帰還からの覚醒
まばゆい光に包まれた俺は、いつのまにか意識を失っていた。どれ位の時間が、たったのだろう? 目覚めた俺は、丘の上に立つ一本の大木に身を預けていた。木漏れ日が瞼をそっと撫でる。次第に鮮明になる視界には、少し離れた所に森が映っていた。どうやらここは、子供の頃に住んでいたクルシュの街はずれのようだ。
確か街を囲う外壁をでて少し歩いた所に、こんな場所があったと思う。
「っうう……」
頭がズキズキと痛む。時間遡行の魔法は、成功したのだろうか?
おもむろに、自分の手を見てみる。小さい、そしてツヤツヤしている。間違いなく、子供のそれだった。どうやら思惑通り、幼少期の身体に戻れたようだ。
「こんな所で何やってるのよ!」
突然幹の後ろから、怒鳴り声が聞こえる。覗き込むと、そこには一人の少女が立っていた。美しい藍色の髪を後ろ手に束ね、凛とした表情でこちらを見据えている。凄い美少女だ。だがその容姿に不釣り合いな事に、その手には小振りながらも立派なショートソードが握られていた。
「レイルあんたねえ、森には近づくなって言われてるでしょ!」
腰に片手を添えショートソードをこちらに突きつける少女を、俺はただ呆然と見つめていた。目覚めたばかりの俺には、自分を見下ろす少女が一瞬誰であるのか理解することが出来なかったのだ。
「まったく、あんたが外壁を出て行くのを見かけたから探しにきてみたら、一体何やってるのよ。歳が近いからって、なんであんたみたいなガキのお守りなんてしなきゃいけないのよ」
……ガキ?
随分と口の悪い女の子だ。
「ちょっとレイル、なんとか言いなさいよ!」
答えられずにまごついている自分にいらついたのか、その言葉には更に怒気が強調される。正直目の前の少女が誰なのか、なぜ自分に怒っているのか全く検討もつかないので、必死に考えをめぐらせているだけなのだが。
とりあえず、子供らしい返答を心がけるか……。
「えっと、ごめんなさいお姉さん」
「はあああっ、やめてよ気持ち悪い呼び方して。何そのしゃべり方、ほんと馬鹿にしてるの!」
どうやら、火に油を注いだようだ。
何が沸点なのか全くわからない。
「あっあの、ごめんなさい。……それで、何て呼んでましたか僕?」
俺は恐る恐る、目の前で語気を荒ぶる少女に尋ねた。時間遡行の影響だろう、未だに頭に霞が掛かったようにぼんやりとしている。
「アイナよ! アイナって呼び捨てにしなさいって言ったわよね。まったくとろいんだから。さあ早く道場に行くわよ、稽古に遅れちゃう」
「アイナ・バーンズ……」
とても懐かしいような、聞き覚えのある名前だった。だが、先程から痛む頭が更に酷くなる。思い出そうと努力すると、余計に頭痛が酷くなった。
これが『時間遡行の魔法』の影響だろうか?
「なっ、何よ改まって……気持ち悪いわね。いいから来なさいよ。師匠に見つかったら、怒られるのは私なんだから」
頭に手をやり苦痛で顔を歪める俺に、多少の違和感を覚えたのか、アイナと名乗った少女は少しだけその威勢を緩めた。
「じゃあアイナさん、連れて行ってもらっていいですか?」
しかし、そう感じたのもつかの間だった。突然目に前にショートソードの切先が、突きつけられる。いい動きだ――じゃなくて何だ?
「次そう言ったら、刻むわよ!」
「えっ? 何が?」
「『さん』なんてつけるな! アイナって呼び捨てでいいって言ったわよね」
少女の目が、先程より更に険しく睨みつけてくる。頭痛はいつの間にか消えていたが、少女の言動には一層困惑するばかりだった。とにかく、ここは少女に合わせておいたほうが無難だろう。
「ああ、わかったよアイナ」
「気安いわよ! 私のほうが二歳も歳上なんだからね」
こっ、これは難しいな……。
子供の、しかも女の子の扱いなんてどうしたらいいんだ?
