エルシアの憂鬱―1
朝食後俺は、クルシュの街の外に出てきていた。
カイルとクレアに断りを入れ、クルシュ防衛戦での爪痕である大地に足を踏みいれる。
一人では危険だと言うことで、エルシアを共に連れてきていた。
そしてそこには、当然のようにアイナも付いてきていたのだった。
広域殲滅魔法――焦熱溶岩地獄によって、その一帯は広範囲にわたって冷えた溶岩に覆われていた。
その惨状は、魔法発動時の凄まじさを物語っているかのようである。
所々に溶岩ドームを形成し、逃げ惑った魔族軍を飲み込んだであろう多孔性の岩石は、豊かな牧草地を従えたヨルンハイメン山の穏やかな景観の中にあって、一際異質な情景をかもし出していた。
「すごい景色ね、まるで神話に出てくるヘルヘイムの地獄みたい」
アイナの感想こそ、もっともこの情景を端的に現していると思う。
まさに地獄のいち場面を切り取ったかのようだ。
「そうだね。たぶん彼ら魔族軍にとっては、本当の地獄だったんじゃないかな?」
溶岩流に襲われ為す術もなく飲み込まれていった彼等にとって、最後の瞬間目に焼き付いた光景こそ地獄そのものだったことだろう。
ドンッ――うつむいて溶岩のかけらをつま先で小突いていると、突然背中を勢いよく押された。
「なっ、なに!」
そのひょうしに地面にうずくまってしまった俺が、振り返って見上げると、アイナが仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
「馬鹿レイル!」
「なに大人みたいなこと言って。私達がそんなこと気にしたって、しょうがないじゃない」
「だいいち、あの魔法がなければ、私達の街もノールレイサのようになっていたのよ」
「やるべき事をやった結果を、ちゃんと受け止めなさいよね。らしくないわよ、落ち込んでるあんたなんて」
目の前にかがんだアイナが、顔を目一杯近づけてまくし立ててきた。
はははっ、なんだかな。
これって慰められてるのか?
「まったく君って子は。……いいや、そうだね、ありがとうアイナ」
アイナに慰められるなんて、まったく俺はどうかしている。
前世では、殺した敵や、消し去ってしまった大陸の事など考えたこともなかったのにな。
「ちゃんと主らしくしてよね……」
消え入るようなかすかな声で、アイナが何かを言った。
聞き取れなかったその言葉とは裏腹に、アイナは片手を差し伸べ俺を引き起こしてくれたのだった。
それは無意識の行動だったのだろう。
いや、俺の知識と経験が、そうさせたのかもしれない。
俺は差し伸べられたアイナの手を引き払い、アイナを逆に突き飛ばしていた。
「ぐっ、ううううぅ!」
思わず叫ぶ俺のうめき声の原因は、右腕に突き刺さる一本の飛苦無によるものだった。
「レイル!」
「はぁはぁはぁ、きっ貴様ら王国の悪魔どもめ。俺達を虫けらのように焼き尽くしやがって。ううぅ、おっお前らも、地獄に道連れにしてやる……」
右腕に突き刺さる苦無の主は、溶岩に覆われたと思われた土中より突然姿を現した。
しかし、その姿は凄惨を極めたものであった――上半身は顔まで焼けただれ、焼け落ちた衣服がところどころに張り付いている。
かつてはその身を守っていたであろう甲冑の一部は、無残にもその欠片が肉に食い込むように溶け込んでいる。
この魔族がどのようにして、あの地獄を満身創痍ながら生き残ったのか。
おおよそ、結界を張ったままとっさに土中へとその身を潜らせたのだろう。
あの混乱の中、よく機転がきいたものだと感心する。
生存確率は1割もなかっただろうに。
そして、その今にも死にそうな姿をさらしてまで、わざわざ近づいてきた俺たちを殺そうと言うのか?
暗がりに紛れて、逃げ出せばいいものを。
今生きているのなら、これからも生き続ける確率をあげようとなぜしないのか。
俺達が女子供だと思い、せめてこの惨状の手向けにでもしようとヤケになっているだろうか?
だが、先程アイナに喝を入れられる前の俺ならいざしらず、今の俺に同情の余地など微塵も感じることはできなかった。
「レイル、大丈夫なの?」
「ああ、アイナ。大丈夫、見た目ほどひどくないよ」
俺に声をかけつつも、その手には愛用の剣を構え魔族に対峙していた。
しかし、アイナが魔族に対してその敵意を向けようとした時だった。
「アイナ様、ここはおさがり下さい。レイル様の手当を先に」
エルシアがアイナを制し、一人魔族のほうへとその歩みを進める。
「エルシアさん、あなたこそ危険よ!」
「おまかせ下さい、アイナ様、レイル坊ちゃま」
「お二人は、奥様の大事な方々。わたくしめが、この卑しい魔族を屠るのをおとめ下さいますな」
いつも口数の少ないエルシアが、恐ろしい言葉を平然と口にしている。
普段見せているおっとりとした姿からは、想像できない程の魔力をその身から放ちながら。
一体エルシアに何が起きている?
