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神鳴る剣閃

 冷たく透き通る白刃が、左頬を掠めていく。

 空気を切り裂くその刃は、頬から数ミリの所を通り過ぎただけであったが、あたかも皮膚の一部を斬られた感触まで伝えてきた。

 

 全身を寸刻みに膾切りにされるが如く、目にも留まらぬ剣舞が俺を翻弄する。

 アイナの繰り出す剣筋が、俺の行く先々を尽く潰していく。

 次第にそれらを躱す道筋も狭められていくのを理解しつつある。

 だがそれにも増して、俺の心は尚も湧き上がる高揚感で満たされていった。


「随分と余裕ね、レイル? 口元が随分緩んでいるわよ。私の剣は、貴方にはそんなに生っちょろいのかしら」


 アイナに指摘され、つい緩んでいた顔を引き締める。

 しかしそれでも、自然と綻ぶ口元を止めおくことは出来なかった。


「アイナ、君だって同じだよ。さっきから口元がニヤけっぱなしだ」


 俺の言葉にアイナは目を大きくする。

 それもつかの間、彼女は今更何を言うのかとばかりに一層口角を上げ満面の笑みを浮かべた。


「ふふっ、そうね、悪かったわレイル。でもね、お互い様でしょ。何より貴方と本気で剣を交えることが、こんなにも楽しくて楽しくて仕方がないものだとは思ってもみなかったのだもの」


 そうだ、アイナの言う通りだった。

 これ程の相手。

 しかも幼い頃より、常に傍らに寄り添ってくれていた人。

 そんなアイナと、今までになく真剣に全力で剣を交える。


 これ程に血湧き肉躍る事が、かつてあっただろうか?

 アイナ・バーンズ――最も大事な何がっても守りたいと願う人。

 そして同様に、俺を守りたいと強く願う少女。

 

 それ程までに想い想ってくれている者が全身全霊で挑んで来てくれている。

 これほどまでに喜ばしい事は、剣を握る者として考えられない。


 当初の約束等関係無しに、刃を交えれば交えるほどに、ただただアイナに勝ちたいという願いが募っていくのだった。


「アイナ、僕は君に勝ちたい」

「私こそ貴方に勝ってみせるわ、レイル」


 お互いの刃が身体を掠め、いつ何時致命傷を与えてもおかしくない攻防が続く。

 いつまでも続くかと思われる拮抗だったが、徐々にそれは明白な事実となりアイナの表情を曇らせていった。


「はあ、はあ……駄目ね埒が明かない。私の尽くが見切られてしまうのね」


 間合いを広げ、一旦距離をとったアイナが肩で息をする。


「昔から君に一番付き合って稽古をしてきた僕だからね。おおよその剣筋も予測がついてしまう。考えるより身体が反応出来るのは、アイナのおかげだよ」


 出会ってからずっと、そして出会う前からずっとアイナとは幾千回もの稽古を共に過ごしてきた。

 曖昧だった記憶が戻りつつある中で、彼女との記憶も蘇りつつある。

 それは俺が未来で取得したあらゆる剣技もまた思い出したことに他ならない。

 

 アイナがどんなに工夫を凝らし技を繰り出そうとも、それらの先を予測する事が俺には出来たのだった。


「ふう、そうねずっと付き合ってもらってばかりだったものね。まあ、おおよそ予想はしてたんだけど。やっぱり貴方には今までの私じゃ勝てないって事よね……」


 息を整えたアイナが、ゆっくりとその場で片膝をつく。

 いったん刀を鞘に戻すと、居合の構えをとり俺を見据えた。


「ねえ、レイル? 私の使える陰流の技の殆どが貴方相手に幾度も練習させてもらった、そうよね?」

「そうだね、アイナ。カインツ先生から教えて貰い、また盗み得た技の数々を君はまたたく間に身に着けていったよ」


 アイナの剣士としてのセンスは、小さい頃から側にいた者としても恐ろしくずば抜けたものだと感じていた。

 一度その身で受ければ技の本質を理解し、そのために自分の身体を鍛え使い方を模索する。

 結果技の習熟度は他の追随を許さない程にあがり、練度の上がり方も桁違いだったのである。


 そんなアイナに付き合う事で、現世の俺の身体も自然と剣士として出来上がっていったのだが。


「今から貴方に試す技は、私も人に使うのは初めてのものよ。ずっと頭の中で模索し、やっと形になってきたばかり。だからこそ、貴方にだって躱すことが出来ないはず!」


 アイナがそう告げながらも、神経を極限まで研ぎ澄まし集中していくのが伝わってくる。目を閉じ呼吸を整えた彼女の気配が、鋭く鋭利な刃物それ自体に変わっていくのが感じられた。


