エルシアの憂鬱―2
俺はアイナにも手伝って貰い、なんとか酔いつぶれたカイルを応接間の長椅子まで運び込んだ。
まったく、とんだ目にあったものだ。
クレアに言われなければ、あのまま放おっておきたいところだ。
「ふぅ、ありがとうアイナ。ごめんよ、父上が」
「いいのよ。カイル様、よっぽどあなたが目を覚ましたのが嬉しかったのね」
「まあそうだろうけど、でもこんなになるまで飲むことないだろうに」
「ふふふっ、そうねカイル様のこんな姿、私も初めて見るわ」
「多分、私の師匠にでも飲まされたんじゃないのかしら?」
「先生が、なんで?」
「だってカイル様、たまにうちに来ては、師匠の晩酌に付き合って下さっていたもの」
「そう、それは知らなかったよ」
「よく、レイルの事も話していたみたいよ」
「そうなんだ……」
カイルが俺のことをか――最近まで溜め込んでいたようだしな。
ふう、今日の所は多めに見てやるかな。
「ねえ、レイル? さっきのエルシアさんの話、どう思う?」
「王都に一緒に行けないって事だよね」
「そうよ、どうしたのかしら突然……まさかさっきの私の態度を気にしてるんじゃ?」
「どうしよう? 私ったら、助けてもらっておいてあんなに怖がってみせて」
「でも、さっきのエルシアは本当に怖かったと思うよ」
「そうかもしれない……そうかもしれないけど、それでも私、エルシアさんに謝らなくちゃ」
「そうだね。僕もまだ、お礼ひとつ言ってなかったよ」
俺達がそんな会話をしていると、クレアがエルシアを連れて部屋に入ってきた。
いつもと変わらぬふうのエルシアは、先程応接間を後にした時のようならしからぬ様子はなく、いつものようにクレアにそっと付き従っている。
「ふう、この人はダメそうね?」
クレアがカイルを見て、そうため息をもらす。
たしかに――長椅子に横たわるカイルは、心地よさそうに寝息を立てている。
「いいわ、じゃあ二人に聞いてもらおうかしら。ねえ、エルシア?」
椅子の一つに腰をかけたクレアの横に、エルシアが従う。
「はい、クレア様。お願い致します」
「さて、二人共これから私が話す事をよく聞いて。それからひとつ質問をするから、よく考えて答えを聞かせて頂戴」
「答え?……わかりました、母上」
「はい、クレア様」
俺とアイナは、それぞれ返事をかえした――しかし、一体何の話しだ?
てっきり俺は、クレアが既にエルシアを説得したという結果をきかされるものだとばかり思っていたのに。
エルシアの表情からは、これからクレアの話し事がどんな意味を持つのか、まったく読み取ることはできない。
まるで、いつものエルシアだったから。
「じゃあ始めるわよ――まずエルシアのお母様、メイシア様の事は知っていて? レイルは聞いたことあるかしら? アイナちゃんは、多分初めて聞く名前だと思うわ」
メイシア――エルシアの母にして、カイルの宮廷魔道士時代の秘書――俺が知っているのはその程度のことだった。
「メイシア様は、とても聡明で美しい方だったわ。そう、私とカイル、それに多くの人が彼女に憧れを抱いていたのものよ。この人、カイルだってメイシア様を追いかけて宮廷魔道士になったようなものだもの」
初耳だった。
クレアの口から聞くメイシアは、俺の知っているそれとは大きく違っていた。
乳母だったメイシア。
彼女は確かに美しい女性だったとは思う。
だが、我が家に仕えていたメイシアが、父カイルの恋慕の対象だったと聞かされてもいまいちピンとこない。
そんな様子は、前世の記憶では一切思い出されないのだ。
しかし、そんな俺の困惑などお構いなしに、クレアの話は続いていた。
「何と言ってもこの人と、メイシア様は幼馴染だったの。このクルシュの街で育ち、そして年上だったメイシア様が先に王都でその才能を発揮された、彼女もまた優秀な宮廷魔道士だったのよ」
クレアが、横に立つエルシアの腕をそっとなでる。
椅子から見上げるクレアに、エルシアはどんな顔を向けるのか。
固く結ばれた唇は、微動だにせず、ただクレアに触られるがままにしていた。
「エルシア、あなたは本当にメイシア様そっくりね。あと5年もすれば、あの頃のメイシア様と瓜二つに成長するわよ」
クレアの瞳は、エルシアを通して過去に憧れたというメイシアを映しているのだろうか。
「話がそれたわね。この人が、宮廷魔道士としてその頭角を表した頃、メイシア様が先任魔道士として、この人のサポートに付いたの」
んっ?
