5 ヒステリック・パニック
「クソがクソがクソがァァァッ!」
「ゆ、優奈さん、落ち着いて……」
「これが落ち着いてられっか!」
ない。オレの社員証のエンブレムがない。特別活動課だと示す、絶対になくしちゃいけない社員証がない。いや、今はそれはどうでもいい。だが、オレのオシャレポイントである、お気に入りのカッコいいキャスケットがない。何よりも素晴らしくて何よりも尊いキャスケットがない。
「はっ! 無様だな!」
「笑ってんじゃねえッ!」
アレは今の俺の所持品の中で一番大事なものだ。どんな大きなダイヤモンドよりも価値がある。アレに比べたら、この世のどんなお宝だってガラクタみたいなもんだ。
……絶対に、タダでは済まさねえ。
「哲也、智美、さっさと行くぞっ!」
「ど、どこへ?」
「現場へだ! まだ犯人は近くをうろついているはずだ! 見つけ出して締め上げる!」
「こんだけ時間たってりゃ普通は逃げてるだろうよ。ちったぁ頭を冷やせ」
優雅に紅茶を飲みながらアカツキが言った。この一大事だというのに、何事もなかったかのようにリラックスしてやがる。こいつは、このオレのキャスケットが盗られたというのにどうしてこんなにも落ち着いていられるんだ? 常識ねえのか?
「──犯人の居場所はもうわかってる」
「え?」
「おまえの携帯、GPS機能があんだよ。場所は筒抜けだな」
ことり、と飲み終わったカップを机においてアカツキは自分の端末を取り出した。すっすっと操作して表示させたマップをオレ達に見せる。その地図の真ん中で赤い点が点滅していた。
「これって……!」
「ああ、予想通りだ。なんの問題もない」
その赤い点は、哲也たちの中学校のど真ん中にあった。
哲也たちの通う綾藤北中学校はそこそこ部活の盛んな公立中学校だ。
割と昔からある中学で、この近辺には綾藤北の卒業生である人間がけっこういる。卒業生が教師をやっていたりもするので、保護者と教師が顔見知りだったりすることも意外と多いらしい。
当然、古くからある分、校舎はボロい。そのため北校舎が耐震基準に引っかかり、止む無く校舎の隅にプレハブを作ったそうだ。現在はその旧校舎は工事中で鉄筋等が一部むき出しになっており、関係者以外は立ち入り禁止となっている。
そう、立ち入り禁止のはずなんだ。
「なぁ~んで、こんなところにいるんだろうなぁ?」
「……」
そんな立ち入り禁止の旧校舎にオレと哲也、智美はいる。妙に埃っぽい場所で、ところどころから鉛筆の芯の匂いがした。机がほとんど片づけられていてどこか寂しい感じがする。あるはずのものがないというのはどうしてこうもむなしい気分にさせるのだろう。
誰かが忘れていったのであろうちびた消しゴムがぽつんと一つだけ落ちている。そして、その消しゴムの近くにそいつはいた。
「やるんだったらてめえだと思ってたよ」
「……お話は、それだけ?」
じゃら、と音を鳴らしてそいつが夕焼けの陰から出てきた。首に掲げたネックレスが怪しく光る。
その手には、智美の黒いファイルとオレのキャスケットが握られていた。
「返してもらおうか」
「生徒の物を没収しただけよ? 返すかどうかはあなたが決めることじゃないわ」
「てめえの意見なんて聞いてねえ。オレの質問に『はい』か『イエス』で答えろ。それだけがてめえに許された発言だ。そもそもオレは生徒じゃねえ」
すうっと息を吸う。埃っぽいが嫌いじゃない。オレの慈悲深く寛大な心がそいつに最後のチャンスをくれてやろうと囁いた。
「もう一度だけ言ってやる。すぐにそれを返せ」
「ど~しよっかなぁ~♪」
決めた。こいつはぶっ飛ばす。
「あなたは自分がやったことがわかっているのか?」
「だから、没収しただけじゃない。生意気なクソガキ共のファイルとそのいとこのおまぬけお姉さんの帽子と携帯を。……やっぱり個人情報満載だったのね」
おほほ、とそいつは鬼の首を獲ったかのように高笑いをした。厭味ったらしい、神経を逆なでる高音が静まり返った旧校舎に響く。
忘れるはずもない。校門の前で出会った、あのむかつくヒスババアだ。
「こんなものをいとことはいえ外部の人間に渡そうとするだなんて……退学処分でもいいんじゃないかしら? あなたたちがいなくなると思うと、笑いが止まらないわ。これでようやく、楽しい学校生活が送れるんですもの」
「あ? 学校から消えるのはてめえだろ?」
「あら、どうして?」
「とぼけんじゃねえよ。ここら一帯の窃盗事件、全部お前の仕業だろうが」
オレの言葉を聞いた瞬間、ヒスババアの顔がぴしりと固まった。まるで石膏の像のように表情が消える。そして瞬きを一回するだけの時間がたったのち、口を歪ませ、眉間に皺をよらせて般若のような顔になる。怒っているのだろうが、むしろ滑稽さが目立って笑わないようにするのに必死になるな。
「……証拠は?」
「あ?」
「証拠っつってんだよ!! あたしがやったって証拠見せなさいよ!!」
「オレのキャスケット盗んどいてしらばっくれんじゃねえッ!」
奴の右手のキャスケットが証拠だ。それだけで豚箱行き、いいや、地獄行きの片道切符を発行するのに十分だ。あいつはこのオレの触れてはいけないものに触れてしまったのだから。
