剣神アイス・バーンズ
突然、ルベルスがアイスの名を叫びながら斬りかかってくる。
刀を腰だめに構え、平伏するイングウェ達の上を駆け抜けたスピードに誰しも対応しきれずにいた。
「殺ったぞ、剣神!」
掛け声と共に、着地するより早く鞘より抜刀されるルベルスの凶刃。
身体を極限まで捻り滑るように抜き放たれる刃は、アイスの胴を一閃したかに見えた。
しかし……横に立つ俺は真っ先に感じ取る事となる。
殺気とも、魔力とも違う空気の重み。
ルベルスの放った刃が閃光を放ち、きらびやかな軌跡を描き出す。
だがそれは、ある一点より微動だにしない物となった。
「ふむ、懐かしい玩具じゃの……」
ぼそりと呟く声が聞こえる。
俺だけが感じた重く纏わりつく空気の感触は、時間の停滞を知覚した結果だろう。
恐らくこの世界に、動きうる物を感じているのは俺とその横の老人だけなのかもしれない。
「じゃが、あの頃に比べてちくと見劣りするか。どうじゃ、坊主?」
アイスが俺に向かってニヤリと笑いかけたに見えた瞬間、世界が突然元に戻るのを感じた。
身体に纏わり付いていた空気の重さも、横に立つアイスからの異常な圧力も消え、思わず俺は大きく息を吐き出す。
そして気づけば、地べたに這いつくばるルベルスの姿を眼下に認めた。
「がはっ……」
悶絶し苦痛に呻くルベルスが、地面に蹲っている。
それでも尚、手から刀だけは離さず、なんとか立ち上がろうする姿は流石だと思った。
「くそっ、まだだ剣神。僕は、僕はまだ壊れてやしないぞ……」
ルベルスが立ち上がり、刀を構え直す。
苦痛に歪む表情からも、受けたダメージは計り知れないはずなのに、その目には尚も一層の闘志がみなぎっていた。
「止すのじゃ、ルベルス! 主人に断りもなく、何を勝手な事をしておるのじゃ?」
ルベルスの思いもかけない行動に、呆然としていたシェリナがやっと止めに入る。
しかしルベルスは、それに振り返りもしないで答えた。
「シェリナ殿下。恐れ多い事でありますが、ご命令に従う事は出来かねます」
「ルベルス……何を言っておる?」
「僕は、古今東西あらゆる剣士、剣豪の技を取り込み作られた魔導人形として生み出されました。それはひとえに、神を人間の力で討ち滅ぼすためだけに、古代魔法帝国が持てる技術の粋を集めた叡智の結晶であるという事を意味しているのです。その僕が、人の身でありながら神と並び称される二つ名を持つ異形の存在を前に、自身の存在意義を確かめずにはおれないのであります」
「魔導人形……」
知らされていなかったのだろう。
シェリナの顔に困惑の表情が浮かぶ。
ルベルスはその言葉通り、どうやら諦める気は無いらしい。
既に腰を落とし、いつ何時斬りかかって来てもおかしくない張り詰めた空気がその場に流れる中、それを良しとしない者がいた。
「いい加減にしなさいよね! お祖父様に相手して貰おうなんてそんな羨ましい事、私を前にして良く出来るわね」
そう言うと、アイナも何故かルベルスの横に愛刀を構え並び立つ。
「そっ、そんな、バーンズさんだけずるい。僕だって、剣神様に稽古を着けて頂きたいんです」
慌ててシュバルトまでルベルスの横に並んできた。
ルベルスを挟んで、左右にアイナとシュバルトが刀と剣を構える。
すると鋭い眼光でアイスを睨み続けていたルベルスが、大きなため息をついた。
「はぁああ……聞いていなかったのか、貴様らは! これは僕の戦いだ。貴様らのようなただの人間に、遊び半分で邪魔される所以は些かもないのですよ。引っ込んで居てもらいたいのですが!」
「誰が、遊び半分ですって!」
「僕は、何時如何なる時も全身全霊、真っ向勝負だぞ!」
ルベルスの言葉に却って激昂する二人。
そこにアイスが、おもむろに口を挟んだ。
「かかかっ、そう喧嘩をせんでもよいじゃろ。そうじゃの、三人まとめて遊んでやるとするか? 可愛い孫もおるしな、一人も三人もそう変わらん事じゃて」
呑気な調子で三人を挑発するかのように笑い飛ばすアイスに、アイナ達が急に押し黙った。
「……お祖父様もああ仰ってるんだから、三人で良いわよね? ねっ、シュバルト。それにシェリナの番犬さん?」
アイナの声に若干のうわずりを感じる。
どうやら、先程のアイスの言葉が彼女には少々かんに障ったようだ。
それにしてもさしものアイナと云えど、あの剣神に対してどれほど強気なのだろう?
