神卸宣託
かすかに鼻腔をくすぐる甘い香り。
こそばゆい感じがして目を覚ますと、そこは見知った天井だった。
横を見れば、外が僅かに覗ける窓がひとつ。
そして反対側に顔を向けると――
そこには、なぜかすやすやと寝息をたてるアイナの顔があった。
「ヒィ、あっアイナ!」
「あぁふああぁぁ、おはようレイル」
寝ぼけ眼で、目をこすりながら朝の挨拶をしてくるアイナ。
でも、何故アイナが俺の布団に……。
背中を嫌な汗が伝っていくのがわかる。
「あっ、アイナさん? なんで僕のベットに入っているのかな?」
「ふうぅ~んんっ」
大きく伸びをして、アイナはベッドから起き上がりこちらに顔を向ける。
クレアに買って貰ったものだろう、アイナは淡いピンク色の寝間着を着ている。
まだ寝ぼけた顔からは、いつもの棘のある様子は垣間見えず、その姿はまさしく美少女と形容するにたる雰囲気を醸し出していた。
「あぁよく寝たわ。レイルったら、なかなか起きないんだもん。私まで寝過ごしちゃったじゃない」
「さあ、早く起きて準備しなさい。今日は神卸宣託の日でしょ」
そうだった。
今日は、今年生後6歳になる子供を神殿に集め行われる『神卸宣託』の日だった。
「まったくこんな大事な日に寝坊するなんて、呑気なんだから」
「うん、ありがとうアイナ」
「馬鹿ね、姉として弟の面倒を見るのは当然でしょ」
アイナがうちに来てから、両親の言葉もあってか『姉』として振る舞おうとしてくれている。
カインツのくそオヤジに主従の誓いだとか何だとか言われたが、まだ今の関係のほうが自分としても助かっているのが本音だ。
馴染むに従って、以前のような敵意は向けられなくなった。
それに少しやんちゃな姉がいると思えば、この生活も悪くないものだった。
「ねえ、レイル。神卸宣託の儀式だけど、そんなに気負うものじゃないからね」
「うん、大丈夫。大まかな事は、聞いてるから」
「えっ? 誰かから聞いたのよ?」
「まあ、道場でもそれとなく年上の人達に聞いてるし」
「そう、ならいいけど。あんな恥ずかしいこと、私は二度とやりたくないわ」
恥ずかしい――確かに少し恥かしい物かもしれないな、あれは。
ただ、儀式自体の事より今でこそわかるのだが、あの周りの大人達がただの変態だったんじゃないかと思う。
まあいいさ、大した事じゃない。
それにしても、今朝のアイナはいつもと違って、いやに優しい気がする。
もしかして、今日の儀式に際して、俺が緊張しているんじゃないかと心配してくれているのかもしれない。
思い過ごしかもしれないが、いつものように叩き起こされるよりは随分マシだった。
「さあ、本当に遅れるわよレイル!」
そう言うと、アイナも自分の部屋に着替えに戻っていった。
さてまずは『時間遡行』後、最初の関門を突破しに行くとするかな。
着替えを終えて階下へ降りて行くと、既に着替えを終えたアイナと両親が揃っていた。
「遅いわよ、レイル」
「ごめんなさい、母上」
開口一番、クレアにお叱りをうけてしまう。
「まあまあ、今日はレイルの晴れの日だ。そう目くじら立てるなよ」
「おはようございます、父上」
「ああ、おはようレイル。今日は神卸宣託の日だな」
「はい、わかっています」
「そうか。よし、では食事にしよう」
朝食を終え出かける準備をする。
同じく出かける準備の終わった両親とアイナと共に、エルシアに留守を任せトーレル神殿へと向かった。
神殿への大通りには、何軒もの出店が軒を連ね、さながら祭りの様相を呈していた。
神卸宣託の儀式は、小さな地方領地とはいえこのクルシュの街でも最大の催しのひとつだ。
街中が賑やかな喧騒に包まれ、今年6歳の子供達を祝う。。
道すがら自分以外の子供達が、同様に親に連れられて歩いてくる。
はしゃぐ者、うなだれながら嫌々引きずられる者、その様子は十人十色だった。
神殿は、街の中心部にあり一際大きな石造りの建物だ。
その威容は、クルシュの街中でも一際異彩を放ち、荘厳な出で立ちを醸し出している。
正面から胴回り何本分かと云うほどの石柱の脇を通り、中へ入って行くことになるのだ。
「レイル。では、しっかりな」
「何も心配いらないわよ、レイル。あなたは、私達の息子なのだから」
カイルとクレアが、声をかけてくれる。
