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8 斬って斬られて建てて砕いて

 最初に被害者を発見したのは犬の散歩に来ていた近所の爺さんらしい。

 年寄りの例にもれず、ほぼ夜明けと同時にいつもの散歩コースへと繰り出した彼は、途中で催して公園のトイレに立ち寄ろうとしたそうだ。

 公園と言っても住宅街にあるようなチンケなものでなく、もっとでっかい運動公園だ。自然も豊かで見通しが悪いところがいくつかある。そのトイレも茂みのせいでちょっと見づらい場所にあったらしい。


 老人がそのトイレに近づくと、犬がやたらと吠え出したそうだ。普段は大人しい性格をしているそうで、何かあると踏んだ老人はその周囲をくるりと探索した。


 そして、見つけてしまった。メッタ刺しにされ、口から血を吹きだしていたホームレス風の男の死体を。








「って言うのが今からだいたい三時間くらい前の事だって話だ」


 物々しい雰囲気が辺りを包む中、オレとアカツキは食堂でモーニングを腹の中へと流し込んでいた。出来ることならもっとゆったりとコーヒーの香りを楽しんでいたいものだが、さっきから警察が出入りしたり不安になった客がドタバタしているせいでそれどころではない。


「警察もフロントのねーちゃんも同じこと言ってたぜ。犯人見つかってないから気を付けろって」


「そうか」


 アカツキは眠そうに真っ黒のコーヒーを胃に流し込んだ。

 時刻はおおよそ朝の八時半。

 久しぶりに惰眠を貪っていたオレたちは、勤務指示のメールとけたたましくなるパトカーのサイレンの音に叩き起こされた。

 なんでもついさっきこの付近で殺人事件が起きたらしく、犯人がいまだ潜伏中である可能性が高いという。


「警察がいるのはわかったけどよ、これって普通の殺人事件じゃねえの? なんでオレたちのほうにまでメールが来てるんだ?」


 例のホームレスは体中をメッタ刺しにされて死んでいたらしい。警察は口を濁していたが、話しぶりから察するに相当エグい死に様だったのだろう。いろんな大きさの刃物で複数回刺した痕があったそうだが、凶器も発見できていないようだった。


「そのホームレスな、登録済みのトリアルなんだよ」


 アカツキは手持ちの端末を操作しながらつぶやいた。

 やっぱり黒コートにサングラスを装備しており、今この場で最も怪しい格好をしていることは疑いようがない。あからさまに怪しすぎて警察関係者がちらちらとこっちを見ているし、社員証とフロントのねーちゃんの証言がなければたぶんこいつはしょっ引かれていたと思う。


「資料によると、この辺を根城にしてゴミをあさったりしていたみたいだな。あの公園はトイレも水道もあるから過ごしやすかったんだろう」


「なんでホームレスなんてやってるんだか。ウチの会社に入れてもらえばよかったじゃねえか」


「いわゆる社会不適合者……ってわけじゃないが、性格に難があったのは事実らしい。規律というものに縛られるのをとことん嫌っていたようだ。社会の歯車になるよりも自由に生きる道を選んだって、無難に纏められているぜ」


 ほれ、とその端末の画面をアカツキがこちらへと見せてきた。

 三十過ぎのそこそこ整った顔立ちの男だ。見た限りでは顔にも不自由していないし、社交的な感じもする。本当に、どうしてホームレスをしていたのかわからない。


「問題はこいつは戦闘能力のあるトリアルだったってことだ。たかだか刃物を持っているだけの一般人にはまず殺せないだろう」


 備考欄を見る。

 能力名──亡失の吐息、《レスレスブレス》。

 詳細は省略するが、基本的には触れたものを消滅させる吐息を操る能力らしい。パッと見る限りではなかなか強力だし、使いにくそうって感じもしない。むしろ、バリバリ荒事専門って感じすらする。


「凶器の刃物も不自然だ。明確な殺意を持っていたとして、わざわざ大きさの違う刃物を用意するか? しかも、そんな大量の刃物が未だに見つかっていないと来た」


「ってことは……」


「犯人はトリアルだな」


 それは確かに、オレたちの仕事だ。上からメールが来たのも納得できる。

 要は──近くにいるついでに犯人をぶちのめしてこいってことなんだろう。


 さて、そうと決まれば話は早い。

 スクランブルエッグを口いっぱいに放り込み、すかさずトーストを齧ってコーヒーで全部丸ごとお腹へと流し込む。ろくに噛みしめていないのに、卵の柔らかい甘みとトーストの絶妙な香ばしさが口いっぱいに広がり、コーヒーのほろ苦さがすべてをきれいさっぱり洗い流してくれた。


 本当に、もっとゆっくりと朝食を楽しみたかった。


「とりあえず現場か?」


 腹をさすり、アカツキに問う。

 やつは顎に手を当てて思案したのち、端末を操作しながら呟いた。


「いや、今は警察がいるから中に入れてもらえないだろう。サポートの連中がうまく介入しようと試みているから、俺たちはこの近所での張り込みだ」


「近所?」


「ああ。トリアルの犯罪は警察には決してバレないからな。早朝ということもあるし、経験上、犯人はまだこの周囲でのんびりと構えている可能性が非常に強い。──油断しているところを何とかして叩くぞ」


