6 ミッドナイト・アップルズ
世の中ってのはたいてい理不尽なものだと思う。自分の思い通りにはならねえし、おとなしくしていても面倒ごとは向こうからやってきやがる。ついでにオレの十七年の経験を元に言わせてもらえば、こういう面倒ごとってのは起こるときはいっぺんに起こるもんだ。基本的には回避できねえし、解決するのにも多大な労力を必要とされる。
でもまぁ、それは誰でも一緒なわけだ。自分だけが不幸だとか、あいつばかりずるいとか思うのは少々お門違いな気がするし、もしそう感じているのだとしたら不平不満を言うよりも行動して改善すべきだとオレは思っている。
つまり、あれだ。何が言いたいかっていうと──
「おいアカツキ。その枕オレによこせ」
「寝言は寝て言え」
流れるような悪口と共に缶コーヒーが投げられてきた。
寛大なオレはそれを聞かなかったことにしてコーヒーだけをキャッチし、そのちょっと硬いプルタブをぐいっと捻った。かしゅっといい音がして魅惑の芳香が胸いっぱいに広がっていく。ミルク入りの甘めのコーヒーだ。アカツキにしては気が利いている。
「くそ……漫画喫茶すらねえとはな……」
「だから高速なんか乗らねえほうがいいって言ったんだよ」
時刻は深夜の二時。俗に言う丑三つ時ってやつだろう。オレたちは小さなサービスエリアの休憩所の一角に陣取っていた。
例のヒスババアの事件からまだ一日とたっていない。余計なゴタゴタに巻き込まれる前にあの現場から逃げたオレたちは、そのままできるだけ遠くに行こうと高速に乗ったんだ。もとより仕事は終わったことだし、本社に行っていろいろ手続きなんかもしなくちゃいけなかったから、適当なところまでかっ飛ばして宿を取ろうって話になったんだよな。
「安物の机使いやがって……! ガタついて眠れりゃしねぇ……!」
「枕もってるお前がいうな。可愛い美少女に譲ってやろうとは思わねえのか?」
「可愛い美少女なら譲ってやるよ。可愛い美少女ならな」
だが、高速に乗って距離を稼ぐうちにどんどん時間は過ぎ去り、おまけになかなかめぼしい場所が見つからずに結局はこんな小汚いサービスエリアの休憩所で夜を明かす羽目になっちまった。ホント、こいつの無計画さにはため息しか出ない。
「ここにいるじゃねえか」
「ガラス、よく見てみろよ」
「やっぱいるじゃねえか」
「おまえ、鳥目か」
薄く輝く蛍光灯の下、薄汚くなったガラスに映るクレオパトラも腰を抜かすような美少女越しに外の景色を眺めてみる。
なんかの祝日と土日が連なった連休の初日だからか、この規模のサービスエリアにしては人が多いように思えた。数台の運送トラックはもちろんのこと、家族連れらしいワゴン車にアベックのものと思われる外国製の高級スポーツカー(!)、さらにツーリングでもするのだろうか、アカツキのバイクに負けないくらいかっこいい、イカした赤いスポーツバイクが停まっている。端っこのほうには最近問題になっているって聞く、放置されっぱなしの白い軽自動車があった。
「よっ! キミたちも走らせにいくのかい?」
「バカいえ。やるなら一人で行く」
「こんな趣味悪ぃ真っ黒男とはごめんだね」
車で来ているやつはみんな車内で眠っているらしく、この休憩所にいるのはオレとアカツキ、そしてこの気安く話しかけてきた──真っ赤なライダースーツに身を包んだ優男だけだ。
なにが面白いのか、この優男はわざわざオレたちの座っている席へと腰を下ろし、にこにこと笑いながら馴れ馴れしく肘をついて話しかけてきた。
「あそこの黒いのキミたちのだろう? メンテも行き届いているし、ちょっと改造もされているな。俺、あんま他人のバイクに興味なんて持たないタイプなんだけど、一目見てビビッと来たね!」
優男は髪を茶色に染めている。ついでに言えばピアスもしている。たぶんそのライダースーツの下にはちゃらちゃらしたアクセサリーもつけていることだろう。見るからに軽い性格のようでとにかく馴れ馴れしい。
キライなタイプじゃないが、好んで友達になりたいと思えるタイプでもない。言うなれば、居ても居なくても構わないが出来れば居ないほうが気が楽──そんなかんじのヤツだ。こういうの、クラスに絶対一人いる。
「俺の相棒もけっこー弄くってるんだけど、とにかく金がかかってさ! でもま、そこもまた可愛いというか……こいつのためだけに俺は働いて、生きているようなもんだね!」
「悪ぃな。バイクは好きだがオレはそういうのには興味ねぇんだ。……あと時間を考えろ。ぺらぺら喋るのには遅すぎるぜ」
「え、そう?」
「……チッ!」
アカツキは歪めた顔を隠そうともせずに大きな舌打ちを打つ。その音はこの静かで狭い休憩所に響き渡るには十分すぎるほどで、当然この優男の耳にも入ったはずなのだが、そいつは耳が元からなかったかのように目をぱちくりとさせていた。
「こいつ、眠くなると機嫌悪くなるんだよ。仕事で疲れてるし」
「だから、バイクでリフレッシュするんだろ? この先、ちょうどいいコースがあるもんな。そうだ、聞いてくれよ! こないだなんてアクセル吹かしっぱでどこまで出来るか挑戦してさぁ……」
ダメだ。この優男自分のことしか考えていない。どんどん般若の顔つきになっていくアカツキなんて見えていないようだ。さっきからバイクバイク、それしか言わない。このままじゃ数秒のうちにこいつの顔面がライダースーツと同じように真っ赤になっちまう。
「そだ、リンゴ食べるか? さっきそこの無人販売所で見つけたんだ。近くにリンゴ農家があるのか、安かったしけっこー良いモノっぽいんだよね」
