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二十一話 憑依者

 物々しい雰囲気の兵が続々と集まってきている。

嗚呼、これまでか。

政変が起き、気が付いた時には軍は完全に牛耳られていた。

亡命先を探そうとしていたが、最早その暇さえもないか。

いや、この命はどうなってもいいのだ。

「おじさま……」

この老骨に、姪が近寄ってくる。

カマル。

10歳になる、先日突然亡くなった兄の孫娘だ。

王であった我が兄が、我に託したのだ。

 気づいていたのだ。自分の命が危ういのを。

しかし、遅かった。

何とか、彼女だけでも助けねば……。

「あの兵はわたくしたちを捕えに来たのでしょうか?」

……何も答えられない。

固く閉じた扉がこじ開けられ、使用人たちの悲鳴が上がり始めている。

「確認するが、あの者どもは敵という認識でよいな? 毎度毎度、ついとらん」

そうだ、敵だ……ん?

口調が? いや声が?

カマルは扉の前に椅子を移動させ、靴を脱ぎその上に登る。

あまりに自然に行ったので声をかける間もなく、やけに手慣れた風で構えを取った。

……何をしている?

 バン、と扉が荒々しくこじ開けられる。

「御覚悟を! アサド卿、カマ……」

「セイ!」

そのカマルは兵に対して顎に掌底を繰り出した。

声も出せずに倒れる兵を、そのまま顔を掴み地面に叩きつけて。

「な、なにを……ぐぎゃあ……」

その側にいた兵には、股間に拳を遠慮なく叩きつけた。

 地面には瞬く間に、顎と頭を強打し気絶する兵と股間を押さえ泡を吹き悶絶する兵が転がった。

だがもう一人。

「み、身代わりの曲者……」

その兵は剣を抜くが。

「『燃え上がれ』」

その兵はその言葉通りに燃え上がった。

……無詠唱で魔法を使って……。


「君! 早くこ奴らをまずは部屋に! 少しでも時間を稼ぐ! 全く、髪が邪魔だ!」

カマルは髪を荒々しくかき上げつつ、兵の服に使われていた紐でその髪を後ろにまとめて縛る。

完全にカマルの行動じゃない。

「手伝いたまえ! 一旦籠城する!」

その言葉にまずは従う。

紐やベルトで兵の手足を縛り上げ、部屋へと運ぶ。

そうしてからドアの前に物を積み上げて塞いだ。

 カマルの姿をした誰かは、靴のヒール部分を折って再び履き、椅子の足を二本引き抜き打楽器のバチのように両手に持った。

……あなたは誰だ。

「ルノール・クラウディア。カマルというこの体の持ち主は後ろに下がってもらっている」

それはどこかの英雄の様に堂々とした態度だった。


 ……説明してほしい。

「私がそれを言いたいところだがね。どういう訳かこの者に憑依したようだ。私がこの世界から去るまで、この分だと今の事態を打開するまでこの体を拝借する。カマルには同意してもらった」

この世界から去るまで、と言ったが別の世界から来たのか!

しばしば別の世界から来たと称する者が様々な人物に憑依して現れるが、今この時にカマルにそのような事が起こるとは!

詠唱なしで魔法を使えるお方が憑依するとは、神は我らを見捨ててなかったのか!