「証拠がないのに罪になるわけないでしょ!」
「その発言自体が認めているようなものなのですが」
「黙れクソガキッ!」
ヒスババアがヒステリーを起こした。顔がたいそう面白いことになっている。おまけに顔面全体がプルプル震えていて、ふしゅー、ふしゅーと息が漏れている。
「だいたいなんで盗んじゃいけないの!? あたしの気に喰わないのにどうして存在しているの!? いいじゃない!! あんなガラクタ後生大事に持っているほうがおかしいのよ!」
「黙れ」
「前から気に食わなかったわ! ガキの癖に無駄に正義の味方ぶっちゃってさぁ! 偽善者がのうのうと息してるんじゃねえよッ!」
「黙れって言ってんだろうがぁぁぁッ!」
「あんたには関係ないことでしょッ!」
「オレはッ! てめーのそのニシンの缶詰みてーな腐りきった性根が気に食わねえッ! 腐肉をドブで煮詰めて炎天下に晒したかのような吐き気を催すッ! その時点で関係ねーわけねえんだよぉぉぉ!」
殴ろう。思いっきり殴ろう。助走をつけて殴ろう。全力を込めて殴ろう。
す、とオレは一歩踏み出した。
が、哲也はそのオレの前に手を出して動きを止めた。
「智美、やったな?」
「うん、ばっちり」
夕日に照らされた智美がポケットから何かを取り出した。
黒く細長い、手の中に収まるかおさまらないかくらいの物。その先端部分を押すと、ピッと音がしてともっていた小さな赤いランプが消える。その音がやけに大きく響いた。
「今の会話、全部録音させてもらいました。警察に出せば一発でしょうね。いや、愉快です。あなたがいなくなると思うと笑いが止まりません。これでようやく、楽しい学校生活を送れそうです」
智美が持っているのはおそらくレコーダーだろう。こいつら、いつの間にこんなものを用意していたんだ?
「……はぁ?」
「わかりませんか? いなくなるのはあなたのほうだって言っているんですよ」
「ふぅ~ん? へぇ? どうして?」
「だからこれを提出すれば──!」
「させないわよ。それをよこしなさい。私が言ってるのよ。さぁ、早く」
一瞬の沈黙。哲也も智美も、もうこいつとまともに話すのは無駄だと感じたのだろう。実際オレだってそう思っている。哲也が邪魔してなけりゃ、さっさと顔面殴って帰っているところだ。
だが──いつの間にか、智美の手にあったはずのレコーダーがヒスババアの手の中にあった。
「なっ──!?」
「うふふ、いい子ね」
ヒスババアはそれを思い切り踏み潰す。がしゃっと小気味の良い音がしてそれが砕け散った。小さな破片がオレの足元まで飛んでくる。
「何、今の!?」
「さぁね♪」
「うろたえるんじゃねえ!」
おそらく、あれがやつのトリアル。見たところ、物を一瞬で動かす能力ってところか? いや、そう決めつけるのはまだ早い。常識でトリアルは測れないんだ。まだなにかあると思って行動したほうがいい。
「私、これでも結構忙しいの。またね」
「逃がすな、追うぞ!」
言うや否や、ヒスババアは反対のドアから走り去っていく。当然オレたちも後を追った。階段を駆け下り、廊下を走り抜け、また階段を駆け下りる。むかつくことに、あのババアがそこそこ若いってのは嘘じゃないらしい。意外なほどのスピードで逃げ去っていく。盗人は逃げ足が命ってか。ふざけるな。
「いいか、多少怪我させても問題ねえ! 絶対にひっ捕らえるぞ!」
「でも、職員室とかに逃げ込まれたら……!」
「そうなる前に捕まえんだよ!」
「それより、前!」
今まで盗んだ品だろうか。いつの間にやら長いネックレスが階段のところに張り巡らされている。通れないことはないが非常に邪魔だ。気を利かせた哲也が体当たりをぶちかます。いくら何重にもなって塞いでいたとはいえ、健康な男子学生の体当たりを受け止めるほどネックレスが頑丈なわけはない。おそらく世界でトップクラスのお値段を誇る防壁は無残にも崩れ去る。
哲也は少し体を打ったようだが行動に支障はない。智美もオレの美しい肌にも一切傷はない。
もしかして、ヒスババアはあれで罠を張ったつもりだったのだろうか。わけのわからないことしやがって。非常に腹が立つ。
「あいつ、どこいった!?」
「あそこ!」
息を切らしたのか、ヒスババアが一階の渡り廊下のところで立ち止まっている。ちょうど資材が置かれて周りからは見にくくなっているところだ。上には渡り廊下があるから上から目撃されることもない。ぶっとばすには最高のポジションだ。
「観念しろ!」
「あら、もう追いついちゃったの」
オレたちがそこへ着くと、ヒスババアはじり、と一歩下がった。息がずいぶん上がっていて、もう走れそうにはないだろう。ちょっとずつ後退はしているが、生憎そっちはただの壁。つまり、追い詰めた。
「まずオレのキャスケットを返せ。話はそれからだ」
「うふふ、いいわよ」
「っと」
意外にも素直にキャスケットを投げて返してくれた。が、相変わらずむかつく笑顔を浮かべてやがる。
「さっきのはなんですか」
「うふふ、知りたい? どうしようかなぁ」
「いいから吐け。あなたに選択の自由はない」