ここに来てようやく、ライダースーツの優男はバイク以外の話題を口に出した。ほら、といわれた差し出されたのは三つのリンゴ。なるほど、丸々としていて真っ赤な大振りのリンゴだ。ちょっと見てくれが悪いが、食べる分にはまったく問題なさそうだ。
「うん、うまい!」
かしゅっといい音を立てて優男はリンゴにかじりつく。リンゴ特有の仄かに甘い香りが休憩所を満たし、いくらか雰囲気を和らげてくれた。
真っ赤な人間が真っ赤なリンゴを薄暗い休憩所で食べる姿はどこかシュールで奇妙な非現実感があるが、なんの悩みもなさそうなその底抜けに明るい笑顔を見るとその薄気味悪ささえどこかへと吹っ飛んでいく。
「じゃ、一個だけ貰おうかな」
「そうこなくっちゃ! やっぱライダー同士、仲良くやってかないとね!」
「俺は寝る。食うなら外で食え。さっきからベラベラうるせえんだよ」
アカツキは子供が見たらチビりそうな顔で凄んだ。その顔は非常に凶悪で、指名手配の凶悪犯の写真とすり替えたって誰も気づかないだろう。
「……? じゃ、お言葉に甘えて、二人きりでの夜のお散歩といこうじゃないか!」
「いや、お前いろいろ勘違いしてねえか?」
その表情でさえ、この頭の軽い優男には効果がなかったらしい。リンゴをもったオレと優男は、うぃんと自動扉をくぐって涼やかな夜の空気を吸い込んだ。
夜のサービスエリアはあの特有の静寂で満ちている。少し遠くのほうからかっ飛ばす車のエンジン音が聞こえ、逆のほうからはカエルの大合唱と虫の音のオーケストラが聞こえた。うるさく静まり返ったその場所は人気の一切を感じず、夜ということもあっていくらか薄気味悪い。
「ここのサービスエリアってあんま人がこないみたいなんだよな。数キロ先にもうちょい大きいのがあるから、みんなだいたいそっちを使うんだ」
ペラペラと、それこそ壊れた目覚まし時計のように赤い優男は喋り続ける。ぽつんと立っている小さな外灯にはびっくりするほど大きな蛾が数匹群がり、ぱらぱらと鱗粉をまいていた。……嫌なモン見ちまったな。
「ま、俺みたいに静寂を愛するライダーはこっちのほうがありがたいんだけどね」
「お前が?」
「ああ、そうだとも!」
絶対嘘だろうとは思ったが、優しいオレは口には出さない。とりあえずこいつの気の済むまで散歩しながら話に付き合い、アカツキがうまく寝付いてくれるまでの時間が稼げればそれでいい。
こんな優男にわざわざ付き合っている理由。それはアカツキの機嫌を損ねないため。たったそれだけだ。こいつはオレの趣味じゃない。
「……なぁキミ、あの真っ黒のお兄さんとはどういう関係なんだ?」
「あ?」
バイク以外の話題。リンゴに続いて二回目だ。人の居ない広場のところで立ち止まり、いつになく真剣な口調で問いかけてくる。その言の葉は妙に新鮮に耳に届いた。
「いやさ、あんま接点がなさそうだし、こういっちゃ何だがあのお兄さんすごくガラが悪いだろ? もしかして誘拐犯とかだったりするのかなって」
おそるおそる聞く様に少しだけ笑みが漏れた。なるほど、こいつはどうやらお人よしの部類らしい。あの明らかな空気の読めなさも演技かなにかだったってわけだ。見た目はチャラいくせに、どうしてなかなか思いやりのある人間のようだ。
「全然ちげえよ。ありゃ一応オレの上司だ」
「上司?」
「そそ。最近知り合ったばかりなんだけどな。やりがいもあるし給料もいい、まさにオレのためだけにある仕事なんだよ」
ふむぅ、と優男は顎に手を当てて思案する体勢に入った。片手にはリンゴ、真っ赤なライダースーツ。奇特な現代芸術家が見ればさぞかし面白い作品を作ってくれることだろう。
「ヤバい仕事?」
「なんで?」
このなんで、には個人的にいろいろな意味を込めたつもりだ。
なんでそんなことを聞くのか、なんでそういう風に思ったのか、なんで首を突っ込んでくるのか──オレほどの人間になれば一言にここまで意味を込めるのも容易い。
「いや、気になるじゃん? このまま別れて後悔したくないし」
不安そうな目を見て考えを少し改めた。やっぱこいつは悪い人間じゃないらしい。もしここでオレがヤバい仕事だっていったら、たぶんこいつはオレを赤いバイクに乗せてどこか然るべき国家機関まで届けてくれるだろう。そんな感じがした。
「ヤバい仕事ではあるが、想像してるようなのじゃないと思うぜ?」
「バックにやくざとかいる?」
「いや、いねえよ。ごくごく普通の一般企業さ。働いていたら周りに自慢できるレベルの」
「そっか。──じゃあ、何の問題もねーな」
ふっと、そいつが笑った。ぞくり、と背中に悪寒が走る。
何がなんだかわからないが、とにかく周りがさらに薄暗くなったような気がし、そして体感温度がぐっと下がる。その異様な空気に大合唱もオーケストラも鳴りを潜め、ただただ夜風がひゅうひゅうとうるさく吹いている。
「おまえ──!?」
「──キミを誘拐しよう」
体がグン、と何かにひっばられ、思わずたたらを踏む。とっさにそいつから距離をとったはずだというのに、気づけばオレの体はふわっと浮き、そして目の前十センチのところにてかてかした赤いライダースーツがあった。
「ヤバいやつの女なら諦めたけど、俺って運がいいみたいだな」
気持ちの悪い声が頭上から振ってきた。背中に伸ばされた腕を反射的に振り払い、今度こそ数歩の距離をとることに成功する。優男は鼻を軽く鳴らしながら、ニタニタした笑みで面白そうに話しかけてきた。
