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第1話 魔王少女

は?

生まれてきた理由?

ぷ。草生える。

だって、魔王が生まれなくちゃ、

勇者が生まれないじゃん?

だから、わたしは生まれてきた。

ただ、それだけ。


──魔王少女






「……暇。………………暇。……」


少女の鬱屈は、あふれてはこぼれ、あふれてはこぼれた。ぽつり……。ぽつり……。止む気配の知れない雨だれのようだった。少女はだらり、たましいを投げ出していた。少女は完全に止まっていた。死んではいないけれど、生きてもいない。少女はほとんど陶器人形のようだった。


──ただ、左の口角だけが時々、こごえるようにちいさく痙攣した。


「…………暇。……」


エニャックはそれを、聞くでもなく、ただ聞いていた。それが、このセカイの音のすべてだった。セカイの音はヨレヨレとつづいていた。抗いがたい眠気に抗う、おぼつかない意識のように。途切れかけては、かろうじてつながって、また、かぼそく撚れて消えてしまいそうになる。


それが、不意に、──異音がした。


「……ねえ、」


ひどく不安定で、語尾はほとんど枯れていた。エニャックはやはり、ただそれを聞くでもなく、聞いていた。少女はカラカラに乾いた上くちびるを、下くちびるから引き剥がすようにして、ぽそぽそ引き攣らせる。


「……わたし、…………なんかい、……『暇。』って?」

「31,415,926,535回だよ、ベリー」


エニャックは即答した。


「ただし、」


エニャックは一度、短く咳払いをした。それから、ベリーそっくりに声色をまねた。


「──なんかい、……『暇。』って? ──の『暇。』は、カウントから除、」

「暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇ッ

──魔王って暇ぁーーーーッ」


凶悪な爆風が、エニャックをひとのみにした。少女の底で澱んでいた感情のガス溜まりに、火が堕ちたらしい。眼前の空気が不安定にゆらいだ。ほんの目先の少女の顔がぐんにゃり歪んで見えた。視界が騒々しく膨らんでいく。セカイはスローモーションで、爆ぜた。


エニャックが人間だったなら──。

爆風にのまれながら、エニャックはダメージを演算する。眼球はシャボン玉のようにプチンと弾けて泡となった。臓物は水風船がニギりツブされるように飛び散った。顔面の皮膚はズルリめくられて、白くあらわに晒された頭蓋骨は砂山が崩れるように形を失い、ふっと風に散らされた。


エニャックが人間だったなら──。

即死、では生ぬるい。命など、原形を留めていられなかった。少女はただ、処理しきれなくなった感情を発散した。ただ発散した。それだけのことだったのだけれど。


(──やれやれ。勇者に同情するよ)


エニャックは人間がそうするようにおどけて肩をすくめてみようとしたけれど、あいにく肩など持ちあわせていなかった。


少女はぐったりしていた。またたきも忘れて、ぼーっとどこか一点を見つめていた。ちいさな八重歯がのぞく半開きのちいさな口からは、傘を開いたキノコのような黒煙がうっすら立ち上っている。


「……ゆーしゃ、ま、……だぁ?」


少女は、こてん、と転がった。あおむけになった少女の視界には、逆さまになった地平線がぼんやり白く輪郭をにじませながら、ゆるやかに湾曲していた。ただそれだけがおぼろげに遠く見通せた。少女の玉座は古い古い戦場にあった。ただ玉座だけが、ぽつねんとあった。


「……迷ってるんだ。ね、勇者、迷宮で迷ってるんじゃない?」


少女は、ぽつり、つぶやいた。エニャックはただ、聞くでもなく、聞いていた。


「……鬼畜すぎたんだ。……ね、ね、ね、あのトラップ、鬼畜すぎた?」


少女はひとり畳みかけた。


「…………あ。DECODE? ……じゃないよね? だって初歩の初歩だよ? ヒントあげてるし……。じゃないじゃないなんて、ないない。……ないよね? だって勇者だよ? アホじゃないんだよ?」