「その神を炭鉱の奥底にぶち込みたくて仕方ないのだが。しかし頭で文字なりを組み合わさず、なんぞ口で説かねばならん体系とは面倒な話だがね。それはともかく脱出せねば」

その前にあなたは何者か簡単にでもご説明を。

「いや、時間がないな」

ドアが大きな衝撃を与えられ続け、ついには破壊されようとしていた。

「私の城以上に安普請だな。『沈め』」

カマルの、今はルノールと名乗る人物が駆る体の両掌に黒い影が伸びる。

手にしていた棒がその影に吸い付いたように見えた。

「君はその兵の剣を持ち構えるように。この体では大した魔術を使えん。多少は自分で身を守ってほしい」

そして、ドアが破壊された。

兵がなだれこんでくる。

「『吹き飛べ』」

両手に棒を持っただけの小さな少女姿の人物が、武装を固めた兵士に突撃していく。

風に吹き飛ばされたような勢いで。

十歳児の体で、明らかに達人の技術で棒を振り、次々に兵を打ち倒していく。

援護で倒し損ねた兵に剣を振り、廊下を進む。

だが、兵が多い。

いかにルノールという人物が達人でも、これでは……。

「あれは……、もしや!」

カマルが突如として武術を駆使しだしたことを驚く兵士たちの頭上を、さらに驚愕の事態が起こる。

一言を呟いただけで廊下の天井を滑空したのだ。

 いや、それはさらなる衝撃の前触れにすぎなかった。

兵士たちの後ろにいたのは、賢者ムハマド様。

年を取り病を得て、せめて良い環境をと我が屋敷で療養していた人物だ。

 そんな老人が曲がっていたはずの背をすっくと伸ばし、宝物である英知の杖を堂に入った、見た事のない構えをしている。

なぜかその体の筋肉が、急にその辺りにいる兵士よりもずっと発達させて。

滑空していたカマルの体がムハマド様の元へたどり着く。

だがムハマド様は実に腰が入ったスイングをカマルの体に放った。

打たれたその勢いで残っていた兵士に襲い掛かり討伐をするカマル、もといルノール。

ムハマド様は、この時こう叫んだ。

「OK! 非衝撃ホームラーン!!!」


「すまねぇが、大人しくしてくれ!」

倒し損ねた兵に杖を振り回し、昏倒させていくムハマド様……いや、誰か憑依してるな、これは。

「おう、爺さん! 俺の言葉が通じるな? そーだ、しばらく体を貸してくれ。おう、そのカマルって奴に、半端じゃねぇのがついているから大丈夫だ」

「ニックか。助かったよ」

「よう、ちっこいけど、ルノだろ。さっきまでこの体の爺さんと言葉が通じなかったから、ルノの魔術はあんま使えねぇ状態かよ。離れたらまた言葉が通じなくなるんだろ」

「そのようだ。この体では仕方ない」

と、歴戦の傭兵のような筋骨と雰囲気を持ち合わせた、ムハマド様に憑依した誰かが言う。

あなたは優れた戦士とお見受けする、教えていただきたい。

「ニックだ。ニック・ワイズ。戦士じゃねぇよ、ベースボーラーだ」

ベースボーラー……どういう意味だろう?

「私としては筋肉を急に発達させたのはどうやったのか聞きたいのだが」

「ちょっと無理矢理だったけどよ、心臓を大きめに動かして筋肉に血液を送った。爺さんの体だったから調整が難しかったけどよ。背筋も無理して伸ばしてっから、ちっといてぇし」

……あまり無理をムハマド様になさらないで欲しい。


「ヒトシと合流したいが……、これでは難しいかもしれん」

「窓の向こうにゃ、まだ俺らを狙う兵隊がいやがるしな。包囲されているか? このままならもう少ししたらまたやってくるだろ」

一旦脱出できたらよいのだが。

「いつもの俺らなら簡単だろうけどよ。ルノは魔術がいつもほど使えねぇし、俺は爺さんに無理をさせれねぇ。爺さん自身は問題ないつってるけど、やせ我慢だぞこれ」

……ならば、我が囮となろう。

屋根の上で大騒ぎすれば兵はそこに集中し、時間が稼げる。

あなたたちがカマルとムハマド様をお守りしてくだされば、それでよい。

「ふたつ前に世界にいた愚か者に見せたい覚悟だな」

「全くだ。なんとかしてやりてぇけどよ」

「あのダメで調子のいい、フンドシ一枚のダメダメなおっさんでございますね?」

すると、屋敷に似つかわしくない町娘が言葉を挟んだ。

……誰だ? いや、どこかで?