「もう、先生にそんな言葉を使っちゃダメでしょ? でもまぁ、かわいい生徒なんだし特別に教えてあげるわ──冥途の土産として」
「は?」
「先生ね、異能力者なの。トリアルって言うんだけどね。今までの盗みは全部これでやっていたのよ。すごいでしょ?」
「何をバカなことを。気が狂れたのか?」
「そう思うでしょ? だから、今から見せてあげる」
ヒスババアがにたりと口を歪める。胸元のネックレスが怪しく輝いた。
──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。
「これがあたしの能力!」
繰り返し、言い換えて、再び断言する。
「紛失頸飾! 《クレクレネックレス》!」
なにを──と言う前に異変に気付いた。いや、異音というべきか。
上方から変な音がしたんだ。最初にチリン、とコインを落としたかのような音。その次にパラパラとなにかが降ってくる音。やけにゆっくり感じたけど、それはほとんど一瞬だった。
「上の廊下、が崩れて──!」
「あはははは! 死んじゃえばいいのよ! あたしの秘密を知ったやつも、あたしに逆らうやつも、あたしの気に食わないやつも!」
スローモーションのようにでっかい死の塊が上から降ってくる。あれが直撃したら間違いなく頭がつぶれて即死だろう。不思議なことに、ひび割れた破片とかが落ちてくるんじゃなくて、本当に廊下そのものがそっくりそのまま落ちてきたんだ。
突然のことだったのでよけることなんてできはしない。絶望に染まった顔の智美を覆いかぶさるようにして哲也がかばう。
だが悲しいかな、その程度では二人仲良くあの世行きになるのがいいところだろう。それほどまでに、現実は非常だ。
──だけど、オレはそんな現実を認めない。
「いいぞ、哲也。そのままかばっとけ」
にぃっと笑って拳を構える。なにを、と言ったのは哲也かヒスババアか。もはやそんなことどうでもいい。オレの頭にはキャスケットがある。せっかく再会できた相棒とこんなところで別れるわけにはいかない。
──世界がしん、と静まり返り、一瞬が永遠になる。
「──これがオレの能力!」
繰り返し、言い換えて、再び断言する。
「拳撃必殺ッ! 《ライクライクストライク》!」
轟音。破壊。衝撃。
降りかかる全てを、拳の一撃でぶっ壊した。
もうもうと立ち込める砂煙の中に、拳を突き上げた状態で立っているオレ。口をあんぐりしているヒスババア。うん、実に爽快でカッコいい。やっぱりオレの能力は最高だ。最高にカッコいい。
「あ、あなたまさか……!?」
「トリアルがおまえだけしかいないと思っていたのか?」
ぎりっと、今度こそ本当にヒスババアが歯を鳴らした。睨み殺さんとばかりの形相をしているが、生憎そんなものアカツキに比べれば屁でもない。
「ゆ、優奈さん……!? い、今の……!?」
「おまえらは離れておけ。オレの仕事だ。近づくやつは追い返せ」
「探偵じゃなかったのか……。智美、よくわからないが俺達がいたら邪魔になる。とりあえず言うとおりにするぞ」
二人が離れたのを見計らってヒスババアと対面する。見たところあいつ自身に直接の戦闘能力はない。おまけに、あいつのトリアルもなんとなくだがわかった。
「おまえのトリアル、まんま物を盗む能力だな。ほんっと、性格がそのまま表れたかのような能力だよ。ちったぁひねりでもいれろよな。あ、でもそのまますぎて逆に意外か?」
「……」
「さっきのは渡り廊下の資材を抜いて──盗んで落としたってところだろ?」
「黙れッ! 《クレクレネックレス》!」
ヒスババアの胸元のネックレスが怪しく輝き、どこからか同じデザインのネックレスが伸びてくる。細いチェーンがさながら生き物のようにうねうねと動き、オレの足首へと巻き付いた。そのまま建築資材にがっちりと固定される。足は一歩も動かない。
「あは、あははははは! バカねえ! あたしの能力が盗むだけなんて馬鹿な勘違いしちゃってさぁ……! いい、教えてあげる。私の能力は、『ネックレスを自在に操る』ことと、『ネックレスを中心とした能力の有効射程内にあるものを盗む』こと! あなたが自分の能力にどれだけ自信があるのか知らないけど、そんなことになるなんて飛んだうぬぼれだったようね!」
「そんなこと? これがどうしたってんだ?」
「強がり言ってんじゃねえよ! 足が動かないのに何ができるってんだよ!」
「手が動くぜ? それも両方とも」
「ネックレスを引きちぎるつもり? 言っとくけどそれは無理よ。妨害においてきたのは強度をわざと弱くしてあったから。あれはね、ただの時間稼ぎのためだけにあったのよ。こっちのはそれの数百倍の強度があるから……《クレクレネックレス》!」
金属バットが虚空から忽然と浮き出てきてヒスババアの手の中に収まる。たぶん、野球部の部室あたりから能力で盗んだのだろう。勝ち誇ったように、一歩、二歩とこちらへと向かってくる。──哲也が鉄パイプを持って割り込んで入ろうとしたが、目でやめておけと伝えた。
パシッと何かを受け止める音が響く。
「くそ……っ! なんなんだこいつは……!」
