未来への轍
マルケルス戦役とよばれる事になった魔族によるロキ王国侵攻から、早くも3ヶ月の時が過ぎようとしていた。
大きな被害のなかったクルシュと違い、ノールレイサの街はまだまだ復興には程遠く、逃げ延びた街の住人もちりじりになっているとの事だった。
そしてここクルシュの街にも、別れを迎えようとしている人々がいた。
3ヶ月前の魔族侵攻の折、前領主クライン男爵一族はマルケルス城砦へと逃亡、そのため代わりの新たな領主が、数日前からやって来ていた。
領主の変更に伴い、事務方である新管理官も赴任し、いよいよカイル達エヴェレット一家は王都に向け居を移す運びになったのである。
「レイル、忘れ物はない!」
階下でクレアの大きな声が聞こえる。
3ヶ月前のクルシュ防衛戦であげた功績により、王都へと父カイルが召喚され、それにより俺たち家族も一緒に王都へ移り住むことになった。
今日でこの家ともお別れだ。
生まれて6年ちょっと――正確には2回目なので何十年ぶりになるが――慣れしたんだ我が家を離れるのは、少し寂しかった。
「レイル? クレア様が呼んでるわよ」
部屋の寝台の上で、少しだけ感傷に浸っていると、ドアの外からアイナが顔をだす。
つかつかと部屋に入って来ると、ちょこんと俺の隣に腰をおろした。
「ねえ、やっぱり寂しかったりする?」
いつになくアイナが鋭い事を言う。
言葉より手がでるタイプのアイナにしては、珍しいことだ。
「まあね……でもアイナほどじゃないさ」
「私? 私がなんで?」
「だってそうだろ。君は家だけじゃなく、家族とも離ればなれになるんだ」
「家族って? みんな一緒でしょ」
うん? この子は本気で言ってるのかな?
……アイナに腹芸などあり得ようもない。
「先生や、ブロムさんのことだよ」
「ああ、師匠と兄さんね。そりゃ道場で稽古できなくなるのは、残念だけど。でも稽古はどこに行ってもするし、問題ないわよ」
この子はどこまで本気なんだろう?
まったく、相変わらずの脳筋ぶりだ。
「それより、早く行きましょう。クレア様がお待ちよ」
「そうだね。母上を怒らせて、折角の旅路を台無しにするつもりはないよ」
「……言いつけるわよ」
目がマジだ。
そうそうに降参することにしよう。
「発言を撤回するよ。さあ母上のところに早く行こう」
「ええ、行きましょ」
そう言うと、アイナは俺の腕をとり強引に階下へ引きずっていった。
「レイル、準備はいいかしら?」
既に荷造りを終えたクレアが、エルシアと共に玄関先で待っていた。
「はい、母上。荷物は全て荷馬車に積んであるようです」
「そう、じゃあ後はお父様だけね」
引っ越しに際し、必要な荷物はある程度事前に王都に送ってある。
今日俺達と共に運ばれる荷物は、旅程に必要なものと身の回りの僅かなものだった。
だが、未だ一人だけ家から出てこようとしない人物がいる――俺の父、カイルだ。
「あなたぁ! カイル! もう出発するわよ」
クレアが家の外から、より大きな声でカイルを呼ぶ。
しかし、中からは一向に返事が帰ってこない。
「もう、何やってるのかしら? 自分のせいで家族みんな待ってるって言うのに……」
まずいな、クレアの機嫌がますます悪くなっている。
これから王都までの10日間ほどを、この調子で進められたら目も当てられないぞ。
「ねえ、レイル? カイル様を呼んで来ましょうよ」
アイナも不穏な空気を感じ、事態の収集を模索してきた。
「そうだね、母上の機嫌がこれ以上悪くならないうちに、父上を連れ出そう」
俺がアイナとともに、家族の平和を乱す不届き者を捕縛しに行こうとした時、馴染みのある声が通りより聞こえてきた。
「おお、間に合ったか? ほらみろお前ら、まだ行ってなかっただろうが」
「よかった、父さん。間に合ったようですね」
「がはははっつ、だから、あいつらの事だから大丈夫だって言ったろ?」
「はんっ、師匠が祝い酒だなんて言って、酒盛りはじめなきゃ余裕で間に合ってたんだよ」
「リゲルド、便乗して酒盛りを始めたのはどなたでしたか?」
「うるせえクラン!おめえの方こそ、指先まで真っ赤だぞ」
「胃が……ヒック」
通りをこちらに歩きながら、一際騒がしい面々がこちらにやって来た。
カインツとブロム、それに道場の門弟――クラン、リゲルド、ブルーノ――たちだ。
まさしく、質の悪い酔っぱらい集団だ。
「あら、カインツ様。これはこれは、これまでお世話になりまして」
「だはははは、何言ってやがる。これから面倒かけるのは、俺の娘のほうじゃねえか」
「それは、違いますわ。アイナちゃんは、うちの娘も同然。娘の世話を嫌がる親はいませんわよ」
「はははっ、こりゃちげえねえや。一本取られたな」
「こちらこそ、大事な娘さんをお預かりします」
「ああ、頼んだぜ」
「やあ、アイナ。王都に行っても、体に気をつけるんだよ」
「大丈夫です、ブロム兄様。しっかり稽古して、必ず主を守れる立派な剣士になってみせます。そしていつか、レイルを倒してみせます」
「僕は、下克上ってどうかと思うよ」
「謀反ではありません、臣下が主より弱くて、主を守れますか? 私は絶対、強くなってみせます」
この兄妹は一体何の話をしているんだ?