「む? カマルが言っている。その人はわたくしの人形、だと」

「お嬢様のお人形となられるのでしょうか。改めてよろしくお願いいたしますわ」

 そうだ。それだ……いや、おかしいだろ。


 ただ、その街娘はカマルの人形の特徴をよく表している。

色合い、服装、髪型、傷跡と。

どういう訳かその全く派手さのない、素朴な人形をカマルは好んでいた。

……で、なんでどこかの町娘風の人間となって歩いているのだ?

「つまりは、ヒトシか!」

「ヒトシかよ!」

この二人の知り合い?

「お待ちくださいませ。お嬢様はわたしを何とお呼びでしたか?」

「ジャスミン、らしい」

そうだ、その人形をそう名付けていた。

「ではわたしはジャスミンです。お嬢様に旦那様、お客様。まずは脱出といたしましょう。それもさらなる厄介なお方がいらっしゃる前に、早急に」

これ以上悪い状況が来るというのか?


「このジャスミン、自由に動かせる体でよかったですわ。アクションフィギュアですもの。お陰でお嬢様方をお助けできますわ」

「ヒトシ、ああジャスミンと呼ぼうか。人形に変化するのには条件が必要とか言っていなかったかな?」

やはり人形なのか?

「左様でございます。左様でございました、と言った方が一部は正確ですわね。その人形の設定を知っていなければ無理でございました」

「んじゃ、今はなんでその初めて見る人形になれてんだよ」

「その場で設定を考えて変身いたしました。当初とある村の娘エリザベトという名の設定で変身いたしましたが、今は設定を変えてお嬢様にご寵愛される町娘ジャスミンでございます」

「テキトーだな、おい」

「所詮、ダメ女神のお仕事ということなのですよ」

 それでどうやって脱出するつもりなのか?

連れられるまま、正面玄関近くまで来た。

兵には見つかっていないようだが、このままだと見つかるだろう。

「まずお嬢様にお客様。無用な加害は好まないと存じます。厄介なお方がいつ来られるかわらない以上、兵士様たちには自力でお逃げ下さいませんと」

一体、何が来るというのだ。

「それでご主人様に皆さま。これをつけてほしいのです」

……手枷ではないか!

「無論、鍵はおつけしません。捕まったふりをするだけです。ある程度距離を取りましたら逃走いたしましょう」

「……考える事は他にもあるが、まずはそうしようか」

「だけどよ、兵士に連れていかれねぇと信用もクソもねぇぞ。どいつか起こすか?」

「一番信用されそうな人物なら準備できております――――――――――――ぐぐぐ……、体が……体が……言う事を聞かん……。ううう、アサド卿……うあああ、カマル様、ご覚悟……おおお……」

それは兵団長だった。


「捕まえたから連れていけ……だと……。それでいい、いいのだが…………。枷に……か、鍵をつけてないだろう…。ううう……。その人形を……顔に近づけるな……」

我らを捉えようとしていた兵団長が明らかに普通の状態じゃない。

手にはあのジャスミンと名付けられた人形。なぜ兵団長がそんなものを。

「……ヒトシがこの者を操っているのか」

「いつも人形に乗り移っているみてぇなもんだけどよ。人様に悪霊みてぇに乗り移ってっぞ。アリか、これ。

その人形を顔に近づけるなって、どういうことだよ」

「思うに、確か素肌に人形を触れさせないと変化できなかったはずだ。この者は顔しか肌を晒しておらん。それで体を乗っ取り顔に人形を触れさせたのだろう。そうやってジャスミンの姿を取り、自由に動けるようになって私たちと合流したのだな。

ではヒトシ、人形を私に。その者が持っていては不自然だ」

「ううう……」

 人形を手渡した兵団長は、鍵をつけないまま我らに枷を嵌る。

これなら脱出は可能だ。

ただ、カマルの姿のルノールはその人形を小脇に挟みつつ両手に棒切れを持ち、ムハマド様の姿のニックは筋骨隆々な状態だ。

相当に不自然だった。だが気づいた時にはもう、兵士たちの前にいた。

「は……アサド卿とカマル様を……とら、捕えた……。ムハマド様のま、魔法により多くの者がふ……、負傷してる。アサド……卿とカマル様にむ……ムハマド様を馬車に、の、乗せ護送せよ。そ……その後、負傷者を搬送だ、だ」