「いえっさぁ!」


 アカツキが立ち上がり、黒いロングコートが翻る。

 オレは指をごきごきと鳴らし、そして相棒であるオシャレなキャスケットを頭に乗せた。






 そして、意気揚々と周辺地域を歩き回ること三時間。

 もうそろそろ昼飯時だからか、観光地特有の甘辛い香りがあちこちから漂い、歩き疲れて癒しを求めるオレの可愛いお腹を容赦なく刺激してくる。

 呆れたというか見習うべきだと言うべきか、ほんの数時間前に近所で凄惨な殺人事件が起こったというのに人々は何事も無かったかのように往来を歩き、商売人たちは陽気に声を上げて観光客を呼び込んでいる。


 当然のことながら、ただ歩いているだけじゃトリアルが見つかるはずもない。

 そもそもトリアルは見た目はノントリアル──一般人と全く変わりはしないのだ。よほどのバカか目立ちたがり屋でもない限りそうそう人前で能力は使わないし、そもそも使いどころだって限られてくるから使う機会がない。

 ましてや、相手はおそらく刃物を操るトリアルだ。間違っても見せびらかすような真似はしないだろう。


 つまりは、何の手がかりも得られていないわけで。


「見つかんねえなぁ……」


「そりゃあそうだ。そんなホイホイ見つかるんだったら俺達が存在する意味がない」


 アカツキと共にひたすら歩く。

 パトカーがいっぱい止まっている運動公園の周りをぐるりと二周。

 宿付近の観光街を適当に冷かしながら三往復くらい。


 明らかに佇まいのおかしそうなやつや挙動不審なヤツ、場から浮いている奴を目を皿のようにして探すもそこにいるのは普通の観光客だけ。連休だからか家族連れが多く、次いで熟年夫婦をよく見かけた。


 たぶん、この周辺で一番怪しいのはアカツキだろう。すれ違う人みんなが怯えて道を開けるし、何度も通るものだからさっきからずっと視線を感じている。傍から見れば、怪しいエージェントが美少女を連れまわしているようにしか見えない。


「犯人、今ものんきに観光していると思うと腹が立つよな」


「安心しろ。手を打っていないわけじゃあねえんだ」


「マジか」


 本来ならばこの手の捜査は一ヶ月単位で行うことも珍しくないらしい。サポートの連中と現地で行動する人間が密接に連絡を取り合い、着実に追い詰めていくそうだ。地味な活動が多いけれど、その分情報も確かなもので捕まえるときはあっという間らしい。


「何をしたんだ?」


「内緒だ。気になったってだけで、まだ確定じゃねえ」


「なんだよ、教えてくれたっていいじゃ──」


「うわわっ!?」


 どん、と小さな影にぶつかった。

 予想外の衝撃に思わずよろけたところでアカツキに肩を押さえられる。

 口は悪いし性格はクズでも、アカツキはこういうところは意外と優しい。それがわかっていたからこそ、オレは倒れながらも同じようにこけようしていたガキの首根っこをとっさに掴んでいた。


 べしゃっと、ガキの持っていた玉こんにゃくがアスファルトとキスをする。甘香ばしいいい香りが辺りに広がった。


「うわっちゃぁぁぁ……! やっちまったぁぁぁ……!」


 オレに首根っこを掴まれたまま、ガキは悔しそうに片手で頭を押さえた。だいたい小学校高学年くらいだろうか、ナマイキそうな瞳にやんちゃ盛りな雰囲気を放っている。今どきのガキンチョの流行かどうかしらねえけど、襟足だけをしっぽみたいに長くして側頭部を刈り上げていた。


「気を付けろ」


「あ、悪ぃ悪ぃ。でも、アンタらも前見といてくれよ」


「……」


 ナマイキそうな見た目だと思ったら、本当に生意気だった。

 特に悪びれた様子もなくへらへらと笑っていやがる。


 確かにオレも喋っていて注意がおろそかになってたけどさ、いくらなんでも態度がチャラすぎはしないだろうか。いや、ここはアカツキを前にしてなおヘラヘラしていられるその胆力を褒めるべきだろうか。


「悪かったな。おねえさんは優しいから、全部水に流してやるぜ」


「うっわ、こいつ自分でいいやがった……。しかも言葉の使い方おかしくね?」


「あ?」


「ヒュゥ! アンタ、小野小町も裸足で逃げ出す美貌だぜ!」


「よろしい」


 チャラいガキだと思ったら、意外と教養があった。社交性もけっこうある……というか、コミュニケーション能力が高いんだろう。クラスじゃさぞかし人気者なんだろうな。なんかムカつくけど。


「しっかし困ったなぁ。兄貴に貰ったこずかい、全部使っちゃったんだよなぁ。つーか、この玉こんにゃく買って来いって言われて、その分しかもらってないんだよなあ。兄貴に怒られちゃうなぁ」


「……」


「……」


「代わりに買ってくれる優しいおねえさん、どっかにいねーかなぁ」


 このガキ、ものっそい棒読みだ。落ちたこんにゃくとオレとをチラチラ見ている。

 もはや図々しいってレベルじゃない。ちょっと前にも似たケースがあったけど、あっちの子供はもっと謙虚で礼儀がなっていたというのに。


「いくらだ?」


「えっ」


「いくらだって聞いている……面倒くせぇ。これやるから好きなモン好きなだけ買えよ」


「「ええっ!?」」


 動いたのはアカツキだった。

 惜しげもなく自分のサイフから万札を二枚も取り出し、よく見もせずにそのガキに押し付ける。ガキもまさかそんなにもらえるとは思ってもいなかったのか、口をパクパクさせて札とアカツキとを何度も見比べていた。


 ……つーか、なんで見ず知らずのガキにそんなに渡す癖に、オレには一銭もよこさねえんだよこのグラサンは!


