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三十六話 悪例令嬢転生

「君との結婚を破棄する」

豪華な舞踏会で突然婚約者から発せられた、絶望的な宣言。

その言葉と共にあたくしは、床に崩れ落ちる。

「そして、たった今から彼女との婚約を宣言する!」

「はい、永久の愛をお誓いいたしますわ」

続いて、あたくしがこれでもかと意地悪をしていた女との結婚。

「ぼくもこの話を支持しよう。あまりと言えばあまりの事をやってきた報いだ」

信用していた幼馴染が裏切り。

「十分な証拠がここにあるよ」

国一番の商家の道楽息子が切り出し。

「もうついていけないな」

少し悪びれた魔導士も続く。

「お嬢様、申し訳ありませんが。ついていけるのはここまでです」

あたくしを幼少期から守り仕えてきた騎士もまた。

「断罪の時だ」

強面で時に優しかった先輩から冷たい言葉が投げかけられる。

 絶望だ。

踊る婚約者だった艶やかな黒い肌が美しい酷い脂肪太りのリアムとあたくしが虐めていた金髪碧眼で褐色の肌で風船の様な肥満のイヴォンヌ。

ソシアルールがよくわからない方向に順守された光景が広がっている。


 絶望だ。

無駄に荘厳なBGMが流れる、大理石に似せた安いプラスティックみたいな床に手を着け膝を屈し、顔を伏せているあたくしは突如として前世の記憶が蘇った。

前世のあたくしの全ての記憶、その中に不慮の事故で亡くなる前にやり込んでいたテレビゲームで全く同じ光景が見られた事を。

それも前世の世界で広がった性差別と見た目差別を一切禁止し排除すべきと言うソシアルールを守りに守り何とか発売にこぎつけた「ライト・レイディ」。

でもそのルールを守った結果が、この一応クライマックスなシーンだ。

「もう君を離さない」

「はい、わたくしもです」

相撲取りの土俵上の取り組みにか見えない社交ダンスに興ずるリアムとイヴォンヌ。

揺れる贅肉は、荒波の様に揺れ続ける。

「残念だよ」

骨と皮と筋だけの、その真っ白な体は最早スープの出汁を取るのにしか使えそうにないカクカクした動きを繰り返す骸骨同然のウラジミール。叩きつけた証拠という紙の束の方が彼の体より確実に重い。

「これでさようならよ」

悪びれたという意味を勘違いしている道化師みたいな派手な厚塗りの化粧を施している元男の魔導士であるアドラが吐き捨てるように言った。

なんで性自認が女でゲームの展開次第であたくしと恋愛関係に至る場合があるのか。

「奉公はこれをもって終わらせていただきます」

小学生の自由研究みたいなペラペラな鎧の騎士のダミアンが何か言っている。

中世ヨーロッパ的な世界なのに瓶底眼鏡に補聴器、松葉杖をついている騎士に何を守れると言うのか。

「断罪、断罪、断罪だ! ヒャッハー!」

強面の意味を辞書で調べろとしか言えない先輩、リュウ。

どこから連れてこられたモヒカンなのか。

そんなあたくしの名前、そう名前は。

「イグサンプル・バッドは断罪だ! ヒャッハー!」

悪い例、なんて名前だ。

 そもそも恋愛ゲームは美男子美少女しか出てこないのは見た目差別でしかないというソシアルールがはびこってしまい、苦肉の策を重ねに重ねた結果がこんな見るに堪えないクソゲーと化してしまったのだ。

