小説家は斜め上
春模様に染まるいつもの日々。
そんな中アルは洵に借りた東の国の小説にハマっている様子。
そしてそこから出てくるのはそんな小説家達の凄いエピソード。
エピソードについてもアルは気になるようで。
「ねえ、ヘルムート、これなんだけど」
「東の国の小説だな、最近ハマってるのか」
「でもそれがどうかしましたか?」
「何かお気に召さない事でも?」
アルはお気に召さないというより、小説家の方にあるようで。
気になって小説家本人について調べたらしい。
「なんか東の国の小説家のエピソードってぶっ飛びすぎてない?」
「その事ですか、確かに私もそれはなかなかに凄いとは思っていますよ」
「プリンが出来たぞ、ってまた何か質問攻めなのか?今度はなんだ」
「実際東の国の昔の小説家の話はネタの宝庫だぞ」
「ネタの宝庫って」
とはいえヘルムートの言う事もまんざらではない。
東の国の昔の小説家などの文豪は何かとネタには事欠かない。
それだけ凄い人であると同時に、天才は変人という事なのか。
やはり凄い人はどこかおかしいという事でもあるのか。
「時代が時代ですからね、それこそガチクズからキテレツまでいますよ」
「東の国の小説家にまともな奴はいないのか?」
「別に小説家に限った話でもないがな、東の国の天才と呼ばれる連中の話は」
「そんなに凄いんですか?」
「天才が変人なのか、変人だから天才なのか」
アルもそんなエピソードには流石に驚いたという。
天才がおかしいと感じるのは世界共通なのかもしれない。
凄い人はそれだけ感覚も突き抜けているのか。
それとも時代が時代なのかもしれないのか。
「でも流石にこのぶっ飛び具合はなかなかに強烈だわ」
「姫様でも驚く程度には凄いんですね」
「さらっと失礼だな」
「とはいえ時代も背景にあるんだろう?それなら別に不思議でもないんじゃないか?」
「それはあるでしょうね、有名な人のエピソードには時代もついてきますから」
そのエピソードには時代的な背景もある。
洵の言うように、それは当時だからこその話でもある。
とはいえ現代から見たら斜め上の話にも感じられる。
それだけ凄いと感じさせる話でもあるのだが。
「結局はとんでもエピソードっていうのは時代があるからこそ成り立つんだ」
「なるほどねぇ、この小説家達もそんな時代を生きたからこそなのね」
「実際ガチクズな人とか普通にいますからね、天才はどこかおかしいと感じるものです」
「とはいえまともな天才もいないわけじゃないだろ」
「私もそれは思うんですが」
そこで洵が一つの例え話を持ち出す。
それは東の国の天才漫画家と呼ばれる人の話。
「東の国の天才漫画家の作品で性癖が歪んだというのはよくある話ですよ」
「性癖が歪むって、その漫画家はどんな作品を描いてたんだ…」
「つまりはそういう事だ、本物の天才は作品にまでも突き抜けてくる」
「小説家もそれは変わらないって事なのね」
「天才はどこかおかしいっていう事なのか、それだけの引き出しがあるのか」
洵が言うように、本当に凄い人はどこか歪んだ感性を持っているという。
だからこそ作られる話はそれだけの衝撃を与える。
天才だからこその発想は確かにあるのだろうと。
それは天才というのは人とは違う一面があるという事の比喩なのかもしれない。
「なのでアルさんの考えは正しいと思いますよ」
「そうなのね、やっぱり天才って凄いわ」
「時代もあるとはいえ、有名な作品を残した奴はどこか突き抜けているものだな」
「凄い話って本当にあるんですね」
「後世にまで語り継がれるとか、恐ろしい話だな」
そんな斜め上のエピソードも凄さなのか。
アルが感じたのは、東の国も西の国も天才はどこか斜め上という事。
やはりそれだけの人だからこそなのかもしれない。