今まで全く気づかなかったが、エルシアの持つ魔力量はカイルやクレアを遥かに凌駕する。
だがその扱い方はまだ未熟なようで、内包する魔力を感情の高ぶりによって体外に溢れさせてしまっているようだ。
日常生活で俺が気づけなかったのも、彼女が常に感情を押さえ込んでいたからだろう。
しかし、今のエルシアは違った――
「許しませんよ。貴方様は、わたくしの最も大事な方のご子息を傷つけた。その罪は万死に値します」
どうやら、余程俺が怪我を負った事が、彼女の逆鱗にふれたのだろう。
その怒りは、表情をかえることなく迫りくる少女に、気負い圧倒される魔族からもひしひしと伝わってくる。
「なんだ、なんなんだよお前……お前みたいな奴がなんでそっち側にいるんだ?」
「やめろ、来るな――くるなああああぁー!」
エルシアの無言の気迫に押しつぶされそうになった魔族が、やみくもに飛苦無を投げてくる。
しかし、それらの攻撃は全て徒労に終わる。
なぜなら、エルシアの身体から溢れ出る魔力によって、それらの飛び道具はすべて彼女の体に触れることなく消失してしまったからだ。
こっこれは、魔法の盾――一定レベルの物理攻撃無効化だと。
無意識にまとっているのか?
「こんな物を、まだ隠し持って……あなた達魔族は、わたくしからまだ奪い足りないと言うのですか?」
「ヒッぃ、やめろ。そっそれは、やめてくれ。もう熱いのは、いやだ。」
エルシアの周囲を円形状に、炎の矢が複数出現する。
全てが魔族の兵士を狙い定める。
「そうだと思いましたわ」
そう言うと、エルシアは俺が見たこともないような邪な笑みをその口元に浮かべ、炎の矢を放つべく魔法を詠唱したのだった。
「降り注ぐ炎の大地に立つは、我何者でなくただ一角の廓なり――
炎矢爆撃獄!」
何本もの魔法の火矢が、魔族へと襲いかかる。
傷ついた体で逃げ惑う男を、炎の矢が容赦なく追い詰める。
「ぎゃあああ、焼ける。俺の体が焼けるううぅ」
「ふふふっ、あはははははっ。燃えろ、燃え尽きてしまえ魔族が!」
俺は、言葉を失っていた。
今目の前でおこっているこの状況、そしてそれを行っている人物――が俺の見知ったエルシアだと頭が否定している。
何が起きているんだ一体。
彼女に――エルシアに何が……。
それは、隣で俺を介抱しようとしていたアイナも同様であった。
目を見開き、俺の腕にしがみつく。
その手は、恐怖を押さえ込もうと必死なようだ。
「エルシア……もう十分だ。十分だよエルシア」
俺は絞り出すように声をかける。
正直俺は、エルシアに俺の言葉が届くのか不安だった。
あまりにも彼女が、得体の知れない別の何かに思えてしまって。
「はぁはぁ……レイル様」
肩で息をしながら、エルシアがこちらを振り向く。
制御しきれず吹きだしていた魔力が、引いていくのがわかる。
どうやら落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
「申し訳ございません。お恥ずかしいところを、お見せしまして」
そこにあったのは、いつものおっとりとした、穏やかなエルシアの顔だった。
だがその双眸は紅く輝き、血色に彩られていた。
隣のアイナは、いまだ先程のエルシアの豹変ぶりから立ち直っていないようだ。
俺の腕をつかむその手から、一向に力を緩めない。
「アイナ様にも、怖い思いをさせてしまい申し訳ございません」
恐怖に引きつるアイナを見て、エルシアが頭を下げる。
しかし、アイナの態度は無理らしからぬことだった。
それ程までに、エルシアの魔族に対する報復は、常軌を逸したものであったのだから。
俺とて内心まだ、ビビっている。
その時、無数の火矢に晒された魔族が、末期の言葉を吐いた。
「おっおまえのその瞳、おまえも俺たちと同じスヴァルトアームの民だな。……こっこの裏切り者め。いつか必ず俺達の炎が、お前を焼き尽くしにくるだろう。それまで、王国の豚どもにせいぜい可愛がってもらうといいさ……」
それだけ言うと、男は焼け焦げた身体を、冷えて固まった溶岩の上に預けるのだった。
「エルシア?」
そのまま微動だにしないエルシアの背中に、俺が声をかける。
しかしまるで何も耳に入らないかのように魔族の兵士だったものを、エルシアは見下ろし続ける。
その表情は、こちら側からうかがうことは出来ない。
ただエルシアだけが、黙ってそこに立ち尽くしていたのだった。
家に着くと、俺の有様を見たクレアが、顔色を変えて飛び出してくる。
「レイル! 一体何があったの?」
「いや、それが……魔族の生き残りに襲われて」
「まさか? 本当なの」
「奥様、大変申し訳ございません。わたくしが付いていながら、レイル様にこのようなお怪我をさせてしまうとは」
「エルシア。何を言ってるの、あなたのせいなんかじゃないわ」
