三十八話 都にて
「予想外だな」
「予想外です」
上司に改めて報告する。目の前の顔は、相当に渋い。
ボクの顔はそれよりはまだマシだろう。
「“善政”に対し直々に行動するのも難があるから、他の魔王たちを焚きつけた結果が、まさか、な」
それはかつてこんな情報が魔王たちの国に飛び交い、それは我が国・大黄帝国にまで届いたからだった。
歴代魔王最強の魔術師“善政”“禁断”“芋食い”がついに発狂した。
人間でありながら魔王として治めていたが、度重なる不運に耐えかねたのか、自らを魔族の女だと言い始める。
これでもかと災難が続きながら、小国ではあるものの形を保ち続けた魔王の国の一つであり、十大魔王の一角の魔王が頂点に立つグラン魔王国。
体裁を保てたのは化物じみた魔術師でもあるかつて“禁断”と呼ばれ、“芋食い”と揶揄され、いつしか“善政”と称されるようになった人間でありながら魔王となった男の存在だった。
理知的だと言われていた魔王が突如牙を剥いた事が何度もある。
危険視した我が国は、攻略を探る事になる。
“善政”の国は魔王たちの領域の奥の方。こちらから攻めにくかった。
ただ魔族と言われる、日々争いに勤しむ黒以外の毛髪を持つ者たちの事だ。
かつて領土を奪われ復讐を狙っていた者、“善政”に対し執着を持つ者、あと個人的に不本意ながら子供を誘拐して言う事を聞かせた者。
この三者の魔王を動かし(他の魔王たちも引き込もうとしたが、“善政”側の工作や交渉、買収で失敗した)、攻め込んだ訳だが。
「“剛腕”に重症を負わせてでこちらに引き渡して“騎竜”の子供を返すように交渉。
まあ、これはまだ良いとして、“淫欲”と“善政”がまさかの血縁関係。しかも同盟を組みそうな様子。
でもって、“善政”からは密かに国交を結ぼうと贈り物を多々。
鉄鉱石をはじめとする鉱物類と多種多様な芋類とその加工品。
まあ益はありそうですし、やり方次第なら問題ないと思うのですが」
「何気に最大の問題は、あの“善政”が都の魔術大学校の卒業生な事だな」
帝がおわす都の高安。
そのお膝元であり重要な教育機関のひとつである魔術大学校。
試験に合格すれば老若男女誰でも入学可能な反面、敵対勢力であり野蛮なる魔族の侵入を許すわけにはいかない。
ではどう潜り込んだか?
“善政”が言うにはこうだ。
14歳の頃、叔父二人に奴隷として売られそうになった所、返り討ちして叔父二人と従弟三人、ついでに屋敷財産を売り飛ばし、逃走。
(この時まで“淫欲”とは面識があったようだ。血の繋がりがありながら奴隷だった“淫欲”とは親しかった様子)
あらかじめ目星を付けていた没落貴族の陸家の身分を肉親を売った金の大半で買い取り、人間たちの村の中にあるあばら家で勉学に励み、年齢もついでに16歳と誤魔化し大学校の試験に合格して大黄帝国に潜入。
奨学金を得るも、入学の為にほぼ全額を使う事になり、飲まず食わずその上わずかな金を得るがために寝ずの貧乏学生。
入っていた寮は早々に火事になり大学校の屋根裏に住み着き、追い出そうとする学校側と戦いながら勉学に励み、後に裏山に洞穴を掘ってそこに生活する名物窮乏学生となる。
(いまだにその洞穴は使用されており、最も貧乏で根性のある学生が代々根城とするようになる。ボクもそこに住み着いていた)
生活も酷く、不運にもコソ泥や落石や冬眠しようとした熊の襲撃に見舞われながら芋虫や雑草、コオロギを食べ歩き、謎の野菜を栽培し、下水の清掃に精を出し(光魔術を使えるため業者に重宝され稼ぎの中心だった模様)それでいて抜群の成績を修めていたという。
あの特殊技能といえる通訳魔術を構築したのもこの在学中だった。
学生時代の名前は陸ルチア。
