第4話 包帯少女
アジトの洞窟はそこだけぽっかり天盤が崩れ落ちていた。暗がりに光がこぼれ、あわく靡いている。光は六角結晶に散らされて、星くずのようにキラキラまたたく。ひっそり降りそそぐ地上の光は、仄暗い洞窟の底をやさしくあたためていた。
「親分、薬草の具合はどうだい?」
親分、と声をかけられた少女は、薬草を摘む手を止め、若草色の眼鏡をくいと上げる。
「ノンノン。親分さん。わたくし、親分ではありませんわ」
少女は、摘んだ薬草の葉を鼻によせ、酔いしれながら立ち上がる。少女は全身、──顔まで──、あわい桜色の包帯に身を包んでいた。
「まあ、親分さん。手のひらで、ぐったりなさっていらっしゃるのは?」
異変に気がついて、少女はちょこんと小首をかしげる。大男の右の手のひらの上に少女の知らない少女がひとり、眠るように横たわっている。
「殴りかかってきたんでな。つい、反撃しちまった」
「まあ、親分さんが?」
「ザマあねえ。悪魔に見えちまった」
大男は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「手間かけてすまねえんだが、回復、たのめねえかい?」
包帯少女は八角眼鏡のブリッジをくいと上げ、声をひそめる。
「……勇者、ですの?」
ちいさな黒タイツの男があたふた手をふって、しゅんと、ちぢこまる。
「しょ、少女の正体は不明であります……」
「Ah bon…」
包帯少女は、がっくり、いじけたようにしゃがんでしまった。大男は包帯少女の目線にあわせるように、手のひらを下げる。
「親分、──いや、スクレンタ先生ぇ。このとおりだ」
大男は、地べたにこすれるほど、頭を下げる。包帯少女はしぶしぶ顔をあげ、横たわる少女のダメージを診た。
「……顔面、頭部、胸腹部の打撲。爪、くちびるのチアノーゼ。手足が冷たいですわね。……おそらく、臓器もボコボコですわ」
「な、なんとかならねえのかい?」
可哀相になるほど、大男はうろたえる。……シィ。脈を診ますわ。包帯少女は少女の手首に巻かれた赤色のスカーフをめくり、ぴくり、と眉をこわばらせる。
──この痣……。
「か、回復できるかい?」
「ええ、たやすくってよ。ただ、……」
包帯少女は、だれにもなにも気取られないように、めくったスカーフを直した。
「ただ? ただ、なんだい?」
「……なんでもありませんわ」
包帯少女は摘んだばかりの薬草の葉を一枚もいで、やさしく食んだ。唾液で湿らせたその葉を眠れる少女のくちびるに当て、指でそっと挿しいれる。少女のくちびるはさいしょだけやわらかく抵抗を見せて、あとはすんなり口にふくんだ。
「親分さん、よろしいかしら。少女さんをわたくしのベッドに運んでくださる?」
「お安い御用だ」
大男の声に、いくぶんの元気がもどる。
「わたくしは、ラボに失礼します。クスリを調合してきますわ」
包帯少女はほほえんで、坑道の闇にまみれて消えていった。アジトの洞窟は廃鉱につながっている。古代産業の亡骸らしい。かつての坑道には、鉄骨を曲げた赤黒いアーチがつづいている。包帯少女は時折、その坑道をもぐっていく。地下には、氷の消えない空洞があった。盗賊団は近づかない。タイツでは耐えられない。寒い、レベルなら、まだ耐えられる。全身の血管がちぢんで、刺されるように神経が痛み、五感がバカになる。それを少女は包帯だけでいく。青く凍てつく洞は、製薬や保存に都合がいいらしい。包帯少女はラボと名づけていた。
「……クスリって、……アレでしょうか」
ちいさな黒タイツの男がぽつりこぼした。
「ぼえッ」
大男はえずいて、……アレか、とぼやく。
「……不幸中の不幸ねぇ」
スリムな黒タイツは同情のまなざしを少女にむけた。
「だが、アレなら、まちがいねえ。いのちを拾ってくれる」
手のひらから少女がこぼれ落ちないように、大男はゆっくり立ち上がる。