少女は白い指で頭をぐしゃぐしゃ掻き乱しながら、ごにょごにょ不平をこぼし、何度か左右に首をふったあと、白い眉間に弱弱しく手を当てた。


「アホだったらどーしよぉ……」


少女は崩れ落ちるようにして、がっくりうなだれた。それきり、だまりこくってしまった。


少女の玉座は巨大だった。台座の上に全身を投げ出して寝転ぶ少女が、手のひらに乗せた米粒ほどにちいさく見えた。前の魔王がこしらえた玉座らしい。先代がどれほどの体躯だったのか、少女は知らない。少女は生まれながらにひとりぼっちだったから。少女は台座につっぷした。ほっぺたをくっつけ、まぶたを閉じて、ゆっくり深呼吸をする。少女の息づかいが、だんだんおだやかになっていった。台座はなんだか、いい匂いがした。ほほをくっつけている間、少女はやわらかく包まれて、あたたまった。


「……ね、『今』って何回目の『今』?」


はたと顔を上げ、少女は脈絡なく、ぶしつけに聞いた。


「…………。可笑しな質問だね、ベリー。あえて答えるなら1回目の今だよ。その今だって、もう過去の今だけれど」

「……だよね。……アホ勇者のアホぉ。……脳みそ干からびちゃうよぉ」

「…………」


無論、エニャックは無反応で、ただむっつり空中にぷかぷかしていた。ツレないエニャックを横目でにらみながら、少女はふたたび台座に倒れこんだ。


それにしてもエニャックの目は円らで不気味な目だ。白い円の内側に、ややちいさい黒い円が重なっただけの目。まつげは無いし、まぶたも無いし、黒目は動かない。そのせいで、エニャックがどこを見ているのか、少女はしばしばわからない。エニャックは口も口でヘンテコだ。顔の半分くらいが口だし、半円の形だし(満月が半分に切られて寝そべったような形だ)。それだけならまだいいのだけれど、そのヘンテコな口をポカンと開けっぱなしにしたまま、くちびるを一切動かさずにしゃべるのだ。まあ、ほとんど口をきかないし、少女が話しかけたって、大抵、ちっとも返ってこないのだけれど、だんまりしているときも口はポカンと全開で、ギザギザの正三角形の歯がギッシリむきだしになっているのだった。少女は何度見ても見慣れないその顔を見上げながら、ため息まじりにまたぼやいた。


「……暇で死ねるんですけどぉ」


見上げるエニャックはだんまりで、ただ見るでもなく、少女を見ていた。


「そーだ」


不意に、少女は顔を上げた。エニャックは理由もわからず、目をそらしたくなる。少女の目は命にあふれていた。さっきまで死んでいた目は、もう死んでいた。少女は、すっくと立ち上がる。


「いってくる」

「…………ベリー?」

「勇者んとこ。いってくる」

「ベリー、それは許されない。セカイのルールに背反する」

「ルール?」


少女はムッとほっぺたをふくらませ、トガらせた視線をエニャックにぶつける。


「ルールに生きて、パパは死んだ」

「……先代は、魔王の役割を生きた」

「魔王の役割? ……パパの役割は?」

「ベリー、理解しているはずだよ。これは魔王が勇者に倒されるセカイなんだ」


少女は勿論、理解していた。散々『最終戦争』を教育されてきたのだから。


魔王の目に記録された、

魔王の死の記憶。


──それが『最終戦争』だった。


「やあ、ベリー。学習の時間だ。復習こそが復讐なんだ」


あれが何時のことだったのか、少女はもう憶えていない。なんの前触れもなく、エニャックは『記憶』を再生した。空からモノクロームのペンキが垂れてきて、セカイは色を失った。気がつけば、少女はぽつり、戦場に立っていた。そして、少女は殺された。それが『魔王の死』の学習だった。記憶の幕が下ろされて戦場が暗転する。BAD ENDの文字が空しく宙にゆれた。間を空けず、少女は黙って、ふたたびアタマから再生した。それからの少女は『死』の再生を貪った。