“不屈のルチア”として有名だったそうだ。
「こんだけ変な奴は怪しまれそうですが」
「変な奴過ぎてかえって怪しまれなかったんだ。成績もいつ勉学に勤しんだのか優秀だったしな。髪はあの時は真っ黒だった。髪色を変える、そんな魔術が存在しえるとは、誰も思わなかった。
当時の第一線の魔術師であってもな」
「……知っているかのような口ぶりですね」
すると聞こえてきた。
小さい声だが、確かに聞こえた。
「ついとらん」という声が。
「今回は同意するしかねぇ! どうなってんだ!」
するとちょうどボクが立っていた床板がバキという音と共に急に持ち上がった。以前聞き覚えのある低い声と共に。
「イッタイココハドコデゴザイマショウカ。ゴシュジンサマ」
今度は壁を細く白い腕が力づくで破壊し、前に見た事のある寒気と恐怖心が沸き立つ,張り付いたような笑顔で金の色をした毛髪の少女の顔が現れた。なんだかよく分からない剣を片手に。
「あんたらその声はニックでその顔はヒトシだったよな! なんでいるんだ! しかもどこから出てくるんだ!」
「俺が聞きてぇんだけどよ! お前さん、こないだの勇者だろ!」
バットとかいう磨かれた棍棒を携えながら、黒い肌の大男が立ち上がる。
「トコロデ、ゴシュジンサマハドコデゴザイマショウカ。ゴシュジンサマ」
本人は全く目立たない地味な少年であり今は少女姿で奇妙な声で問いかける。
……そうだよ。
部屋にある金庫がガタガタ揺れ始める。
アイツもこうなったらいるんだよ。
「おい紅、この不審者を知っているのか! お前ら出ていけ! 金庫を開けねば……何が起こったと言うのだ!」
「すまねぇ! 多分こん中にルノがいる! 早く開けねぇと無茶する! 早く頼む!」
「このキャプテン・レッドが確認した! 間違いなく我が同士! ルノの声をこの金庫から聞き取った! 早く開けて欲しい!」
「だからお前は誰だ! と言うかどこからお前みたいな赤い奴が出てきた! 開けるから出ていけ! ん……ルノ? ……ルノール?」
「『吹き飛べ』」
ガタ、と少し音がした。
「やはり無理か。仕方ない『燃え尽きろ』そして『吹き飛べ』」
金庫の鉄板が一部赤くなり穴が開いた。
紺色の瞳が覗き込む。
「やはりニックにヒトシ、いたか。もう少しで開く。少々待ちたまえ」
今度は鉄板に赤く線が入り、切断された。
「やはり金庫か。全くをもってついとらん」
今度は青い魔王が金庫から芋虫みたいに這い出てきた。
「“善政”! なんでここに!? ……まさか」
「おや、声からもしやと思ったが、勇者殿か。という事は高安の都か……マズイな」
「くっそ……すいません! 直ちに近衛兵と魔術兵に連絡を! 帝と後宮に文官や民間には避難指示を、大至急お願いします!」
「お前……まさかの魔族だったのか! その前に紅、なんでそこまでやろうとする?」
上司の声が終わるとすぐだった。
建物が歪みだす。
「キャプテン・レッドが確認した! ダーク・シャドウだ! 諸君、厳に注意を!」
赤い男が叫ぶ。
「この建物が別なモンになろうとしてやがるぞ! くそったれが!」
歪みだした壁に黒い肌の男が棍棒を打ち鳴らす。
衝撃音がつんざき、歪む速度が少し遅くなる。
「衝撃を最大限拡散させるようにヒットさせてるけどよ! あんまり抑えは効かねぇぞ!」
「久しいな! 君はやれる事をやるのだ『吹き飛べ』」
青い魔王は突風を巻き起こす。
そしてボクの目の前にいた上司を机ごと吹き飛ばした。
雨戸を開けていた窓から、勢いよく。
「話は終わっとらんぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
という事は、だ。
「勇者殿、また協力を」
そうなるよな! ああ、もう!