洞窟には、数えるのが億劫になるほどのトンネルが走り、あちこちの空洞(部屋のようにひらけた空間で、盗賊団は寝室や倉庫がわりに使っていた)をつないでいた。構造複雑。勇者を消耗させるにはもってこい。なのだけれど、問題もあった。どのトンネルがどの空洞につづいているのか、盗賊団にも記憶できなかったのだ(アジト内で迷子になって、げっそりやつれて帰ってくる、なんてザラにあったくらい)。見かねた包帯少女は、魔生ヒカリゴケを束ねて手鞠のようなボールをつくり、必要なトンネルに点々とくくりつけた。魔生ヒカリゴケ。名前の通り、エメラルドグリーンにあわく発光するコケ。魔力に干渉された森で育ったヒカリゴケは、音に反応を示して発光を強める。包帯少女は、その習性を利用した。空洞に名前をつけ、ヒカリゴケに名前の音を学習させる。目的の空洞の名前を聞かせたとき、その空洞につづくヒカリゴケだけが、いっそう光を強めた。
「アー、ンー、運ぶのは先生の『寝室』だったよな。アー、寝室はァ、あァー、……なんつったか」
大男はため息をつき、ガックリ、うなだれる。空洞の名前はどれも、失われた言語で名づけられていた。
「La Belle au bois dormant.」
上品ぶった調子で、スリムな黒タイツが流暢に唱える。目の前のヒカリゴケがボゥッと強く発光した。間を空けず、ひとつむこうのヒカリゴケが光を膨らませる。闇のむこう側へドミノが倒れていくかのように、光のバトンが次々とつながれていった。
包帯少女は、ドーム状にぽっかりくり貫かれた洞を気に入って寝室にしていた。入り口には蚊帳が吊るされていて、生地を透けてあわい光が漏れている。ちいさな黒タイツの男がおそるおそる蚊帳をめくり、大男が背中をまるめながら、くぐる。
「星空みたいねえ……」
大男の背中で、スリムな黒タイツがうっとりとこぼした。寝室には、無数の蛍が放たれていた。天盤一面、スゥスゥ寝息を立てるように青白く点滅を繰り返し、時折、はかない光の尾をぼーっとたなびかせながら、ふわりふわり無音でただよう。暗がりでおたがいの顔をたしかめあえるほどの力づよい光。異質だった。ただの蛍ではない。ヒカリゴケとおなじく、魔力生態系で育った蛍。食物連鎖で魔力を体内に濃縮しながら成長した生物は変異する。たとえば、病原体を感染させる蚊はクレイジーだ。体内のウイルスが魔力の干渉で凶悪に変異している。大男の顔は原形を見失うほどパンパンに腫れ、全身の毛穴という毛穴から出血して黒タイツをドス黒くにじませた。熱に魘され痙攣し、白目をむいて嘔吐を繰り返し、生死をさ迷った。あれほどの図体の男が、指先ほどの生物にあっけなくブッ倒されたのだ。魔生の蚊は、ほとんど別の生物だった。──このとき、大男のいのちをつないだのが包帯少女だった。ちいさな黒タイツの男が、森で薬草を摘んでいた包帯少女をさらい、クスリをつくらせたのだ(なみだで喉をつまらせながら、声をくしゃくしゃにして拝み倒し、つくってもらったのだけれど)。あれから盗賊団は包帯少女に頭が上がらない。
「……ハンッ。ホシ空じゃねえ。ムシ空だろ」
大男は、少女をそっとベッドに寝かせ、ちいさくひとつ息をつく。ムシにはゾッとするけれど、ここの空気は悪くない。大男はまたひとつ息をついた。こりかたまった気持ちがほぐされる。森の植物から抽出したオイルを焚いているらしい。少女の呼吸も、だいぶおだやかになっていた。ぼーっとゆるんでいる大男の背中で、スリムな黒タイツがムスッと神経をトガらせる。
「……ねえ。ねえったら。さっきの、『ただ、……』って、なにかしら?」
「──あン? ただ?」
大男は、さっぱりだぜ、と頭を掻く。
「ったく。さっき、先生が、」
言いかけて、スリムな黒タイツの口は「へ」の字にひんまがる。異臭だ。面々は口も鼻も手でおおって、視界をにじませながら、いっせいにふりかえる。
「お待たせしましたわ」
包帯少女が立っていた。銀製のラウンドトレイに陶器のティーカップ、それから、湯気をくゆらすティーポットを乗せている。異臭はそれだった。
「ぼぇッ」
「ぼぇッ」
「ぼぇッ」