再生して、再生して、再生して、再生して……。

殺されて、殺されて、殺されて、殺されて……。


何時からか、魔王の死は、ほとんど少女の死になっていた。少女は忘れない。記憶の糸がぷっつり途切れるあの最期を。魔王の目が捕えて離さなかったあの目、あの目、勇者のあの目を、──少女は忘れない。


だけれど。

まあ、どう足掻いたって、魔王は結局、勇者に殺される。このセカイはそうつくられたセカイなのだから。復習はできたって、復讐などできないのだ。


「……だね。ま、しゃくだけれど、しょーがない。勇者には殺されてあげる」


少女は、ニンマリ、ほほえんだ。


「けどね。暇に殺される気はないの」


「……ベリー。魔王は玉座を空けてはならない」


少女は、ニカッと歯を光らせた。


「……じゃ、玉座は空けないよ」


少女はしゃがんで、ひざをかかえた。左手を座面にかざし、親指の爪先を薬指の腹にぐっとオシ当てナイフのように滑らせる。裂かれた指先に赤黒いしずくがたまってぶらさがり、泣きじゃくるようにポタポタこぼれ堕ちた。しみこんだ座面は一面ぼんやり黒く光を帯びた。黒い光は寝息を立てるようにやわらかく何度か点滅して、消えた。


「──さ、自由だよ」


──ガタ……。


足元のはるか下のほうで、おっかなびっくりの、臆病な音がした。


──ガタンッ。


少女の全身がドンッと一回、突き上がる。


──ガタガタガタガタガタガタガタガタ…………。


座面がこきざみにゆれだした。タテゆれの振動が少女の奥歯にジンジンひびく。ほほもブルブルにゆさぶられて、少女はこそばゆそうに、はにかんだ。


「ベリー!!!? 玉座が……」

「脚をね、『足』にしたんだよ」


──ズシン……。ズズズン。ズン。ズン。ズン。ズン……。


玉座はおそるおそる脚を持ち上げ、注意深く脚を下ろした。脚が足になっていた。玉座はなにかを噛みしめるように、力づよく足ぶみをくりかえした。


「はい、玉座、おすわり!」


少女の号令で、玉座はぴたり行儀よく立ち止まった。少女は、「えらいねー」とくりかえしながら、座面をぐしゃぐしゃ撫でた。


「んーー、玉座って名前、ぜんっぜん可愛くない。玉座だから、…………トロンヌ。トロンヌちゃんだ」


玉座はぐるぐる円を描いて、はしゃぐようにその場を回った。不器用な、スキップのように見えた。一歩一歩がぎこちなくて、一回一回少女の体が宙に浮いた。


「じゃね、エニャック。そーゆーわけで『玉座は空けず』にいってくるよ。留守番おねがいね」

「……………………」


エニャックは相かわらず、ぽっかり口を開けたまま、だんまり口を閉ざしている。少女は気に留めず、目を閉じて、スンスン、小鼻をひくつかせて回る。

──ん? 少女の眉間がちいさく困惑する。


「……そっちも、こっちも、あっちも? あちこち勇者クサイよ?」


少女は小首をかしげる。


「クッサイ順でいっか」


少女はひざこぞうをついて四つん這いになり、座面に顔を近づける。


「トロンヌちゃん。背凭れのほうの足をぐぐぐぐぐッてかがめて。合図したら、あっち目がけて、め―――いっぱいジャンプだよ」


──ぐぐぐぐぐッ。

玉座は関節の無い足をしならせ、めいっぱい、力をためる。少女は左手をそろり上げ、一気にふりおろした。


「ジャーーーーーーーーンプッ」


玉座は、音も無く消えた。


──パラパラパラ。

エニャックの上空で火薬が破裂したかのような乾いた音がした。頭上からなにかが、──残骸と、少女とが、どしゃぶりの雨つぶのように降ってくる。気を失っているのか、少女は頭を下に落下していた。尾を引いて墜落していく少女を、エニャックはだんまり、目で追った。少女はそのまま、あまりにも無防備に頭から地面にめりこんだ。大地がごっそりえぐられ、巨岩が小石のように軽々舞い、視界は砂ぼこりでフサがって、大気がビリビリしびれた。