「『崩れ落ちろ』」
「『天よ、是を破れ』」
「ルノ! あと勇者! 止め時を教えてくれ! 最大限衝撃を与えて異形に変化させるのは妨害しているけどよ!」
善政とボクが土壁でできたこの建物を魔術で崩し、ニックが棍棒で壁を叩き続ける。
ボクの足元にも相当な衝撃が来るのだから、相当な威力だ。
それでも飴細工みたいにこの征夷省の建物があり得ない構造へ変化していく。
ここまでの妨害が大した効果がないなんてどういうことだ。
仮に魔術の一種だとしたら、どうやっているのか見当もつかない。
「ヒトシ、この建物内の人員は?」
「キャプテン・レッドが確認するに! 避難は完了したと思われる!」
「では一旦離脱だ。『吹き飛べ』」
ボクたち四人を風に乗せ、同じく窓から退避する。
はずだった。
「オイ! ルノ! それ痛ぇだろ! 大丈夫か!」
青い髪の魔王。
顔面から壁に突き刺さる。
「……くそう。前受け身は取った。まだ大丈夫だ」
いや、ダメだと思うけど。
さっきまであった穴が一瞬で完全に塞がれた。変形が魔術と衝撃を与えるのを止めた瞬間に変形が終了してしまったのか。
それに色彩もおかしい。
黄色。
ふざけている。
「役人である君にとって、この色は不愉快だろうね」
さっきぶつけた傷とよく見たら治りかけのひっかき傷が顔に残っている魔王が声をかける。
「そういやお前さんの名前は紅だったか。赤いって意味なんだろ。それと関係あんのかよ?」
異世界から来てるんだったか。そりゃ知らないよな。
「外戚なんだよ。傍流も傍流だけどね。
大黄帝国の帝は黄色を象徴とされる。だから黄色、特に帝黄と言われるのは使用が制限されるんだ。
紅色は皇后の色になる。皇后の血族を外戚と呼ばれボクはその血をわずかに引いているんだよ。
あと役人で、この国に忠誠を誓っている。だから、この黄色い空間は不快だ」
「にしてもだ、この建物が異形に変じたのは確かだが……動きがないな」
そういえばそうだ。
この魔王と棍棒の男と姿を変えまくる少年、一切共通点がない三人はどうした訳か異形と仮に称している想像を絶する怪物としか言えない何かと、様々な世界を転移しながら戦い続けている。
数時間に一回程度、幾何学的だったり動物を模っていたり巨大な内臓だったり、一切の意思の疎通ができないまま襲い掛かってくる。
強いて異形の特徴を挙げるならば、その色彩が無暗にドギツイ事ぐらいだ。
三人が集められた意図も、異形の存在が意味し襲撃を繰り返す所も全くわからない。
しかも攻撃方法も異形ごとに完全に異なる上に、戦闘力は帝国の軍隊を繰り出しても撃退できるかどうかというところだ。
逆に言うと何度もこんなモンと連続で戦っているこの三人が、とんでもなく強いのだ。
「なあ、魔術で外と通信できねぇのかよ?」
「うまくいかんな。人間たちの魔術に合わせるのは慣れてはいるのだが」
「ボクもだ。上司にも同僚にも繋がらない。あっちからもボクに散々試みているはずなんだけど」
「キャプテン・レッドが確認するに! 我々が異形の中に取り込まれたのは間違いない! だが、ここまで動きがないのも初めてだ! 何かを待っている可能性はないだろうか!」
待っている?
だとしたら、何を?