「おいおい、逃げるなよ。お前もあんなセンスねぇ真っ黒野郎といるより俺と一緒のほうがいいだろ?」
「自惚れまっかっか野郎もごめんだね! 鏡見てから出直して来い!」
「口ではそういうけど、満更でもない──そうだろ?」
うわこいつ真性の自惚れだ。すこぶる気持ち悪い。
明らかに何かがおかしい。うざったくはあるが人のよさそうな顔はその影すら見えず、優男は気持ちの悪い自信と下卑た欲望を顕在化したかのような表情の仮面をつけ、そして妖しい空気を全身から放っていた。
いや、あるいはこれがこいつの本性なのだろう。
「おいでよ。ほいほいついてきたってことはキミもそのつもりだったんだろ? 俺と一緒に楽しいこと──ニャンニャンしようぜ?」
「オレは夜泣きでうるせえガキの面倒を見ようと思っただけだぜ?」
ドッドッドッと心臓の音がうるさい。冷め切った思考は現状の理解と分析のために脳回路をショート寸前まで酷使する。優男が一歩踏み出す。とりあえず、一歩下がることにした。
なにもヤツが怖かったからじゃない。
言動がものすごく気持ち悪かったからだ。
「強がっちゃってさぁ……。そういう子ほど、カワイイんだよな」
「うわっ!?」
くん、と優男が指を動かすとオレの背中を何かが引っ張った。後ろには誰も居ないはずだというのに、まるでオレ自身が磁石になったかのように情けなく背中から地面に倒れこむ。
「いってぇ!」
ドシン、と無様に転げた。後ろからこけるのなんて初めてだ。背中がいてえ。そしてものすごくむかつく。このオレがこけたのにヤツがニタニタ笑いながら立っていることが、ATMを長時間占領するババア並にむかつく。
いつの間に落としたのか、目の前に赤いリンゴが転がっていた。
「なにしやがんだコラァ!」
「おう、倒れる姿もとってもキュート。そそるねぇ」
ニタニタと笑い一歩近づいてくる。立ち上がろうと足に力を入れると再び何かに引っ張られ無様に転げた。オレのキュートなお尻がひりひりして痛いよと泣き喚く。この屈辱、晴らさでおくべきか。
「なんなんだよクソがっ!」
「うん、俺もよくわかってない。でも、それは俺が起こしたって事は間違いねえぜ?」
ニタニタ笑っていたそいつは一瞬だけ真面目な表情になり、そして手に持つリンゴをかしゅっと一口だけ齧る。無駄にカッコよく、映画のスターがスクリーン前の観客を魅了するかのように流麗な仕草だ。
その神経を逆なでするかのような動作に瞬間的に頭が沸き、ぶん殴ろうと飛び掛ろうとして──再び何かに体を引っ張られた。
「クソがっ!」
「順応が早いねぇ。こりゃ、ますます手に入れたくなってきちゃった♪」
「気持ち悪いことほざいてんじゃねーぞクソがっ!」
「ああもう、クソクソいうんじゃねえよ。気分が萎えるだろうが」
「クソにクソって言って何が悪い!」
あたりに満ちる剣呑な空気、さっきから起こる不可解な現象。そしてむかつく優男。
これはおそらく、もしかして──
「しょうがない。本当は話し合いでついてきてもらおうと思ってたんだがな。ま、嫌がるのを無理やりってのも俺の好みではあるんだよ」
優男は齧っていたリンゴをぽーんと高く放り投げ、パチリとウィンクする。赤いライダースーツが暗い外灯にテカリと輝き、夜の煌きを反射した。
欠けたリンゴが天に翻り、落下を始める。そして優男の手のひらから、そのライダースーツから別れてきたかのように真っ赤なリンゴが浮き上がってきた。
──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。
「これが俺の能力♪」
繰り返し、言い換えて、再び断言する。
「赤き勝利は引き寄せて──《プルプルアップル》!」
やはり、こいつはトリアルだ。ヤツの宣言と共にオレの後ろにあった丸いリンゴが浮き上がり、弾丸のような勢いを持って背中にめり込む。とっさに体をそらしたものの、少なくないダメージを負ったのは確かだ。
「ちィッ!!」
「おや、いい反応するね」
跳んでいったリンゴはヤツの手にあるリンゴへと向かう。ぎゅんぎゅんと加速し、そしてぴたりとそれにくっついた。空に舞った欠けたリンゴもそれに続き、地面ではなくそのリンゴにぴったりとひっつく。欠けた部分がちょうどぴったりその球面のカーブと合わさっている。
「なんなんだよそれ!」
「いわゆる能力……ってやつだな。トリアルって言うらしい。カッコいいだろ?」
全然かっこよくねえ。クソダサい。あいつの顔面並にサムい。
見たところリンゴを生み出す能力のようだが、絶対それだけであるはずがない。オレを引っ張った何かもあるし、能力のリンゴにぴたりとくっつく普通のリンゴもある。
「痛い目見る前に言うこと聞いたほうがいいと思うけどな」
「うっせぇぞ! 変態野郎が誰の許可で口開いてんだコラァ!」
幸いなのは、向こうがまだオレを一般人だと思っていることだ。その心の隙をついて一発でもぶん殴ればカタはつく。
「ほらほら行くぞ! 《プルプルアップル》!」
数個のリンゴがヤツの目の前に浮き上がり、ボトボトと落ちてくる。優男はその一つ一つを無茶苦茶に俺のほうへと投げてきた。今のところは普通のリンゴのようだが、トリアルであることは間違いない。とりあえず、数歩下がって避ける。当たらなければどんな強力なトリアルでも意味はないからな。
「あ」
リンゴはとぼとぼと転がり、あたりに散らばった。そのまま何も起こらない。
ぴゅうっと夜風が一吹き。
──チャンスじゃね?