「なんだ? 足りねえのか?」


「いや、その、えっとぉ……。千円札と間違えてません?」


「まさか。この俺が間違えるわけねえだろ? それにこんなはした金、俺にとっちゃどうってことない。それよかさっさと玉こんにゃくでもなんでも買って兄貴の元へいかねえと怒られるんじゃないのか?」


「あ、あざ──っす!!」


 ガキはすぐそこの屋台で玉こんにゃくを二つ買い、そしてオレ達にぺこりと頭を下げて走り去っていく。

 ヤのつく自由業のような身なりをした、明らかにカタギではない男が見せた似合わないやさしさに、その場にいた全員が意外そうにアカツキを見つめひそひそと話しだす。なんて言っているのかまでは聞こえなかったけど、内容は聞かないほうが精神衛生上いいような気がした。


 これ以上、オレの中のクズなアカツキのイメージを壊されたらオレが立ち直れなくなる。アカツキはクズだからこそアカツキなのだから。


「しっかし、おまえなんであんなに気前よく──」


「ヤツを追うぞ」


「は?」


「まさか本当にそうだとは思わなかったぜ……!」


「ヒッ!」


 思わず息をのんだ。

 オレはその時のアカツキの顔を生涯忘れないだろう。

 ヤツの目は恐ろしい歓喜に満ちて血走り、そして口元を悪魔のようにぐにゃりとゆがめて笑っていた。


「とっとと行くぞ」


「お、おう……」


 結論から言うと、アカツキのこの笑顔の意味はこの事件とは全く関係のないものだった。だがこの時のオレにそんなことなどわかるはずもなく、ただただ冷や汗を流しながら、わけもわからずアカツキの後を追うことしかできなかった。







「兄貴ィ、買ってきたよ!」


「おゥ、遅かったなァ!」


 尾行すること十分。例の運動公園の端の端、人の出入りなんてまるでない忘れ去られた裏口の広場のベンチにそいつはいた。

 ナマイキなガキはうれしそうに玉こんにゃくを持ち、兄貴と呼ばれた大学生くらいの男の元へと駆け寄る。


「くっは、マジうめェ!」


「マジうめえ!」


 兄貴はすっごくチャラかった。

 ありていに言って不良と呼ばれる人種だろう。髪は金だしピアスも両耳につけている。安っぽそうなドクロと十字架のアクセサリーを首にぶら下げており、クソ短ぇ足を強調するかのように半ケツの──腰パンをして座っていたものだから趣味の悪ィ虎柄のパンツが遠くからも見えちまっている。


 ガキとは全然似ていないから、おそらく慕われて一緒につるんでいるってだけだろう。親御さんとか、このこときちんと知っているのだろうか?


「なんかさぁ、気前のいいオッサンが二万もくれたんだよね」


「マジかよ!」


 兄貴が玉こんにゃくをぶちっと噛み千切る。

 同時に、オレの隣からもぶちっと変な音が聞こえた。


「財布の中、いくら入ってるんだっけ?」


「それがしけてやがってよォ。結構あると思ったら、小銭ばかりで千五百円ってところだ。こいつとジュースでスッカラカンだァな」


 けっけっけ、と笑いながら兄貴は小汚い財布をひっくり返した。派手好きそうな性格の割に、財布にはあまりこだわりがないらしい。


(おい、結局どうなってるんだよ?)


(まぁ見とけ)


 アカツキとともに、息をひそめてその様子をうかがう。こんなところでたむろしている以上、教育にいい関係とは口が裂けても言えないが、見たところ仲はよさそうだしトリアルらしい行動もとっていない。

 今のところ、目の前のこいつらは不良とそれに憧れるガキ以外の何物でもない。


「そのオッサンよォ、まだ金持ってそうだったかァ?」


「はした金っていってたから持ってると思う。ちらっと見えたけどカードと札でいっぱいの財布だったよ。……カタギでも無さそうだったし、いいんじゃないかな」


「でかした! 今夜は焼肉だァ!」


「うぇーい!」


 なにがそんなに面白かったのか、兄貴とガキはその場でゲラゲラ笑いながらハイタッチを決めた。残った玉こんにゃくを二人して丸呑みし、串をそこらに捨てて缶ジュースをぐびりと飲む。この空き缶もやっぱりポイ捨てしやがった。いいやつかとも思ったけど、やっぱりただのクズだった。