 そんなクソゲーの中でソシアルールを無視する悪い女、それがあたくしイグサンプル・バッド。

キャラに一切の愛情も感じさせないなんて名前だ。

そして、そんなキャラに転生してしまった。


「イグサンプル・バッド。こっちに来るんだ」

構図が、というより構造がなんだかおかしい鎧の衛兵があたくしを連れて行こうと腕を掴む。

ああ、改めて見れば何もかもが奇妙に歪んで安っぽい世界だ。

イグサンプル・バッドである事に疑問を持たなかった数分前には気づきもしなかった。

たった今まで何の疑問も持たずイグサンプル・バッドをやっていたけれど、ここから何ができるのだというのだ。

 こんなやる気をなくした世界で正気でいられるはずもない。

ここからのイグサンプル・バッドは市中引き回しの刑に処されて罵詈雑言を浴びせられ総括をしろと国民全員から頭を靴で叩かれ、僻地で牢屋に幽閉されるのだ。

 このクソゲーは制作者のヤケクソのやっつけ仕事とソシアルールの狂気が蟲毒と化して蝕んでいる。

でも前世じゃ、最後の恋愛ゲームとなるからとやり込んでいた。

呆れつつ、苦笑いを浮かべながら。

大好きなゲームジャンルを看取るつもりで、ずっと。


 そして不慮の事故で死んでしまい、一体何が起きたのかこんな世界に転生している。

記憶が戻ってからイグサンプル・バッドとしての報いをこれから受けるのなんて、酷い話だ。もっと記憶が戻るのが早かったら。こんなことにはならなかった。

ああ、なんて。

「……ついとらん……!」

奈落の底から聞こえてきたかのような大きな声が、聞こえてきた。


 こんなセリフはこの世界であるクソゲーには存在していないはずだ。

それにどこから……?

「なんだ、この近くから聞こえてきたぞ?」

「ええ? リアム様のおなかから何か聞こえましてよ?」

相撲の取り組みというダンスを一時止めたリアムとイヴォンヌ。

すると。

リアムの服が破れ始めた。そこから人の手が伸びる。

前世で見た映画のシーンを思わせたが、よく見れば脂肪ではち切れそうになっている服とリアムの体の間に誰か、いる。

服に、顔の輪郭が浮かんでいる。

力づくで服を破り、黒い手袋に青い服の人物がリアムの服の下から出てきた。

え?

「ぶが!」

リアムとイヴォンヌの脂肪にいいだけ挟まれ、顔がちょっとボコボコになった女性が出てきた。

なんで?

しかも、頭髪が真っ青の。こんなキャラ、いない。

何より、ここまで顔つきがしっかりとしていて美人と言える女性は、ギリギリあたくしだけだったはずだ。

「この方は?」

「君と僕が踊っている最中に二人の間から出てきたんだ。たとえ、僕の体から湧き出てきたとしても、僕たち二人の子供なんじゃないかな?」

「まあ、あなた。いい名前をつけないといけないわ」

おい、二人とも正気か。

そしたら訳ねーだよ。

すると鼻血を止血しつつ息を荒げながら少し歩き、彼女は怒りの表情で叫んだ。

「くそう、汗臭い! なんだね! これは! こんなモンが人間の体なのか!

どういう世界だ、ここは! ああ、失敬! 失礼した!」

あ、人の外見を侮辱してる。

「なんだって?」

「なんですの?」

一気に周囲の空気が悪化した。

この世界であたくしだけが犯してきたソシアルールを無視するという暴挙をなしたのだ。

 ……あたくしが前世の記憶を取り戻したからバグが発生した?

こうなったら。

「そこのあなた! リアム様からお出でになられし、あなた!」

彼女に賭けよう。

「お待ちしておりました! 我が王子よ!」

このクソゲーが非難された理由の一つが、体の性別が女性同士の恋愛がなかったのもある。

更なるバグを誘発できるかもしれない。


「む? 私は女だが? 君もだろう。結婚する気はないが、かのような嗜好もまたないのだが」

怒りが未だに収まっていない青い髪の女性。

鼻にガーゼを入れつつボコボコになりながらも顔立ちは整っているからか、怒るとかなり怖い。

でもゲームの想定外の恋愛を試みて、突破口を開けるかもしれない。

そして周囲は。

「なんだって?」

「ソシアルールに反する……」

「なんて言った?」

「断罪だ」

「断罪だ」

「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」「断罪だ」

狂気に満たされてくる。

「さて、大体の状況はわかった」

一転して青い髪の女性の声が平常に近くなった。

「彼女は我が客人! 一切の手を出さないでもらおうか!」

そして叫ぶ。

芯の通った王族を思わせる声で。

「後で君に詳しく説明を願うが。君を一時保護しよう」


「断罪だ」

「断罪だ」

あたくしの腕を掴んで連れて行こうとした衛兵がその手を離し、全く同じタイミングで関節が壊れた操り人形にしか見えないフォームで剣を振りかぶって、あの青い女性に向かって行く。