「もう、先生にそんなもの向けちゃダメじゃない。……今のは正当な理由よね。まさか、模範生のあなたがそんなことしてくるなんて思わなかったわぁ」
オレが目を向けたすぐ後には哲也が持っていたはずの鉄パイプがヒスババアの手元に移っていた。なにがおかしいのか、ヒスババアは実にヒスらしい耳障りな甲高い声でウフフと笑う。金属バットと鉄パイプをもって笑うさまは気味が悪いのを通り越して純粋に気持ち悪い。
「あたしも優しいから、バットの一発だけで済ませるようにしとくわね。たぶん、この惨状なら崩落事故で頭を打ったってことになると思うわ」
「ほお。なら、オレもいいことを教えてやるよ」
「なにかしら?」
「一つ、日本の警察を甘く見るな。そんな嘘すぐにばれる。一つ、自分の能力をペラペラと相手に喋るな。そんなのはドラマの三流の悪役がすることだ。そして最後に、これが一番大事なんだが──」
「……」
「オレの能力を見くびるな──《ライクライクストライク》!」
能力を発動し、デコピンで足首に絡みついていたネックレスを吹っ飛ばす。無残にも砕け散ったネックレスは空気に溶け込むように掻き消えていった。
「ほら、もう自由だ」
「嘘でしょ……!? 一本で大岩を吊り上げられる耐久性があるのよ……!?」
「しるかそんなもん! 《ライクライクストライク》!」
唸りを上げて必殺の拳がヒスババアに迫る。それはわずかにヒスババアの頬をかすめ、金属バットをひしゃげた何かへと変えさせた。かぁんと気持ちの良い青春の音が夕焼けに照らされた旧校舎に響き、特大のホームランが窓ガラスを突き破る。ただし、突き破ったのはボールじゃなくてバットのほうだ。
そして息を吸わせる暇も与えずに鉄パイプも殴りつける。こちらは吹っ飛ぶことなくその場で木っ端微塵になった。奴の手にはガキだって見向きもしないただの鉄クズだけが残る。
「なっ……化け物!? 《クレクレネックレス》!」
「能力だよ、失礼な。《ライクライクストライク》!」
性懲りもなく伸ばしてきたネックレスを全部弾き飛ばす。大岩の重さに耐えられたところでオレの素晴らしい能力に耐えられるはずがない。なんたって必殺の一撃をお見舞いする能力なのだ。オレにかかれば、この旧校舎だってあっという間に解体できる。
右斜めから伸びて来るネックレスは右手で払う。正面から来るのは正拳で。足元を狙ってくるのにはローキックをお見舞いする。後ろから回り込んできたのは俺の可愛いお尻で小突いてやった。
どれも脆くて小さくて壊しがいがない。ちょっと当てただけで粉々に破裂して破片が虚空に掻き消えていく。ああ、なんて味気ない。もっとこう、でっかいものをスカッとぶっ壊したいものだよなぁ。正直言ってあくびが出る。
何本も何本もネックレスをぶち破っていくと、だんだんとヒスババアの顔が青ざめてきやがった。みっともなく喚き散らしながら後ずさり、ひゅーひゅーと呼吸音はおかしなことになってきている。ヒステリー特有の変な呼吸だ。過呼吸の一種かね?
「《クレクレネックレス》ッ! 《クレクレネックレス》ッ!」
「いや、効かねえって。お前の能力、オレと相性最悪だな」
バチンバチンとネックレスが粉砕される音が響く。
いい加減ネックレスを壊すのも飽きてきた。どうやらこいつは一度にたくさんのネックレスを生成することは出来ないらしい。長さや操作精度はそこそこのものがあるけれど、本数が少ないから対処は楽だ。能力の修練を怠っていたのか? キャップ野郎と比べるとトリアルとしての実力がめちゃくちゃ低い。ぬる過ぎる。いや、もしかしたらキャップ野郎が強かったって線もあるな。
「なんでよぉ……! どうして効かないのよぉ……!」
「能力も考え方も、根本的にオレとお前は相性が悪ぃんだよ」
今度は泣き出しやがった。これだからこの手の輩は扱いに困る。オレはただぶん殴りたいだけだというのに。これじゃまるでオレがいじめっこみたいじゃないか。
「え……どういうこと?」
「たぶんだけど……あのくそ婆は問答無用で物を盗むことができる。対して、優奈さんは怪力──いや、物を粉々にすることができるんだ。そして、あの婆のアドバンテージはさっきの俺みたいに武器を持った相手を簡単に無力化できること。でも……」
「優奈さんは体そのものが武器だから盗めない!」
「ついでに、ネックレスで拘束しようにも片っ端から粉々にされる。──対抗手段がまるでないんだ」
実にナイスな解説だ。全く持ってその通り。トリアルの戦闘なんて初めて見ただろうに、つくづくこいつの観察力や頭の回転には舌を巻かされる。
まぁ、相手がキャップ野郎なら、出てきたブーメランを片っ端から盗めばそこそこ闘えたんだろうな。キャップ野郎自身の戦闘能力はなかったし。ただ、オレの場合オレ自身が中心となって能力を発動するから、盗もうったって碌なものを盗めない。ネックレス程度の貧弱な拘束では抑えきれない。つーかそもそも、元から戦闘には向かない能力なんだよ。応用の幅も全然ねえし。
だいたいなんだよネックレスを自在に操るって。何がしたいんだ。すこぶるダサい。ネーミングセンスも最悪だ。やっぱオレみたいな出来た人間じゃないと強力でカッコいい名前の能力は発現しないのかね。