盗賊団はこらえきれず、こみあげた。このツン、と鼻の底を刺してエグる腐臭。まちがいない。アレだ。鼻腔を下水の臭いでいっぱいにしながら、喉をドロドロつたい、胃酸のように食道を焼く、アレだ。親分謹製の薬草茶(団員はこっそり「ドブゲロ茶」と名づけている)。鼻がモゲる、くらいならまだ可愛いのだけれど、アレは、──こころがモゲる。
「ちいさな子分さん、よろしいかしら」
包帯少女は、ちいさな黒タイツの男にトレイを預ける。男は「く」の字にのけぞって、顔面とトレイとの距離を力のかぎり遠ざける。包帯少女はひざをついて、傷ついた少女の上半身をゆっくり抱き起こす。少女の顔がふたまわりほど、ちいさく見えた。少女の腫れは全身すっかりひいていた。
「親分さん、よろしいかしら」
まだ意識の回復しない少女の背中を大男に預け、包帯少女はすっくと立ち上がる。のけぞる男のトレイからティーポットを手にとり自分の頭ほどの高さに持ち上げて、中身を注ぐ。液体は軽やかな音と、熱いしずくと、かぐわしい異臭とを立てながら、白いカップを満たしていく。ちいさな黒タイツの男はほとんど白目になって、口の端にあぶくをためている。なみなみ注ぎ終わると、包帯少女は左手くすり指の包帯を解き、白く湯気立ちのぼるカップにスッと指を立てる。包帯少女は、ひたしたその指先を少女のくちびるの端にあてて、挿しいれた。
「…………」
ほんのそれだけで覿面だった。少女は、白金色のまつげをぱちくり、しばたたかせた。
「少女さん、ご機嫌いかが?」
少女は団員などには目もくれず、白い指でティーポットをさした。
「……ほしい。それ、」
「おいおいおいおい、嘘だろ?」
大男が頭を抱える。
「ねえ。舌だけ、治ってないんじゃない?」
スリムな黒タイツが目をしかめる。ちいさな黒タイツの男は、ワナワナふるえる指先を下くちびるに当てた。
「……ほしい、それ、ぜんぶ、」
「よくってよ」
包帯少女は、異臭を放つティーカップを少女の手に持たせる。少女は熱いカップに迷わず口をつけ、えずくことなく、一気にかたむける。
「……これ、なに?」
「薬草ティーですわ」
少女はひと息にカップを干して、ふぅ、とやわらかく息をついた。
「わたくしからも質問、いいかしら」
包帯少女が質問を切り出す。めざめた少女は質問で返した。
「…………あなた、だれ?」
「まあ、困ったさん。質問しているのは、こちらで、」
「……あなた、クサイ」
盗賊団の面々が、いっせいに包帯少女に顔をむける。──ごくり。だれかの生唾をのみこむ音がやたらはっきり聞こえた。
「わ、わわわわわ、わたくしのはずなど、断じてありませんわっ。ほら、ほらっ、」
包帯少女は口ごもり、黒タイツの面々を指さした。そりゃねえですよ、と大男は頭を掻く。ちいさな黒タイツの男は鼻の下までタイツをひっぱって、しょげかえる。
「……あなただよ」
白金色の眉をひそめて、少女は、包帯少女に目をむける。面々は顔を見あわせる。包帯少女は、ぴくぴく肩をひくつかせながら、だんまりしている。
「あなた、勇者クサイ」
「ひぇ?」
包帯少女は不意をつかれる。おかまいなしに、少女はつづけた。
「あなた、勇者?」
「……いいえ、あいにく。わたくしは、ただの道具屋の娘ですわ」
声に平静を取り戻して、包帯少女は、少女の手からティーカップを外してトレイに片づける。少女は、包帯少女に小鼻をよせ、スンスンひくつかせる。
「……嘘、クサくはないね。ホントウばかりでもないのだろうけれど」
「少女さん、あなたこそ、何者かしら」
「は?」
「あなた。異常ですわ。『スキン』を装備なさってないでしょう。生きてここまでたどりつくだなんて。ただの不審者ではありませんわ」
包帯少女は、めざめた少女の左耳に、ずい、と顔を近づける。
「あなたこそ、勇者ではなくて?」
「は? 失礼ね。わたし、魔王だよ」
魔王と名乗った少女は語気を荒げて否定した。包帯少女はポカンと口がふさがらない。
「ぶヮッハッハッハ。あんな弱っちぃのにか」
「五月蠅いよ。ムキムキ雑魚。あなたなんかもう、消せるんだ」
「……ホゥ」
大男は、ボキボキ指を鳴らした。魔王少女は布をはいで立ち上がる。ちいさな黒タイツの男が、あたふたしながら、ふたりの間にからだをはさみいれた。
