテンとニックさんが言ってた人と監督が小部屋を用意してくれたのだ。
あれだけの大泣きをした直後でケロっとしているんだからやっぱり色々凄いよ、この人。
でもって懐からいつもの剣を取り出してきた。
結構気軽に色々懐から物を出し入れするけど、四次元ポケットの魔術でもあるのか?
「さっきまでと雰囲気が全然ちげぇから説明しにくいんだけどよ」
「これでもピーナ程ではないのだがね。声は元々変えられるタチではあるし。だが状況がまるでわからん。君がベースボールなる玉を使った競技集団の一員とは聞いているが、あの君の絶望的な声はただ事じゃないだろう。
一体何があった?」
「俺の世界で10年前まででけえ戦争をやっていたのまでは言っていたか」
確かその時にニックさんみたいな身体能力のある子供たちを集めて訓練をやっていたんだったか。それでその時に敵国から神経ガスの攻撃があって、その時に友達を亡くしていたはずだ。
「その前に気になる事がある。君の世界の人口は大体何人だ?
それぞれの国が何処まで数えているかはわからんが。
確か君みたいにウチのバカに匹敵するか、頭の中身を考えたらそれ以上の者が一万人に一人現れるのだろう?
となると戦争には人口が圧倒的に多い国がそれだけ有利だ。君の世界の特性だと特に」
「……察しがいいな。人口は全世界で10億。戦争が始まるまでは20億いた」
「は……?」
ルノさんの呆けた声を初めて聞いた。
「僕の世界だと今80億位なんで、思った以上に人口が少ないですけど、ニックさんみたいな人が今までの歴史で暴れに暴れ続けてきた、ということでしょうか?
それでも人口が半減ですか……」
とんでもない事が起こってる。核戦争レベルの災厄があったんじゃないか?
「そうだ。そうなりやがるな……」
「待て、そんな砂利の数みたいな単位で人間と魔族……魔族はいないのだったな……人間たちがいるのか! 君たちの世界は! それも魔術なしで!」
「まあ、俺たちの世界じゃバケモンみたいな超人が歴史を文字通り力ずくで動かしてきたんだ。ルノの世界の魔術じみた事を俺がやってたりしてるだろ?
バットで火を起こしたりよ。
そういう事は昔からありやがるだろうしな。
ちょっと昔の国のトップは単純な暴力で着いた超人ばかりだ。でもそんな超人に対抗していろんな技術が発達したんだ。弱い奴側に立つ超人もいたしな。
でもよ、そんな技術が超人が使いこなしたらどうなりやがる?
それに超人をより強化するような薬とか使い出したら、考えなくてもわかるだろ? 普通はよ」
「……皆が手を出したのかな? 私なら禁断と言うだろう物に。それが10年前に終結した戦争か」
そう言えばルノさんの国にいた時少しニックさんは言っていた。
慕っていた人が大量殺人を犯したとか。
何か特殊な事があったようだけど、薬物を投与とかならありえなくはない。
「それで世界は滅茶苦茶になりやがった。
世界中の国が二つに分かれての世界大戦だ。
俺みてぇな奴が反則と制限なしで暴れまくって、人や建物だけじゃなくて、地殻までゆがめちまった。信じられるか?
アトミック・ボムっていうヤベェ爆弾を使ってねぇのに、そんな事を起こしちまったんだぞ?