「断罪だ」

「断罪だ」

ダミアンが松葉杖を振り上げて転び、ウラジミールはダミアンに足を引っ掛けカクカクしながら倒れていった。

「断罪だ」

「断罪よ」

リアムとイヴォンヌはまたクルクル取り組みを再開している。

「断罪よ」

アドラが魔導師とは思えない屈強な腕で殴りかかる。

「『沈み込め』」

そんなカオスな現場は、その一言で終了した。

あの青い髪の女性の言葉一つで。

彼女に襲いかかった全員が、地面に広がった影の中に落ち込んでいく。

断罪だ、断罪だ、などと言いながら生首状態になって壊れたように言い続ける。

「良くないな。いくぞ」

そしてあたくしと手を取り合い……。

「『崩れろ』」

城の壁が急に壊れて。

「そして『吹き飛べ』」

台風よりとんでもない突風があたくしと彼女をその壁の穴から脱出させた。

夜の舞踏会、そこから眺める城下町は記憶の中では街明りが綺麗だった。

でもその景色は、前世の記憶の夜景と比べてしまえば、ただただチープだ。

でも、なぜだろう。人々が宙を舞っているように見えるのは。

バグ?

今は悲鳴を上げる暇も考える暇もなく、城の上層から落下し続けている。

そして森の中へあたくしたちは逃れた。


「まずはあの町へ向かいたい。道はわかるかな?」

でも大丈夫だろうか。

「あたくしは不安でございますわ。あの城下町を見たでしょう。明らかに人間が宙を舞っていましたわ」

「心当たりがあるのだ。ならば早急に向かいたい。君の身柄はできるだけ守ろう」

「わかりましたわ。でもひとつご質問はよろしいかしら」

「何かな? そういえば私について何も言っていなかったな」

「いいえ、それは後でお聞きしたいですわ。お聞きしたいのは、そう、自分が誰かの作り物でしかなかったら、そうだと気づいてしまったら、どうすればよいでしょう?」


 いきなりこの緊急事態に、しかも初対面の人間に言う質問ではない。

でも彼女は嫌な顔もせず答えた。

「どうもせんでよいだろう」

たったこれだけだった。

「ディアスの言葉にあったな。

“神々でありてもかの如く戦慄す。我らは自らが存在すると囚われているに過ぎず、と”

君が恐れているのは自分が架空でしかないならどうするのかという事だろう。

だがその架空である事から逃れられんだろう。ならば善行をなすだけだ。

かの様な事を考える前に、善行について考えた方がよいと思うがね」

 善行。

まさかの回答だった。

「あの……」

頭がまとまらないまま、言葉を発しようとした時だった。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

どこからか、また声がする。

「む? 人……ではないぞ!」

樹木が顔を作り出している。声を発し、断罪を口にする。

それは一本だけではなくて、あたくしと彼女の周り全ての木々が顔を、口を作り出して、断罪を伝えてくる。

「イグサンプル・バッドだ」「断罪」

「断罪」「断罪」「断罪」「イグサンプル・バッドめ」

言葉が夜を汚染してくる。

「くそう! 私にしがみ付け、離すな!」

必至に彼女にしがみつき、再び風に乗る。

森の上空、木々が大きく騒ぐ上。

そのまま街へ飛んでいく。

 街は空からでも混乱の様相を帯びていた。あたくしへの断罪の言葉が聞こえてくる。

そんな街の屋根の上。

「ヘイ、ルノ!」

その人物が差し出す、バットの上に降り立った。

「ニック、無事か」

「おう、ただこっちに来てもしょうがねぇぞ。俺らは街の奴らに嫌われちまった。イグサンプル・バッド、とか言われちまってよ」

え?