「優奈さん……すごい」
「何者なんだ……?」
「ごく普通の素敵すぎる女子高生さ」
後ろのギャラリー二人にかっこよく答えてやる。やべ、今のオレ最高に決まっている。おまえらもこのオレの勇姿を目に焼き付けて、オレみたいな健全な大人になってくれ。高校入ってグレたりとか変に目立とうとなんかしないでくれよ。
「……隙あり! 《クレクレネックレス》!」
「オレからはなにも盗め……ってなにやってんだコラァ!」
「誰が物しか盗めないっていったかしら!?」
一瞬のことだった。どうせもうなにもできないと思っていたオレは奴に能力の発動を許してしまう。奴の腕の中には智美がいた──盗まれた。
「え、な、なに!?」
「動くな! 首掻っ切るわよ!」
「ひぅ」
いつの間にか片手に持っていたナイフを智美の首に突きつける。目は据わっていて、およそ正常な状態とは思えない。間違いない。ヒスババアは今ヒステリーを起こしている。
「そうよ、最初からこうすればよかったのよ。あたしに逆らう時点で生きている価値なんてないじゃない。あたしは選ばれた人間なの。だから神様はあたしにこのチカラを授けてくれたの。だからあたしは盗むの。そうよ、これは間違っていないのよ。だってそうでしょ? これは選ばれたあたしだけのチカラなんだから。いいえ、使っちゃいけないどころか、使わないほうが罪なのよ。この世のすべてはあたしのものなのよ。だから盗んでいいのよ。盗まなきゃいけないのよ。なのに、周りのゴミはいつも言うの。盗むのはよくないことだって。おかしいでしょ? この世にある全てのものはあたしのもなのに。あたしに盗まれるためだけに存在しているのに。なのに、証拠もないのにあたしが盗んだって決めつけて。盗んだのは本当だけど、あたしのは盗みじゃないのに。いいえ、あたしに盗まれて光栄に思わなきゃいけないのに。みんなみんな、愚かで馬鹿で猿以下のミジンコのカスなんだから。いいじゃない、盗むことの何が悪いのよ。盗まれるほうが悪いに決まっているんだから。なのにみんなみんな、あたしのことをバカにしてさぁ。人の心がわからないとか言っちゃってさぁ。バカじゃないの? あたしがもっていない物を持っているほうがいけないのよ。そんなの不公平だし不条理でしょ? 選ばれたあたしが持ってないものを愚民共が持っていいはずがないでしょ? 本当ならあのカス共のほうから傅いて、跪いてあたしに献上しなきゃいけないものなのよ。それをあたしがわざわざ盗んであげているんだから崇め称えて泣きながら感謝しなくちゃいけないのよ。だいたい大切なものってなによ。大切ならなおさらあたしに渡さなきゃいけないはずでしょうよ。あたしを差し置いてそんな幸せ許されるはずがないじゃない。そうよ、みんなみんな大切なものを持っていて、どうしてあたしにはそれがないの? 選ばれた存在のあたしにどうして何もないの? どうして? ねえどうして? 答えて! 答えてよ! 答えなさいよ! 答えろ……答えろよぉぉぉッ!」
「どうすんだ優奈さんッ! このままじゃ智美が!」
ナイフの切っ先がプルプル震え、ピタピタと智美の首筋にあたっている。もはやヒスなのか錯乱なのかわからない。キンキンの高い声で非常に聞き取りづらく、存在そのものが耳障りだ。オレの耳を汚したことは地獄送りでも許されることではない。
「くれ! よこせ! 全部! なにもかも! 《クレクレネックレス》! 《クレクレネックレス》! 《クレクレネックレス》ゥゥゥゥッ!」
完全に正気を失ったらしいヒスババアが手当たり次第に能力を発動していく。鉄骨や机、椅子なんかがつぎつぎにあいつの周囲に召喚され、そのたびにどこか遠くでなにか物音がした。
「うわっ!?」
向こうのほうから大きな物音。どうやら芯材を盗まれたせいで旧校舎の一部が崩落したらしい。
「どうするもこうするも……あいつを止めるしかねえだろ!」
「できるのか!? このまま突っ込めばあいつは間違いなく智美を殺す! 仮に近づけたとしても優奈さんじゃあいつを……殺してしまうかもしれない!」
「だからどうした! 言って聞かねえクズは死んでもしょうがねえ! 人質取った時点であいつは殺されても文句は言えねえんだよ!」
ぐっと哲也が言葉に詰まった。それを見て、少しうれしくもあり悲しくも感じる。やっぱりこいつは、根っからの『まじめで誠実な人間』なのだろう。
だが、この演目の登場人物は『クソみてえな外道を息するように行えるクズ』だ。そしてそれにふさわしい役者は──おいしいところで登場する。
「そうだ。よく言った。それこそが俺達の仕事だからな。クズがどうなろうとしったこっちゃねえ」
低い声。オレの後ろを漆黒の疾風が吹いた。
あ、と哲也が声を上げた時にはそれはヒスババアの顔面を思い切り殴り飛ばし、智美を抱きかかえる。そして、顔面を抑えてうずくまるヒスババアの腹に容赦なく蹴りを入れた。
「クズが俺の手を煩わせんじゃねえよ。社会の癌のヒスババアの分際で」
びくっと哲也が眼を開くのを知ってか知らないでか、ついでと言わんばかりにナイフを持っていた手首を踏みつける。ごきゃっと変な音がし、ヒスババアの右手が明後日の方向へこんにちわをした。