「歯ァ食いしばれよ真っ赤野郎!」
やれるときにやる。オレのポリシーだ。
能力を使わず、そして使わせる暇も与えずに優男に突っ込んでいく。
夜の空気を切り裂き、リンゴを無視し、拳を腰に構えていつでも解き放つ準備を整える。一発決めれば勝ちなのだから、わざわざ相手に能力を見せ付ける必要もない。
「おおっと、怖いねぇ! 《プルプルアップル》!」
「んなっ!?」
またも優男はリンゴを作り出した。しかしさっきと様子が違う。
ヤツの半径三メートルくらいの空間にポン、ポン、ポン、と次々にリンゴがあふれ出てくる。明らかに最初のころと生成スピードが違い、もはや真っ赤なライダースーツが見分けられないほどにリンゴであふれかえっていた。
そのほとんどがコロコロとあちこちに転がっていき、そして生み出され続けるリンゴはその勢いを止めることもない。それこそ無限に、際限なく沸き続けている。十個、百個、いや千個以上はあるかもしれない。これだけあれば、募金でよく見かける貧しい国の子供たちをいっぺんに救うことができるだろう。
当然の結果としてオレは足を止めた。
足の踏み場なんてないくらい、リンゴが転がっているからだ。このまま突っ込めば間違いなく足をとられてこける。
「ほぅら、仕上げだッ! 《プルプルアップル》!」
今度はまとめて上方にリンゴを作り出した。
優男の能力範囲内だからだろうか、それはある種の指向性を持って地面にぶち当たり──そしてスーパーボールのように跳ね回る。
「嘘だろっ!?」
「デキる男は嘘つきなのさ♪」
無茶苦茶に跳ね回るリンゴは転がるリンゴにぶち当たり、その運動エネルギーを漏れなく伝えていく。ぶち当たったリンゴもこれまたゴムまりのように飛び跳ね、そしてビリヤードの玉のようにあたりに散らばる赤い玉をついて行く。
たちまちのうちに周囲一体は赤く暴れまわる嵐の夜となり、リンゴ同士が弾けてぶつかる音が英雄の帰還を祝うラッパのようにうるさく夜の闇に響いていく。
不思議なことに、まるで透明なカプセルの中にあるのかのようにリンゴはある一定範囲外には跳んでいこうとしない。その一定範囲内を自由に飛び回り、跳ね、弾み、軌道を変えて暴れまわっている。
赤く暴れまわる球で形成された球。端的に言えばそんな見た目だ。シャレた回答をするならば、リンゴでできたリンゴの形をしたリンゴの暴力ってところか。ああ、最っ高に腹が立つ。
その暴虐は──オレへと襲い掛かってきた!
「くそっ──がぁっ!?」
「よそ見はダメダメ♪」
せめて少しでも逃げようとして──後頭部に衝撃が走った。丸い何かがぶち当たったんだ。倒れ行く視界の中、それが先ほど投げられた、オレが無視して通り過ぎたリンゴだと気づいたときには目の前が真っ赤になっていた。
──最初からヤる気満々だったらしい。オレのプリティな体が赤い嵐に呑まれていく。
バン
ボン
バイン
ブイン
バンボンバンボンバインボインブイン
ババンボボンババボボボババボボ
ババババババババババババババババ!
腕に当たる。
足に当たる。
腹に当たる。
胸に当たる。
脛に首に指に耳に鼻に口に!
「クソがクソがクソがぁっ!」
痛ぇ。めちゃくちゃ痛ぇ。
跳ね回る赤い暴力は上から下から、右から左から、それこそ三百六十度、一切の死角もなしに襲い掛かり、その質量と多大な運動エネルギーをオレの体にぶち当ててくる。腕で体を守ったが、野球ボールほどのリンゴは容赦なくオレの腕を弾き飛ばし、腹や胸にいいのを何発も喰らっちまう。オレの相棒のキャスケットが脳天をしっかり守ってくれたが、所詮はそれだけだ。
「がっは!」
何とか赤い嵐をやり過ごせたものの、思わず膝を突いちまった。優男がニタニタ笑っているのが非常に腹が立つ。
しかも、だ。
「な、んだよ、これ……!」
リンゴがブヨブヨしている。妙に良く跳ねるなと思ったら、本当にゴム鞠のように弾力性をもっている。手でグニっと押し込むとリンゴは変形し、話すと元の形に戻った。手のひらの上で揺らすとプリンのようにプルプル震える。まるで映画のCGを見ているかのような奇妙な現象だ。
「おや、耐えたんだ。……うーん、傷だらけってのもいいね!」
言われてはっと気づく。
オレの玉のように滑らかで、真珠のような輝きの肌が青黒く染まっている。頬がひりひりとし熱を持っているのを鑑みると、オレのお姫様も羨むリンゴの頬は、赤く腫れて熟れ過ぎたトマトのようになってしまっているだろう。
……絶対にゆるさねぇ。このオレの、世界の財産である美しい顔に傷をつけたというのは無間地獄でも償えないほどの重い罪だ。
「じゃ、倒れるまで行ってみよう! 《プルプルアップル》!」
優男がパチンと指を鳴らす。
今度はリンゴは出なかったが、代わりに転がっていたリンゴがぴたりと動きを止めた。そして──その場にある何千ものリンゴ、その全てがオレめがけて飛んで来る。
「チィッ!」
ブヨブヨしているとはいえ、その全てを一身に喰らったらタダですまないのは間違いない。加速するリンゴは野球のボールよりも速く、そして悪魔の目玉のように赤い。実際、このオレに仇なす時点でろくなものでないことは確かだが、最後に残っていたオレの寛大すぎる心はこの時点で消失し、グラグラと頭が熱くなって目の前が真っ赤になった。
この赤が襲い来るリンゴによるものなのか、それともオレの怒りの心によるものなのか、それはわからない。でも、もう優男を許そうと思える気にはなれなかった。
「後悔しやがれ、クソ野郎!」
リンゴが迫る中、す、と拳を構えて重心を低くする。
やっぱりオレは、最初っからこうしてたほうがよかったらしい。もうヤツの能力の概要も掴めたことだしな。
──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。
「──これがオレの能力!」
繰り返し、言い換えて、再び断言する。
「拳撃必殺ッ! 《ライクライクストライク》!」
いつぞやと同じように、渾身の一撃を地面に打ち付ける。
オレのトリアル──《ライクライクストライク》は体を使った全ての一撃を必殺の威力にする能力だ。たとえ女の貧弱なパンチでも当然のようにその能力は作用し、まるで爆撃でもあったかのようにアスファルトが吹っ飛んでいく。