 どこか我らが異様なのと、兵団長がろれつが回っていないことをいぶかしむ兵士たちだったが、我らはとりあえず馬車に乗せられた。

檻がついている、犯罪者を刑場に運ぶ代物だったが、この憑依せし者たちならばなんとでもするだろう。

 早速、少しばかり移動した所で馬車に乗せられた憑依せし二人が枷を外し動く。

ムハマド様に憑依したニックが、馬車の檻がはめられたドアを蹴り飛ばした。

……待て、それは早すぎる……。

「お前ら、屋敷に逃げ込めぇぇぇ!!」

それに続く、老人の物とは思えない絶叫。

「総員退避ーーーーーー!!」

兵団長が、元々の張りのある声もまた響く。

「ヒトシ! 受け取れ!」

カマルに憑依したルノールがジャスミンの人形を投げ、兵団長に憑依したヒトシが受け取り、その人形をまた顔に近づける。

「ああああああ! 近づけるな! 止めろぉぉぉ!――――――――――――皆さま! 御屋敷にお逃げ下さいませ!――――――――――――――ソレデハオツカマリクダサイマセ。ゴシュジンサマ」

 兵団長は再びジャスミンに、そして女中の、西で呼ばれるメイドの姿に……。待て、なんだその奇妙な声で全体的に違和感を濃厚に漂わせる、見た事も聞いた事もない女は。

 不安にさせる笑顔という初めて目にする表情を浮かべたメイドは、我らの元に風の様に移動し、我の体を軽々と持ち上げつつ、後の二人はその体にしがみつき、迅雷の様に駆けだす。

パニックになり暴走する馬車を引いていた馬よりも早く。

 屋敷に逃げ戻る途中、道の向こうにさらなる見た事のない物が見える。

巣。

本来は黄金色の蜜をもたらす益虫。

だがその物体は、真紫色で山の様に巨大、その並び積み重なった砲台の様にこちらに蜂が飛び出す穴を向けていた。

 そして出てくる。

そして出てくる。蜂とはとても言えぬ、この世の全ての色の細かなモザイクで彩られた羽の生えた醜悪な蟲が。

「爺さん!! 覚悟は受け取った!! まだノーアウトだ! 諦めんな!」

屋敷にはもう少しという所で、ムハマド様の体がそのメイドから離れた。

「全員屋敷に入れ! それまで俺が抑える!」

色鮮やかすぎる数々の毒々しい蟲たちがもうそこまで飛んできていた。

ムハマド様の体でニックという人物が、英知の杖を振り回し次々に弾き飛ばす。

その体液は、服や地面にかかるたびに煙を上げる。強烈な毒なのだろう。

杖が届かない場所には地面を抉り、土砂で打ち飛ばす。

神話如き凄まじさだ。

「くそう! またしても状況が悪い! 私たちを捕えに来たという兵隊たちよ! ここは協力を! 今この時、私たちにかまわない程度でも良い!」

カマルの姿のルノールが叫ぶ。

訳が分からず、ざわざわと動揺する兵士たち。

窓には悪夢より突拍子もない、多くの異形の蟲が襲い掛かってくる光景。

小柄な十歳児のカマルが英雄の様に手慣れた風で激を飛ばし、臥せっていたはずのムハマド様が孤軍奮闘し兵士たちを助けている。

「ヨロシイデゴザイマスカ。ゴシュジンサマ」

で、とんでもなく近寄りがたいメイドが常軌を逸した速度で我らを運んできたのだ。

 今、この時は本当に現実なのだろうか?