サポートって、お目付け役?
秘書じゃなかったのか?
「この人ったら、それは浮かれてね。わたしの気持ちなんか、全然眼中になくて。ああっ、なんだか思い出したらイライラしてくるわね」
なんなんだ、全然話が進まないぞ。
エルシアの母親がどうしたって言うんだ?
「申し訳ありません、クレア様。母がクレア様に、そのようにご迷惑をおかけしておりましたとは……」
「あら、ごめんなさいエルシア。違うのよ、メイシア様には何もないの。むしろこの人がいけないだから。このたぬき寝入りが!」
そう言って、クレアは寝ているカイルの頬をつねる。
「ぐおぉっ、ふがごっ」
良い根性してるな。
まだ寝ているですまそうとしているぞ、この男は。
「あの、クレア様。続きはわたくしのほうから……」
「あら、そう。そうね、やっぱり自分の口から話したほうが良いものね。いいわ、エルシア二人に聞かせてあげて」
俺たち二人の方を向いて、エルシアが語り始めた。
それは、エルシアの母メイシアと、とある魔族の悲恋の物語だった。
今から15年程前、メイシアはクルシュの街に帰省した折に、ある男と出会った。
後にエルシアの父となるその男は、南方より来た魔族だった。
まだその頃のクルシュには、フェルセト大森林を迂回し――今回ヴェッリザ帝国の本軍が侵攻してきたルートだ――王国との行商に赴くものもまれに存在した。
その男の素性は今でもはっきりしない。
しかし、メイシアはその男と恋に落ち、やがて一人の女の子を出産する。
それが、エルシアだった。
宮廷を離れ、故郷クルシュの街へと帰ってきた彼女は、男としばしそこで暮らすこととなる。
だが、男はエルシアが物心つくまえに、どこかへと消えてしまったそうだ。
大きくなったエルシアに、母メイシアは父親の事を多くは語らなかったそうだ。
そんな母親が5年ほど前に病床にふけり、ついに亡くなってしまう。
今わの際に母親が教えてくれた、父の事。
そして母の思いを――
「父は、魔族でした。そして、私達を置いてどこかに行ってしまったのには理由があったそうです。詳しくは教えてもらえませんでしたが、母の言葉の中でこれだけは、はっきり覚えています。――父は、同じ魔族に追われていたと。そして多分、既にどこかで殺されているだろうと。父は、わたくしと母を守るため、あえて自分を犠牲にし自分達を置いて行ったんだと――母は、わたくしに絶対に魔族の血が流れていることを知られてはいけない。父を狙っていた魔族は、必ずわたくしも狙ってくるだろうと。だから、常に冷静で感情を面に出してはいけない。もし感情が高ぶれば、その瞳は紅く輝き、必ず魔族と悟られてしまうからと……」
エルシアが、言葉をつまらせる。
うつむき、俺達から顔をそむける――必至に感情を押し殺そうとするエルシアに代わり、クレアがその口を開いた。
「そして、メイシア様は息を引き取る前に、私達夫婦にだけ事情を話し、エルシアを託されたの」
「では、クレア様。エルシアさんは、魔族とのハーフ?」
「そういう事になるわね」
なるほど、それで先程の話も合点がいった。
エルシアがあの魔族の言葉を聞いてから、どうもおかしかった理由もこれでうなずける。
「クレア様、レイル様、アイナ様。それにカイル様。どうかわたくしを、このクルシュで見限っていただけないでしょうか? 皆様と一緒にいては、いずれ大変なご迷惑をおかけすることは必至。であれば、そうそうにわたくしに暇の許可を……」
「どうするの、レイル? あなたはどう思う?」
エルシアの考え方は正しい。
帝国の侵略が未然に防がれたとはいえ、今後王国内での魔族の扱いは、より厳しいものになるだろう。
このクルシュとて、今までのように行商人ですら行き来することは困難だと思う。
ましてや、王都――はたしてエルシアが魔族の父を持つと知れれば、どうなるか?