「ひっ!」
「おう、ケガはねえな」
「うぅー……っ! ひぃー……っ!」
そこはケガはないか、じゃないだろうかと思ったが──アカツキにそんな論理は通用しない。
助けられたはずの智美はほかでもない助けてくれたはずのアカツキにビビっている。おまけに人質になってたヒロイン奪還という感動のシーンのはずなのに、BGMはヒスババアのくぐもった嗚咽だ。悲鳴を上げたくてもうまく上げられないのだろう。腹を蹴られたせいで呼吸が上手くできていないから、まともに声を出すことだって難しいはずだ。
「……あ?」
いやまて、アカツキは悲鳴を上げられないように、あえて腹を蹴ったんじゃないか? うん、それだな。むしろそうとしか考えられない。あの動きを見る限り、智美を助け出すだけならあんなにボコボコにする必要はなかったはずだ。
やっぱりこいつは、最高最悪のゲスだ。
「ったく、戦闘能力のなさそうなトリアルだから任せてみれば、人質は取られるわ周りをぶっ壊しまくるわ、てめえ本当何考えてんだ」
「いや、ぶっ壊したのは全部こいつの仕業だぜ? つーか今、能力使った?」
「あ? この程度に使う必要もねえよ。……あー、校舎は中を盗んで壊したのか」
「そうそう、全部こいつが悪い。オレは一発ぶん殴って穏便に終わらせるつもりだったんだぜ。実際弱かったし、終始圧倒していた。なのにあのヒスババア、ヒス起こしやがってこの様だ。校舎ぶっ壊すとか何考えてるんだろうな」
アカツキはヒスババアの胸ぐらをつかみ、もう一度顔面を殴った。本当に容赦がない。ただ、幸いにしてヒスババアはそれでいくらか落ち着くことが出来たらしい。その瞳は見るからに怯えている。ざまあみろ。
「おら、吐け。残りの盗品はどこだ。もう調べはついてんだ」
「いやぁぁぁっ! 変態! 痴漢! 強姦魔! 助けて! 誰か助けて! レイプされる!」
「うるせえ。黙れ」
アカツキはもう一度ヒスババアの顔面をグーで殴った。ありゃ痛そうだ。バキッて変な音がして、眼鏡と白い何かと赤い液体が飛び散る。白いのは前歯だな、うん。
「アカツキ、お前こいつが犯人だってわかってたのか?」
「ああ、昨日聞き込みしたときに聞いたがめついヒスババアってのがこいつだったんだ。調べたらここの教師もやってるときた。ついでに、事件発生エリアのほぼ中心にこいつの自宅がある。今日ちょっとお邪魔したら、それっぽい盗品がわんさかあったよ」
ほれ、と言ってアカツキが小箱を哲也たちに投げ渡した。哲也がそれを受け取り、中を確認する。
「婆ちゃんのお守り……!」
「私のストラップもある!」
「よかったな。とりあえず協力した分の報酬は渡したぞ。というか、お前らも自分たちの会話が盗み聞きされていたことくらい気づけるようにしとけよ。このヒスババア、お前たちが初めて会った時にその場にいたんだぞ」
「……え? ずっと私たちを見張ってたってことですか?」
「そこまでは知らん。ヒスの考えてることなんてわかるわけねえだろうよ」
どうやらたまたま偶然、アカツキはオレたちが最初に会ったとき、そのすぐ近くを通りかかっていたらしい。そこでオレ達の会話を盗み聞きしているヒスババアを見かけ、ちょうどいいと思ってあえて捕らえず、泳がせてオレ達の会話を聞かせたそうだ。
「ってことはなんだ? ヒスババアはあの段階でオレ達に目をつけてたってのか? でもってアカツキは最初の喫茶店の段階でほぼ犯人がわかっていたのか?」
「ああ。まったく運が良かったよ。あとは裏付けをして終わりってところまでいってたんだ。ただ、こいつもどこかで接触してくるだろうし、せっかくだからお前の初仕事のお膳立てしてやったんだよ。戦闘能力のないトリアルで素性もわかっている。撒き餌も撒いたし一般人のいる前でこいつは能力をおおっぴらに使わないだろうとも思った。捕まえられればそれでよし、そうでなくともお前が逃がしたのを俺が取り押さえりゃ終わりだ。それだけの仕事のはずだったんだ。だというのに……」
アカツキがぐるりとまわりを見渡す。瓦礫や割れた窓ガラスであたりは散らかっていて、とても穏便に物事が済んだとは言い難い。それどころか、下手したら──いや、下手しなくてもニュースになるだろう。間違いなく大事だ。
「面倒な仕事を増やしやがって」
「やめて! 助けて! 犯される! 変態悪魔に犯される! 変態……っ! 変態……っ! 変態……っ! あああああああああっ!」
「よっ、変態悪魔。お望みどおりにしてやるのか?」
「こんなババア金を積まれたってお断りだ! さっさと正気に戻れ! 子供もいるのに教育に悪いだろうが!」
「あんたがそれを言うのか……」
またまたアカツキは顔面を張った。グーじゃないだけマシだろう。こいつは本当に容赦がない。ま、オレもそうすると思うけど。
「殴った!? 女の顔を殴った!? ねえなんなの!? そういう趣味なの!?」
「あ? いくら俺だって女の顔は殴らねえよ。ふざけた寝言は寝て言えよ」
「だって今──!」
「俺が殴ったのはクズ野郎の顔だ。女の顔なんて一回も殴っていない。それに、殴ったのは俺じゃなくて俺の皮手袋だ」