この儀式如何によっては、将来の選択肢が大幅に狭められてしまう事を考えれば、親として必要以上に不安になるのもわかる気はする。
だが、本来そこで示されるステータスが標準値以上である事を祈る場合と違い、俺はそこを隠す事を目的としているため、どこかこそばゆい気持ちがしていた。
「ねえ、レイル。もっと気楽にしなさいよ。あなたなら多分、良い数値が発露するはずだから」
アイナが俺の右手を、両手で包み込むように固く握りしめてくる。
俺の複雑な胸中が表情に出ていたのか、アイナが殊更優しい言葉を投げかけてきた。
普段からこれだけ優しく接してくれれば、こんなに可愛い美少女もいないのだがな。
なんだか逆に、申し訳ない気持ちにすらなってくるぞこれじゃあ。
「ええ、本当に大丈夫ですよ、アイナ。心配してくれて、ありがとう」
「では、行ってまいります」
手を離したアイナと両親に声をかけると、俺は他の子供達と同様に神殿の中へと入っていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
大通りでは様々な食物を売る出店の他にも、領主からの振る舞い酒もだされていた。
一人の腰の曲がった老人が、お祭りムードの漂う大通りを祝酒を片手によたよたと歩いている。
「うぃっく、やっぱり神卸宣託はいいのぉ~。ただ酒ほど旨いものないもんじゃ、ッヒク」
大分飲んでいるのだろう、その足取りは千鳥足もいいところだ。
もつれる足を、杖を片手にかろうじて支えているようである。
だがその手にある杯からは、一滴も酒が溢れている様子はない。
「さて、あいつのとこで旨いものでも食わして貰うとするかのぉ」
覚束ない足取りのなか、、老人は雑踏に消えていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
神殿の入口には受付の机が置かれ、そこで子供達は順番に名前を確認される。
何人かの後に自分の番となり、受付の女性に名前を告げるとそこでカゴを一式渡された。
「中に入ったら、これに着ている服を全て入れてくださいね」
受付をすませ列をなして、神殿の中の一室へと進んでいく。
そこでは数十人の同年代の子供達が、みな折々着ているものを脱いでいる最中だった。
「はい、受付を済ませた子から順番に服をカゴに入れて下さい。脱ぎ終わったら、奥の儀式の間に進みまーす」
女性の神官の一人が、部屋の子供達に声をあげ指示している。
なかには服を脱ぐことをためらっている子供も、ちらほらと見受けられる。
まあ男女混合だし、そろそろ恥じらいも出てくる頃だからな。
それに下着も含め、まさしく一糸纏わぬ姿にならなければいけないのだから抵抗もあることだろう。
「はい、はーい、急いで下さいね。宣託の儀式は、間もなく始まりますよー」
自分も急いで服を脱ぎカゴに入れる。
俺にとっては、今更ガキ同士の裸など見たところでどうという事もない。
それよりも、儀式の間にいる奴らのほうがどうかしていると思うだけだ。
「それでは、進みまーす。順番に付いてきて下さい」
泣き出す子供もいるなか、ついに痺れを切らした神官が全裸になった子供達から先導を始めた。
自分もその列について、儀式の間へ進んで行く。
儀式の間は、全長50m程のほぼ真四角のホールになっていた。
天井は高くゆうに10mを超える。
床一面が石畳にになっており、そこに僅かだがくるぶし程度までの水が張ってある。
この水だが、僅かに温かい。
この神殿の地下から汲み上げられるそうだが、多分この地域特有の物だろう。
また両サイドの一段高くなった場所に、領主をはじめこの地方の有力者が儀式を見守るとして椅子を構えている。
実際は見守るという名目の、鑑賞にすぎないのだが。
ホールの前方にあるのが、神卸宣託の儀式に使われる能力探査台だ。
見た目は石造りの寝台にしか見えない。
だが古代より伝わる機構により、そこに横たわった者のステータスを寝台横のコンソールに映し出す事ができる。
魔力探査を第3者が行う場合の、最も簡易な方法のひとつなのだ。
「さて。クルシュに生まれた、新たなトーレルの子らよ。今日この良き日を迎えられたことを、大地神トーレルに感謝しようぞ。偉大なるトーレル、これより貴方様より授けられし子らを、王国の新たな徒として迎えられること心よりお喜び申し上げる」