「なんだとっ!?」
オレを中心とした爆撃だ。当然のごとく、その威力は迫りくるちっぽけな赤い玉を一つ残らず吹っ飛ばしていく。砕けた欠片が優男のライダースーツを傷つけ、そしてそのむかつく顔にオレに代わって一筋の赤い筋をつけてくれた。
「お前も……トリアルなのか!?」
「いまさら気づいたかこのタコが! 《ライクライクストライク》!」
能力を使い、ボロボロの大地を蹴る。必殺の威力で踏み出した足は必殺の名に恥じない推進力をオレにもたらし、体をすいっと横方向にふっ飛ばしてくれる。
流れる世界、迫る赤。
夜の風が頬を撫で、風切音が心地よい。
「くそっ! 《プルプルアップル》!」
すかっとオレの拳が空ぶる。しかしそこであわてるオレではない。
推進力に身を任せ、ゆったりと流れるように足をつき、腰を低くしてバランスをとってブレーキをかける。ズザザ、と小気味よい音が一秒ほど続き、オレの体は無事に停まった。
「あっぶねぇ……!」
冷や汗をたらした優男が荒い息をつく。優男の優男フェイスは汗やらなんやらでぐちゃぐちゃだ。最初のころの爽やかさなんて欠片もない。ざまあみろ。
「ああ、危なかったろうよ。……危ないついでにこっち、よく見てみろ」
「っ!?」
せっかくなので目の前で見せ付けるようにリンゴを握り砕く。仄かに黄色い透明な果汁がべしゃっと飛び散り、果実はポケットに入れたまま洗濯機にかけてしまったティッシュのように散り散りなった。
ヤツの顔は見る見る青くなり、そして瞳には怯えが混じり始めた。毒リンゴでも食ったような無様なツラだ。
「次はてめえがこうなる番だ」
「冗談にしては悪趣味だな……!」
「オレ、誠実な乙女だから嘘も冗談も言わねえんだ」
「ははっ……こんなクソつまらない冗談を聞いたのは生まれて初めてだよ……!」
なぜオレの拳が外れたか。
もちろん、それはこいつが避けたからだ。
無論、ただ走って逃げていたら間違いなく拳は当たってあのリンゴのようになっていただろう。最後の瞬間ちらりと見えたが、こいつはありえない方向に水平移動──何者かに引っ張られて移動したんだ。
そして、その『何者か』はすでに見当がついている。さすがはオレの素晴らしすぎる灰色の脳細胞だ。名探偵も裸足で逃げ出すに違いない。
「大体わかったぜ、お前の能力。『なにかを引っ張るリンゴを生み出す』──そんなところだろ?」
「……」
「ついでに言えば、そのリンゴはブヨブヨしている。ああ、弾力を持っているって言ったほうがいいな」
最初にオレが転んだのはあのリンゴに引っ張られたからだろう。背中に喰らったリンゴの弾丸はあいつがもっていたリンゴに引っ張られたものだ。跳ね回るリンゴの嵐が彼方へ吹っ飛ばずまとめてオレに襲い掛かってきたのは、その能力で一定範囲外に跳んでいかないよう引っ張っていたからだな。
つくづくわけのわからない能力だが、大量に生み出せるってのは厄介だ。どの程度まで引っ張れるのかとか、引っ張るときと引っ張られるときの違いはなにかとか、対象はなんでもいいのかとか、気になることはたくさんあるがもしもうちょっとヤツが賢いのなら恐ろしい能力であったに違いない。
なんせ、あのリンゴの嵐を上手く使えば半永久的にぶん殴り続けられるようなものだし、リンゴを投げるにしても引力で軌跡を不規則に変え、威力を強めることだってできるんだからな。
「はは、バレちゃしょうがないな。だが、キミは一つだけ気づいていないことがある」
「あ?」
「このリンゴ、普通に食えるんだ。ちゃんと硬いのも出せるし高級品並みにウマイ。お歳暮にもぴったりなんだぜ。俺も上司によく送っているんだけど、評判も結構いい」
優男は観念したように笑った。だが、目は笑っていない。むしろどんどん暗く淀んでいき、それにつられるように顔つきも厳しくなっている。
本当にうまいんだ……とつぶやいて、ヤツはおもむろにリンゴを生み出しぱくりと齧った。そして、食いかけのそれをそこらに放り捨てる。リンゴはグシャっとつぶれ、果実の芳香と果汁をあたりにバラまく。
……アレは普通に作ったタイプのリンゴか。おとなしくリンゴ屋さんでもしていればいいものを。
「ナンパ相手がこんな大物だったとは思わなかったよ」
「誘拐の間違いだろ? いや、強姦魔って言ったほうがいいか?」
深夜のサービスエリアで黄昏る美少女を口八丁で誑かし、人気のない場所へ連れ出して襲い掛かる。これが強姦魔でなくてなんだっていうんだ。
「それはちょっと心外だな。こう見えても俺、紳士ってことで結構モテるんだぜ。
……なぁ、ナンパ相手がこんなんで傷心の俺が、今何考えているかわかるか?」
「さぁな。オレは変態じゃないんだ。変態野郎の考えなんてわかりゃしねえよ」
「『消えてくれ』、だ。《プルプルアップル》!」
静寂は向こうのほうから破ってきた。プルプルと震えるリンゴがいっせいにそれぞれの引力に引かれあい、再びボンボンと跳ね回る赤い嵐となって蘇る。
優男は今度は容赦しないつもりなのか、さっきのよりもリンゴが激しく跳ね回り、ぶつかる音は強い雨のような音を通り越して工事現場の重機のようになっていた。
「ハッ! 考えが幼稚なんだよ! 《ライクライクストライク》!」
しかしとて、オレももう遠慮はしない。能力を全身に発動させ、赤い嵐の中へと突っ込んでいく。
「ほらほらほらほら! この程度じゃオレは止められねえぞ!」
「嘘だろッ!?」
もう一度言おう。オレの能力、《ライクライクストライク》は体を使った全ての一撃を必殺の威力にする能力だ。それは蹴りやパンチといった攻撃的な動作でなくても、例えばデコピンや足の踏み出しであってもオレが攻撃と認識し、対象とぶつかってわずかでも衝撃が発生したならば発動する。
「ああもう、リンゴがもったいねえなぁ! リンゴ農家のじーちゃん達が見たら血の涙を流すぜ!? いい加減無駄だって気づけよ!」
だから──オレがリンゴの渦に体当たりし、適当に体を動かしていればその全てが攻撃とみなされて、赤い実がどんどん弾けていくってわけだ。