島は沈めて、大陸は変にせり上がってな。作物は育たなくさせるためによ。
精々体重100キロか200キロの生き物がよ。
何度も何度も。人間の俺らみてぇのだけじゃなくて、動物や植物の俺らみてぇなのにも、薬とか何とか使って、誘導してよ。
気が付いたら、何もかんもぶっ壊れてた。さっき言ったアトミック・ボムを暴れる超人をどうにかするためにヤケクソで使っちまったりしてよ。
まだ人間が半分残っただけでもかなり上出来だったんだ」
色々と世界の限界が来たから終戦した、という事か。
まだ指導者たちに相当理性があったから、ギリギリ踏みとどまれた感じがするな。
でもそれだと。
「でもそれだと、敵対した原因が解決してない状態なんじゃないですか?」
「ヒトシも察しがいいじゃねぇか。だから俺たち超人がアスリートをやっているんだ。
今俺の国の陣営とあっちの国の陣営はマジの戦争以外で競い合っている。
コールド・ウォーって奴だ。
それでどうしても決着がつかねぇ事が起こったら、決着つける手段の一つがこれだ」
ニックさんが愛用のバットを床に突きつけた。
「ベースボールだ」
「つまり君たちの競技の勝敗で決めると」
「そうなりやがる。だからただのゲームじゃねぇ。普通のプレイじゃなくなるんだ。
事実上の戦争だ。だからウォー・ゲームって言っているんだ」
「勝つために規律を無視し始める、とかかな? 私の世界の馬鹿ならば奴隷に自滅的な行動をやらせて相手を殲滅するのを考えるだろうがな」
特攻か……。
「それはお互い警戒してはいるがよ。下手したらグラウンドに立った奴が爆弾で相手を道連れは想定内だ。
それでも止まる事がねぇのがウォー・ゲームだ。何百万の人間の生き死にが関わってやがる。
勝敗が決まるまで、下手すりゃ相手が全滅するまで、こっちが再起不能になっても続きやがる。
俺もベースボーラーだから、覚悟はしてた。軍隊に組み込まれて行動する訓練までやらされるような存在だしよ。
命懸けやがれってのは、わかる。
でも正直やりたくはねぇ。人様の命をうばいたくねぇんだ。
俺のダチみてぇな奴を作りたくない。俺も死にたくはねぇ。
ベースボールをこんな形でプレイするのは間違っているはずだ」
代理戦争をアスリートにやらせる世界なのか。
それも命懸けの。この人たちが身体能力がとんでもないにしても。
「それでニックさん、一体何があってこんな事態になっているんですか?
ベースボールで決めるにしても相当な力を集中する必要のある事をやる訳ですよね。となる余程の事がないとこんな事にならないんじゃないですか?」
「相手の国が俺の国の近くにアトミックを配備しやがった」
キューバ危機か!
「キューバ危機?」
「何かな、それは」
あ、口に出てた。
「えーと、僕の世界にもニックさんみたいな状況があってですね。ソ連って国がアメリカって敵対してる国の近くのキューバという国にニックさんが言うアトミック……でいいのかな?
それを搭載したミサイルを配備したんです。ルノさん的に言うとヤバイ禁断を相手にぶつける装置を設置したわけですね。
あと一歩で世界中を巻き込んだ戦争が起こりかねなかったんですが、幸いその時はソ連が撤去して収まったんですけど……」
「今回は両方意地を張りやがった。このゲームの勝敗でアトミックの配備がどうなるか決まりやがる。国からは絶対勝て、とだと」
いや、それ。
「ニックさんのチームが負けたら世界はまた不安定になりませんか? 喉元に刃物がある状態ですよ?」
「どうだろうな。噂程度だけどよ、似たような事をこっちもしてやがるんじゃねぇのかって話もある。俺はこういう事は考えるのは苦手だ。……何とか延期して頭冷やせばマシになるかもだ」
「と言うと、何があったかな?」
「会談で両方のトップの頭に血が上りやがった、って話もある。これも噂だけどよ。
こういう事を考えるのが上手いウチの監督の話だ。こんな代理戦争を任せられる立場で信用できる人間のいう事だ。ありえなくはねぇ」
だとしたら、災難でしかない……。
「全く、どこの世界も変わらんか」
えーと。
「僕たちじゃよくわからないけれど、引き分けで時間を稼ぐのがいいかもしれない、ってことですか」
「断言できねぇけどよ」
「あと、これにニックさんは試合に参加するんですか?」
「普通だったら参加しねぇよ。いきなり不可能力とは言えいなくなったんだからよ。本来登録抹消される。でもウォー・ゲームだ。怪我人がどう出るかわかりゃしねぇ。
しかも突発的に始まったのが今回のゲームだ。本来俺らは年に半年位の試合をするシーズンの最中だ。そんな中で前年優勝のチームの俺らが急にやる羽目になったから、人を他のチームから引っ張って来れてねぇ。
監督からも補欠で参加してほしいとよ」
色々難しいことになっている。
普通の試合でも引き分けに持っていくのは難易度が高いぞ。
「ふむ……ではそんな中に異形が現れたら、どうなるかな?」
……忘れてた!
「そして今回は魔王がここにいるのだよ?」
間違いなく想定外のジョーカーが少し笑っていた。