ホール全体に、神官長とおぼしき壮年の男性の声がこだまする。
続いて若い女性の神官が、探査台の横に歩み寄る。
なかなか豊かな胸をした、豊満な女性神官である。
またその姿は申し訳程度の薄い生地の布を襟元にかけた、ほぼ全裸といって良い格好である――つまりそういうことなのだ。
この儀式の間にいる子供以外の者たち全員も、ほぼ全裸に近い格好なのである。
流石に大人の男たちは、腰巻きのような物を付けてはいる。
それでも男女ともに僅かに暖気のある巨大なホールに、全裸の子供達を囲んでそれを鑑賞しようという光景は一種異様な風景であった。
ほんとう、これを考えた奴は、大層な趣味を持っていやがったのだと感心する。
まさしく真性の変態野郎だったのだろうさ。
この儀式の本質は、年少者の能力測定なはずだ。
それを、わざわざロリペドと露出狂の両方の欲求を満たそうなどと考えるとは――この地域のトーレル神殿の開闢時には、余程の変質者が混じっていたのだとしか思えない。
「さあ、子らよ。呼ばれた順に、神聖な御神台にその身を委ねるのだ」
名前を呼ばれた子供が寝台へと歩み寄ると、女性神官に介添られ寝台へ横たわる。
寝台横のコンソールに神官長が手をかざし、魔力回路を起動する。
ほのかな青白い光が、寝台のつま先より頭の方へと流れていくのが見える。
光が消えると、神官長より一枚の羊皮紙を渡される――これに自分の魔法の素質に関する数値が記入されている。
これは当事者である子供に一枚渡され、そして王国に保管される物がもう一枚神殿に保管される事になっている。
ここで能力査定された子供達の中で特に優秀な素質を持つ者は、将来的に王国の中枢に召喚される可能性が高いというわけだ。
よく出来た青田刈りシステムである。
続々と名前が読み上げられ、儀式は進んでいく。
羊皮紙を渡された子供達は、その結果に一喜一憂するのだった。
「レイル・エヴェレット」
ようやく俺の名前が呼ばれた。
いくら温かい地下水が部屋を僅かに暖めているとはいえ、全裸で待たされるのは良い気がしない。
さあ、とっとと終わらせようか。
俺は女性神官の介添を受けて、かすかに冷たさの残る石造りの寝台に横たわる。
そのたわわな胸と微かに上気した肌がなんとも艶かしく、つい魔力探査を阻害する事に集中できなさそうになる。
この儀式、子供の頃は全く気づかなかったが、相当卑猥なんだよな。
この女性神官なんか明らかに興奮気味なのが伺える。
神殿にとっても神卸宣託の儀式は、一大行事である。
その担当神官に選ばれたこの女性神官は、今まさに興奮と緊張の絶頂にあるのだろう。
精神年齢が子供ではない俺には、まったくもって目の毒以外の何者でもないのだ。
「緊張しないで、レイル君。力を抜いて、楽にしていなさい」
女性神官にそう即されるが、はたして彼女は気づいているのだろうか?
自分自身が、俺をこんなにも緊張させている原因なのだということに。
――お願いだから、あまり胸を押し付けないで下さい。
それまでと同じように神官長の手により魔力探査が開始される。
青白い光がつま先より全身をくまなく走査されてくるのがわかる。
俺はそれに合わせて、自分の魔力を同じ波長で全身に纏うイメージを浮かべる。
多分これで魔力探査が阻害され、正確な情報が拾えないはずだ。
「んっ? おかしいなどうもはっきりしないぞ」
神官長が羊皮紙に記された数値を見て、怪訝な声をあげる。
「どうされました、神官長様?」
困惑する神官長に、女性神官が何か不手際でもあったのかと心配気味に声をかける。
「いや何でもない、もう一度やってみよう」
どうやら上手くいったようだ。
こうやって何度か試してくれれば、次第に諦めてくれるだろう。
基本の能力値さえ拾えれば、事は足りるのだから。
その時だった、儀式の間に駆け込んで来た一人の兵士が、領主に火急の報せを届けに来たのは。
「ほっ、報告致します。――南方より魔族軍襲来。その数およそ五千」
荘厳な雰囲気の中、粛々と進められていた儀式の間に、急使の声だけが妙に響き渡っていた。
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