肩に当たったやつはぐしゃりとつぶれ。足に当たったものは木っ端微塵になり。オレのステキなお尻に当たったものは跡形もなく吹っ飛んでいく。
トリアル能力で生み出されたものだからか、果汁の染みもそんなに目立たない。ちょっと水洗いすれば簡単に落ちるだろう。洗濯の心配をしないでいいってのは全国の主婦の皆さんにとってはうれしいお知らせだ。
ぐちゃ、ぶちゅ、べちょり。
どこかの国のトマト祭りのようにあたりにリンゴが四散する。不思議なことに、あれだけあったリンゴも砕くといくらか体積がへるのか、思っていたよりも惨禍は広がっていない。
「これならどうだっ! 《プルプルアップル》!」
「お?」
体が四方から見えない力で引っ張られた。左、右、前、後。押しつぶされるほど強い力ってわけでもないが、自由に動けるかって聞かれると首を横に振らざるを得ない、そんな絶妙な力加減。
アレだ、なんか体が重くなったっつうか、重力が増えたってかんじだな。おそらく、そこらに転がるリンゴの引力を強めて擬似的な過重力空間を生み出したってところだろう。
「いいか、俺は悪くない。お前がいけないんだからな──《プルプルアップル》!」
優男は少し早口で能力を発動した。
さて、次は何をやってくれるのかと少し期待してみていると、それは思わぬ方向から現れてくる。
「おお!?」
オレたちが歩いてきたほう──駐車場からだ。
白の薄汚れた放置軽自動車がゆっくりと横に引きずられ、そしてある一瞬を持って加速が摩擦力を凌駕し、オレの方へと吹っ飛んで、いや、引っ張られてくる。
自動車が何キロあるかは知らないが、少なくともちょっと引っ張って浮かび上がるほどの重さではないだろう。引きずり飛ばして吸い寄せることが出来るなんて、どうしてなかなか、このリンゴの引っ張る力は侮れないものがあるらしい。いや、あるいは一つ一つはたいしたことなくて、複数使って引っ張っているのかもしれないな。
「素直に俺についてこないからだぞ!」
優男は勝ち誇ったかのように吠える。
そうこうしている間にも軽自動車はぐんぐん加速しており、オレの視界の中でどんどん大きくなっていく。今からでは逃げる余裕もありそうにない。車の腹がくっきりと見え、意外とすっきりした見た目をしてるんだな、とぼんやりと思った。
「あばよ!」
古いゴムと鉄の臭いが鼻先に突きつけられた中、そんな言葉を遠くで聞く。
にたりと笑って、返事をするように目の前にヘットバットをかましてやった。
「──《ライクライクストライク》」
ゴッ!
「え?」
優男が振り向いたその瞬間、真っ二つになった軽自動車がヤツの両脇を吹っ飛んでいく。突然のことに何が起こったのかわからなかったのか、やつはパチパチと二回瞬きをし、ゆっくりと後ろを振り向いた後、再びオレの姿をまじまじと見つめた。
「いくらオレがべっぴんだからってそんなにみつめるんじゃねえよ。金取るぞ?」
ドォン!
スクラップが地面に激突する。その衝撃によって生まれた風でリンゴがコロコロと転がり優男の赤いライダーブーツにこつんと当たった。
「え、あ、え?」
「なーに不思議そうな顔してんだよ……《ライクライクストライク》!」
必殺の威力で足元のリンゴと地面を蹴り、リンゴの引力から逃れて、かつ蹴り飛ばしたリンゴの引力を利用して優男へと迫る。きっと、今のオレは第二宇宙速度ならぬ第二リンゴ速度を誇っていることだろう。
何が起きたのかさっぱりわかっていない優男はヘッドライトに照らされた子鹿のように呆然とし、避けようとすら素振りすら見せなかった。
「え、なに、あ、いしあたま……」
「黙れ変態! 《ライクライクストライク》!」
拳に感じる皮革のひやりとした感触。
ずぶずぶと沈んでいく拳。
パキパキと何かが砕け、粉々になる快感。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
「ざまぁねぇなぁ!」
オレの必殺の拳はヤツの鎖骨を砕いた。痛みに悶絶するところで左足に蹴りを入れ足の骨を粉々にする。倒れたところで右腕の骨を打ち砕き、能力を使わない全力で顔面を三発ぶん殴った。
「いてぇ! いてぇ! いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「そら痛いだろ。骨砕いてんだし。……話せる余裕があるならまだまだいけるな? オレと一緒にニャンニャンしようぜ」
す、と一歩踏み出し、ヤツの足と足の間──股座に足を置く。
「た……頼む! それだけはやめてくれ! なんだってするからそれだけはやめてくれぇぇぇっ!」
「おいおい、遠慮するなって。知ってるぜ、男にはこういうのが好きなのもいるんだろ?」
「や、やめ、やめああああああ!」
「るっせぇ! 近所の皆様に迷惑だろうが!」
逆上がりの練習のようにしこたま足を振り上げる。何回も、何回も。一蹴りごとに鋭さが増すように。割とピッチリしたライダースーツだから蹴りやすくて助かる。きれいに入ったときのバスッて音が爽快だ。反面、足の甲から感じる感触はたいそう気持ち悪い。
「~~~~ッッ!!」
あ、なんか今ヘンなのつぶれた。ぶちっていった、ぶちっって。
……能力使ってないし、意識もあるから大丈夫だろ。うん、きっと気のせいだって。それに、女の敵が一匹消えるならみんなハッピーじゃねーか。
「ひぃ──……! ひぃ──……!」
もちろん、殺さない程度に全体的に威力は抑えてある。もし全力でやっていたらそれこそ優男はこの握りつぶされたリンゴのようになっていただろう。
いくら誘拐犯チックなナンパ野郎でオレにケンカを吹っかけ、あまつさえオレの肌に傷をつけたと言えどこれだけやれば罪は清算できたというものだろう。オレは寛大なんだ、この程度で許してやらんこともない。
「いてぇよぉ……! いてぇよぉ……っ!」
「泣くんじゃねえよ、ガキじゃねえんだから。オレだってお前に何百発も喰らってんだぞ」
優男の右腕は明後日の方向に捻じ曲がり、左足は壊れたマリオネットのようにひしゃげてだらんとしている。胸元はなんか変に窪んでいるいるし、その顔は涎と鼻水と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
