表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10




 魚住渉は結香と同じくこのちっちゃな広告代理店で働く1年後輩だ。後輩といっても年は5つ上、キャリアとなるとその優秀な腕前を買われ嘱望されてきた身だ。実力は魚住を交えた初めてのプレゼンで思い知らされている。奴に作品を笑われ、目の前で勝利を持っていかれた。


 なるほど魚住のコンセプトは独創的で、大胆だ。対してきれいにまとめようとする私の作品は面白みに欠け、スポンサーが彼の作品を選ぶのは当然だった。

 それなのに初っ端にせせら笑われたのがあまりに悔しくて、あいつに挑み続けている。連敗記録は今も更新中だ。憐れみの目を向けられ、ますますプライドが傷ついた。他のクリエイターは適度に距離を置いているのに、それができなかった。

 そのうち、この企画をやってみろ、あれはどうだ、と仕事に口を出され、頭にくることばかりだ。最近では説教でもしようと考えたのか、呑みに誘われるようになった。もちろんむかつく野朗の誘いなど断ってやった。

 だが、それもそろそろ限界だ。自信は泥にまみれ、今では会社を辞めようかと考えている。

 そこへこの羞恥プレイだ。とどめととばかりに憎いあいつに、こんな惨めな姿をさらすことになろうとは……。


 「おーい。誰かいるんだろ?」足音が近づいてくる。


 この空間は衝立で仕切られただけの一角で、近づかれたらすぐにばれる。


 「電気が点いてるんだから、いることはわかっているんだぞー」弄ぶような語り口調だ。


 なんでこんな台風の日に、いつまでもお前がいんだよ!こっちくんな、馬鹿野朗。

 声に出さずに罵った。


 「まさか、こんなとこでいちゃつ――」

 衝立の間からこちらをのぞき込み、魚住の声が途切れた。


 結香は彼を見なかった。ストールの下で縮こまり、心の奥で呪いの言葉を吐き続けた。

 こっちくんな。話しかけんな。さっさと帰れ。風で飛ばされた看板が直撃しろ。雷に打たれろ。


 「何してんだ!?」声が荒々しくなり、ズカズカと近づいてきた。そして、よりにもよって隣りに腰を下ろした。


 結香は仰天して、立てた膝に埋めていた顔をあげた。


 均等の取れた印象的な顔の男がすぐそばにいた。サラサラの髪が雨に濡れて光り、広い肩を覆う上着にも散っている。長く太い腕が彼女を囲うように、左手はソファの背に、右手はローテーブルの上だ。いつもは涼やかな目が、ギュッと寄った眉の下でジロジロと彼女の様子をうかがっていた。

 「びしょ濡れじゃないか。何があった?」

 顔をのぞき込み、テーブルにあった手が彼女の前髪で光っていたしずくを払った。


 結香はひっと身を引いた。慌てて目をそらし、雨宿りしてるだけ、とつぶやく。


 魚住が手を引っこめ、ため息をついた。

 「台風なのに、なんで外をうろついたんだ?」


 「うろついてない!」彼の言葉にいちいち腹が立つ。

 「帰ろうとしただけ。帰れなかったけど」後は尻すぼみだ。


 魚住がまたため息をつき、沈黙した。

 外の嵐はますます勢いを増し、風圧で窓ガラスがドンと鳴る。どこか遠くでガランガシャンと何かが破壊される音がした。

 魚住は未だそばにいて、思案顔だ。


 「そっちこそ、うろついてるくせに」なんとも気まずくて、結香は小声で言い返した。


 「俺は忘れ物を取りにきただけだ。寒いんだろ?」

 結香が返事をする間もなく、上着を脱ぎだした。下に着た黒いTシャツがあらわになる。


 「いりません!」上着をかけられそうになって、身体をそらして断った。たとえ凍死しようが、こいつに情けをかけられるのはごめんだ。


 「いいから着とけって!やせ我慢すんな」


 今まで聞いたことのない厳しい語調に、反抗心がすくみあがった。すぼめた肩に大きな上着がふってきた。魚住の防水性の上着は、薄いのに驚くほど熱をため込んでいた。身体中があたたかさを求めて上着の中にもぐり込む。ついでに彼の視線からも隠れた。

 ああ。これからどうしたらいいんだろ?台風が止むまでこうしてなきゃならないの?これからの数時間を想像したら、気が滅入ってきた。


 「俺、車だから、送ってってやるよ」

 隣りで魚住が突然立ちあがった。どうやら気まずいのは向こうも同じだったようだ。


 彼に頼るのは理念に反するけれど、このまま数時間を過ごすことに比べたら決意を曲げる方がましだ。

 「ありがと」顔は隠したまま、彼には絶対言いたくなかった言葉をいやいやしぼり出した。口が腐りそうだ。


 そしたら噴き出す声が聞こえ、目だけ出してにらんだ。


 魚住はソファの横に立ち、笑いをかみ殺そうと苦心していた。口にこぶしを当て、目尻にしわを寄せている。


 彼の笑顔は素敵だ。大嫌いな奴だが、笑顔が無駄にいいのは認める。もしかしたら、こいつはこの笑顔でスポンサーをたらし込んでいるのかもしれない。


 魚住が肩を震わせながら、応接スペースから出て行った。


 あんな奴に送ってもらいたくない、と敵愾心がごね始めた。だが意地を張って残り、風邪でも引いた日にはそれ見たことかと呆れられ、さらに不愉快な思いをするだろう。

 結香は仏頂面で手荷物をかき集め、衝立の外に出た。


 突風がまたドンッと窓を揺さぶる。そして部屋は真っ暗になった。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