「っしゃ、そうと決まればそいつを見つけねェとなァ」


「グラサンの黒コートだからすぐ見つかるよ!」


「ああ、見つかるも何もこの場にいるしな」


「……んん?」


「おい!」


 がさりと音を立ててアカツキが立ち上がり、そいつらの元へと進んでいく。さっきまで身を隠していたというのに堂々とその姿を曝け出し、口元には不敵な笑みを浮かべていた。


「……あいつかァ? 言葉通り過ぎてドン引きなんだけど」


「オッサン、つけてきてたんだ。なるしぃねーちゃんもいるね」


「こんな美人に何度もあえて光栄だろ?」


 しょうがないからオレも姿を現してアカツキの後へと続く。

 兄貴とガキのコンビはひょうひょうと構えているのに対し、アカツキの発するプレッシャーはどこまでも重い。味方であるはずのオレでさえ、息苦しさを感じてしまうほどだった。


 ざっざっとアカツキが一歩を踏み出していくと、やがてガキのほうが兄貴をかばうようにその前に立ちはだかる。兄貴はにやにやと笑ったまま、ベンチで足を組んでいた。


「オッサン、一応聞くけど何の用?」


「金を返してもらいに来た……って言って信じるか?」


「信じない。……つーか俺達、アンタからもっとおこずかい貰おうと思ってんだよね」


「聞こえていたぜ。ついでにもともと玉こんにゃく買った金、あれもてめぇの金じゃねえだろ? ……人殺したのに千五百円じゃ割に合わねぇよな。強盗のほうがまだ儲かったんじゃねえか?」


 図星だったのか、ガキは一瞬動きを止めた。


「なんだ、そこまで知ってるのか……兄貴?」


「おう、バレてんのならしょうがねェや。ちょうどいい機会だし、一人でやってみなァ」


 兄貴が笑ったのとガキが嬉しそうに顔をゆがめたのはほぼ同時。とても子供とは思えないプレッシャーをガキはその全身から放ち、あたりには重々しく張りつめた空気が漂い始める。明らかに異常事態であり、オレは知らず知らずのうちに拳を構えてしまっていた。


 このガキ、もしかしなくても──


「余計なことに首突っ込むから、若死にする羽目になるんだよ」


 ぞくっと首筋に寒気が走り、思わず目を見開いた。その時のクソガキの表情は、とても子供らしい残酷さに満ち、これから自らが起こすであろう暴力への喜びに満ち溢れていたんだ。


──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。






「これが……俺の能力っ!」


繰り返し、言い換えて、再び断言する。


「お散歩建築──《テクテクアーキテクト》!」






 奴が能力の発動を宣言した瞬間、変化が唐突に現れた。

 ゴゴゴゴ、と奇妙な地鳴りとともにオレたちの周りを──この裏口広場の周りをなにやら丈夫そうな塀が覆っていく。その高さは優に三メートルを超えており、石造りのそれはとても丈夫そうだ。

 まるでコロッセオとか、城壁に囚われてしまったかのようであり、出口の類はこの青空くらいしか見当たらない。


「ほぉ、塀を出す能力か?」


 アカツキは落ち着き払ってその様子を観察していた。一歩も動いていないし、能力を発動するそぶりも見えない。こういうのは後出ししたほうが得ってことなんだろう。まずは相手の能力の概要を探るってわけだ。


「それだけなわけないだろ!?」


「うぉぉっ!?」


 ガキがタン、と足踏みをすると同時に、オレたちの足もとから電信柱が飛び出してきた。何でできてるかは知らないけれど、それは重く硬く、突起もいっぱいついていてさながら凶器のようである。喰らったらタダじゃすまないのは疑いようがない。


 間一髪でそれぞれ左右に飛び退き、事なきを得たがあまりの勢いで飛び出てきたために服の端をひっかけてしまう。びりっと嫌な音が耳に響いた。


「ちィッ!!」


「まだまだぁ! 《テクテクアーキテクト》!」


 ガキが足踏みするごとに地面から何かが生えてくる。

 電信柱、有刺鉄線、プレハブ小屋に郵便ポスト。

 そのどれもが高速で下から生えてくるため、単純にぶつかるだけであばらの一本や二本は持っていかれることを覚悟しといたほうがいいだろう。


 足踏みのタイミングに合わせ、必死に走ってそれらを避けていく。オレたちが走るそばからなにかしらが雨後の竹の子のように生えてきて、天女のように美しいオレを天に突き上げようとしてきていた。


「クッソわけわかんねえ能力だなぁ!」


「そうでもないぞ」


 やがて生えてきた建造物で逃げ場がなくなり、オレとアカツキは背中合わせになった。建物の生えていない安全地帯はちらちら見受けられるものの、ガキはそれを見越して能力を発動したのか、オレたちは電話ボックスに囲まれて動けない。


 ──次、足元から何かが飛び出したらオレたちは終わりだろう。


「アカツキ! そろそろいいよな!」


「ああ、思いっきりぶちかませ」


 だが、このオレがそんなバッドエンドを認めるはずもない。

 モノに囲まれて動けないというのなら、そんな障害全部ぶっ壊すまでだ。


 にぃっと笑って、拳をまっすぐ構える。

 やっぱり逃げ回るのは性に合わない。自分の能力でぶん殴るのがオレのジャスティスだ。


──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。






「──これがオレの能力!」


繰り返し、言い換えて、再び断言する。


「拳撃必殺ッ! 《ライクライクストライク》!」






 薄緑色の電話ボックスに拳を思い切り叩きつける。

 近くでダイナマイトが爆発したかのような轟音とともにそれらは粉々になって吹き飛び、その衝撃によって近くにあった電信柱が数本折れ、郵便ポストはひしゃげたガラクタへと進化した。