「ソレデハオネガイイタシマス。ゴシュジンサマ。―――――――――――――お願いいたしますわ兵団長様―――――――――諸君! ここは兵団長が命ずる、あの化け物を討伐をする」

兵団長があのメイドからジャスミンを経て、元の姿を取った。

さらにざわめく兵士たち。

だがすぐにその指揮下に入る。やはり練度の高い部隊だったか。兵団長も素早く切り替えてきた。思った以上に優秀な人物のようだ。

「アサド卿。この状況については何か知っている事は?」

兵団長、我にもわからない。ただ、カマルとムハマド様には貴殿と同じく異世界からの憑依者がついている。

その憑依者が最大戦力だ。それに加えて。

「ニック、ご苦労! 私が屋敷を護る! しばし休め!」

カマル、もといルノールが屋敷から外へ。

やはり無詠唱で業火を放つ。

「爺さんの体じゃもたねぇ。ここまで疲れたのも久しぶりだ」

廊下に倒れ込むムハマド様、もといニック。

「それに加えて、ムハマド様ですね」

病で臥せっていたが、この憑依者がいるのならば。


貴殿としては不本意だろうが、ここは我慢を。

状況は分からないが、共に最大限の力を合わせねば打開できない。

「……わかっております。この憑依者が只者ではないことは」

兵団長はまた人形のジャスミンを顔に付ける。

「くそ、頼むぞ――――――――――――最善を尽くすのを誓いますわ。兵団長様――――――――――――諸君らの作戦は承知した! このキャプテン・レッドと共にダークシャドウを撃ち果たすのだ!」

あのメイドとも違う赤い男へと変化した。

そのまま屋敷の外へ出ると、今の我らができる策をルノールに叫んだ。そうした後高く飛び上がり、巨大な鉄の像となってルノールの前に剣を防ぐ壁として立った。

 ここからは我らはしばし見守る形になる。

蟲は屋敷の壁に取りつき、爆ぜた。確実に我らに危害を加えようとしている。

ルノールの炎がそれをかなりの量を燃やしてくれていたが、兵が外に出たところで無駄死になってしまうだろう。

しかし大丈夫だろうか。カマルの体は、明らかに無理がかかっている。

カマルに憑依した状態では本来の力を発揮できないと言っていた。

“作戦は承知した。ニックとムハマド、頼むぞ。カマルの身は私が責任を持つ”

声が、聞こえてくる。

あの状況下でルノールがそのような魔法を使ったのか。

ムハマド様でさえ使えなかった何かを。

 兵団長に憑依したヒトシと呼ばれる人物を壁に、ルノールが進んでいく。


「よし、全員で気張るぞ! 気をつけろよ、ルノとヒトシがどこまで進めるか、屋敷の壁がどこまで持ちこたえるかわからねぇ。俺らは行く!」

ニックが言い、ムハマド様の体が外へ飛び出す。

英知の杖を振るい、なおも襲い掛かる蟲を弾きつつ、ルノールとヒトシの元へ。

ヒトシの姿が縮んだ。

あの恐怖さえ覚えるメイドの姿だ。

メイドは二人を小さな背中に乗せ、飛び交う蟲の発生源たる巨大な巣の元へ。

 無詠唱の魔法と杖を振り回し、襲い掛かる蟲たちをなおも弾き続けて。

“かなり近づけた! 頼むぞ!”

ルノールから言葉が届いた。

我らを捉えに来たりし兵士たちよ、今この時ばかりは心を合わそうぞ。

詠唱するのだ。

目の前に詠唱文字を刻め。

大祓の魔法を。

邪悪を祓う文字を。



(各)(种)(各)(样)(的)(灾)(难)(罪)(污)(秽)

よし、心は一致している。皆の目の前には文字が現れた。


(如)(果)(有)

続けるぞ。油断するな。


(驱)(除)(请)(弄)(洁)(净)

あと一息だ。


(请)(批)(准)(说)(事)

邪悪を祓おうぞ。憑依者とムハマド様と共に。


(诚)(惶)(诚)(恐)(也)(说)

