十二話 スキーニング・メイド
暗い洋館。
わたしたちの足音とかすかな吐息だけが聞こえてくる、静寂。
繋いだ手のわずかな暖かさだけが、心の支え。
「大丈夫か、彩」
「うん、なんともないよ。光兄さん」
血の気を失った顔で兄さんが聞いてくる。
きっとわたしも同じような顔で返事をした。
あんな目に、あんな目に合うなんて思いもしなかったから。
ここがどことも知れず、さ迷い歩く。
ガチャ!
不意に目の前のドアが開けられようとしている!
「あ、彩! ぼくの後ろに!」
振るえる声に従い、わたしは兄さんの後ろに隠れる。
肩越しにそのドアを見ながら。
ガチャガチャ!
来る!
「開かねぇな」
……え?
「別な方へ行くかい?」
バキ!
「ヤベ。壊しちまった」
ギィィィ、と開くドア。
そこから出てきたのは、予想外すぎる人間たちだった。
「ん? おおっと、人がいたか。ここの関係者か? すまねぇ、壊しちまったよ」
まず出てきたのは、壊してしまったドアノブを手に、バットを小脇に挟んでいる野球のユニフォーム姿の大柄な黒人。
背負っているのは、なぜかファンタジーに出てきそうな剣。
「申し訳ないな。私が弁償できたらよいのだが」
次いで、髪の青い女性。
二人ともコスプレ? その衣装のまま逃げ出したの?
さらに不可思議なのは二人とも、焼いた魚の切り身を持っていたことだった。
髪の青い女性が手にしている袋にも、少し焦げた魚が覗いていた。
「驚いた……よかった」
危うくへたり込みそうな兄さん。
「無事でよかったわ。一緒に逃げましょ」
「逃げる、とは? 何があったのかな?」
知らない?
考えてみればこの二人、不自然すぎる。
こんな目立つ格好の人間がいればすぐに気づく。それに黒人はいなかったはずだ。
大体、普通焼いた魚を手づかみで歩き回る?
それどこから持ってきたの?
まるで、どこからかたった今やってきたかのような……?
「ところでよ、仲間を見失っちまったんだ。多分、黒い服を着ていると思うんだがよ。ボタンは金色で真ん中に五つだ。知らねぇか? 違う恰好かもしれぇねけど」
黒人が魚を食べながら聞いてきた。
服装的に、学生服? そんなの着ている人もいなかった。
「残念だけど、多分……」
兄さんが悲痛な声を出した。
「早く……早く逃げましょ」
わたしが出せる言葉は、もうこれだけだ。
「どうしたものだろうな。悪い状況下にいるようだ」
「アレがやってきたかもしれねぇな。誰かを巻き込んじまったか?」
「まず、ヒトシを探したいところだが。私たち二人で何とかせねばならんかもな」
間違いない、この二人はあの惨状を知らない。
人間が二人来たところで、何ともならない。
「さあ、早く……。今ドアノブを壊した音で来るかもしれない」
そうだ。音にも敏感だ。
「ここから離れなきゃ、ダメなのよ……。早く……」
すると、音が聞こえた。
敏感になっているわたしの耳が、トス、トスと軽い音を捕らえた。
トストス、トトトトトトトトトト!
それの軽い音は小刻みに連続して。
「オデカケデゴザオマショウカ。ゴシュジンサマ」
「おう、ヒトシ…………じゃねぇ!!!!!」
来た。
アリム。
もう、逃げられない。
「オヨウフクガオミダレデゴザイマス。ゴシュジンサマ」
アリムが一気に距離を詰めてきた。
速い。
もう、目の前に、いる。
張り付いた冷たい笑顔で、金色の髪をなびかせて。
叫び声 出そうとしたときには、もうアリム、の伸ばした手が、とどく。死 ぬ
「オラァ!!」
黒人が手にしていた魚をアリムにぶつけた。
フラフラとよろけるアリム。
え?
銃弾さえもろともしなかったのに?