「外からの刺激、若しくは私たちの脱出かな?」
何らかの行動に対しての切り返しをして、攻撃とする気か。
「なら早く脱出を試みた方がいいかもしれない。都の近衛兵と魔術師を集めて攻撃をやるはずだ。異形に対する知識も対策もない。刺激を待っているなら、攻撃の瞬間に大惨事だ」
「俺たちが大惨事に遭うかもしれぇが、いつものこったな」
そうか、こいつら全く共通点が無いと思ったけどあった。
この三人それぞれやたら戦闘力が高くて、神経も図太いんだ。
前にこの三人と異形と戦わされた事があったけど、精神面も無茶苦茶なんだよな。
こんなのに慣れるとか。
「ではこうしよう」
「…………ォォォオオオオォォォ…………」
目の前に巨大な鉄製の像が立ちはだかる。
あのヒトシという少年の変化した姿だ。なんかそういう人形を持っているとかで、その姿の設定? らしい。
てか設定ってなんだ? その辺の石ころに設定を付けたら、その石ころに変化できるのか?
そもそも人形は必要なのか?
「ニックも大丈夫かい?」
「問題ねぇ。いつでもやれる」
大柄な黒い肌のニックという男がボクたちの後ろに立つ。
そのバットという棍棒は本来、相手が投げてきた玉を打ち返すための物で、本当は戦闘には使いたくないらしい。
普通の人間や魔族が投げてきた玉を打ち返すには明らかに過ぎた力と技術なのはどういう事なんだ。
石壁を軽く破壊できる力に、完全に力を相殺してしまう衝撃吸収バンドとかいう技術は本当に必要なのか?
「では行こうか。後輩よ」
そしてそんな二人に挟まれ守られる形のボクと本名がルノール・クラウディアだという魔王。
この間まで人間でありながら魔王として君臨していた男、だった青い髪の女の魔族。
しかもボクの学校の先輩。
没落したクラウディウス一門に養子として入り、クルード・クラウディウスと名乗っていた。元は陸という姓だったとは聞いていたが、本当にまさかの正体だ。
不屈のルチアは未だ健在だったという事か。
「『天よ』」
「『天よ』」
「『裁きよ降せ』」
「『裁きを降せ』」
宙より雷が異形の壁に激突する。
元の建物の構造だっただろう石に土壁、木材が複雑に入り混ざり、あり得ない色彩に染め上げられた何かに。
「…………ォォォオオオオォォォ…………」
破片は飛んだが巨大な鉄の像となったヒトシがすべて受け止めた。
ボクがヒトシの横から確認する。魔王と二人同時だと、いきなり何かが飛んできて負傷するかもしれない。
「どうかな? 風の流れはあるようだが」
焦げた壁に穴は開いている。
ただその焦げた部分から、染みだす様に泡が発生してきた。
「『巻き上がれ』 くそう、量が多い!」
竜巻を起こすも、次から次へ大量に発生してくる!
「オイ! こっちからも出て来やがったぞ!」
棍棒が高速で振り回され、その風圧で吹き飛ばそうにも多すぎる!
やはり脱出を待っていたのか。
この泡は何だ? どんな性質がある?
連続で破裂音がしてきた。
ヒトシの体に触れた泡だ。ニックの棍棒からも同じ音が聞こえてくる。
マズイ。
このままだと爆殺だ。
「仕方ない。三人とも、対処を」
対処?
「『食い破れ』」
聞いた事のない魔術……?