 閉じていたアイナの瞼が、すっと開かれる。

 

 そして呟いた――


「死なないでね、レイル……」


 閃光が走る。

 

 美しく鞘から抜き放たれる白刃は、完璧な角度と力を加えられ見る者を魅了して止まない。


 剣神アイス・バーンズのような不可避の一撃ではない。

 見つめる俺の目には、はっきりとアイナが抜刀する様子が映し出されている。

 

 だが、刃を鞘から抜き放つためだけにその理を追求し、自身の存在を斬るという一点に集約した動きは、視えていたとしても果たして躱すことが出来るのか……。


 遅れて火薬が爆ぜたような甲高い音が鳴り響く。

 鞘から滑るように飛び出した刃は、その超高速抜刀によって瞬時に高音の摩擦熱を生み出したのだ。

 あまりの速度のため発生した熱量によって、膨張した空気が衝撃音を醸し出す。

 その音はあたかも雷鳴にも似た音を辺りにこだまさせた。


「――奥義・雷閃――私が今放てる最高最速の技よ」


 鞘を左手に、右手で刀を下段から上へと抜き放った格好でアイナが止まっている。

 顔は伏せられ、その視線は地面に向かっている。

 それは渾身の一撃が、俺の身体を斬り裂いた事を確信しての一言だったのだろう。


 あるいは見るまでもなく、勝負は着いたと思えるほどにアイナには自信があったのか……。


 だからこそ、俺は告げなければならなかった。


「見事だよ、アイナ」

「えっ!!」


 がばりと顔を起こしたアイナの目が、驚きに見開かれる。

 それもそのはずだ。斬ったと確信した俺が数秒前と変わらず平然と立っている。

 

 無傷の俺の姿に衝撃を受けたアイナに、俺は更に残酷な言葉を投げかけなければならなった。


「その技の本来の名前は、『神鳴る鞘走り』。そしてこれが本来の技の姿だ」


 呆然と立ち尽くすアイナに向かって、俺も刀を鞘に収める。

 剣気の風圏に取り込まれている事を無意識に察したアイナが、飛び退ろうとした。


 しかし、それはあまりにも遅すぎる反応だった。


「きゃあああっ!」


 アイナの叫び声が、修練場にこだまする。

 俺の放った刃は、先程のアイナと同様に鞘から高速で抜き放たれた。

 その動きにおいて、彼女のものとさしたる違いは無かっただろう。


 ただ一つ、大きく違った事といえば――その速度だった。

 俺はアイナが一回しか行わなかった抜刀を、同じ瞬間に三回抜き放つ。

 超超高速の抜刀術、それによって一瞬の内に三回ほぼ同時と感じられる程に鞘から刀を解き放つ。


 衝撃波による爆音が折り重なり連なった音は、ただの一度に聞こえた事だろう。

 だが、稲光る閃光は三軌。


 アイナの放った『雷閃』も、音を置き去りにする程の超高速抜刀術。

 だがそれでも、それは刃による剣撃の延長でしかなかった。


 それと比べ、俺の放った『神鳴る鞘走り』は衝撃波による多重攻撃。

 アイナに当てる際、刀による実態攻撃は寸止めする事で斬撃による致命傷は避けた。

 しかしかつて俺が食らった剣神の『神鳴る鞘走り』は、数百の抜刀による衝撃波と実態を伴う刃での斬撃が同時に襲いかかってくるものだった。


 それはまさに天より迸る稲妻の如き斬撃。

 振るわれた者は、閃光に覆い尽くされるや否や何をされたのか認識するより間もなく粒子の一片にまで裁断される事となるだろう。


「アイナ、僕の勝ちだ……」


 アイナが握りしめていた刀を地面に落とし、その場に崩れ落ちる。

 俺とアイナの八年ぶりの仕合に決着が着いた瞬間だった。



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