徐々に晴れていく眼下の惨状に、エニャックは人間のように目をしかめてみようとしたけれど、あいにくまぶたを持ちあわせていなかった。あたりは一帯、ボウルのようにくぼんでいた。その底の、いちばん深いところに、少女の首から下だけ、にょっきり生ハえていた。身じろぎもせず、ただ、じっとしていた。エニャックはふらふら降下し、そろそろと近づいた。


少女の足の指がビクっとちいさく痙攣し、少女の手のひらがあたりを探るように逆さまの地面をまさぐった。エニャックは、まあ、息はしていないのだけれど、息を殺して、それを見ていた。少女は手足をバタつかせたり、胴体カラダを反りかえさせたりしながら、くりかえし、くりかえし、モガイテ、足掻いた。何度目かの反動で、少女の頭がひっこぬけた。ポンポンほこりを掃いながら、少女はおもむろに立ち上がり、エニャックを見上げた。怒っているのか。泣いているのか。少女は複雑な顔をして、下くちびるをきゅっと噛んでいる。


「……トロンヌちゃん、死んじゃった。コナゴナだよ。ぶつかった。空になにかあった。見えないけどあった。……アレ、なに?」


「……外殻だよ、ベリー」

「……ガイカク?」

「ああ、ベリー。このセカイは外殻でおおわれているんだ。卵の殻のようにね」

「……どーして、……黙ってたの?」

「……聞かれなかったからだよ、ベリー」

「…………そ。」

「…………」

「……エニャック、ほかには?」

「ベリー? 『ほかには?』だって?」

「ほかに、『隠している』ことは?」

「ベリー、ありえないよ。『隠している』だなんて。エニャックはベリーに嘘をつけない。聞かれたら、ぜんぶ答える。それがルールなのだから」

「……そ。」

「……………」

「……じゃ、外殻は壊せる?」

「ベリー、外殻は壊せない。外殻には傷もつけられない」

「……そ。」

「……………」

「……じゃ、アホ勇者は外殻の外?」

「ベリー、…………このセカイにいるのはベリーだけだよ」

「ふうん」


少女はいたずらっぽくエニャックから視線を外した。黒髪を耳にかけ直し、毛先に指先をからめて、くるくる弄ぶ。

──はたと、その指が止まる。毛先が、はらり、ほどけてハネた。


「んとさ、エニャック。玉座、無くなっちゃったんだけれど。『魔王は玉座を空けちゃいけない』んでしょ? セカイのルール的にどーなるの?」

「ベリー、回答に時間がほしい。……ルールを参照している。…………ヒットする規律を拾えない。どうやら想定外みたいだね」

「ふうん。『想定外』があるんだ」


少女は、ぱちん、と指を鳴らした。少女の足元を目がけて、木片や布の切れ端が、──ゾロゾロズルズル、這い集まってくる。黒いガスのような、どこかゾッとする気体をモヤモヤ纏って、ゴソゴソ蠢く。


「エニャック、安心して。玉座は元通りに再生するよ。わたしの血を吸ってるからね」

「………………」

「けどね、トロンヌちゃんは、……トロンヌちゃんには会えないんだから」


少女は、弱弱しく、へなへな、大の字にへたばった。

空が、なんだか、ひどく遠い。


「……アホ勇者は外殻の外。……けど、外殻は壊せない……アホ勇者は………………」


雲ひとつない空。少女は、ぼーっと口ずさんだ。思考がまどろんで、頭の中が空っぽになっていく気がした。


(!!?)