すると壁内部から亀裂が走り出す。
それは雷が走る様子に見える…………、いやそのものだ。
亀裂から雷が漏れ、天井に突き刺さった。
バカン
一瞬遅れてヒトシに何かが衝突した。壁と天井の破片か。
「対処って、これかよ!」
ニックは棍棒を振って泡を天井に打ち上げて、崩壊してくる天井の破片を飛ばした。
穴は大きく、出られるか。
「…………ォォォオオオォォォ…………」
ヒトシが穴に手を伸ばし引き裂きさらに穴を大きくした。
さっきみたいなのは御免だ。
「ヒトシ、小さくなってくれ」
「………ぉぉぉオオオォォォ…………――――――――――――――――――――――ショウチイタシマシタ。ゴシュジンサマ」
「よし、『天よ是を破れ』」
更に穴を巨大化させる。
「では行こう『吹き飛べ』」
風が起こり、ボクたちは外へ脱出した。
周囲に破裂音が鳴り続けている。
泡が外にも漏れ出している。ボクたちと一緒に出てきたのもあるだろうけど。
黄色い大きな泡は一つ一つはそこまでの威力ではないにしろ、膨大すぎる。
都にどんな被害が及ぶか、このままだとわからない。
それと多くの混乱した人々の声が聞こえ、着の身着のまま避難しようとする民間人が雪崩の様になっている。
状況は悪い。
そして近衛兵と魔術兵が散発的に攻撃を試みている物体が鎮座しているのが見える。
だからあれは何なんだ。
巨像。
顔が巨大で歪な手足のない上半身だけの黄色い巨像が存在している。
あれが元は征夷省の建物だと誰が理解してくれるだろうか。
痕跡と言えば、その体表にかつての建物の部位が張り付いている事ぐらいだ。
ボクたちは口となっている部分から脱出した様だ。
強力な風魔術を使えない人間だったら、外に出られたとしても転落死は免れないだろう。
「私を踏むな!」
人々が突如発生した竜巻に巻き込まれ、宙を舞う。
もう誰がそこにいるか一発でわかる。
……魔族が都にいるのが分かったらそれはそれで問題だぞ。
「ではニック! 頼むぞ!」
「おう! 魔王が来た! 魔王が来たぞ! 心ある者は立ち向かえ! 心無き者は立ち去れ! 近衛兵よ、魔術兵よ! 一丸となれ! かの異形を打倒せ!」
とんでもない爆発的な大声が、都に響いた。
魔族だ、あそこにいるぞ、あの異様な物体もあいつの仕業か。
そんな声が聞こえてくる。
自分が囮となって結束を高めようとする気か。
「そうだ! 諸君! 私が魔王だ! 打ち果たして見せよ!」
一斉に善政に襲い掛かる矢に魔術。
それは不意に現れた少女が鉄の像に変化し防がれる。
続いて辺りには突風が吹き荒れ、それどころじゃなくなった。
“君が今まさに為すべき事をしたまえ。私たちは異形を撃ち果たす”
気が付くと髪の黒い女性がそこにいた。ついでに服まで黒い。
「で、どうするよ。攻撃されたところからまた泡が出て来やがるぞ」
「とは言え! このまま放置も危険だ! キャプテン・レッドが見るに! 口となっている穴からも泡が出ている! それも経過とともに多くなっている!」
「打ち果たす、とは言え攻撃し難いな」
魔王出現の混乱と結束を尻目に三人は相談していた。
上司からも通信がやっと届く。
多分そうなんだろうという件も確認する。
先輩、今の言葉って信仰しているディアスって昔の思想家の言葉だったよな。
「なあ、先輩」
「何かな後輩よ」
「聞こえた?」
「承知したよ」
「魔王の軍勢が下水から出てくるぞ! 逃げろ! 早く逃げろ!」
声が轟く。
非戦闘員は流石に避難してくれるだろう。
単純な肺活量と喉の強さだけでこんな大声出せるって、どうなっているんだ。
“征夷省の勇者である紅リチャードより逓伝。近衛兵は民間人の避難及び魔術師の誘導に専念せよ。あの突如出現した物体に触るな”
先輩が風に乗って高速移動しながら魔術で通信を飛ばし続ける。
この移動速度の速さは学生時代から有名だったらしい。
しかも魔術師としてさらに成長し続けている。恐ろしい相手だ。