「あの、バーンズさん? 僕は稽古をつけて頂きたいだけで……」
「僕は勝手にやらせてもらう。貴様等は邪魔だけはするなよ」
シュバルトはともかく、ルベルスの返事を了解したと理解したアイナがニヤリと笑った
「じゃあお祖父様、どうか存分に遊んで頂きますね」
と言うやいなや、真っ先にアイナがアイスに斬りかかっていく。
遅れまいとルベルスも即座に呼応した。
シュバルトが一人、まごついている。
そこにレーヴァテインが、つまらなそうに言ってきた。
「おい、小僧よ。あれと戦るのは構わんが、くれぐれも気を抜くでないぞ。あれは人の形をした異形の特異点。そやつの戯れは、貴様にとって死と隣合わせだという事を忘れぬ事じゃぞ」
「ひょっ、ひょっ。相変わらず口に似合わんと、過保護なことじゃ。そのわっぱ、お主の片割れじゃろ。ちゃんと加減してやるから安心して見ておれ」
アイスが、アイナとルベルスの攻撃を躱しながら答える。
その手にはただ一つの、棒きれにも満たない粗末な杖が握られているだけなのだ。
そして恐らく、その杖を以て二人の剣戟を捌いているはずだった。
そう、俺の目にも全く捉えることの出来ない動き。
アイナとルベルスが斬り込む度に、その刃は弾かれ火花が飛び散る。
しかしアイスがその際動いた様子が全く見受けられない。
棒立ちのアイスの周りを、一心不乱にアイナとルベルスの二人が動き回っているだけにさえ映る。
「剣神アイス・バーンズ殿! 僕も一手ご指南、お願い致します」
為す術のないアイナとルベルスの間に、シュバルトも割って入っていく。
そして先の二人同様、嫌が応なしに振るった剣は大きく弾かれ、何が起こったかわからずにただただ呆然としていた。
「シュバルト、ぼうっとしてないで! 出来るだけ手数を増やしなさい。見えなくたって、受けなきゃ感じられないわよ」
アイナがシュバルトに檄を飛ばす。
それに呼応するように、シュバルトもひたすら剣を振るいだした。
「重畳、重畳。さすがは、わしの孫じゃな。ほれ、玩具の人形もどきよ、ぬしももそっと工夫せんと壊してしまうぞ」
シュバルトも加わり、アイスの周りを囲むように三人が代わる代わる攻撃を仕掛けていく。しかしそのどれもが、代わり映え無く見えない壁に阻まれるかのように火花を散らして打ち返され続けていた。
「んっ?」
呆気にとられ、立ち尽くしていた俺の袖が引っ張られる。
「……賢者様……お茶、用意した……」
振り返ると、おれの袖をちょこんと引っ張るヒルデが後ろを指さしていた。
「レイル君、こっち、こっち。ここに座って、少し休憩しようよ」
俺を呼ぶミラルドが、いつの間にか用意された椅子に腰掛け、優雅に日傘のもとお茶を楽しんでいる。
見れば、レーヴァテインとシェリナもちゃっかりと、お茶菓子を片手に観戦を決め込んでいた。
「賢者様……ここ……座って」
ヒルデに促されるまま、用意された椅子へと座る。
するとそのまま、その横に椅子を並べヒルデもちょこんと座ってきた。
「それにしても、剣神様というのは本当に凄いお方だね。僕になど、何をしているのかさっぱりわからないよ」
「陛下、我々も同じ気持ちであります。剣神様のお話は、亡くなったローランド団長からも良く聞かされておりましたが、まさか本当にお目見えする機会に恵まれますとは」
ミラルドの言葉に、側に控えるイングウェも頷きながら感嘆の言葉を口にする。
「はっ、何が凄いものか。奴は魔力を一切持てない代償として、あの力を得ておるのじゃ。あれ位出来て、当然の仕儀にすぎぬのじゃ」
「何と、剣神様は、魔力による強化なしにあのような神業とも言える剣技をお持ちなのですか? まさしく剣の頂。神と称されるに相応しきお方なのですなあ」
レーヴァテインの言葉に、イングウェが何度も感心して頷く。
確かに人は大なり小なり魔力を有す生物として誕生する。
それを自分の選択に於いて、完全に捨て去るという事は常人にはとても計り知れない。
魔力とは、この世界の理である大いなる力の流れ。
それは世界を構成する全ての生物が、根源に於いて繋がっている事を指し示している。
さればこそ、魔導士は術式を構築し魔力を消費して、事象の結果に干渉しうるのだ。
魔力を否定するとは、その大いなる理の流れから自ら身を投げ出すに等しい。
そんなものが、何故意志をもって存在できているのか?