「ぶぼうぇェッ!?」
紛れもないクズだ。さすがアカツキ。しかも、話しながら一発腹に蹴りを入れている。ヒスババアがうずくまって嘔吐くところをみると、顔面を殴られたほうがまだましだと思えるな。
「おぼぇ……っ! うぇ……っ!」
なんかねたつく液体とか赤くて変な匂いがするのとか、ともかく口に出すのも憚れるいろいろなものをヒスババアはマーライオンした。非常にきちゃない。オレは清潔感のない人間は嫌いなんだ。
「よし、仮にお前を女だと仮定しよう。そうしたら俺はお前を殴れなくなるな。蹴りを入れるのだって心が痛む。こう見えても俺は繊細な心の持ち主なんだ」
「絶対うそ……」
ドン引きしている智美の反応こそが正常なんだろう。頼むから変なのに染まらないで欲しい。
アカツキはヒスババアの首根っこをつかみあげ、オレの前にぶら下げた。
「男に殴られるのは問題でも、女に殴られるのなら問題ないだろう。こんななりでも一応はこいつも女だ。優奈、思いっきり殴ってやれ」
「一言余計だぜ、アカツキ。だがその提案は悪くねえ!」
「あとわかっていると思うが、こいつは破壊の力を持つトリアルだ。……話は変わるが最近忙しくて花火を全然見てねえんだよな。俺は真っ赤な花火が大好きなんだ。優奈、お前も見たくないか? 実は赤い花火玉に心当たりがあるんだ。きれいかどうかはわからねえが」
アカツキの意図に気づき、見せつけるようにズタボロになった旧校舎の壁に拳を打ち付ける。もともと脆かったのもあったのか、一瞬にして蜘蛛の巣状のひびが入り、それは派手な音を出して瓦礫となって吹っ飛んで行った。この感覚、癖になりそうだ。
「あ……あなたたち、こんなことしでかしてタダで済むと思っているの!? 器物破損に暴行容疑で警察に捕まるわ! 死刑よ! 拷問たっぷりされた後に死刑よ!!」
「はっ! 法を守らなかった奴が法に守ってもらおうなんて調子いいことほざいてんじゃねーよ! 《ライクライク……」
「やめて! お願い! なんでも言うこと聞くから! 盗品の隠し場所教えるから!」
『何でも言うことを聞く』──その言葉を聴いた瞬間、アカツキは悪魔のようにニタリと口をゆがませて笑った。そして、その子供に見せちゃいけない笑顔のままで言葉をつむぐ。
「ああ、盗品の隠し場所だが、実はもう全部わかっているぞ。さっき吐けっていったの、あれ嘘な。お前を生かしておく理由なんて最初っからなかったんだよ」
「そ、そんな……! う、嘘、いや、いや、いやぁぁぁぁ! やめてぇぇぇぇ!」
ヒスババアが無様に騒ぎ立てるも、アカツキにがっしり抑えられて身動きなんて取れはしない。ぎゃあぎゃあと叫びながら顔中の穴という穴からいろんな液体を撒き散らし、必死こいて──それこそアカツキの手に噛み付こうとまでして足掻いたが、もちろんそんなの意味はない。
オレの拳が近づくにつれ、ヒスババアの眼はどんどんと大きく開かれていく。
「……ストライクッ!」
パァン、と夕焼け校舎に小気味のいい音が響き渡った。
「……味気ねぇ」
能力を使わないほうの全力で思いっきりヒスババアの顔面をぶん殴った。オレも被害者なんだし、これくらいの役得があってもいいだろう。残念だったのは、オレの拳が当たる前にヒスババアは気絶してしまったことか。不完全燃焼感が半端ない。
「畜生、手袋が汚れちまった。ホントこいつ迷惑しかかけねぇな」
アカツキが手を離す。どさりと音を立ててヒスババアが崩れ落ちた。口から血と泡を吹いており、顔面もパンパンに腫れていてたいそう見苦しい。いや、粉っぽい化粧と混じっているから見苦しいというか汚い。さっきより百倍汚い。
白眼を向きながらピクピク動いている様はまるでゾンビのようだ。この状態のままホラー映画に出演できるだろう。主演女優賞取れるんじゃねえか? 間違いなく全国のちびっこたちを恐怖のどん底に叩き落とすことができるだろうな。もしかしたらこっちのほうが化粧した顔よりもいい顔かもしれない。
「こ、殺しちゃったの……?」
「まさか。気絶してるだけ。こいつがどうなろうとどうでもいいけど、オレの手でやっちゃったら寝覚めが悪いじゃん。それに派手に手が汚れるし」
「……」
「それに盗品の場所わかったってのもあいつを絶望させるための嘘だろ? ほんっと性格悪ぃよなぁ」
「ま、そういうこった。もうわかってるだろうが、俺らの仕事はこういうクズをとっちめることなんだよ。優奈、後処理の方法を教えるからよく聞け。まず携帯から回収班にコールを送って……」
「……たぶん、そんな時間はないと思いますよ。ほら……」
哲也が呟いてオレ達の後方を指さす。
さすがに騒ぎが大きすぎたのか、どこか遠くから教師と思われるおっさんの怒鳴り声が聞こえる。いや、それはまだいい。問題なのは、明らかに部活中だったと思われる生徒たちがこっちを見ていることだ。まだ十数人くらいとはいえ、ごまかすのにはいくらか無理がある。
「チッ」
「こういう場合、どうすんだ?」
「……まとめて口ふう」
「ダメですそんなこと!」
「冗談だよ。おっかねえ顔すんな」
こいつの場合本当にやりかねないから怖ぇんだよ。