「勇者よ! 異形に変化が見られる!」
赤い男からそう言われる。ヒトシのこの姿は目と耳が相当良いのだと言う。
「音だ! この距離だと微細だが音に変化がある! 活動を増してきた! 刺激がないため次の段階に移行したと思われる!」
巨像の口が大きく開き、また近衛兵や魔術兵が傷つけた部位からも多くの泡が急激に増えてきた。
周囲の建物がどんどん破壊されていく。
何の目的で、何の為に産まれてきたんだ。異形と呼ばれているお前は。
“紅。こちら劉”
上司からだ。
「『天よ』」
あちこちから同時に声が聞こえてくる。いったい何人いるのか。
ボクもまたその声に合わせる。
「『昇れ』」
黄色い巨大な人型の異物に、亀裂が入る。
それはまさに雷の形をしている。
地面より数十を超える亀裂が一斉に走り出し、小気味よい泡が弾ける音がしたと思ったら。
神の怒り如き轟音が都を劈いた。
“私がかつて作り上げた魔術が研究されていたとは思わなかったね。地面より雷を空に向かって上昇させる魔術を改良し用いるとは。何十人もの魔術師が合同で使うか”
“善政”、先輩からの通信が届いた。
あの異形の中で使った食い破れってのが原型だろう。
大学校での研究結果のひとつだとはなっているけど。
「つーか、ルノ! なんでお前さんがいる所ばっかここまで瓦礫とか破片とかが飛んで来やがるんだよ!」
「…………ォォォオオオオォォォ…………」
そして一か所だけ酷い事になっていた。
“そして助けてくれ。予想外についとらんことになった”
「いや、この魔術を使うといつも私に破片が過剰に飛んでくるのだ。だから使いたくない」
「同士よ! アイアンゴーレムを盾にしていたのにも関わらず建物の下敷きになるとはどういう事なのだ!」
「毎回毎回そんなんでよく生存できているよな! 本当に!」
破片が飛んでくるのを予測して鉄の像で防御していたのにも関わらず、災難が文字通り降り注いだ。
呪われたような不運だな。
狙いを定めたとしか思えない。
「さて、異形の断末魔が来るぞ」
異形は追い詰められると新たな形態や攻撃方法に変わってくる。
どう来るのか予想は全くつかない。
全身を大きな雷で貫かれた異形。
脳天は黒焦げになって一切の泡は放出を止めている。
これで普通の生物なら死亡は確定だろうに、嫌な雰囲気は止まらない。
ズルズルと何かが黄色い頭から浮かび上がってくる。
赤い、いや黄色、いや青い?
三色に点滅する、楕円で皺が寄った構造物。
あ、脳みそか。
それが宙に浮かぶ。
するとおもむろに紐状の何かを垂らした。
次々に瓦礫や破片、ゴミがくっつき始めて……。
破壊した建物で、自らの体を構成しようとしている。
“再度の集合での魔術は、可能ですか?”
“いいや、無理だ!”
上司からはそう告げられる。
本来は敵国の城を一撃で破壊させるのが目的の魔術だ。連続で使えるのは想定されていない。むしろ、何の準備もないのにここまでこぎつけたのが脅威的なんだ。
どうする?
どうする?
「コレデヨロシイデショウカ。ゴシュジンサマ」
「OK。クソヤローは何も考えねぇでゴミを取り込んでやがる」
「後輩よ、少し手伝いたまえ」
……なるほど?
「よし、そのまま抑えてくれよ! しっかりな!」
黒い肌の男の声は素直に前向きになれるな。
「ショウチイタシマシタ。ゴシュジンサマ」
なあ、ヒトシ。なんでその姿なんだよ。力が強いからだろうけど。
「よし、頼むぞ!」
先輩、あんたを見てると挫折しそうにないよ。
ボクを含めた三人で抑えて狙いを付けた柱が、棍棒の打撃だけで発射される。
投石機よりはるかに速度を付けて、聞いた事のない音をがなり立てて、異形に飛んでいく。
宙に浮かぶ脳、それに突き刺さった。
突き刺さった柱には鎖で様々な金属類がきつく巻かれている。
それは脳の中に飛散し残留した。
という事は、だ。
“魔術兵、及び大学校関係者へ! 各個に雷魔術を、あの異形に!”