「あなた様に向かって、あたくしの名前を呼んだのですか?」

「ちょっと待て。んな名前あるかよ! いや、今会ったばっかですまねぇけどよ! あんたこの世界の奴だろ。こっちじゃ普通なのかよ」

「ニック、君にとってそのイグサンプル・バッドはどういう意味合いになるのかな?」

「俺の国の言葉だと文法が違ぇけどよ、強いて言えば悪例だ。この世界に俺の国の言葉があるのかわからねぇしよ」

「それがあたくしの名前なのでございますわ。この世界の悪例、生贄があたくしです」

 ソシアルールの生贄。自分で言っててぞっとした。


「それだけじゃねぇんだ。壁に貼っているポスターからも俺らに向かって罵ってきた。言葉はわからねぇけどよ。雰囲気は間違いねぇ。今だって、この街の奴ら全員が、延々と呪うように何か言ってきやがっている」

「私たちは森の木々からそんな目にあったよ」

「こんな状況で剣を抜ける奴を探さねぇといけねぇのはキツイぞ。ルノが連れてきた姉ちゃん放っとくわけにいかねぇしよ」

「前のようにはしたくないな……ところでヒトシは? 会ったかな」

「ああ、異形対策でやってみてぇ事があるってよ。あの像がなんか動いているっつてな」

 ふと、視線を感じる。

ああ、そうだ。この街にはソシアルールの信奉者が好む巨像があったんだ。

それが、あたくしたちを睨みつけていた。

「イグサンプル・バッド…………」

こう呟いて。


 灯台としても使われている巨像が、あたくしたちを見据えている。

それは肥え太った男女と骸骨の様に痩せた男女のそれぞれのパーツをブロック積みのように無理矢理組み上げた不細工なこのゲーム同様の香ばしさを放つ、ソシアルールが作り上げた一品だ。

 遠くへ光放つ頭の灯りが、どういう原理かあたくしたちへ照射される。

「よくわからん偶像だな。この世界の流行か?」

「俺もアートはわからねぇ。スポットライトは、もっとまともな奴を浴びてぇところだぜ」

そんな事言ってる場合じゃ、と言おうとした時だった。

もう一体、同じ巨像がその背後に出現した。

手は殴りつけるためにあると言わんばかりに、背後から後から出現した巨像が殴りつけ、昏倒させる。

「……あれはヒトシか」

「ますます無理が効くようになってやがんな……って来やがった!」

 悪い空気を感じる。

それはあたくしを断罪してきたさっきの舞踏会なんかより、ずっと極悪で。

見れば、夜の闇の中にさらに漆黒の渦が発生していた。

邪悪を、感じる。

 そこから、何かが出てくる。

腕、細長いクレーンの様な両腕。建物数軒分の長さを誇っている。

その根元。明らかに女性の胴体をこれでもかと誇張して模倣した、ソシアルールには明確に反する巨大な壺だった。


「君は、下がれ」

「常に俺らの後ろにいろ」

二人は最大限の警戒。

そんな中、巨像を昏倒させたもう一体の像が拳を振り上げ、打ち下ろす。

でも、気が付いた時には、その壺に抱きしめられていた。

壺の腹部が開いた。

その中は目がチカチカするショッキングピンク。唾液か何かの粘液が滴るそこに、押し込まれていく……。

「『裁かれろ』」

雷が落ちる。

「待ちやがれ!」

屋根の一部を剥がして、バットで打ち込む。

その時だった。

「ヨソウガイデゴザイマシタ。ゴシュジンサマ」

いつの間にか、金髪ボブカットの小柄なメイドが傍らに立っていた。

壺に掴まれていた巨像は、消えている。


「ヒトシ、無事か」

この子、そんな男の子みたいな名前なの?