剣神アイス・バーンズ――俺の知りうる中でも、その存在自体が最も異質な者の一人だった。
「賢者様には……あれが見える?」
ヒルデが、囁くように聞いてきた。
「そうですね。見えるかと問われれば、僕にも全く視えません」
「ほうレイル、お主でも見えんのか?」
シェリナも興味深そうに俺に聞いてくる。
「そうですね。視えませんが、知覚る事は出来ます」
「どう言う事じゃ?」
「視覚に頼った映像として認識する事は不可能ですが、視覚に探査魔法を応用する事で、空間の変化を解析し剣神の動きを知覚する事が出来ます」
剣神自体の動きを目で追おうとしても、それは不可能に近い。
それはあの爺さんが、魔力を一切持たないためでもある。
しかしこの世界にあって、空気中にも極々微量であれ魔素が含まれている。
そのためそれを知覚する事に特化すれば、空気の流れの変化が読み取れる。
それを元に、剣神の動きを擬似的に視る事が可能となるのだ。
「探査魔法の応用じゃと? 空気の動きを解析して脳内で映像化出来ると言うのか、お主は?」
おお、さすがは帝国の皇女。
俺の言った事を、ほぼ理解しているようだ。
「仰る通りです、シェリナ様。そうでもしないと、僕でもあの方の動きを理解する事は出来ませんので」
「……妾には、お主の方が理解できんぞ。一体どれほど複雑な術式を同時に展開すれば、そんな芸当が可能なのじゃ……」
まあ、シェリナが唸ってしまうのも無理もない。
こんな真似が出来るようになったのも、先日の戦い以来の事なのだから。
神装神機と同期した事で、俺の精神情報野は以前とは比べ物にならない程広大な物となっている。
そして使える魔力量も、この身体を出口とすればほぼ無尽蔵と言っても差し支えない事になるのだろう。
それでも、あの爺さんとは絶対に戦りたいとは思わないが……。
「はあ、ちくと見飽きてきたの。どうじゃヘイムダルの小倅、そろそろ酒宴の用意をさせたほうが良いのではないのか?」
テーブルに突っ伏し、だらけたレーヴァテインがミラルドに提案する。
「そうですね。剣神様をおもてなしせねばならないわけですし、直ぐ様準備させましょう」
そう言うと、イングウェの指示で衛士の一人が足早に去って行く。
「レイル君も良いよね? 剣神様は、君に用がお有りのようだし、宴の後は城に泊まっていって貰いたいんだけど」
ミラルドの言葉を促すように、ヒルデが俺の腕をぎゅっと掴む。
その手には、ヒルデの細腕からは想像も出来ないような力が込められていた。
「わっ、わかりましたミラルド様。お言葉に甘えまして、今夜はお世話になろうかと思います」
「賢者様……今日は、ずっと一緒……」
ヒルデが、これでもかと身体を擦り寄せてくる。
どうやらアイナは、アイスとの戦いに夢中でこちらに気づいていないようだ。
「さあ、早う参るのじゃ。あんな阿呆共はほっておいて、我らだけで楽しもうではないか!」
だらけきっていたはずのレーヴァテインが、俄に元気を取り戻す。
口々に酒と肉を連呼するその姿からは、魔神としての威厳など微塵も感じられないものだ。
「おおっ、ちくと待て! 主等だけでずるいぞ、儂も連れて行くのじゃ」
俺達の会話に気づいたアイスが、慌ててこちらに来ようとする。
しかしその前にアイナが立ち塞がった。
「はあ、はあ……。お祖父様、まだ私達は誰もへばってはいませんわ。最後までちゃんと遊んでくれるんですよね?」
「そうだ、逃げるのか剣神!」
「僕も、まだまだやれます剣神様!」
ルベルスとシュバルトも、アイスを囲うように剣を構える。
「さあ、酒と肉をありったけ用意せい。あの爺が来るまでに、我が全部平らげてやるからの。あはははっ!」
「ああ、待て待つのじゃレーヴァテイン」
アイスの情けない声を尻目に、俺達は城に用意された宴席へと立ち去って行く。
うわばみのように用意された酒を飲み食事を掻っ込むレーヴァテインの前に、必死の形相のアイスが現れたのは暫くしてからの事であった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ちまちまと合間を縫って書いておりますので、誤字脱字、おかしな表現などありましたら逐次訂正していきたいと思ってリます。
どんなご意見も参考にさせて頂きますので、感想お待ちしております。