「『燃え上がれ』」
次の瞬間、アリムが火に包まれた。
「ナニヲナサイマスカ。ゴシュジンサマ……」
アリムは、すぐに物陰に隠れた。
物陰で消火器の粉が舞った。
「至近距離の外野からホームを刺す威力のボールで、これか」
「今ので決めれなかったか。予想以上に頑丈だな」
アリムを撃退した?
「な、何をやったんだ?」
兄さんが声を出した。
そうだ。
……この青い髪の人、何かをかけて、アリムを燃やしたの?
黒人だって、おかしい。
魚をぶつけて、撃退できるものじゃない。
ぶつけた魚は、まるで爆発したかのように細かい破片となって飛び散っている。
「俺は思い切りやっただけだ。試合の時と同じ威力でな。壊したドアノブをぶん投げるべきだったか」
「魔術を使っただけなのだがな。ヒトシはあれの人形を持っていたということか」
「ビッグリーグでプレイやれる程度には体強いな、あれは」
二人ともこともなげに言った。
「彩、この人たちと一緒なら」
……生き延びれるかもしれない。
「お願い。一緒に……逃げて」
「ん、こっから出てぇのか? まあ、そうか」
すると黒人は窓を開けた。
「ちょっと高けぇな。まあ、こっから下に降ろしてやれるけどよ」
「待て、五階だぞ! 降りれるものか! ふざけている暇はないんだ、頼む、一緒にこの屋敷から出てくれ!」
「それは少し困るのだが。仲間が近くにいるはずなのだ。彼と合流したい。それに、だ」
「アブね!」
黒人が急に屈んだ。
天井から、細い少女の腕が伸びていた。
「オボウシガカタムイテオイデデス。ゴシュジンサマ」
アリム。
また、現れた。
「タッチアウトにゃなんねぇぞ!」
黒人は手にしていたバットを振るう。
アリムが天井から手を出す際に壊した木の破片、それが散弾の様にアリムに刺さる。
「アリムニゴフマンガオアリデスカ。ゴシュジンサマ」
そのセリフの間にも、黒人のバットは破片を的確に飛ばし続ける。
よく見ると、いつの間にか床を抉り取って、飛ばしていた。
ボロボロに破損しいつしかゾンビの様になったアリム。
「ナニガ……オアリ……デ……スカ。ゴ……シュジ……ンサマ」
「『燃え尽きろ』」
より強い炎が起こった。
「オ…………タスケ……ク……ダサイ……マセ。ゴシュ…………」
火炎の中で、ゆっくりとアリムは燃え落ちていく……。
天井から床に落下。炎上しつつ、うつ伏せで顔を上げた状態で、動きを止めた。
あのアリムが……。終わった。唐突に。
「は、はははははは! 貸してくれ! バットを貸してくれ! ぶっ壊してやるんだ! こいつをこいつを、ぶっ壊してやるんだ!」
「いいけどよ。やたら重いぞ」
「ぶっ?!」
兄さんは明らかに手にしたバットが重くて、その場に倒れた。
……あんなの振り回していたの?
「ニック、ただの木材でできてはいないと思っていたが、ああまで重量があるのか」
「まあ、レアな木材でな。俺らはこんなんじゃねぇとベースボールできねぇんだ」
「ふむ。であろうな。『沈み込め』」
その一言と共に燃えるアリムは床に沈んでいった……え?