「な……あ……!」


「ガキ、いいこと教えてやるぜ。大人ってのはな、子供の想像の遥か上を行けるから大人って呼ばれているんだ」


 口をあんぐりと開けたまま呆然としているガキに見せつけるように、近くの手ごろな建造物を片っ端からぶっ壊していく。


 オレの能力──《ライクライクストライク》は体を使ったどんな一撃も必殺の威力に変える能力だ。当然、必殺の威力なんだからプレハブ小屋だろうと電信柱だろうと、それこそ赤子の腕をひねるよりも簡単にぶっ壊すことができる。

 やつがオレ達を閉じ込めたつもりで作ったこの石造りの塀も、デコピン一発で大名行列が通れるほどの大穴を開けることができる。


「さて……おねえさんはな、礼儀正しいガキと『ごめんなさい』をきちんといえるガキが好きなんだ。……オレが言いたいこと、わかるか?」


「……」


「服、借り物なのに今ので結構派手にびりっていったんだよ。どう落とし前つけるんだ? あ? 何とか言えよ、おい」


 さすがオレと言うべきか、最初の一回の不意打ちくらいしか攻撃は喰らっていない。だが、それのせいでサロペットのポケットのところがびりっていっちまった。

 ……いくら寛大なオレでも、許せることと許せないことがある。


「金持ってんだからいいじゃねーか! どーせきれいな金じゃねーんだろ!?」


「まずは『ごめんなさい』だろうがコラァ!」


「うっせぇブース!!」


 ぶっ飛ばそう。いくらなんでもこいつはダメだ。

 どうして親はこんなひねくれたクソガキになるまで放っておいてしまったのか。今ここで躾けておかないとこいつのためにならない。


「アカツキ! このガキぶっ飛ばしていいんだよな!?」


「構わねえ」


 もう何もオレを止めるものはなくなった。能力で大地を蹴り、必殺の威力で体を押し出してガキに急接近する。流れる風景がとても気持ちよく、ガキの顔面に拳を叩きつけろと本能が雄たけびを上げる。


「くそっ! 《テクテクアーキテクト》!」


「じゃあかしい! 《ライクライクストライク》!」


 殴りかかる瞬間、ヤツは能力を発動し足踏みをした。

 オレの目の前にさっきと同じような石塀が現れ、そして次の瞬間に瓦礫と化してあたりに散らばる。

 どうやらある程度壊れたものや任意で作ったものは消せるらしく、土煙が晴れたそこには誰もいない。

 あたりを見渡せば、ちょうど十歩の距離にガキが冷や汗を流しながら逃げ込んでいた。動きやすいように瓦礫や建物を消して逃げたらしい。


「《テクテクアーキテクト》!」


「見飽きたんだよ!」


「ウソだろぉ!?」


 足元から迫りくる給水塔を出てきた瞬間に踏み砕く。地鳴りのような音とともに、オレを中心とした半径二メートルのクレーターが出来上がった。ヤツの必殺の攻撃はオレに通用しないことの証明だ。


「なんなんだよお前! どうして俺たちの邪魔するんだよ!」


「人一人殺しておいてどうしてもクソもあるかコラァ!」


「汚ぇホームレス駆除しただけじゃねーか! 社会のゴミ掃除をしたって、むしろ感謝されるべきだろ!? その見返りにこずかい貰って何が悪い!!」


「貰ったんじゃなくて奪ったんだろうが! 金ってのはなぁ! 自分で稼がなきゃいけねぇもんなんだよ! わかったかクソガキ!」


「ハッ! お前だって子供じゃねーか! そのオッサンから金貰ってんだろ!?」


「オレは仕事の報酬でもらってるんだ! てめぇと一緒にするんじゃねぇ!」


「エンコーじゃねーか! このアバズレ!」


「んだとコラァ!」


 本当にこのガキは生意気だ。どうしてよりにもよってこんな趣味悪いのとオレが付き合わなきゃいけないってんだ。そんなの、例え想像であったとしても虫唾が走る。金のありがたみを知らないガキが、覚えたての言葉を使いたがっているようにしか見えない。だいたい、援交の関係だったらこんな風にこいつらをとっちめる理由がない。


「よーく聞け! オレがこいつと一緒にいるのは、お前たちみたいなクズトリアルをとっちめるってためだけなんだ。オレはこいつにちょびっと私怨が混じってさえいる……そういやアカツキ、どうしてこいつがトリアルだってわかったんだ?」


 こいつの能力もだいたいわかったことだし、なんとはなしにアカツキに話を振る。幸いというか、皮肉というか、こいつ自身が作った石塀のおかげで逃げられる心配はない。ざまあみろって心の底から思う。


「理由はいくつかあるが、俺をみてビビらなかったことだな」


 アカツキは語った。

 アカツキを見た子供の大半がビビり、そして三割がその場で泣き出して二割がその場で漏らす。こいつみたいになんでもないように接するやつなんてそれこそ一パーセントにも満たない。