「ま、魔王であるはずがないですよ。だって台本には、魔王は玉座に、」
「証明できますの?」
ちいさな黒タイツの仲裁をナイフで切るように遮り、包帯少女が問い質した。魔王と名乗った少女がふりむく。
「は? 証明?」
「少女さんが魔王だって証明ですわ」
「……別にいい。めんどい」
魔王少女はぷいと顔をそむけ、立ち去ろうとする。包帯少女は、魔王少女の左腕をつかんだ。
「そちら、」
包帯少女は、魔王少女の手首に巻かれたスカーフに手をのばそうとした。
「さわらないで」
びくっとして、包帯少女は手をひく。
「……魔力の残香がしますわ」
「魔力?」
「ええ、魔力ですわ。そのスカーフが森の危険を遠ざけてきたのですわね」
「スカーフじゃないよ。……トロンヌちゃんだよ」
「トロンヌ?」
──トロンヌ。失われた言語? だとしたら、たしか意味は、……玉座。
「も、いく」
魔王少女は手首をひねり、包帯少女の手をふりはらう。
「いくって、どちらへ?」
「ここじゃないどこか」
「なにをしに?」
「……五月蠅いなあ」
「Ah bon… わたくし、いのちの恩人なのですけれど」
「……勇者、探しにいく」
「探しにいく? 少女さんは魔王さんなのでしょう? 勇者に探させる、のまちがいではなくて?」
「クルノカ・コナイノカ・ワカラナイアホ勇者をひたすら待ってるけなげな魔王とか、草。わたし、暇に殺されるほど暇じゃないんだ」
「──暇に殺される。ふふ。……ですわね」
包帯少女は、まわりこんで魔王少女の目の前に立った。
「魔王少女さん。わたくしを仲間になさらない?」
「は? 仲間? ……仲間ってなに?」
「ふふ。助けあう関係、かしら」
「は? 迷惑だし」
「Ah bon… ツレないですわね。いいのかしら。魔力が空っぽの魔王少女なんて、ただの少女ですわよ。勇者に倒される前に、そこらへんの雑魚に倒されますわ」
魔王少女は、ちらり、大男を上目づかいで見上げる。
「魔王少女さんが傷ついたら、わたくしが回復してさしあげますわ」
「……仲間はいらない。わたしは、あなたを助けない。だけれど。……うしろ、くっついてきても、しばらく消さないでいてあげる。あなたがわたしを助けたいなら、好きなだけ助ければいいよ」
「あーら。ずいぶん不平等ねえ」
スリムな黒タイツがあきれかえる。
「は? わたし、魔王だから。えこひいきはしないよ。魔王の前では、だれだって平等に不平等なんだ」
「ふふ。それで結構ですわ」
包帯少女は、不満も異論もなさそうだ。
「ではみなさん、御機嫌よう」
「お、親分、勇者は? 待たねえんですかい?」
うろたえる大男。その丸太のようなひとさし指を包帯少女は両手でにぎり、元気づけるようにブンブン上下にふる。
「ノンノン。親分さん。親分は、親分さんですわ。勇者がきたら、待たせておいてくださいな」
「先生、止めないわよ。アジトを離れるなんて台本にないんだから。後悔するわよ。セカイを敵に回すわ」
「Merci. スリムな子分さん。けれど、しかたがありませんわ。セカイより、自分の気持ちを敵に回すほうが後悔しそうですの」
ちいさな黒タイツの男はタイツの隠しポケットから小瓶を取り出し、包帯少女にそっと手渡した。
「先生、親分を助けてくださって、ありがとうございました。さらってしまって、ごめんなさい。どうかお気をつけて。こちら、たのまれものです」
「ちいさな子分さん。こちらこそ、Merci. ですわ。あなたが森でさらってくださらなかったら、みなさんに会えませんでしたもの」
包帯少女はにっこりして、盗賊団にくるりと背をむけた。ふたりの少女がアジトを出てゆく。ちいさな背中が洞窟の暗闇に溶けて見えなくなるまで、盗賊団は手をふった。
「……自分の気持ちを敵に回す、ねえ。にっこりグッサリえぐってくれるじゃない」
スリムな黒タイツは、だれにぼやくでもなく、ぼやいた。
「親分」
ちいさな黒タイツの男が、強い意志をこめた目で、大男を見上げる。黒タイツの大男は力づよく、うなずいた。
「チッ。しかたねえなァ」