まるで底なし沼に沈んでいくように……。
「では君たち二人に説明を頼む。アリムとこの館で起きた事についてだ」
やはりこの黒人と青い髪の女は違うんだ。
何も知らない。
「し……知らないのか」
バットは黒人が軽々と持ち上げ、その重さから解放された兄さんは立ち上がりながら口にする。
「たった今来たばかりなのだ。ああ、このアリムとやらは、個人的事情でここに保存させてもらう」
アリムは骨格と黒炭だけとなった首から上を出して、晒された生首のように残骸と化していた。
「最新AIのお披露目会場だったんだ、ここは。そこにぼくと彩が招待された。その目玉が多目的メイド・アリムだ」
その兄さんの言葉が、記憶をフラッシュバックさせる。
華やかな会場に、かわいらしい小柄なメイドロボが現れた光景。
「それが……そのそいつが」
兄さんは黒焦げを指さし叫ぶ。
「いきなり暴走して、みんなみんなみんな、殺して回ったんだ」
湧き上がる吐き気を必死でこらえる。
お豆腐を崩すかのようにアリムは軽く一押しで人を砕いていった。
ゴシュジンサマ、と気味の悪い声を張り付いた笑顔のまま言いながら。
「それで必死で逃げている。入ってきた時の入口はアリムが先回りして使えなかった。それで他の出口を探して屋敷を巡っているんだ」
バリケードを築いた人を尻目に。抵抗する人たちを犠牲として差し出しながら。
わたしたちは血塗られた逃避行を続けている。
「彩、大丈夫か」
兄さんが声をかけてくれた。
吐き出しそうな感覚を必死でこらえ、わたしは頷いた。
「でももう安心していいんだ。アリムは、もういない」
そうだった。この人たちが、始末してくれた。
唐突すぎる、おかしな人たちだけど。
「ヒトシのやつ、アリムはアニメのキャラとか言ってたんだよな」
「アニメ、とは?」
何を言っているの? アニメのはずないじゃない。
ここは現実。ここは現実。今は現実。
アリムが出てくるアニメなんて、ただのホラーよ。
嘘よ、嘘のお話よ。
「なんて説明すりゃいいんだろうな。ただまぁ」
黒人が廊下の向こう側に、壊したドアノブを投げつけた。
すると。
「ソチラニオラレマシタカ。ゴシュジ……」
途中で途切れた、気味の悪い声が聞こえてきた。
何かが壊れ落ちた音と共に。
悪夢だ。悪夢よ。現実じゃない、
「この仕留めた個体はまき散らした粉が付いていなかったからな。まあ、そうなるか」
……そうだ。体についた火を消すために消火器を使ったなら、体に消火剤が付いているはずだ。この黒焦げのアリムにはそれがついていなかった……。
「ただじゃすまねぇってこったな」
アリムがもう何体か、こっちに来た。
向こうには投げつけられたドアノブで胴体を破壊されたアリムが転がっている。
そしてその上をまた新たなアリムが走って来る!
「ナニカオアリデゴザイマショウカ。ゴシュジンサマ」
「モノヲナゲツケルナド、キケンデゴザイマス。ゴシュジンサマ」
「アリムヘノゴフマンガガゴザイマシタラ、オッシャッテクダサイアマセ。ゴシュジンサマ」
そのうち一体は粉が付いた黒焦げの服を着ている。さっきの個体が仲間を、別なアリムを呼んだ……?
「う、うあああ!!」
「『燃え尽きろ』」
兄さんの叫び声よりはっきり聞こえてくる青い髪の女性の声と共に、また炎が巻き起こる。
今度は廊下を隙間なく埋め尽くすほどの規模で。
見ると三体とも消火器を噴射しながら突進してきたようだ。
それでも炎は強烈でアリムは全員半ば火だるま。でもさっきほどの損傷はない。
「絶好球だ!」
黒人が大きく踏み込み、スイング。
先頭にいたアリムの腕にバットを当てた。
するとその腕は粉砕され、アリムたちに腕の破片がショットガンのように降り注いだ。
さらに目にもとまらぬフルスイング。
腕を砕いたアリムを、持っていた消火器ごと物凄い音と共に破壊した。
「イッタイナニゴトデゴザイマ」
もう一体のアリムは、バットで壊されそのまま飛ばされた消火器がまともに当たり、言葉の途中で沈黙した。
残るのは一体。
「ソチラハドナタデゴザイマスカ。ゴシュジンサマ」
でも、注意が黒人にも青い髪の女性にもいっていない?