雷が落ちる。連続で天罰だと言わんばかりに。
さっき見たのより小さいけれど、金属に引き寄せられて、落ち続ける。
「オイ! ボケっとすんな! まだあるんだからよ!」
またあの三人は柱を用意していた。
鎖がなかったから、無理矢理柱に金属類を突き刺したか。どういう力を発揮しているんだ。
第二、第三、第四と柱は発射され、土砂降りの様に雷は落ち続けた。
「さて、こやつの残骸が何をしでかすかわからん。私が処分しよう『飲み込まれろ』」
黒い影が地面に広がり、異形がその影に飲み込まれていく。
“善政”、先輩はこの魔術を使いこなすが、具体的にどう展開する魔術なのかは墓に持っていくつもりだという。
魔族らしくない人だな。いや、人間以上に理知的、か。
「“生まれによりて賢者とならざるものなり。只、行いによりて賢者となりたる”だよ。後輩よ」
「そーでしたね」
「さて、お暇しよう。下手に留まっていたら君たちにも私たちにも不利益が大きい」
「何時間かしたらまたあんな異形が来かねないのでそうしてほしいです。すいませんけど」
「それ以上に高安の都には私はいてはならないのだろう。本来は。今更だがね」
しかしこの魔王、とんでもなく強い。
帝国にとって融和的なのが幸いだ。
「『天よ』」
ん?
「『その姿を戻したまえ』」
すると先輩の髪色が元に戻った。
鮮やかな青の髪に紺の瞳に。
「しまった……。む、君か」
振り返ると、上司がいた。
「ルチア! お前!」
「やあ、ウィル。久しいな」
「久しいじゃねーよ!! お前、魔族って! しかも魔王?!」
「苦難の末に善政と呼ばれるまでになったよ。君の慈悲のお陰だ」
「ああ、もう! 何やってんだよ、お前は!」
すると魔王の後ろから手。
「ルチアー! 何よこの、髪!」
大学校の教官だ。青い髪を鷲掴みしている。
「その声はリサだね。君には借りた金をちゃんと返せてなかった。今なら返せるが」
「たまに手紙送ったら返事も割と返って来るから元気だと思ったけど! なんでこんな青いのよ! しかも全身真っ青! 手紙の内容も何か変なはずじゃない!」
「魔族も人間も同じく苦しみ幸せを感じる存在だとわかったかな? そうであればうれしく思うよ。君の活躍と共に」
「変わんない! そう言う所、変わんない!」
でもって棒。魔王の頭に。勢いよく。
「ルチア!! 貴様!」
「李教官、まだお元気そうで」
「元気じゃねえわ! お前、大学校によく潜りこみおったな!」
ああ、大学校の引退した名物鬼教官だ。
「私にはそれだけ魅力的だったのですよ」
「お前なんぞとっとと退学させればよかったわ! まさか魔族だったとはな!」
「そして今は魔王です。大黄帝国と融和を望んでおります」
「おりますじゃないわ! 変すぎる奴だと思ったが、まさかここまでだとはな! あの変な物体もお前の仕業か?!」
「いえ、私は奴らに追われております」
「なんじゃそら!」
しばらくこんな感じで先輩の知人が殺到した。
どうやらここまで魔術師が集合できたのは、実は先輩が学生時代に色々やらかしてきたお陰なのはあった。
ボクの上司が煽って方々に通信をして取る者も取らず、殺到したのだ。
「よし、あんたか」
ニックが背にしている派手な剣を倒した。
すると上司を指を刺すみたいに倒れた。
「私に言いたいことは多々あるだろうし、聞きたいのは山々だがね。急がんくてはならんのだ。私の新たな友を無事に故郷に戻すために」
「友……って」
「シツレイイタシマス。ゴシュジンサマ」
ヒトシがあの妙な少女の姿で上司を担ぎ上げた。
あの細腕には違和感がある持ち方で、一気に走り去る。
「ではさらばだ! 会えてうれしかったぞ! みんな、お元気で!」
魔王と黒い肌の男と妙な少女が上司を連れて走り去る。
「ルチアああああああああああ! 今度は誘拐するんかあああああああああ!」
上司の声が遠くに行く。
次に聞こえてきたのはあの三人の声。
「ではさらばだぁぁぁぁぁぁ!」
「つーかルノ! 随分やらかしてたんじゃねぇぇぇぇぇぇ!」
「あの、その、なんだかすいませんでしたぁぁぁぁぁぁ!」
そしてあの三人は叫び声を上げていなくなった。