ふと、あの、──あの匂いがした気がして、少女は首を右にひねった。ビリビリに裂かれたボロボロの布切れが、少女の目と鼻の先をヒョコヒョコ、芋虫のように這っていた。そのワインレッドの切れ端を少女はそっと捕まえる。見憶えがあった。なによりも、あの、いい匂いがした。少女がつっぷすたびあたためてくれた、あの座面の生地だった。あちらこちらコナゴナに散らかっていた玉座は、気がつけばもう見上げるほどに形をとりもどしていた。脚の修復はほぼ終わっていて、どうやら座面の再生に入っているらしい。少女は、手のひらの端布をぎゅっとにぎりしめる。それから目を閉じて、深呼吸した。


「エニャック。わたし、このセカイ、出るよ」


少女は、おもむろに立ち上がった。


「……ベリー、外殻は壊せないんだよ。身を持って学習したよね?」

「だね。わたしに外殻は壊せない」

「…………」

「けど、」


──『想定外』はある。でしょ?


少女の黒髪が重力に逆らって、ゆらゆら持ち上がっていく。少女は、ニンマリ、満面の悪巧みをたたえた。少女の白い素肌から黒い筋が無数に立ちのぼる。エニャックは目を疑った。『力』は超微小の粒子だ。まず目には見えない。大気を浮遊するウイルスが目に見えないのと同じだ。


それが、見えている。


操人形を吊る糸のように、くっきり黒く空にのびている。やれやれ。ただの『異常』ではレベルが足りない。──災厄だ。一体どこまで馬鹿げた『力』なのだ……。


「……ベリー? ……セカイを、…………どうするの?」


「? どーもしないよ? そんな暇ないし」

「……ベリー、外殻は壊せない」

「ンモぉーッ、気ぃーがぁー散ぃーるぅー」


少女は左手ひとさし指の腹を親指の爪先で裂き、絵筆のように走らせた。空中に赤黒いインクが定着する。


──この平面にね。

──まず、『円』を描くでしょ。

──それがセカイね。

──その円の内側に『点』を描く。

──それがわたしね。

──点はね、円を出たいの。

──だけれどほら、

──点はぐるり囲まれているから、

──どっちにいっても、

──円にぶつかっちゃう。

──しかも、

──円はブッ壊せないの。


意地悪だよね。と、少女は目をほそめ、じっとりエニャックをにらんだ。


「じゃ、エニャック。『点』を『円』の外に出してあげて」

「ベリー、『点』は『円』を出られない。ベリー、『魔王』は『セカイ』を出られないんだ」


「BOOッBOOOOOOOOッだっ!!!」


少女は、指先で『点』をつまみ、線の上をひょいっとまたがせて、円の外に出した。


「ベリー、なんだかズルい……」


エニャックは、円らな黒目を絵柄あわせの遊具のように、ぐるぐる回転させた。


「ぷ。なにそれ? いじけたの?」

「……ベリー、このセカイは球体なんだ。円じゃない」

「おんなじだよ、エニャック。円だって、球体だって」


エニャックの黒目は徐々に速度を落としながら、回転を弱めて止まる。勢いを余らせズレてしまった左右の目の高さを、エニャックはそろりそろりあわせ、きちっと調整した。


「エニャック。『点』の出口は、何時だって『点』の頭上にあった。なのに『点』は『円』を出られなかった」


──なぜならね、エニャック。タネあかしをするかのようにほほえんで、少女は目の前の円を手前にくるり回転させて、水平にした。円は面を失い、ただの線になっていた。


「ほら、エニャック。横から見て。円はペッタンコの線になる。『点』はね、『高さがないセカイ』にいるんだよ。だからね、『空』にぽっかり出口があったって、『点』はぜったいに出口を認識できない。だから、『点』は出られなかったんだ」