「ゴシュジンサマヲオトメニマイリマシタ。ゴシュジンサマ」
……もう一体、もう一体アリムが来ていた。
「ナニモノデゴザイマショウカ。ハイジョイタシマス」
「ゴシュジンサマハゴタイジョウノオジカンデス。ゴシュジンサマ」
焼け続けてるアリムが消火器を振り回し、無傷のアリムを殴りかかった。
……え?
無傷のアリムは屈んで避けて、そのまま両手を焼け焦げたアリムに突き刺す。
「ハ……ハイジョ……イタシマス。ハイジョ……」
「ソノママオクタバリクダサイマセ。ゴシュジンサマ」
そして焼けているアリムは、無傷のアリムの手により、胴体を引き裂かれた。
沈黙したアリム三体の残骸の中で、無傷のアリムがあの冷たく凍ったような笑顔のままこっちを見つめる……。
「ひ…………」
「いや…………」
「マサカマサカトオモイマシタガ、アナタサマガタガオラレマシタカ。ゴシュジンサマ――――――ここはこのキャプテン・レッドの姿で失礼させてもらう!」
アリムが、特撮的なヒーローの姿に変わった。
え?
「ヒトシか。無事みてぇだな」
「ヒトシ! そのアリムの姿のままだったら燃やしている所だぞ。おっと、このままでは火事になるか。『潤せ』」
不意に水が滴り、アリムについていた火は消えた。
今度は何をやったの?
「急ぎ参上するために一時をアリムの姿となったのだ! この場においてはこのキャプテン・レッドの姿でいた! 君ら同士たちと速やかに合流せねばならなかったからな!」
どういうこと?
「どういうことなんだ……?」
「説明しよう! 我が名はキャプテン・レッド! その正体は正義の心を抱く少年、鈴木均! 女神より不可思議極まる能力を授けられ、素肌に触れた人形の姿、すなわちアリム、アイアンゴーレム、そしてこのキャプテン・レッド姿を取ることができるようになった! 真なる姿をさらすのが礼儀といえど、ここはこのキャプテン・レッドで失礼させてもらう!」
ごめん。全然よくわからない。
「とにかく。とにかく脱出を手伝ってくれ。アリムが一体じゃないなら、なおさらだ。頼む、助けてくれ」
「お願い。助けて。助けて下さい」
よくわからない二人に、さらにその仲間が理解の範囲を大きく飛び越えているけど。
助かる道はもう、この人たちに頼る事だけ。
「……君たちはまだ精々5話の段階か」
5話? 何を言っているの?
「アリムは大量に生産されている! 一体どれほどがここにいるかわからぬ! 工場が暴走しているというのが有力な説だ!」
だから一体、何を言っているの?
「ヒトシ、つまりここはアニメの世界だってのか?」
「おそらくはそうだろう! 以前見たアニメの設定と諸々がうり二つだった! だが公式さえもはっきりしない、はっきりさせてない点が多いアニメだ! キャプテン・レッドさえも知らない事象が起こっても不思議ではないぞ!」
「ところで私にはそのアニメとやらがわからんのだが」
「一言で言おう! 自動で動き、声や音が発生する絵本のような物と考えればほぼ合っている!」
「アニメじゃない! アニメじゃない! 本当の事! 現実逃避もいい加減にしろよ!」
兄さんが叫ぶ。
「そうよ! そんな事を言っている場合じゃないの! 現実からは逃げちゃダメ! 逃げちゃダメ! 逃げちゃダメ!」
叫んじゃいけないだろうけど、わたしも叫んだ。
なんだか変な日本語だったけど。
「アニメじゃない、本当の事。かのような主題歌があった。逃げちゃダメ。そのような有名なセリフがあったな。同士たちよ! ここは速やかに我らが目的を遂行すべきだと思う!」
何を言っているの? わたしたちの声が聞こえていないの?
