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結香は動けなかった。普通なら外灯の光でいろんな影が見えるのに、いくら目を凝らそうが10センチ先も見えない漆黒の闇だ。たぶん強い風で電線が切れたのだろう。視界を奪われると、嵐の音がさらに大きく聞こえた。
結香は目を閉じた。頭の中に真っ暗になる前の社内を描く。自身は衝立を出たところで、魚住は左手、部屋の入り口辺りでドアを開けて待っていたはずだ。
「魚住さん?」
手を前に泳がし、そろりと足を踏み出す。いくらも行かないうちに指先が何かに触れた。するとあっと言う間に腕を掴まれ、引っ張られた。足をもつれさせながら大きな身体にぶつかり、抱きつかれた。
「ちょっと!」
結香は反射的に腕を突っ張りもがいた。
「俺は暗闇が怖い」
いきなりの告白は結香の抵抗をやめさせるには十分だった。見えるはずがないのに、魚住をあおぎ見る。
いつも自信に満ちていて、ひょうひょうとしたこの男が?想像しようとしたが、できなかった。だから腰を拘束している腕をほどきにかかった。
「いつも寝るときは豆電球を点けっぱなしだ」魚住が重ねて言った。
結香は再び暴れるのをやめた。真偽を確かめようと、彼の様子をうかがう。
ふたりの身体は密着し、早く重い鼓動が伝わってくる。彼の呼吸が濡れた頭皮をくすぐり、あたたかな体温が冷えた身体に染み入ってきた。魚住は震えてはいないが、このしがみつき方は怯えているように思えなくもない。にわかには信じられないが、他に彼が結香に抱きつく理由がなかった。
「じゃ、じゃあ、とりあえずゆっくりとソファに戻りましょうか」それならばここは私がしっかりせねば、と提案した。
それなのに魚住の手が上着の中に入ってきて、あやしい動きを始めた。
結香はその手を避けて背を向けた。
それでもしつこく手を入れてくる。
な、なんだ、こいつは!?この非常時に何する気だ。まさかこれが目的で抱きついてきやがったか?頭の中はパニックだ。
「ちょっと!やめってって!」無言の攻防に負けて、声をあげた。
そのとき抜き出した魚住の手の中で、光りがはじけた。あまりのまぶしさに、結香は顔をそむける。そろそろと目を開け、光の元を確認した。
後ろから魚住に囲われた形で、目の前でスマホが光っていた。
危機的状況ではなかった安堵感と、光を得られた安心感でどっと力が抜けた。
「それならそうと言ってくださいよ」囲いから抜け出し抗議する。自分の過剰な反応を思い出すと、言いたくもなるもんだ。先にスマホを思いつかなかったくやしさもあった。
「あまりに暗闇が恐ろしくてな、説明なんて思いもつかなかった」まったく反省した様子もなく、へらっと笑いやがった。光りを手に入れて、すっかりいつもの余裕を取り戻したようだ。
魚住の手からスマホをひったくって、いたぶってやりたくなる。そうする代わりに、結香は湿ったバッグを探り、スマホを取り出した。電源を入れるが、何の反応もない。
どうやら彼女の疫病神はとことんやることに決めたようだ。奴と互角にやり合うための光源を、持たせてもらえないことがわかった。