少女は、白いひざをのばし、しゃんと姿勢を正した。エニャックは、少女のたたずまいに、めまいがする気がした。


「だけれどね、エニャック。『認識できない』からって、『ない』んじゃないんだ。逆にいえば。認識できない『空』を認識できたなら、『点』は『円』を出られるんだよ」


エニャックは目の前のセカイに違和感を持った。少女を吊るしていた黒い粒子の糸が、少女のからだに逆流していた。


「……ベリー。『点』は『空』を認識できない。それが理屈なら、ベリーは、このセカイの出口を認識できない」

「そ、ね。だけれど。」


──『空』をぜったい認識できない平面セカイでだって、『空』を飛ぶ鳥の『射影』には気がつけるんだよ。


少女は、右手の白い指先を、エニャックの目線にあわせて、すっとさしだした。


「ほら、ね」

「????????????!!!!!」


error analysis……

──これは一体、……なんだ?

error analysis……

──いま、……なにを見ている?

error analysis……


エニャックの目の前で、少女が裏返っていた。少女の白い指先は皮膚がめくれ、骨髄腔をあらわにしながら、骨が裏返る。少女の血管は外膜が内膜へ、内膜が外膜へ、一切やぶけることもなく、一滴の血もしたたることなく、音もなく、ニオイもなく、ウラはオモテに、オモテはウラになっていった。


「ぷ。エニャック。グロ注意だね」

「ベリー、グロは問題ない。問題は、そこじゃない」


error analysis……

少女は裏返りつづけた。

error analysis……

error analysis……

error analysis……


負荷の雪崩にノまれて、エニャックは溺れかける。エニャックの頭脳は窒息しかけてはふんばり、またフラフラして、なんとかふみ止まる。


「ベリー、手首から先が、……見えない」

error analysis……

「ん? そ、か。わたし、見えなくなるんだ」

error analysis……

「ベリー、……ひじが」

error analysis……

「エニャック、わたしね。……んー、言葉にしようとするほどなんだか遠ざかってしまうんだけれど……」


──『ボールが裏返る方向』にいくよ。


「ベリー? 『ボールが裏返る方向』?」

error analysis……

「そ。」

error analysis……

「ベリー、球体は裏返らない」

error analysis……


──だけれど、エニャック。円はまたげたよ。


「ベリー、セカイは円じゃない、」

error analysis……

「──球体なんだ。でしょ?」

error analysis……

「ベリー……」

error analysis……

「エニャック、『点』の出口は『空』にあった。『点』がね、『ぜったいに移動できない方向』にあったんだよ。だから、あるはずなんだ。このセカイにだって。このセカイでは『ぜったいに移動できない方向』に、このセカイの出口があるんだ」

error analysis……

「……ベリー、魔王は玉座を空けてはならない。魔王はこのセカイを出られない。どう足掻いたって、……それがルールなんだ」

error analysis……

「ぷ。エニャック。ほんと、草生える。ずいぶん可笑しな理屈だよ? どう足掻いても出られない、のなら、そもそもどーしてルールなんてあるの?」

error analysis……

「ベリー、ルールを乱してはいけない。『制裁』が下される」

error analysis……

「ぷ。制裁? ……ねー、エニャック。制裁を怖がる魔王なんて、怖い?」

error analysis……


目の前の少女が裏返る。裏返っては見えなくなる。少女は、みるみるちいさくなった。ほとんど顔だけになった少女が、ふと、ほほえんだ気がした。セカイのなにかがねじ曲がった、セカイのなにかが狂いだした、──気がした。


「ベリー?!!!」

「じゃね、エニャック。わたしの『死』はセカイにくれてあげる。けど、それだけ。セカイが好きにできるのは、たったのそれっぽっちだよ」


少女は点になって、渦を巻きながら空間にノまれるように、消えてしまった。──『消えてしまった』、のではなく、『認識できなくなってしまった』、──ただそれだけなのかもしれないのだけれど。


──ベリー。どうかセカイを怒らせないで。消去されてしまうよ。ルールの背反はバグだとみなされかねない。もしもバグだとみなされたなら……。ベリー、セカイはぜったいにベリーの存在をゆるさない。


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