「創作の世界か……。信じられんがヒトシの持っている人形の元になった存在がいる以上、そう考えるのが妥当だな。どのみち長居は無用。ニック頼む」
「じゃ剣を倒すぞ」
黒人が背負っていた剣を下ろし、地面に立ててから倒した。
不自然な軌道を描いて、倒れた。剣の柄一点で立つかのように、止まった。
「下か。めんどくせぇから、壊していくぞ」
黒人は今度はバットを床に向かって振るう。一撃で爆発したような音を発生させて、床を破壊した。
剣が指し示した方向にまっすぐ進むために。
「この方向! 何やら騒がしい音が聞こえ、多数のアリムと思しき声、及び異形と想定される音がしてくる! 注意が必須だ!」
「なんつーか、やっぱか。すまねぇが、それじゃな。行かなきゃなんねぇんだ」
黒人が飛び降りた。
「すまないが、私は我が国の3万の民を護らねばならんのだ。せめて君らの幸運を祈る」
青い髪の女性が続いた。
「キャプテン・レッドとしては大変不本意だが、同士たちと共に行かねばならぬ義務を背負ってしまっているのだ。我らとの接触がどのような影響を及ぼすのかわからぬが、君らは最後まで生き延びるはずだ! 健闘を祈る!」
アリムの姿を取っていた特撮ヒーローまで飛び降りてしまった。
わたしたちはまた二人になった。
「彩、行こう」
兄さんが床に開けられた穴を指さした。
そこに行くの?
「アリムがまだたくさんいるかもしれない。そのアリムと対抗できるのは彼らだけだ。ついていくべきだ。さあ早く。穴を開け続けている音でアリムが近寄ってくる! 飛び降りよう!」
兄さんと手を繋ぐ。
力いっぱい手を取り合って。
飛び降りた。
「うわああああああああああああああああ!!!」
「きゃああああああああああああああああ!!!」
「衝撃吸収バンド! おいおい、付いてきちまったのかよ」
真っ逆さまだった。
5階のあの場所から、ここまで。一切足が地面に付くことなく落っこちてしまった。
黒人が差し出したバットが不思議な程衝撃を柔らげてくれなかったら、ただじゃすまなかった。
「つーか、ここ。地獄だぞ」
「「「「「「「「「「「アラタナゴシュジンサマ、イラッシャイマセ。ゴシュジンサマ」」」」」」」」」」」
周囲を見渡す限り、アリムで敷き詰められ、一斉にわたしたちに声をかけてきた。
その向こうには不気味なまだら模様の、目がチカチカして鳥肌が立ちそうになる巨大な粘液が暴れまわっていた。
「ええい! 付いてきてしまったか! そこを動くではないぞ!」
「二人がやってくるとは想定外! なれど異形とアリムの集団が戦っている! こちらに向かってくる戦力が分断されているのだけは僥倖と言えよう!」
「てか、このアリムのどれかが勇者候補ってこったろ! 原型留めるようにしろよ!」
燃やし吹き飛ばし、粉砕し、刀で切りつける。
わたしたち二人を中心に三人が無数の襲い掛かるアリムと戦っている。
なんてこと。完全に足でまといだ。
「あ、あ、あ、はははははははははははははははははは。戦ってやる。壊してやる!」
兄さんが床に落ちていたアリムの腕を手に振りかざした。
待って、そう言おうとした時、わたしたちの目の前にそれが現れた。
兄さんはその中に取り込まれてしまった。
不気味な色彩の中に。
それはスライム状の粘液だった。
皮膚病を思わせるようなまだら模様をした、雀蜂みたいな色彩の。
ああ、さっき見たあのスライム。
大きいのはまだあっちにいるのに! 小さいのを飛ばしてきた?
粘液の中には数体のアリムが動いていた。
だが動きは弱々しく、硫酸をかけられたごとく爛れている。
兄さんは……皮膚病の中でもはや体が溶けている!