「自慢じゃねえが、俺を見て怯えないガキはいない」


 本当に自慢になってねーな。


「おまえさ、子供らしくねえんだよ。能力があるからって大人を舐めきってんだろうな」


 言われてみれば、子供のくせに荒事に妙に手馴れている感じがする。

 人を殺しかねない能力なのに躊躇なくオレたちに向かって使ったし、わざわざ閉じ込めて逃げないようにするなど、計算高い部分もある。


「それと自分じゃ気づいてねえだろうけど、すえた匂いと血の匂いもするぜ。……例のホームレスの死体を漁った時についたんだろう。ああいう匂いは簡単には落ちねえからな」


 ……オレ、気づかなかったんだけど。なんだあいつ、そういう匂いを嗅ぎなれているのか? いや、それとも犬並みに鼻が利くのだろうか。


「うるせぇ! うるせぇうるせぇ! 《テクテクアーキテクト》!」


「やれ、優奈」


 ガキはこの闘技場の中をちょこまか動きながら能力を発動し続ける。

 小癪にもオレが通るのを阻むように建物を出し続けなんとか一撃を与えようとしてくるが、下からしかできない攻撃なんて恐るるに足りない。はっきり言って発動するだけ無駄である。


 ついでに言えば、やっぱりこいつの能力名もダサい。幼稚園の頃に覚えたお歌にこんな感じの名前の曲があった気がする。ガキだからガキ臭い能力名がついたってことなんだろう。


「そのまま左を潰しながらゆっくりすすめ。焦るこたぁねぇ。どうせ袋のネズミだ」


 アカツキはちゃっかりオレの傍で傍観体制を決め込み、襲いくる建造物をオレに任せて一歩、また一歩とガキへと近づいていった。確実にガキを追い込めるよう、小声で動く方向の指示を出してくるあたり、性格の悪さがうかがえる。


「おら、どうした? おこずかい、欲しいんじゃないのか?」


「なんなんだよ……っ! なんなんだよぉ……っ!!」


 そして、ぱたりと建物が出なくなった。

 石塀の隅に追い詰められたガキはプルプルと震え、涙声で呟いている。

 実際に建物をぶっ壊しまくったのはオレだというのに、なぜかアカツキが偉そうにガキの前へと立ちはだかった。


「発動してみろよ、能力」


「……ッ!」


「できるはずがねえよな。……戦い慣れてない証拠だ」


「どういうことだ?」


「こいつの能力……《テクテクアーキテクト》つったな。これな、こいつ自身が歩いたところから建物を出す能力と見て間違いない。しかも、一回出したところからは二度は出せねえ。また歩かないとダメなんだ」


 ハッとあたりを見渡す。

 建物が生えていない安全地帯はガキが一歩も踏まなかったところだ。

 本当に自由自在に建物を作ることができるのならば、逃げる必要だってなかったはずだしもっと簡単にオレ達を仕留めることができたというのに。

 

 それができなかったのは『足跡をつけた場所からしか建物を出せない』という制限があったからだろう。

 最初の攻撃はもともとこの根城に来た時につけていた足跡を利用し、その建物をぶっ壊されてからは逃げながら新しい足跡をつけていったってわけだ。


 言われてみれば、オレの行く先々に建物ができていた。

 そりゃそうだ、オレは逃げるガキを追っていたのだから。ふたを開けてみればなんてことはない、オレはわざわざ敵の攻撃が仕込まれているど真ん中を通っていたってわけだ。


「隅に追い込んで歩けなくすれば、アドバンテージはなくなる」


「ちくしょぉ……!」


 なーんかスッキリしないけど、アカツキはガキの胸ぐらをひっつかんで持ち上げた。アカツキの身長は高いから、ガキがじたばたと抵抗して暴れても、足がぶらぶらするだけでなんの意味もなさない。


「暴れんじゃねぇ。自分の立場が分かってんのか?」


「ヒッ!」


 アカツキはガキの首にきゅっと手を添え、悪魔のように微笑みながらたった一人の傍観者に声をかける。


「さて、兄貴とやら。可愛い弟の命が惜しいのなら、大人しく降伏してもらおうか?」


「えっ」


 ニタニタと笑いながら、アカツキはガキの首にかけた手の力を少しずつ強めていく。ガチガチと耳障りな音が断続的に響き、風邪を引いたアヒルのような声が木霊する。ナマイキそうなガキの瞳は恐怖に染まり、顔はどんどん青くなっていた。


──野郎、人質を取りやがっていた。


「……」


「黒幕……というか指示を出したのはおまえだろ?」


「まァ……そうなるなァ……」


「弟の命も大事だよな?」


「そりゃァそうだ」


「弟の死か、自らの降伏か、好きな方を選んでいいぜ?」


「……ちょォ~っとまってくれよ」


 兄貴、ここにきて変に渋り始めやがった。

 いつの間にかガムでも食っていたのか、くちゃくちゃと忙しなく口を動かしている。言葉とは裏腹に、態度はものすごく軽くて真剣さがまるでない。


「弟の死ってどういうことだ?」


「あ? ──がはァァッ!?」


「なにィ!?」


 一瞬の隙。

 石塀の横から(●●●)生えてきた電信柱にアカツキが吹っ飛ばされた。

 顔面蒼白だったはずのガキがニタニタと笑っており、それが当たった瞬間にアカツキの手から逃れて着地を決める。


 水平に吹っ飛んでいった黒い影は地面にたたきつけられて二回バウンドする。

 ずざざざ、と何かを引きずるような音が非常に痛々しい。

 黒い影は、伏したままピクリとも動かなかった。


「アカツ──!?」


「おめェはこっちだ!」


「うわっ!?」


 殺気。

 嫌な予感にとっさに頭をかばうと、次の瞬間に銀色の雨が降り注いだ。

 両腕に走る鋭い痛み。頬に切り傷が走り、つっと生暖かい血が流れていくのを感じる。とっさに能力を使って頭上を振り払ったが、何かを壊す感覚と一緒に凍えるような痛烈な痛みが走る。