「それより早く入って、手当が先よ」
家に入ると俺は、すぐさま応接室の長椅子に腰掛けさせられた。
「まさか、まだ生き残りがいたなんて」
右腕の傷を見るため、服の右袖を切り裂く。
焼け焦げた肉塊とかした魔族の飛苦無は、俺の腕に確かな傷跡を残していた。
クレアはまだ血の乾ききっていない傷口を用意した湯で濯ぐと、布をあてその上に包帯を巻いていく。
傷はそれほど深くなく、しばらくすれば塞がってしまうように見えた。
「ごめんなさい母上。僕が、魔法の結果を確認したいなんて言ったせいで。ご心配をおかけしました」
黙って手当をしてくれているクレアに、俺は申し訳なく思った。
「私も迂闊でした。よりにもよってレイルが襲われるなんて」
手当の様子を見ていたアイナも、自分の不甲斐なさにうなだれている。
「いいこと、暫く外出は禁止よレイル。まだあの戦いから3日しか経っていないのだから、やはり何が起こるかわからないわ」
包帯を巻き終わったクレアは、そう言って俺の頬を両手ではさむのだった。
「いいわね、約束よ」
「はひ、ははぶえ。いご、ぎをつけます」
横でアイナが笑いをこらえているのが目に入る。
まるで子供扱いだ――いや、つい忘れがちだが子供で正しいのだった。
「それにしても――アイナちゃんまで怪我をしなくて本当によかったわ。これもエルシアのおかげね」
先程から、俺達のそばにそっと立ち続けるエルシアに、クレアが相槌を求める。
しかし、そこでエルシアから帰ってきた言葉を、俺達は予想もしていなかった。
「奥様、お話があります」
エルシアが唐突に話し始めた。
「なにエルシア? どうかしたの?」
「わたくし今後、王都へのご家族での転居には、お供することは出来かねます。つきましては、お暇を頂戴したいかとお願い申し上げます」
「ちょ、ちょっとエルシア。待って、急に何? どうしちゃったのよ?」
あまりにも急転直下な会話の流れに、俺もアイナもただ黙って聞いていることしかできない。
とうのクレアとて、エルシアの一方的な願い出に困惑するばかりだった。
「わたくしは、このクルシュを離れる気はございません。ですので、お暇を」
「やっ、えっとなんで? どうしたの? それはあなたに確認はしていなかったわ。だけど、あなたがそんな来てくれないなんて」
「申し訳ございません、奥様。自身の身勝手、どうかお許し下さい」
そう言うと、エルシアは頭をさげ、足早に部屋を後にしてしまう。
取りも直さず、クレアもその後を追って出ていってしまった。
部屋にはエルシアの言っていたことが理解しきれない、俺とアイナだけが取り残された。
「エルシアさん、どうしちゃったのかしら?」
アイナが誰ともなくつぶやく。
俺にとっても、あまりにも唐突なその申し出に理解が追いついていかない。
しかし、エルシの様子があの魔族との戦闘後に、おかしくなっていたのには気づいていた。
おそらく、あの魔族が最後に残した言葉――裏切り者――あれが、先程のエルシアの突然とも言える言動に関係しているのだろう。
それに、あの瞳……
さて、どうしたものか?
そこへ、家の中で起きた出来事など露ほども知らないカイルが、陽気な声をあげながら帰ってきた。
「オオォォォ、ただいまお父様が帰ったぞ! 麗しの奥様と、愛らしい子供達の出迎えはないのかなぁ」
どうやら珍しい事に、酔っ払っているようだ。
それにしても、なんと間の悪い男だ。
「父上、父上……」
俺は玄関に行くと、なるべくささやくように小声でカイルを呼び止める。
「なんだぁ、いるじゃないかレイルぅ。このお茶目な神童め、でへへへへっ」
何が『でへへへへっ』だ!
大きい声をだすんじゃない、今家の中はそんな雰囲気じゃないんだ。
「ほーら、お父さんが抱っこしてあげるぞぉ」
カイルによって捕まった俺は、その腕に抱きとめられ、あびせ倒しを受けたかのように身動きできなくなる。
「はっ、離してください父上。それどころではなく、エルシアが」
うう、このクソ親父酒臭い。
それに重い。
まったくいい加減に――
「鋼雷破矢(弱)」
「ぐっ、おぅおおおおぉ」
かぎりなく弱くした雷系の魔法を、カイルに穿つ。
若干感電したふうのカイルは、その場にへたり込み俺を開放した。
「まったく何の騒ぎなの?」
そこへ、先程エルシアを追って部屋をでたクレアが、二階より降りてきた。
「何をやっているの二人共! レイル、お父さんを連れて、応接間で待っていなさい。今エルシアを連れて行くから」
「それと、アイナちゃんにもいてもらって。大事な話があるから」
それだけ言うと、クレアはまた一人階段をあがっていってしまった。
ロビーには、酔いどれ座り込むカイルと俺だけが残されたのだった。
今日中にあと2話投稿予定です。
夕方になると思います。