絶望的な表情のまま動きを止めて……。
「いやあああああ!」
「だから余計な事すんなっつたろ!」
黒人のバットが全てを吹き飛ばした。
「ぐは……助かった」
「兄さん!」
皮膚が少し溶けてはいた。でも命は助かっている。
「ありが……と?」
黒人にお礼を言おうとすると、黒人はまた背負っていた剣を立てて、倒した。
「あん中かよ」
「面倒だな。飲み込む訳にはいかんか」
「だが早急にやらねば! キャプテン・レッドが確認するに、かなりがあの粘液の中に溶けてしまっている! しかし容量に限度があるはず! そしてアリムならばここに無数に存在しているならば!」
「やることは一つとなるか」
「んだな」
気が付いたらアリムは大分減っていた。
あと気づいたのは、粘液が取り込んだアリムでますます巨大化していた事だ。
それと、粘液が頭上遥か高く体を持ち上げ、振り下ろそうとしていた。
次の瞬間。
大きな影が、わたしと兄さんに立ちはだかった。
「……ォォォオオオオォォォ……」
人の形をした巨大な鉄鉱石の塊に思える、何か。
衝撃音。
粘液が体を振り下ろしてきた。塊が正面から受け止める。
「あれじゃダメだ」
兄さんの言う通り、塊は粘液に飲まれた。
黄色と黒のまだらの中、これだとアリムの破片と心中することになる。
でもお陰で少し時間ができた。
兄さんに肩を貸して、わずかでも距離を取る。
「打撃練習としても量が多いな!」
「私ならば遠距離の標的も問題ない! ニック、休んでも構わんぞ!」
「量が多いだけだ。疲れていねぇよ!」
あの二人は、黒人はバットでアリムを打ち飛ばし、青い髪の女性は一言呟いて吹き飛ばしているようだった。
無言で不気味に大きくなり続ける粘液に向かって。
「彩、あの気味悪いの、動きが……」
遅くなっている。
体育館より大きな部屋一杯に巨大化した粘液は、内容物に引きずられるようにひどくゆっくりと動く。
人型の塊を取り込んだだけでも、相当な重量があるはず。
それに加えて無限に湧いていたアリムを大量に中に入れられたら、さすがに限界がきたのか。
「では行くぞ! ニック、あと君らも下がり給え。『燃え尽きろ』そして『巻き上がれ』」
またあの女性の呟きがやけにはっきり聞こえた。
そう思った瞬間。
炎。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「火災旋風だ!! 火災が上昇気流に巻き上げられて竜巻に…………身体伏せろ! 息を止めろぉぉぉぉ!!!」
ボオオオォォォォウゥゥゥゥ
熱が消えて。
全てが吹き飛んだような音が聞こえて。
アリムも粘液もいなくなっていた。
黒焦げた残骸だけが、火事場の跡に残されていた。
他にいるのは、3人とわたしたち。
「これかね?」
「多分な。やりすぎだろ、これ」
「かろうじて金属の骨が残っている状態ですね」
青い髪の女性と黒人。それと学生服を着た少年。
「いつものことならば、これで問題はないがな。加減のしようがなかったのはわかるだろうに」
「とっととずらかろうぜ。嫌な気配がする」
「……実は最悪の状況が始まっていないんですよ。早くこの世界から脱出した方がいいです」
何かをしゃべっているけど。お礼を言わなきゃ。
「あ、あの! ありが……」
「どうやらその言葉を受け取る訳にはいかないようだ。申し訳ない」
え?
黒人が剣の柄をアリムの黒焦げの骨格に引っ掛けて、剣を抜くような動作をした。
そうしたら、落とし穴に落とされたかのように。
「彩、あの3人は?」
いなくなった。
「消えちゃった……」
「ちょっと待て。なんか変な音がしないか?」
残骸が軋み、ひとりでに動きだす。
かつてアリムだった鉄クズが、また動こうとしている。
いくつもいくつも、体を軋ませ、立ち上がる。
「ゴ、シュ、ジン……サマ」
対抗できる人はいなくなった。
わたしたちは