「いってぇぞクソがっ!」


 手が血まみれだった。

 鋭い何かで切りつけられたような傷が何本も走り、オレの玉のように美しい肌が、見るも無残な姿になっている。


「お前らさァ、こうなることって予想してなかったのかァ?」


 兄貴がガキの近くにいた。手には何本ものナイフを持ち、その刃を見せつけるようにぺろりと舐める。よくよくみれば、オレの足元にも数十本ものナイフが転がっていた。


「あのホームレス、殺したのがわかったから来たんじゃねェの?」


 そういえば、ここにはそのために来たんだった。

 ガキは刃物なんて扱っていなかったし、兄貴のほうが刃物のトリアルだということは簡単に予測できたはずだ。


「あのオッサンもバカだよな! あーんな見え見えの演技に引っかかっちゃってさ! 自分の弱点くらい、自分が一番よく知ってるつーの! だいたい、俺の能力見て驚かない相手に油断するはずがないだろ!? 切り札くらい残しておくに決まってんじゃん!」


 ガキはそういいながら石塀を蹴った──いや、石塀に足跡を付けた。さっきは全然気にもしなかったけど、注意してみれば石塀のあちこちにいつの間にか足跡がついている。


「あのさ、何のために俺がわざわざ逃げ場をなくすような真似したと思ってるの? こうやって壁に足跡つけて、真横から攻撃できるようにするためだよ?」


 ガキが石塀をもう一度蹴った。

 それに呼応するかのように横向きに電信柱が飛び出し、オレへと襲いくる。

 反射的にぶっ壊したはいいけれど、その時のオレは兄貴のことを完全に忘れ去ってしまっていた。


 ──だって、下からも簡易トイレがせり上がってくるとか思わねえじゃん?


「んで、横からやると下があること忘れるんだよね──まさか本当に足跡(タマ)切れだと思ってたの?」


 予想外の二重の攻撃に、オレはバランスを崩していた。正確に言うと、トイレを避けきれなくって脇腹から思いっきり空中に打ち上げられたんだ。

 狡猾な兄貴がそれを見逃すはずもなく、オオカミのような素早さで接近していた。


「ほらよォ!」


「──あ」


 そして、一閃。


 べしゃりと腹から地面に落ちた。

 ぽろりと五つの真珠が目の前に転がった。


 十七年間毎日見てきたそれは、他の誰よりも美しいと個人的には思っている。手入れには結構気を使ってきたし、ちゃんとやすり掛けだってした。ポテチを食べた後だって、丁寧に紙で油をふき取った後に洗剤で洗ったり、すっごく手をかけていたんだ。


「ああ……」


「チッ。さすがにそううまくはいかねェか」


 兄貴が下がる。

 遅れて左手に激痛が走り、赤い鮮血がぴょろぴょろと吹き出して地面を汚す。

 だがしかし、今のオレには痛みなんてほどんと気にしていられなかった。


「指……」


「あん?」


 認識するのに瞬き二回ほどの時間が必要だった。 






「指! 指! オレの指ィィィィィ!?」





 このオレの指が!! 何よりも素晴らしいオレの指が!!

 貴婦人の、ダイヤモンドの、人類の宝でもある、オレの指が!!


 オレの指が切り落とされただとぉぉぉぉぉ!?





「クソがクソがクソがクソがァァァァァッ!!」


 慌てて指を拾い集める。ええと、切れたときって水で洗うんだっけ、それとも洗っちゃいけないんだっけ。あ、やべえ。左手じゃ指がないから拾えない。ああ、なんてオレの指って可愛らしくて美しいのだろう──あ? なんでオレの指がオレの掌に乗っかっているんだ?


「ああああああああッ!」


 痛ぇ! 痛ぇ! 痛ぇ! 痛ぇ! 痛ぇ!

 クッソ痛ぇぇぇぇぇ!!


「ああああああ──……ッ!!」

 

 いいや、まて、指も大事だがそれ以上に大事なことがある。

 このオレの至高の指をこんな目に合わせたクズをぶちのめさなくてはならない。

 他の何を差し置いてでも、同じ目に合わせねぇとオレの腹の虫が収まらねぇ。


「あのねーちゃん、噂に聞く女の子の日ってやつなのかな?」


「ばーか、ああいうのは錯乱っていうんだよ」


「そっか! さすが兄貴!」


「なァ、そーいうことホイホイ口にすんじゃねェぞ? しかも本人の前で。ああいうのはデリケートな事なんだ。男は黙ってそっとしておかなきゃいけねェんだよ。デリカシーねェのはもてねェぞ?」


「わかった! やっぱ兄貴はすごいや!」


「うるっせぇぞクズどもがぁぁぁぁぁ!!」


 ぎん、とそいつらをにらみつける。

 おでこの端のほうでぶちぶちと何かが切れる音が聞こえた。

 心臓の音がさっきからうるさいし、体中がものすごく熱い。

 目の前なんて、真っ赤になってもはや何も見えなくらいだ。


 とにもかくにも──早いとこぶっ飛ばさなきゃなぁ!