「はぁ……わかったよアイナ、じゃあ道場に行こうか――」
時間遡行によって、未だ頭もはっきりしないというのに、何だってこんな面倒くさそうな子供に絡まれるのか……。
俺はゆっくりと立ち上がり、アイナに付いて行こうとする。
その時だった。
森の方から、けたたましい獣の咆哮が鳴り響く。俺たち二人は同時にそちらに目をむけると、木々の切れ目から一匹の魔獣が突進してくるのが見えた。
どうやら魔狼のようだ。その姿をよく見ると、かなりの矢傷を負っているのがわかる。なるほど、冒険者にでも追い立てられて、群れからはぐれたのだろう。
手負いの魔獣は、目についた俺達に狙いを定め物凄い速度で向かってきた。どうやら追い立てられ、錯乱しているようだ。これは目につくものを、手当たり次第に襲ってくるぞ。
魔狼の血走った目と視線があう。突如その赤く変色した瞳に吸い込まれるように、俺の視界が赤い靄に包まれたようにぼんやりとしたものになった。
「ぐううっ!」
額の中心、丁度前頭葉の辺りだろう、刺すような痛みが俺を襲う。
俺の目に映る景色は、いっそう薄暗く赤い不確かなものに変貌していく。
痛みが更に増していくなか、魔狼が眼前にまで迫ってきていた。横ではアイナが、握りしめたショートソードを正眼に構えている。その横顔は、恐怖に必至に抗いながらも真っ直ぐに襲い来る魔獣に据えられていた。
「下がっていろ、アイナ!」
俺はアイナの前に出ると、その手で彼女を押しのけた。
驚き呆気に取られた表情で、俺を見るアイナ。
俺は魔力を足に集中させ瞬間的に脚力を上げる『魔装脚』を使って、飛びかかろうとしてきていた魔狼に対して、逆にその懐まで一気に距離を詰めた。
「――爆炎地獄!」
魔狼の腹に掌底を打ち、そこからゼロ距離での爆炎魔法を発動させる。俺の手から生じた炎の塊は、肉の焼ける匂いと共に魔狼の腹部を大きく爆ぜさせた。
だが次の瞬間、俺は強烈な脱力感と感じると、その場に倒れ込んでしまった。
自分でも信じられなかったが、どうやら魔力を使い果たしてしまったようだ。
しかし、誤算だったのはそれだけではなかった。
魔装脚を併用したことで俺の放った爆炎魔法は、本来の威力の一〇分の一も出ていなかったのである。そのため、魔狼は腹部を大きく抉られながらも、辛うじてその牙を振るう力を残していた。
頭が、割れるように痛い。
視界は既に、どす黒く闇夜のように変色している。
倒れた俺の目に映ったのは、魔狼に腕を噛みつかれながらも、その首筋にショートソードを突き刺すアイナの悲壮な姿だった。
「アッ……アイナ……」
視野が狭まり、何も映さない漆黒が俺の視覚を塗りつぶす。
自然とまばたきをした。
「レイルっ、どきなさい!」
ふいに、横から衝撃が襲った。
開いた瞳に映ったのは、アイナがショートソードを正眼に構え、向かってくる魔狼に対峙している姿だった。俺はなぜかアイナを見上げ、地面に尻もちを着いている。
魔狼が、対峙するアイナに飛び掛かって来た。
アイナが体を横に入れ替え、魔狼の首筋をショートソードで斬りつける。
「きゃああああっ!」
狙いは悪くなかった。しかし硬い毛皮に覆われた魔狼の体に、非力な少女の力で傷をつけることが出来なかったのだ。逆にアイナのほうは、崩した体制のまま魔狼の体当たりをもろに食らってしまう形になってしまう。踏ん張りの効かないアイナの体は、大きく弾かれてしまった。
草むらの上に横たわるアイナ。死んではいないようだが、意識を失っている。アイナを跳ね飛ばした魔狼が、踵を返し俺を睨みつけてくる。
「グルルルゥ……」
涎を垂れ流し矢傷に毛皮を赤く染めながら、血走った目で魔狼が俺に狙いを定めた。
一体何が起こっているのか理解できない。
先程まで激しい頭痛と共に視界が赤黒くぼやけ、倒れた俺が仕留め損なった魔狼をアイナが必至に食い止めていたはずだ。
だが今目の前でアイナは横たわり、俺の尽きたはずの魔力は少ないながらもしっかりと感知する事が出来る。
そして今にも俺に飛びかかろうとする魔狼を前にして、俺はようやく自分の魔力が遥かに小さくなっている事に気づいていた。
「グバアアアッ!」
ガーウルフがその口を大きく開け放ち、鋭い牙にて俺を噛みちぎろうと飛び掛かって来た。
「――炎矢爆撃獄!」
今まさにその牙を俺の身体に届かせようとしたその時、俺の発動した十数本に及ぶ魔法の火矢が、覆いかぶさろうとした魔狼の身体を突き上げるように貫き通した。
魔法の矢が貫通した傷口から、炎の柱が吹き上がる。
体中の傷口から炎の矢羽を幾つも吹き出しながら、魔狼が断末魔の雄叫びを上げ動かなくなっていった。
「はあはあはあ、一体何だったんだ……」
俺の魔力が尽きるのに合わせるように、魔狼を焼き焦がす炎も次第に消えていく。薄れ行く意識の中、倒れていたアイナがゆっくりとその身を起こすのがまぶたに映るのだった。