脳筋以外には理解できない類の話しなんだろうな……。
「よう、クソガキ」
この呼び方は、カインツか――クレアは、ブロムとアイナと何やら話している。
「王都に行っても、稽古は忘れるなよ」
俺に酒臭い息を、吹きかけながら話しかけてくる様は、まるで子供に絡む酔っ払いだ。
「はい、先生」
「ふんっ、猫かぶりやがって。……まあ、いいさ。あとな、じじいから伝言だ」
剣神アイス・バーンズからの伝言――
「待ってるってよ」
わかってる、わかってるよ、じいさん。
「わざわざありがとうございます、先生」
「あのじじいに目をつけられるとは、お前も災難だな。けどよ、あれは息子の俺が言うのもなんだが、化物だぞ」
人ではない、人の理の外にある剣の化身。
俺にだって、十分すぎるほどわかっているつもりだ。
「まあなんだ、そうは言ってもお前にはなんとかして欲しいんだぜ。何しろ、娘が泣くからな」
アイナのことか?
どうだろうな、倒さなきゃいけない相手がいなくなって、悔しがりそうではあるけど。
ふと目をやると、アイナがクレアと楽しそうに話している。
――とりあえず生き残れる算段は、立てなければならないだろう。
そうやって出発までの一時、カインツ達に見送られていると、やっとカイルが家から出てきた。
しかし、その両手には今にもこぼれ落ちそうな程の蔵書が抱えられている。
「はぁはぁ、すまないみんな。ちょっと荷物の整理に手間取って」
「もう、あなたったら。皆さん、せっかくお見送りにきて頂いているというのに。それにどうしたの、その本の山は?」
「いやね、送り残った大事な本がまだあってさ……」
どうやら、例の隠し書庫の物らしい――確かに万が一ひと目につくなんて考えたら、先に送れないよな。
だけれど、クレアの目はそんな節穴じゃないぞ、カイルよ。
「まさか、また物騒な魔術書の類じゃないでしょうね?」
「いや、ほんと、本当に違う。ただの研究書、そうちょっと古代の軽い攻撃魔法の」
父親ながら、本当に言い訳の下手な男だ。
自分からゲロ吐きおったよ。
「その本については、後でゆっくり説明してもらいます。いいわね、あなた!」
「……はい」
やっと俺たちは馬車に乗り込んだ。
人数の関係上、2台に別れ俺とアイナが何故か一緒の馬車に乗り合うことになった。
クレアの
「さあ、あなた、これから時間はたっぷりあるわ。ゆっくり言い訳を聞きましょうか」
の一言で乗り分けは決まったと言っていい。
「じゃあ皆さん、わざわざありがとうございました。王都に来る折には是非、寄ってください」
クレアが代表して、カインツ達に挨拶する。
当家の当主であるはずのカイルは、馬車の奥で小さくなっている。
うちは女主人のほうがしっかりしているようだ。
カイルには悪いが、母クレアには絶対逆らわないでおこうと思う。
「じゃあね、レイル君。妹を頼んだよ」
窓越しにブロムに、声をかけられた。
「はい、ブロム先生」
「ちょっと、兄様。私が、レイルの面倒を見るのよ」
「はははっ、二人共元気でね」
ゆっくりと御者に先導され、馬車がその歩みを進める。
見送ってくれているカインツ達が遠のくと、俺もアイナも窓から離れ、座席へと向かい合って座り込んだ。
ふう、なんだか疲れたな。
思い出すと、この時間に戻ってきてもう1年半は経っている。
この僅かな期間で、様々なことがあった。
というかありすぎた。
特に、魔族軍のクルシュ侵攻は予想外だった。
ヴェッリザ帝国がロキ王国に侵攻してきたのは、前世では大分後になってのはずだった。
それに細々としたところだが、前世の記憶と違ってきている。
アイナとの出会いもその一つだ。
たぶん、俺が戻ったこの時間軸はすでに以前の時間の流れと大きく変化してきているのだろう。
まさしくそれこそ、俺が望み、叶えたいと願った人生への始まりと言っていいだろう。
これから先、何が起こるのかは俺でも予見することはできない。
それでも、以前のような誰ととも分かり合えない殺伐とした人生は送りたくないと思う。
いや、多分もう既にその心配はなさそうだ……。
「どうしたの、レイル? 疲れた顔してるわよ」
「ああ、そうだねアイナ。ちょっとドタバタして、眠くなったかな」
「そう……だったら、こっちにいらっしゃい」
そう言うと、アイナが自分の膝をたたき、目配せする。
「うん? 何を? そっちでどうするんだい?」
「馬鹿ね、膝枕よ。疲れてるんでしょ。私が膝を貸してあげるから、少し休みなさいよ」
「えっ、いいよ、適当に横になるから」
「何遠慮してるのよ! お姉さんが甘えて良いって、言ってるのよ」
なんとも無茶苦茶な理屈だ。
わざわざ膝枕など必要ないのに。
「ほら、早く来なさいよ!」
馬車は、アイナが俺の手をとり強引に寝かせようとするため、轍から車輪が外れそうなほど揺れていた。
馬車はゆっくりと、王都への道程を進む。
クルシュの街は既に、かすかな陽炎のごとく霞んで見えるほどになっていた。
遅くなり申し訳ありません。
これにて1章の終わりとしたいと思います。
少し準備をしてから、次章の執筆に取り掛かりたいと思います。