死に至るの病、花粉症
私は元気なことだけが取り柄だった。運動も勉強も人並み以下だ。両親は私に、元気なのは良い事だと褒めてくれた。他にもいろんなことを褒めてくれたが、それは出来無いなりの努力だけを褒めているだけに過ぎないことは、頭の悪い私でもわかっていた。だから私の自慢は元気なことだけだった。しかし年が明けて小学校卒業の準備を始める頃、私の体に異変が起こった。
医者は私を花粉症と診断した。私は愕然とし詳しいことを話半分にしか聞いていなかったが、どうやら現代医学では治る見込みはないらしい。体中のありとあらゆる場所から体液を垂れ流し、いずれ衰弱して死ぬ病のようだ。母は鼻をすすって泣いていた。医者も眉間にしわを寄せながら鼻をすすって泣いていた。私は頭が悪いから病気に関してはよくわからなかったが、その状況で深刻な病なことだけは理解できた。家に帰り、母が父に病気のことを話すと鼻をすすって泣いていた。その日から私は元気が取り柄ではなくなった。
私は家から出なくなった。外に出ると病気が悪化するからだ。両親は私に優しい声をかけ外に連れだそうとした。外に出れば良いことがあるよと言って、学校に連れて行こうとした。でも私は学校には行きたくなかった。元気だけが取り柄の私から元気を失ったら何が残るというのだろう。みんな指を指して笑うに違いない。しかも今日からは中学校で、半分以上が知らない子だ。でも私は頭が悪いから、一度だけ親に連れられ学校へ行ってしまった。やはり私はみんなに笑われた。病気も悪化した。良いことなんて一つもなかった。
私には部屋から出る理由がないのだ。この部屋が私の世界だ。リビングも今や危険な場所と化した。人が出入りする場所だから病原が持ち込まれてもおかしくなかった。事実、私のことが心配と言いながら無神経に家に入ってくる人が跡を絶たなかった。両祖父母、対して親しくもない伯父叔母、連れられてただ遊びに来ただけの従兄弟、中学校の教師、小学校の頃の友達、みんなが私に会いに来たが嬉しくはなかった。みんな私を心配している振りをして、私の病気で舞台のように悲劇を演出しているだけだと私は思った。私の部屋の前で一様に鼻をすすり涙を流していたが、私は部屋から出ることはなかった。出る理由がないのだ。私はいずれ死ぬのだから。
私には兄がいる。兄はいわゆる引きこもりという存在だ。私が病気なことが発覚しても部屋から出ず、いろんな人が私の部屋の前で騒いでいても部屋から出ず、ただ静かな存在の兄だった。そんな兄を私は軽蔑はしていなかった。私が病気になる前、兄はいつでも私に優しかった。色んな物を買ってくれた。お前は俺と違って友達がいる、と褒めてくれた。兄はいつでも私の理解者であった。でも今となって私は思ったのだ。私はいままで兄を理解者だと思っていたが、私は兄を理解しようと思ったことがあったであろうか。私は自らの意思で人と関わらないように生きることがこんなにも苦しいこととは思わなかった。私は誰にも関わらず一人で死のうと決めたものの寂しくなったのだ。いつしか私は部屋から出てこない引きこもりの兄に尊敬の念を抱いていた。病気になってごくわずかな私と違って、長い時間を独りで過ごしてきたのだ。兄が私に優しかったのは、きっと、兄も今の私のように寂しかったのだろう。しかし私がきっかけでそんな兄の生活を変えてしまうこととなった。兄が外に出るようになったのだ。
どうやら兄は働きだしたようだ。静かな生活の中のかすかなヒントで私はそれを気づき呆然とした。兄だけは私の唯一の理解者であり、同士だと思っていた。裏切られた気分だった。事実裏切られたのだ。私達は部屋から出ない同盟だった。食事は親から部屋の前に配給され、トイレは周囲を確認してからひっそりと行き、息を潜め、静かに行動するのだ。そう私達は忍者。幽霊。亡霊。ゴースト。と、語彙は無いが、そう、そんな存在だ。存在しているが存在を確認されてはいけないのだ。しかし仲間だと思っていたのは私の一方通行だったようだ。そもそも私と兄の状況は違うのだ。私は病気で、兄はただの引きこもり。まず前提から違ったのだと思いだし私は泣いた。
兄が働き、私は部屋から出ない。家の状況は変わったが、私は変わらない生活が続いた。部屋の前に食事を置くのが親から兄に変わっていた。しかし兄はドアの前で何も言わなかった。食事を置いたという合図のノックをするだけだ。一度も、何も私に声をかけることはなかった。私は兄を薄情だと思った。同じ仲間だったのに、私に何も声をかけないのだ。私がこんなに苦しんでいるのに、兄は私に会おうとしないのだ。どうでもいい人はどうでもいい声をかけにやって来たのに、私の理解者だけは私を救おうとしないのだ。私はそれがたまらず悔しかった。私は食事の合図のノックでドアを開け、兄の腕を引っ張り部屋に引き入れた。しかしその後何もできずに、私はベッドにぼすんと倒れて壁を向いた。兄は何もない床で座った。お互い何も喋らなかった。兄は立ち上がり、何も言わず部屋から出て行った。私もまた兄に何も言えなかった。病気のせいか私は涙が出てきた。枕が涙と鼻水でぐじゅぐじゅになった。それは夜になってもずっと止まらなかった。そうだ私はこのまま独りで死ぬのだ。
春の陽気が暖かさから暑さを感じるようになった頃、私の病気は止まった。良くなってしまった。私は一生治らないと思っていたが、そんなことは無かったようだ。そもそも花粉症は死に至る病ではなかったようだ。みんなが泣いていたのは私と同じ病気なだけだった。全ては私の頭が悪いことによる勘違いだった。そういえば小学生の頃も、お前は人の話をよく聞きなさいと担任に言われた。でも人の話を聞くのと、理解できるかどうかは別だと思う。頭の良い人にはそれがわからないのだ。そんなことを思い、私は口をとがらせながら、気恥ずかしく二回目の登校となる中学校の校舎へ向かった。みんなは私を歓迎した。笑う子なんて一人もいなかった。そうだ、病気のことよりも、私の部屋が私の世界だと思い込んだことこそが全ての違いだったのだ。その日、久しぶりに家族全員で食事をした。兄はしばらく前から食卓で食事をしていたらしい。やはり兄は裏切り者だ。私がそう言うと兄は昔のように私の頭をわしわしして笑っていた。兄の笑う顔を私はとても久しく見た。