幼馴染な脳筋―2
「レイル、あなたいったい何をしたの!?」
玄関先のロビーで、俺はまたもや正座をさせられている――当家では、子供をしかる場合玄関先に正座をさせるという慣わしがあるようだ。
数週間前にも似たような状況があったばかりだが、如何せん今回もご他聞にもれず俺に全く非はないと思っている。
「レイル、聞いているの! 肋骨にひびが入るような大怪我を、アイナちゃんに負わせるなんて……剣術の稽古とはいえ女の子に何をしているの!? おっお母さん、お母さん、どうしたらいいのか、……ひっく」
いやいや泣き出されてもなぁ。
確かに、アイナの怪我は俺が負わせたものだ。
稽古中とはいえやりすぎだと言われれば、返す言葉もない。
だがしかし――そもそも仕向けたのはカインツのくそオヤジだぞ!
あの脳筋剣術馬鹿が、事もあろうか娘を追い込むよう俺にけし掛けたのだ。
冷静に対応すれば、俺なら怪我もさせずに勝つ事も出来たと思う。
だからといって本来なら5歳の息子に、そこまで望むのは酷というものではないだろうか?
そしてなぜか父カイルも今回は母と同意見のようで、クレアの後ろで苦い顔をしている。
こういう理不尽な親の行動というのは、子供を歪ませる一因になりかねない事を両親はどのように考えているのか?
俺が見た目どおりの年齢の子供であれば、素直に正座など続けずに喚き散らしているところだぞ。
などと考えながら、母クレアの小言を神妙な面持ちで聞き流していた。
「旦那様、お客様がお見えでございます」
そっとエルシアが、来客を告げてきたのだが、それは思わぬ――いや、火に脂を注ぎかねない人物達――とうのアイナと、その父カインツだった。
「じゃまするぜ! ようレイル。面白そうな事やってるな」
ロビーに正座したままの俺に向かって、ずかずかと玄関を入ってきたカインツ、は素っ気なく言い放った。
その口元はいやらしい笑みを携えている。
このくそオヤジ! 開口一番がそれかよ。
誰のせいでこんな事させられてると思ってるんだ?
「これはこれは、カインツ殿。この度はうちのレイルが、お嬢さんに大変な怪我を負わせてしまいまして、本当に申し訳ございませんでした」
「アイナさん、本当にごめんなさいね。レイルにも、こうやってちゃんと言い聞かせているから許してあげてちょうだい」
両親揃って、大仰に謝罪の言葉を口にしだす。
そんな姿を前に、とうのカインツはにべもなく遮るように話し始めた。
「なんだなんだ、大袈裟に二人揃って。全くお前ら二人ときたら、俺がそんな話をしにわざわざ来たとでも思っているのか? 道場での仕合中の怪我だぞ、そんな事で文句を言う奴がいたら俺が叩きのめしてやる」
そうだ、そうだ!あれは仕合中の事故。 しかもお前に責任があるんだ、もっと言ってやれ。
ついでに自分の責任も認めやがれ、この脳筋野郎が。
「そうは言ってもカインツ殿。うちとしてはそういう訳にはいかないでしょ?」
「どうなんだ、アイナ? お前は先日の仕合をどう思っている?」
カインツの後ろで大人しく黙っているアイナに、カインツは顎先を向けて答えるよう促す。
「カイル様、クレア様。私はお二人に謝って頂くような事など一切ございません。お気になさらずにいてください」
「でも君、それじゃあ……」
伏目がちに神妙に答えるアイナだったが、なにかがおかしい?
いつものアイナと違って、なんだか猫をかぶっていやがる。
――ぞわぞわと背筋を悪寒が走る。
「ああっ、もうお前ら二人はいい加減にしろ。昔っから堅苦しい所がありやがる。そんな事より用事があるから、俺がわざわざ出向いて来てやったんだ。ちょっとそっちの部屋へ行け、話がある」
「話ですか? わかりましたカインツさん、どうぞこちらに――」
「アイナ、お前はここで待ってろ」
「はいっ、師匠」
両親とカインツは、床に正座したままの俺と、それを見下ろすアイナを残して応接間へと入っていった。
「……ふふふっ、無様ね」
アイナは、玄関先のロビーに正座する俺を見下ろして口の端を歪ませながら、そうほくそ笑んだ。
わかってるよ、俺だってそう思うさ。
だけど、仕方ないだろう?