だが、このままってのはやっぱりまずい。はたから見ればオレ──というかアカツキは無抵抗の女教師をボコボコに殴っていた通り魔みたいなもんだ。警察が来ればまず間違いなくしょっ引かれることだろう。アカツキの能力がまだわかっていないのに警察においしいところを持ってかれるのはオレの本意に反する。できれば避けたい。
「おい、なんだよこれ!」
「やだ、あれヒスババアじゃん……」
「ガチでヤバくね? 誰か救急車呼んだほうがいいんじゃね?」
「やだよお前呼べよ」
ここで哲也がすっと前に出た。見知った顔だったからか、集まっていた連中の視線が哲也に集まる。
「哲、おまえなにかあったのか知ってんだろ? なぁ、その人たちはなんだ? ここで何があったんだ?」
「……詳しくは言えない。けど、この糞婆が例の窃盗事件の犯人だ」
マジかよ……とあたりが騒然としていく。誰も疑わないあたり、ヒスババアの人望のなさが伺える。
「この人たちは……俺の、親戚だ。たまたま俺たちがこいつが犯人だと知って襲われているところを助けてくれたんだ。ほら、ここにナイフがあるだろ? 智美はこれで首をやられかけた」
「ホントだ! 首ちょっとケガしてる! 大丈夫なの!?」
「う、うん。ちょっと切っちゃっただけ」
「じゃあよ、警察呼んで終わりか?」
「それについてなんだけど……」
ここで哲也が言葉を切った。
「『ここでは俺達はなにも見なかった』。『俺達は崩落事故現場を見ただけ』だ」
「え?」
「そういうことにしてほしい──そのほうが都合がいいんでしょう?」
「……ふん、ガキのくせに気が利いてるな。引き込んどいて正解だった」
アカツキがニタリと笑う。
だが、本当にこんなのを信じてくれるのか? 中学生だったらペラペラと余計なことを喋っちまうもんじゃないのか?
ところが俺の心配をよそに、集まった連中は一斉にうなずいた。
「おっけー。哲がそうしろってんならそうするよ。どうせそのヒスが悪いんだろ?」
「なんかのエージェント……? いや探偵かな? なんかかっけぇしわくわくするな!」
「ずりーよお前らだけ活躍してよぉ! 俺の出番も残しといてくれって!」
ははは、とみんなで仲良く笑っていた。こいつに人望があるって智美の話は本当だったらしい。だれもヒスババアのことなんて心配すらしていない。どんだけクズだったんだこいつ。
「よし、なら後処理はてめえらに任せてやる。いいか、絶対にバレるようなヘマはするな。無論、このことは誰にも言うなよ。もしバラしたら、そいつは地の果てまで追いかけて粛清する」
アカツキの目はいつだってマジだ。ガキどもはとたんにすくみ上った。
「いいか、哲也と男子はこいつをどこか人目につかないところへ隠しておけ。智美と他はここで何があったのかを聞いてくる連中を誤魔化せ。血は遊んでいた野良猫が巻き込まれたとでも言えばいい。あとでそういうことにさせる。とりあえずこの場さえしのげばそれでいい」
「隠した後は?」
「このマークをつけたやつがすぐにここらに回収しにくる。俺の名前を出せばわかってくれるはずだ。怪しまれないように友達か親子の振りでもして敷地内に入れろ。それだけでいい。念のため名刺を渡しておこう。それ見せりゃ一発だ」
懐から抜き出した名刺をアカツキは哲也にだけ渡した。皮手袋を変えていないもんだから真っ白な名刺に赤い色が少しついてしまっている。哲也は顔をしかめながらそれを受け取った。
「なぁ、オレらは?」
「わからねえか? 人が集まる前にとんずらするんだよ。本来なら、人にばれないように仕事はこなさにゃならねえ。こうならないように動くってことを忘れるな」
「あいあい」
オレとしてももうここには用はない。キャスケットも社員証も携帯だって取り返した。さっさともっと強いトリアルに会いに行きたい。
「優奈さん……行っちゃうんですか?」
「まぁな。仕事はこれだけじゃねえんだわ。まったく、人気者はつらいね」
「なぁ、この名刺って……」
「言いたいことはわかる。そうだな、休みに入って落ち着いたら遊びに来いよ。バイト代は弾むぜ?」
「なに勝手に決めてやがる。人事はおまえじゃねえだろうが」
「いーじゃねーか。十分役立ったし気も効く。人望だってあるし優秀だ」
「……まぁ、ガキなのに一晩で二百人分の詳細なデータを作ったのは褒めてやる。遊びに来るくらいならいいだろう。せいぜいこき使ってやるさ。たっぷり社会勉強させてやる」
「おまえホント素直じゃねえな」
こうしてオレの最初の仕事は終わりを告げた。
いまいち仕事をしたって気分にはなれなかったが、最初なんだからこんなものなんだろう。
それよりも、なかなか面倒見がいのある後輩と出会えたことが素直にうれしい。一人は生意気でかわいくないところもあるが、どうしてなかなか見どころがある。中学の時も高校の時も、こんな後輩はいなかったからな、オレには。
最後まで手を振って見送ってくれた智美とぶっさいくなツラをして「また会おう」っていった哲也の顔が瞼の裏に浮かぶ。
ダチを見つけるために旅をするってのも意外と悪くないのかもしれない。
夜の空気を切り裂いてかっ飛ばすバイクの上で、ふとそう思った。
紛失・失敬・頸飾