油揚げと狐
今日もいつものように暮らすヘルムート達。
そんな中この前言ったように、いなり寿司を作る事に。
アル達もそれを楽しみにしていたようで。
油揚げに関するちょっとした小話も添える事に。
「いなり寿司出来ましたよ」
「待ってたわ、美味しそうじゃない」
「この前言ったからには作らんとならんしな」
「ちょうどお昼なんですね、ではいただきましょう」
そんなわけでいなり寿司を食す事に。
ちなみに五目と普通の酢飯と両方作ったらしい。
「おや、この前言っていたいなり寿司ですか」
「洵も早く食べましょう」
「こっちが五目でこっちが普通の酢飯ですよ、好きな方をどうぞ」
「両方作ったのか、すまんな」
「いなり寿司って油揚げなんですね」
そうしていなり寿司をいただく事に。
普通の酢飯も五目も木花の腕にかかればとても美味しくなる。
「美味しいわね、でも油揚げってなんで甘くするのかしら」
「油揚げはそのままだと味気ないからな、考えた奴がこれに行き着いたんだろう」
「実際きつねうどんのお揚げなんかも甘いですからね」
「東の国だと甘い味は意外と好まれるのもありますね」
「なるほど、東の国の人の味覚の問題もあるんでしょうか」
油揚げは甘く味付けする、その甘さと酢飯がいい具合にマッチするのだ。
甘い味のタレは焼鳥のタレなどもそんな感じである。
東の国の味付けは塩分が多いと言われるが、甘さも結構なものだ。
だがそれが東の国の人間の舌には合うのだろう。
「そういえばいなり寿司の稲荷とは狐の神様の事なんですよね」
「そういえばそうだな、名前の由来も稲荷様に油揚げをお供えしたのが由来だったか」
「そうなの?つまり神様の名前をいただいた食べ物なのね」
「ええ、それから名前を取ってきつねうどんに油揚げを乗せたりもしますね」
「なんか凄いお話なんですね、稲荷って」
いなり寿司の稲荷とは狐の神、つまりお稲荷様に由来する。
そのお稲荷様に油揚げをお供えした事に由来するともいう説もある。
東の国は宗教観は薄く、その代わりに神道という独自の価値観を持つ。
それはあらゆるものに神は宿り、神もその数だけ存在するというもの。
それこそが八百万の神であり東の国の神道だ。
神様を大切にする東の国らしい考えとも言える。
「でも狐の神様なんてなんか素敵だわ、美しそうだしね」
「東の国の狐は様々で、妖狐や生きた年数で名前が変わったりするんですよね」
「確か最終的には3000年以上生きた狐を空狐とか言うんだったか」
「尻尾の数で狐の名前が変わるとは言いますよね」
「3000年って、狐ってそんな長生きするんですか?」
それはあくまでも狐の神や妖狐としての話である。
実際の狐はそんな長生きはしない。
「伝承の中の話ですよ、妖怪はそれこそ何千年と生きるとも言われますから」
「ついでに狐っていうのは最初は尻尾が増えるが、そこからは減ってくらしいな」
「なんか狐って奥が深いですね、東の国の伝承って凄いです」
「東の国だと狐はそれだけの扱いという事ですね、祀っている神社もありますし」
「なんかそう言われるといなり寿司を食べるのも感謝しなきゃならないわね」
いなり寿司自体はお供え物からの派生である。
東の国の神様というものへの考え方から生まれた食べ物なのだろう。
「それにしても流石は木花だな、美味いぞ」
「ありがとうございます」
「伝承とか神様とか国の特色って感じよねぇ」
「東の国の神様というものへの考え方ですね」
「勉強になります」
そんな稲荷について少し話しつついなり寿司を平らげる。
アルは東の国の事への興味がさらに強くなったようだ。
いなり寿司はシンプル故に難しく深い食べ物なのだろう。