言わずもがな、面倒なことになるのは自明の理であったが……
「けれど、母上。僕にはエルシアの心配している事は、そんなに問題にならないのではと思います」
エルシアがそれを聞いて目を見張る。
だが俺は、そんな事は意に介せずまくしたてた。
「なぜなら、エルシアはとてもその外見からは魔族に見えず。まして、もともと魔族と我々王国民は、外見上肌の色でしか判別できないのですよね。更に、魔族が魔法を使う際魔力が高い者ほどに、その瞳を紅く染める習性は、エルシアに関しては既に解決されているものだと思います」
「レイル様?」
「まって、エルシアあと少し。僕がエルシアと暮らしていて、今の今まで一度としてエルシアがその感情を高ぶらせ、瞳を紅くするところを見たことがありませんでした。つまり、エルシアには王都に行っても魔族と周囲に知らしめる要素が、ほぼ皆無と言っていいと思います」
「レイル、レイル様、でもわたくしは、魔族なのです。私の半分は、魔族の血がながれているのです……」
なかば懇願するように俺に問いかけるエルシアを俺は無視し続ける。
「いかがですか、母上? 僕は、こう考えますが」
「そうね、確かにエルシアはお母様似ね。肌も羨むほど白く、髪も艶やかに黒い。とても綺麗になるでしょうね」
「アイナちゃん、あなたはどうかしら? エルシアは、どうするのが一番いいと思う?」
「私は……私は、エルシアさんに一緒に来てほしいです」
「私は、レイルみたいに難しいことは考えられませんけど」
「でも、それでも――エルシアさんのこと、私お姉さんのように思っています。私には父と兄しかおりません。だから、クレア様のことを、こんな素敵な方がお母様だったらいいなとか、エルシアさんのようなお姉さんがいたら、どんなに素晴らしいだろうかとかそんなことばかり考えていました」
「それに、さっきのことだってまだ謝ってもいなくて……ごめんなさい、エルシアさん。それと、お願いです。私達と一緒に王都に来て下さい」
そう言うと、アイナはエルシアの駆け寄りその手を強く握りしめるのだった。
「アイナ様……わたくしは……そんな、そんなこと」
アイナに詰め寄られ、握られたその手を呆然と見つめるエルシアは、ただただ立ち尽くすしかなかった。
「もう一人にも、一応聞いておこうかしら。カイル、あなたはどうするの?」
長椅子に寝そべるカイルに、クレアが問いかける。
「エルシアを置いてどこに行けるって言うんだ……」
すると、先程まで寝ていると思われたカイルが、まぶたを閉じたまま答えた。
やはり狸寝入りだったか。
「ふふふっ、そうよね。なんと言っても、初恋の人の娘さんだもんねぇ?」
「あっ、いや、それは関係ない。俺が言いたいのは、エルシアも、レイルやアイナさん同様俺たちの子供も同然だってことだ」
「まあ、そういう事にしておいてあげるわ」
「さて、それじゃあ最後に聞くわよ。エルシア、あなたはどうしたいの?」
「わっ、わたくしは……だって魔族で、めいわくかけちゃ、クレア様に。だから一緒にはいけないって……母と約束したんです」
「あなたのお母様――メイシア様は素敵な方だったわ。私じゃあなたのお母様には、とてもなれないってわかってる。でもね、それでもあなたは私の大事な娘なのよ」
「ふぐぅ、ううううぅ。わたくしは、わたしはどうしたら……?」
その場に座り込んだエルシアは、両手で顔を覆い咽び泣く。
その手の隙間からこぼれ落ちた涙が、床の絨毯に染みを作ると、クレアがそっとエルシアを抱きしめた。
「お願いよエルシア、一緒にいてちょうだい」
エルシアは、クレアの胸に顔をうずめむせび泣く。
その姿は――彼女にもあったであろう、実の母親との温もりを今だけでも取り戻せているのではないか――と俺の目には映るのだった。
その夜、エルシアは久しぶりに母の夢を見た。
夢の中で、母は父の事をいっぱい話してくれていた。
優しかった父――魔族だと言うのに虫も殺せないほど気弱で、そんな父をよく叱っていたという。
でも、そんな父のことを、大好きだったという母。
そして、父の事を話す母を見るのが、大好きだったエルシア。
夢の中でエルシアは、そんな母の話をいつまでも聞いていたいと思っていたのだった。
次で1章の最後となります。