お前を仕合で負かした時はつい逆上して力を出しすぎたが、それを両親に説明することなんて出来やしないんだから。
「父親と一緒に、わざわざ何しに来たんだよ?」
「さあ? 何かしらね、でもこの前の誓い――主従の誓――あれの事ではあるわね」
あれか――あんな妄言はいいかげんにして欲しいものだ。
あんなものが両親の耳に入ったら、余計自体を複雑にしかねないというのに。
「あのさアイナ。君だって、僕みたいな年下のガキに仕えるなんて冗談だろ? なんだってあんな真似してまで、僕を笑い者にするんだい?」
見上げながら伺うように言う俺に対して、アイナは突然踏み込んで、俺の目と鼻の先まで――比喩ではないまさしく鼻先までその体を寄せてきた。
「レイル! あんたがどう思ってるかなんて私は知らないけど、あれは冗談なんかじゃないわよ。少なくとも私は、あの時本気であんたに向かって行って負けたの。それだけは冗談事になんかさせないわ!」
スカートの裾が鼻先を掠める。ほんのり甘い良い香りがくすぐるのとは裏腹に、その眼前から放たれた言葉には本気の怒気が含まれているのが感じ取れた。
どうやらこの子を怒らせることが、俺にはいとも容易いようだ。
「まったく君は……どうしてそんなに頑固なんだか」
「ふんっ、次は絶対負けないわ。覚えてらっしゃい!」
はあああああぁ……面倒くさい子だなあ。
ガチャ――応接間の扉が開くと、先程までとはうって変わって、3人共にこやかな表情で談笑しながらやって来た。
「じゃあカイル、クレア。こいつの事は頼んだぞ」
「ええ、カインツ殿。娘さんの事はおまかせください」
「カインツさん。アイナちゃんは、私が責任を持って面倒を見させて貰いますわ」
「まあ、適当にこき使ってやってくれよ。じゃあ預けたぜ」
そう言い残すと、カインツはもう用は無いとばかりに、足早に立ち去って行った。
なんだ? 預かるって誰を? どういう事だ?
「アイナちゃん、レイル。二人共こちらにいらっしゃい」
先程までの剣幕はどこへ行ったのか、妙に浮かれた母クレアに促されるまま、応接間へ付いて行く。
父に至っては、ニヤニヤと口元を歪ませながらこちらを見ていた。
応接間の長椅子に両親が腰かけると、アイナはその二人の脇へそっと立ち寄った。
なんだ、気持ち悪いな三人共……凄く嫌な予感しかしないんだが。
「え~今日からアイナさんを、当家で預かることになった」
「いいかレイル。お前は、お姉さんが出来たと思ってアイナさんには接するように」
「そうよ、レイル。こんな可愛いお姉さんが来てくれて本当良かったわよね?」
――――はあああああああああああぁっ!?
こっこの馬鹿親は、何を言っているんだ?
馬鹿の子なの?
アホの子なの?
お姉さんとか、一体全体何をどうなったら、そういう話になる。
「ちょ、ちょっと父上、母上。僕には一体何をお二人が言っているのか全然解らないのですけど?」
思いかけず突拍子も無い事を言われた俺は、しどろもどろになりながら両親とアイナを目の前にしてあたふたとしていた。
「うんうん、いいんだレイル。アイナさんはな、生まれて間もなくお母様が亡くなられてるんだ。そこで、昔カインツ殿にお世話になった私達夫婦が是非にと頼まれたんだ」
「そうよレイル。カインツさんはね、男親だけで育てては、アイナちゃんが不憫だと考えて暫くうちで預かってくれないかとお願いしてきたの」
「お母さんね、もうそのお話を聞いて可愛そうで、いたたまれなくて私の方こ是非にとお願いしたのよ。ねえ、レイルも嬉しいでしょ? お姉さんが出来たみたいで」
「カインツ様、クレア様。お二人とも父の無理なお願いを快くお受けてくださってありがとうございます。私のことは、侍従の一人と思って存分にお使いください」
「そっ、そんなアイナちゃん。この家は、我が家だと思ってちょうだい。私のことだってお母さんだと思って甘えてくれていいのよ。ねえ、あなた?」
「ああ、そうだともアイナさん。君はうちの娘と思って預かるんだ、遠慮することはないんだよ」
「まあ、それはいいわ。私アイナちゃんみたいな可愛い娘が欲しかったのよ――ふふふっ。娘とお出かけ、娘とお料理、娘と裁縫、娘と……」
完全に両親、特に母クレアは舞い上げってしまっているようだ。
こうなってしまっては、俺が何を言おうともう聞く耳をもたないだろう、事実先程から『娘』と言った自分の言葉に酔いしれているようで、当人を前にして妄想を膨らませている。
「ありがとうございます。お二人のご厚意には感謝してもしきれません。どうぞよろしくお願いします」
それまで黙って立てっていたアイナが、両親に深々と頭を下げた。
そして、続いて俺の方へ向かって、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「よろしくね、レイル君」
……何の悪夢ですかこれは?