見ると、ムハマド様は久方ぶりの大きな文字を表していた。

我らの詠唱をさらに触媒させたとは言え。かつて当代随一と呼ばれた詠唱が復活していた。

蟲の巣は、膨大なまでの光に包まれる。

おぞましい色合いは、白くなり清くなり、消え去った。

 祓われ、清められた。浄化が終わった。



「今のが君らの詠唱か」

しばらく周囲を警戒していたルノールが戻るなりそう言った。

「予想外かつ、素晴らしかった」

無詠唱の魔法を自在に操りし貴殿にそうおっしゃられるのは喜びでございます。

「……ヒトシなる憑依者が言うには漢字なるものをここで見るとは思わなかったそうですが。憑依者の世界にも詠唱文字があるのでしょうか?」

元の姿に戻った兵団長が言う。

存在する世界は様々、ありえない事ではない。

「憑依者をさらに歓迎いたしたいところじゃが、この憑依者はなんぞ急ぎの用がある様子じゃ。剣を探していると、ニックが言っておる。あの剣じゃろうか?」

ムハマド様。

おそらくそうでしょう。それはここに。

我らの国ではまず用いない直刃の剣。扱いやすくするには曲刀がよいとする常識に反した刃。

それに加えて材質が分からない上に、目立つ赤色。

我が一応保管していたが、憑依者たちの物だったか。

兵士が来るより少し前、何故かゴミ箱の中に突き刺さっていたのだが。


「では」

カマル姿のルノールが剣を立てて、手を離した。

それは外に向かって倒れた。

その方向に向かう。

そこにいたのは、先ほど馬車を引いていた馬だった。

「馬か……ではこれでお暇する。大変お世話になった。加えてよい物を見せてくれて、魔術師としてよい経験ができた。私たちを追ってきた異形を討伐に手助けしてくれたのもまた感謝する」

ルノールが言う。

「全員無事でよかったと、ニックが申しておる。ワシの方が礼を言う。助かったよ」

ムハマド様が続く。

「ヒトシなる人物も同様です。……色々ありましたが部下の命が助かったのは事実。礼をこちらからも言います」

兵団長もまた続く。

 すると、剣の柄を馬の口に向ける。

馬はじゃれるように咥えた。

その瞬間、カマルとムハマド様と兵団長から幽体が飛び出した。

憑依者の憑依が解かれるとき特有の現象だ。

カマルからは青髪で意志の強そうな女性が。

ムハマド様からは黒い肌の強健そうな若者が。

兵団長からは……予想外にこれといった特徴のない少年が飛び出た。

そして、剣と共に地面へ落ちていった。


「行ってしまったの」

「行ってしまいましたわ」

「行ってしまいましたか」

憑依された三人が口を揃える。

「あの、わたくしの人形をお返し下さる?」

カマルが兵団長に言う。

「そうでした。これはお返しせねば」

兵団長はジャスミンという名の人形を手渡した。

「さて、よい馬じゃの」

左様ですね。丁度、引いていた馬車は外れたようです。我は鐙がなくとも馬に乗れます。

我はカマルを馬に乗せ、ムハマド様と共にまたがった。

取り合えず、隣の国まで逃げましょうぞ!

「あ! 忘れてた! 皆の者! 追えぇぇぇぇ!!」


「ほっほー! あの憑依者のお陰で20年前の体を手に入れたわ! あと2,3日は続くじゃろ! ではもういっちょ詠唱するかの!」

久方ぶりに好調なムハマド様。

詠唱文字を表した。

(快)

馬の脚が速くなる。

加速の詠唱文字だ。これで兵団長はそう簡単には追い付けないだろう。

「おじさま、ムハマド様、あの憑依者たちには感謝せねばなりませんね」

カマル、全くそうだな。

「そしてわたくしもあの憑依者のようにきっと強くなりますわ!」

カマルが叫んだ。

そうだ、強くなれ。

あの憑依者を超える程に。

 我は、より速く馬を駆けさせた。


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