「ブジデゴザイマス。ゴシュジンサマ。タダ、ゴシュジンサマガゴトウチャクサレテカラ、ゴシュジンサマガタガ、ゴランシンデゴザイマス、ゴシュジンサマ」

ん? 何を言っているのかわからないわ。

 風に乗って、一枚のポスターが飛んで来た。

街に貼られている、指名手配犯の似顔絵が書かれたものだ。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

そんなことを言う。

でも、明らかに私たちに向けた言葉じゃない。

そして、そのポスターは、あの闇から出てきた壺に向かって行った。

 渡り鳥が飛び立つ様相で、街中から次々にポスターがあの壺へ向かっていく。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

私たちがいる屋根の下、群衆たちもあの壺に視点を合わせ、一直線に走り出していく。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

動物たちも、人間の言葉を発しながら、突き進んでいく。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

あの城から逃げてきた時に着陸した森からも、木々が根っこを足の様にばたつかせながら。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

昏倒したばかりのあの巨像が立ち上がり、あたくしたちではなくあの壺へ、また拳を振り上げる。

「イグサンプル・バッドは断罪だ」

この国の旗を翻しながら、騎兵団があの壺へと進んでいく。

リアムとイヴォンヌを先頭に。


 一応、あたくしには世界で唯一破邪の力があるとゲームの設定にはある。

でもまともに描写されることはなく、理由が不明なままイヴォンヌにもその力が発現した事になっている。

特に、このイグサンプル・バッド断罪ルートだと、そう説明される。

でも、前世の記憶を取り戻した今、あたくしにはどうやってその力を発揮できるのか、わからない。ゲームに結局出てこなかったから。

その力を出す気か?


 ぐちゃ


 次の瞬間。

リアムとイヴォンヌは気持ち悪い音と共に、壺の中へ抱きしめられ、消えていた。


 え?

「え」

たった少し前、力士の取り組みという名の社交ダンスに興じていた二人が?

え?

「くそう、死ぬ気だ。私の世界の魔族たちの一部にある、戦い方だ」

「笑ってやがる……」

「特攻か……」

いつの間にか出現した学生服姿の少年が呟いている。

「ルノさん、ニックさん。止められないんですか、これ。止められないんですか?」

「……止めるには、全員殺すしかない。イナゴだ、イナゴである事を良しとする馬鹿どもは、どうしようもない。あの異形を私たちで倒そうにも、かなりを巻き込む事になる」

「量が、多すぎる。俺らじゃ、これは無力だ」

「このまま、望みを叶えてやれ。無念だよ」

「…………くそ――――――――――――――――このキャプテン・レッド! せめて! せめて! 確認できることを! 確認して! 最善を尽くそう!」

「最善、か。せめて剣を倒すか。この中にいる奴かもしれねぇんだ」

野球のユニフォーム姿の男が背負っていた剣を屋根の上に立たせ、倒した。

それは、あたくしに向かって倒れた。

「あんたか」

男は複雑な表情を浮かべていた。


 馬上でもカクカクとした動きのウラジミールに、武器ではなくまだ松葉杖を振りかざしているダミアン。固太りの魔導士なのに、馬より速く走っているアドラ。

いくらあたくしが声を張り上げ止めても、見向きもせず、壺へ向かって行く。

 人々も、木々も、銅像も、ポスターも、水辺から魚まで飛び跳ねながら、あの壺へ向かっていく。

死ぬために。

「イグサンプル・バッド、イグサンプル・バッドは断罪だ! ヒャッハー!」

どこかのモヒカンも走ってきた。

「ヒャッハー! 断罪されるのはこの世界だ! 断罪されるべきはこの世界なんだよ! イグサンプル・バッドはこの世界そのものなんだ!ヒャッハー!」

 どういう事?

「この世界をダメにしたルールに屈した悪い例が、このゲームだ! このゲームは壊されなけりゃいけないんだ!

壊してくれる強い奴がやってきてソシアルールに少しでも反したら、イグサンプル・バッドと指定して襲い掛かって壊してもらうんだ!」

 だからこの人たちもイグサンプル・バッドと呼んでいたのか。

壊してもらうために、死ぬために。

あの壺は、見た目が即ソシアルールに反しているとされたのか。

じゃあ、あたくしは?

「ソシアルールに疑問を持っているイグサンプル・バッド! それでもこのゲームの世界をやり込んでくれたイグサンプル・バッド! 不慮の事故で死んでしまった、イグサンプル・バッド!