こりゃもう、優男じゃなくてホンモノのガキだ。びーびー泣き叫ぶ様がそっくりだ。
「えぐっ……えぐっ……!」
たぶん、数時間前にヒスババアにあってなかったらこの程度じゃ済まさなかっただろうな。あいつに比べりゃこいつはまだマシなほうだったし、オレの能力の制御もだいぶ上手くなってきている。さすがはオレ、人間的にも技術的にも格上だな。
──なんて思っていたら。
「プ……《プルプルアップル》!」
「あっ、コラ!」
ちょっと気を抜いた隙に──いやいや、愚かにもオレの仏のような御心の隙をついて優男は逃げ出した。それも、片足が使えないというのにバイクもビックリな速さで飛ぶんでいったんだ。
人間としてありえない機械的ともいえる直線的な動き、ちらっと無事なほうの手の中にリンゴが見えたことから、きっと能力を使って動いたのだろう。引力でリンゴをすっ飛ばし、それに捕まって動いたってわけだ。
「逃げても無駄なのにな」
優男は角を曲がって休憩所のほうへと消えていく。
どのみちあのケガじゃバイクにゃ乗れないし、そもそもまともに移動することだって難しい。おとなしくオレに捕まっておけば会社のほうでちゃんとした治療を受けられたものを。ヤツはとことんまで頭の回らないガキのようだ。
「あー、散々な一日だったぜ」
ぐっと伸びをして歩き始める。。ヒスババアといい、優男といい、今日はイベントで目白押しだった。今までトリアルなんて見たことがなかったってのに、今日一日だけで二人も見つけられた。幸先がいいな。さすがオレ。
「あいつリンゴの中見えてなかったから勘違いしたんだな」
なんであいつが車を吹っ飛ばしたことにあんなに驚いていたのか、ようやく合点がいく。あいつもオレのことを拳だけを強化する能力だと思ってたのだろう。シンプルな能力だし勘違いしちまうのもわかるが、ちゃんと観察すればどんな能力かくらいはわかると思うんだがね、普通。
「おーい逃げても無駄だぞ~」
たったった、と小走りして追いかけていく。逃げても無駄ではあるが、関係ない第三者に見られるのは出来れば避けたい。深夜だし人なんていないだろうけど、こうして最悪の事態を想定して行動するあたりオレってオトナだ。
リンゴがあちこちに転がっていて歩きにくいことこの上ない。ホント、クズトリアルってのは迷惑だけしかかけねえのな。
──そう思ったときだ。
「うぎゃぁぁぁ! やめ、やめぇぇぇぇ!」
「あ?」
聞き覚えのある悲鳴。
「プ、《プルプルアップル》! 《プルプルアップル》! 《プルプルア……ぷりぇ!?」
バキッ、ボカッ、ゴスッとつまらねえ小説によく使われるような典型的な効果音。実際殴ってみるとよくわかるけど、あんな音なんて相当うまく、強く殴らないととても出すことは出来ない。オレだって能力使えるようになるまであんな音出せた試しがねーもん。
「なにその白……ぎゃっ!? ふげぇっ!? ぶにぃっ!?」
鈍器を振るうような音と、オレがボコボコにしたときよりも遥かに凄惨な音が曲がり角の向こうから聞こえてきた。赤い飛沫がぽたぽたとその向こうから跳んできて、明かりに照らされた影がぐしゃりと形を変えて崩れ落ちる。
あたりに散らばっていたリンゴが跡形もなく消えてなくなった。
「こりゃ、ご立腹だな」
こんなことしでかしそうな人間、一人しか居ない。
「よっ、アカツキ」
「……」
真っ赤なライダースーツの人間を、真っ黒のコートをまとった人間が足蹴にしていた。アカツキの表情はどこまでも冷たく、サングラスの奥の瞳は温暖化の地球を一瞬で氷河期にしてしまいそうなほどだ。
アカツキは寝起きなのかすこぶる機嫌が悪そうだ。そのタダでさえ悪い人相をさらに悪くした顔のまま、使っていた高級そうな純白の枕をむんずとつかみ、優男の顔面にジェットコースターもビックリな勢いで叩き付ける。
ぼふっと柔らかい音と対称的に、そいつは死神に首根っこを引きずられるかのようにして派手に吹っ飛ぶ。そして地面と熱烈な接吻をした。
優男っぽい面は消えてなくなり、白目をむいてぐちゃぐちゃになった顔がそこにあった。
「トリアルだよな?」
「トリアルだ。襲ってきたから返り討ちにした。野良トリアルってやつみたいだな」
「そうか」
不機嫌な様子を隠そうともせずにアカツキはつかつかとそいつのもとに進み、すうっと息を吸う。胸が反り、肺がふわりと大きく膨れる。
耳を塞いでおけばよかったと後になって後悔した。
「さっきからバンバンバンバンるっせぇんだよ!」
ぞわりとサービスエリアの建物、そして止めてあった車の全てが震えた。
いい夢を見ていたのでろう鳥共がいっせいに飛び立ち、潜んでいたのであろう狸か何かが脱兎の勢いで逃げていく。木々はざわめき、虫の音は黙りこくり、あまりの大音響に感覚が狂ったのか、蛙の大合唱はひきつけを起こしてただの雑音となってしまっていた。
「うぉぉ……」
近くに居たもんだから耳がキーンとして頭がクラクラする。アカツキのこめかみにはそれはもう見事な青筋が立っていた。
「人が寝ているのにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒ぎやがって! ダンダンダンダン暴れやがって! あァ!? なんとかいえよコラァ!」
げしっと蹴られて意識が戻ったのか、優男はうっすらと目を明けた。
「ひっ!?」
「無駄にフレッシュなリンゴ臭漂わせやがってよぉ! なめてんのかコラァ!?」
それはただの言いがかりなんじゃねえか、と口に出そうとしてやめた。触らぬ神に祟りなし、触らぬアカツキに祟りなしだ。
「ただのナンパ野郎だと思ってたらこれだ! このペド野郎! 襲うならもっとまともなの狙えってんだ! 気色悪ぃ趣味しやがって!」
「おい」
ちょっとまて。このまっかっか優男が気持ちの悪いゴミクズみたいなペド野郎だということは同意するが、気色悪い趣味とはどういうことだ? 女子高校生に目をつけたのは紛れもない事実だが、他でもないこのオレに目をつけたというあたり、美的センスにキラリと光るものが見れるだろ?