「あーあ、頭に血が上って正気を失ってんじゃねェか」


「これ、必殺コンボやらなくても楽勝じゃない? ──《テクテクアーキテクト》!」


「がフッ!?」


 電柱が脇腹を打ち付ける。

 三百六十度、全方位から唐突に襲ってくるそれになす術がない。攻撃は足元からも行われ、横に対応したら下から、下に対応したら横から建物に打ち付けられた。

 足跡が消えるころになるとナイフの雨が降り注ぎ、容赦なくオレを切り裂いていく。いったいどこからナイフを持ち出したのかとぼんやりと思い、そしてトリアルだったと霞みがかった頭で納得した。


「ナイスナイフ!」


「いーから補充しちまえよォ?」


「うぃーっす!」


 オレがナイフにやられている間にガキがちょろちょろ走り回って地面に、壁に足跡をどんどんつけていく。

 オレにとっては害でしかない無駄に洗練されたコンビネーションは無間地獄のような悪循環を作り出していく。


「がっハァ!?」


 能力の発動も間に合わない。いや、間に合ったとしても不意打ちされちゃ意味がない。建造物により動きが制限され、いいのを何発も喰らってしまう。トリアルでなかったら、すでに全身打撲であの世行きになっていることだろう。

 そして──


「さァて、そろそろ仕上げにしようかねェ?」


 兄貴がひときわ大きいサバイバルナイフをどこからか取り出した。たぶん、能力で作り出したものなのだろう。

 とてもピカピカで、眼にいたいくらいに輝いている。

 おそらく、指どころかオレの腕すらすっぱりと切り落とすことができるはずだ。


「冥途の土産にくれてやらァ!」


 大きなナイフがまっすぐ飛んできた。

 ぐるぐるぐるぐる回っている。たぶん触れたら痛いじゃすまない。


 足を動かそうとして──力が入らないことに気づいた。どうやらいささか血を流しすぎてしまったらしい。


「あ、やべ──」















「もうちっと粘ると思ったんだがな」


「ンだとォ!?」


 バン、と何かが当たってナイフの軌道がそれた。

 黒い人影が当たり前のように立っており、ありえないはずのその光景に兄貴の焦った声が石塀に木霊していく。


「まさか、俺に能力を使わせるほどのやつだとは思わなかったよ」


「ア、アカツキ──?」


 黒い人影の背後に、白い羽がひらひらと舞っている。

 とてもふわふわしていて、まるで天使の羽のようだった。

 アカツキは何かを投げたらしい。ヤツは強い肩を持つのか、左手を無造作に前に突き出した格好で固まっている。どうやらその何かでナイフの軌道を反らしたようだった。


「げ、ェ……ッ!?」


「演技を見抜けていないのは、お前のほうだったな」


 白い羽が舞い散る中、アカツキの右手はガキの腹にめり込んでいた。今度は本当に演技ではなく、ガキの口からはよだれが垂れ、苦しそうにせき込み、眼を白黒させている。


「まぁ、俺に一発当てられたのは褒めてやるよ。正直、あそこで攻撃されるとは思ってもいなかった──頑張りを認めてこずかいをくれてやろう」


「げっへァ……ッ!?」


 どさりと崩れ落ちたそいつに腹蹴りをかます。ヤツの無駄に長い足が唸りをあげて脇腹にめり込み、ガキの体が少しだけ宙に浮いた。

 くぐもった声が妙にうるさく塀に吸い込まれていく。さすがアカツキ、こいつがクズである由縁だ。


「さて、優しい俺はもう一つご褒美をやろうと思う」


 アカツキは腹を抱えて蹲るガキの髪をむんずとつかみ持ち上げた。さっきとは違い、ガキは抵抗せずに足がぶらんと垂れ下がっている。弱弱しい目で憎々しげにアカツキをにらんでいるけど、それだけだ。


 児童相談所も真っ青な光景の中、場違いに神々しい羽がひらひらといつまでも舞い続けている。数はそんなに多くないものの、ふわっと軽いためか、いつまでたっても地面に落ちようとしない。


「本当に、こんなガキに使うとは思ってもいなかった」


 アカツキは左手を引っ込め、何かを受けるようにして掌を上に向ける。

 ぽむ、といい音がして白い塊がそこに現れた。

 忘れもしない。オレはそれを何度も見ているし、何度か頭にぶち込まれたことがある。


 皮手袋の指が真っ白のそれにめり込み、遠目から見てもしっかりとつかまれたことが見て取れた。昔ながらのシンプルでオーソドックスなデザインの為せる技だろう。


 天使のような羽が舞い落ちる中、真っ黒の悪魔のような人間は、とてもとても悍ましい笑みを浮かべた。


──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。






「これが──俺の能力ッ!」


繰り返し、言い換えて、再び断言する。


(ねむ)る暴挙の投寝具──《クラクラマクラ》!」






 アカツキは枕をガキの顔面にぶち込んだ。



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