この世界を見届けてくれ! イグサンプル・バッド!

この世界から脱出できる人に連れてもらってくれ、別な世界へ! イグサンプル・バッド!

さようなら、ありがとう! イグサンプル・バッド!」

 ヒャッハー、とモヒカンことリュウは向かって行った。

自分が終わる場所へ。


 この世界の全てが、あの壺へ向かって行く。

あたくしがかつて愛した人も、好きな者も。

イグサンプル・バッドとして疑問を持たなかった日々の全てが。

壺へと向かい、戦って、あの壺の中へ取り込まれていく。

 そのどうしようもない様を、どこからか現れてくれた三人と共に、見ていた。

無言で、見ていた。

 どのくらい時間がたっただろう。

あたくしたちがいる建物以外、ほとんどがあの壺へ向かっていった。

 壺は、未だ動いている。

だが、流石に壺の損傷は激しい。

「ニック、ヒトシ。準備を。切り替えたまえ」

「……おう」

「……承知」

三人は明らかにあの壺へ向かおうとしていた。

この世界の全てと戦って、なお生存している壺へ。

「断末魔が来るぞ」

壺にヒビが走り出す。

それは割れ、ドロリ、何か出てくる。

粘液、それに続く、頭。

赤ん坊……?

見たくない、でも最後まで見届けないといけない、醜悪な何かが出てこようとしてきた。



DELITE



「何かね? 文字?」

「消す……? あの異形の能力かよ?」

「待て! 本当に、消えている! このキャプテン・レッドが確認した! 間違いない! 

消去されてしまった! あの異形は、消えてしまった! おそらく! プログラム通りに!」

 唐突に、全てが終わってしまった。

この世界を壊してくれる何者かが、手に負えなくなったら発動するプログラム共に。

「おい、なんだそりゃ」

ユニフォーム姿の男が呟いた。

「おい! なんだそりゃ! 全部が全部、テメーが始末すりゃよかったのじゃねぇのかよ!!!

この世界に生きていた奴らは、この世界じゃ生きていた人間だったんじゃねぇのかよ!」

………………。

「くそったれがああああああああああああああああああ!」

男はこの世界に残っている、足場である屋根をバットで壊し、その残骸を手に取った。

「おい、クソヤローーーーーーー! 見てやがんだろ! 俺たちを!! どうせ、空高くからよ!!

これでも喰らいやがれ!!!!」

その残骸は、バッドで打ち出された。

本当に目にも止まらなかった超高速のスイングは、ミサイルみたいに残骸を遥か彼方へ打ち上げた。

何処までも遠く。どこまでも。高く、遠く。





「…………さて、移動しよう」

「おう、もうここにいてもしょうがねぇ」

「それで、あなたもついてくる事になる訳ですか」

全て破壊されたこのゲームの世界に、いてもしょうがない。

わたしは、まだ生きていたいのだ。このゲームの思い出と共に。

「果たしてできるか、分からんが。これはやった事がない」

「可能性としては、この人を僕たちでしっかりと確保していたら一緒に移動できるかもしれないです」

「ありうるな。んじゃ、まずこの剣を持ってくれ」

何でできているか、わからない剣を手渡された。鞘に人が握りしめたような痕と大きめのヒビがあるのが気になる。

「失礼ながら私が君に後ろから覆い被さろう。お互い女だ、問題ないだろう」

「すると、僕とニックさんでこの人を中心に肩を組みますか」

「そうだな、問題ねえ範囲で密着するぞ」

蒸し暑いくらい、人の温もりを感じる。

人とここまで密着するのは前世以来だ。

「それじゃ、抜いてみます」

よくわからないが、剣を抜いてみようとすると、この三人は別な世界へ移動するのだと言う。

これでわたしも移動できたのならいいけど。

イグサンプル・バッドとしてもあたくしは、もういないのだ。

剣を抜いてみる。

固く、抜ける気配がない。そう感じた時。

わたしの体は急に落とし穴に落ちたような感じがした。

四人そろって叫びながら。


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