「優奈! てめぇもだ!」
「ひぅ」
ギロッと睨まれ思わず息を呑んだ。
まずい。本格的にまずい。今回のアカツキはガチギレしている。寝不足がたたって相当イライラしてたんだろう。ヒスババアや優男のせいでストレスだって溜め込んだに違いない。リンゴの嵐が弾む騒音はそうとう耳に障ったはずだ。
アカツキは睡眠を、安眠をこよなく愛する人間だ。まだ付き合いはそんなに長くないが、それだけは確かにわかる。宿の布団がペラいってだけで殺人鬼のような表情をするやつなんだ。
そんなアカツキのお楽しみの、それでいて貧相な睡眠を優男は邪魔したのだ。その怒りはとても計り知れることではない。
「返り討ちにするならてめえでしっかり片付けとけよ! 始末するなら両手両足全部つぶしとけや! クズが無駄に逃げるから俺の手を煩わすことになるんだろうが! こいつが逃げ出して人前に出たらどうするつもりだったんだ!?」
「えーと、能力使ったりした? さっきすげぇ悲鳴聞こえたけど」
「ああ、こんなクズにはもったいない能力を少しだけ使ってやったさ! 俺の腹いせもかねてな!」
ふむ、とりあえず話題をそらすことには成功したな。しかもその上で貴重な情報を得ることも出来た。さすがオレ。
優男はともかくアカツキの能力はすごく気になる。なんだかんだで使ったのはこれで二回目か? その内容はまるでわからねえけど、たぶん戦闘用の能力ってのは間違いないはずだ。
「聞いてんのかコラァ!」
「ひぅ」
聞いてはいる。つーか、こんだけでかい声で怒鳴ってて聞こえないはずがない。優男なんてもう鼓膜が破れているんじゃなかろうか。なんかいつのまにか口から泡吹いて気絶してね?
「うるせぇから注意しにきてみればこれだ! やるならバレねえようにやれってちょっと前に教えたばかりだろうが! それなのにどうして車が真っ二つになってやがる!?」
最初は助けに来てくれたのかと期待したが、やっぱりそんなことはなかったらしい。うるさいから注意しに来るという、もっともらしくて全然場違いな、実にアカツキらしい理由だった。哀れな優男はそんな不機嫌ゲージマックスのアカツキとばったり出くわしちまったんだな。
しかしまぁ、ボロボロだったとはいえアカツキは優男を瞬殺したわけだ。やっぱ実力だけは高いらしい。
「いや、それはその……成り行き? しょうがないことだったんだよ」
「仕事にしょうがねえもクソもあるか! 俺の安眠を邪魔しやがって!」
「言っとくがそれは全面的にこいつが悪い。オレは襲われたから返り討ちにしただけで、むしろ、仕事はきちんとこなしてる。おまえこそ仕事に私情を挟むなよ」
「……チッ!」
さすがに自分が理不尽なことを言ったという自覚があったのか、アカツキは最後にもう一度だけ優男に蹴りを入れて踵を返す。リンゴのにおいはもはや生ごみのような臭いに変わっていた。
「とっとと準備しろ! ここから離れるぞ!」
「え、今から?」
「たりめえだろうがッ! 騒ぎを起こした以上さっさとその場から離れる! 仕事の鉄則だ、よーく頭に刻み込んでおけッ!」
携帯でコールを終えたアカツキが吐き捨てる。優男の首根っこを乱暴にがしっとつかみ、そしてずるずると引きずって建物の裏の目立たないところへと押し込んだ。血の跡がちっとばかり残っているが、この暗さなら気づくやつも少ないことだろう。
「なぁ、回収のやつと顔合わせなくていいのか?」
「……いいんだよ。万が一のとき、そいつらと俺たちで接点があるってバレたらまずいからな。よほどのことがないかぎりはこうやって動けなくなるほど痛めつけ、そんで隠蔽してさっさと離れるってことになってんだ」
いくらか落ち着いたのか、それとも頭が冷えてきたのか、アカツキはいつもよりゆったりとした口調で話してくれた。肩で息をしながらヘルメットを被り、そしてオレにもヘルメットを放ってくる。時を同じくして黒いバイクのシビれるエンジン音がうなりをあげた。
「さっさと離れよう。幸い、気付いたやつもいなさそうだ。……ああくそ、本当に疲れた」
「なら、明日は……いや、もう今日か。休みってことにしちまわねぇ?」
「それもいいな。とにかく、今度こそゆっくり眠れるところを見つけるぞ」
「おっけ。ついでにうまいメシと風呂もついているところがいいな」
「ああ」
まるで何事もなかったかのようにして一台のバイクが薄汚いサービスエリアを去っていった。黒いコートがバタバタと風にたなびき、強いライトが夜の高速を一条の光の矢のように貫いていく。闇夜に轟くうるさいエンジン音が目覚まし代わりにちょうどいい。
ぶっ壊れた白い放置自動車に変わって、乗り手の失った赤いスポーツバイクが寂しい夜に放置されていた。