4 奇妙な窃盗事件
人生にはささやかな楽しみが必要だとオレは思う。
認めたくはねーが、この世の中にゃ楽しいことよりもつらいことのほうがわんさかある。思い通りにならないことのほうが多いし、理不尽なことをされることだってたくさんある。例え自分がどんなに気を付けていたとしても、それはそっちのほうから襲い掛かってきやがる。
だからこそ、日々のささやかな楽しみってのは重要なんだ。それさえあれば、こんなクソッタレな世の中でも少しは生きていこうと思える前向きな気分になれる。
つまり、あれだ。オレが何を言いたいかっていうと──
「から揚げとフライドポテト、そば(小)とカツ丼大盛り。それにサラダをつけてくれ。あ、オレンジジュースもな!」
「てめえの頭ん中にゃ遠慮って言葉はないのか?」
「あ? 経費で落ちんだろ? ならいいじゃねーか」
ぶつくさ言いながら財布を取り出すアカツキをよそにオレは空いてる席に座る。昼にはちょっと早いくらいの時間。オレ達はとある高速道路のサービスエリアにいた。
「おら、自分で頼んだもんくらい自分で運べや」
「堅いこと言うなって」
オレの前にどん、と置かれるご馳走の数々。ああ、やっぱ実物を前にするともう我慢ならない。なんたってしばらくぶりの飯なのだから。アカツキのやつは朝飯も取らずに延々とバイクをかっ飛ばしたものだから、朝から腹が減ってしょうがなかったんだ。よく考えてみりゃ、昨日の昼に食ったサンドイッチが最後に食ったものだもんな。
「んでよ、あとどんくらい移動すんだ? さすがにもう疲れてきたぜ」
「あと三十分もしないうちに現場には入れる。だが、今回は町全体が調査対象だからな。下手したら終わるまで数日かかるかもしれねえめんどくせえヤマだ」
そばをすすりながらアカツキは面倒くさそうに答えた。グラサン黒コートがそばをすするさまは見ていてシュールだ。周りをよく見てみると、いろんな奴がこっちをちらちら見ては目をそらす。屈強な肉体を持つ、プロレスで世界を取れそうなドカタのおっちゃんでさえどこかおどおどしている。
──ま、周りから見ればただの不審者だもんな。
「食いながらでいい、今回の事案の概要を話すから聞いとけ。お前の初仕事だ。しょっぱなとはいえ無様な失敗はするんじゃねえぞ」
「わぁってるって」
一足先に食い終えたアカツキがカバンから地図を取り出し机に広げた。この近くの街の地図だ。数か所に赤い印がついていて、それに日付も記載されている。一番古いのが半年前、一番新しいのは……三日前か?
「この赤いとこでなんかあったのか?」
「ああ、奇妙な窃盗事件が起きたんだ。それもどうやら単独犯らしい。盗られた場所や時間の正確なところがわからねえのもあるから、その印と日付はあくまで目安だがな」
最初に盗まれたのはとある宝飾店のジュエリーらしい。セキュリティがしっかり働いていたのにもかかわらず、翌朝出勤してきた社員が中に入ると、コーナーの一角まるまるすべて盗まれたそうだ。それも荒らされた跡一つなかったらしい。
次にやられたのは個人経営のブティック。こいつは白昼堂々と盗まれたそうで、店員がちょっと目を離した隙にごっそりと二十着近く盗られていったとのこと。
「たしかに妙だけどさ、普通の泥棒じゃねえの?」
「まぁ、それだけだったらそうだろうさ。だが、この話にゃ続きがある」
警察は当初普通の窃盗事件として捜査を進めていったらしい。ところがなかなか手がかりらしい手がかりは見つからず、それどころか同様の手口の事件が再び起こったそうだ。
「食料品、玩具、図書館の書籍、事務員の私物……ありとあらゆるものが忽然と消えてなくなった。個人が持ち歩いてたものも盗まれている。笑えるのは、こいつは小学校の全児童のリコーダーや体操服、幼稚園児が一生懸命作った粘土の作品まで盗んだってところだな。それも一つ二つじゃない。わかっているだけで四つの小学校と三つの中学校、六つの幼稚園が被害にあっている」
どんな変態だそりゃ。そんなもん盗んでいったい何に使うんだよ。いやま、変態が考えることなんて理解できないだろうけどさ。
「でもよ、どうしてそれが単独犯だってなったんだ? 同一犯がやったってのは手口的にわかったとしても、そんな大量の物を盗んだりしたってことは集団だろ?」
「そこだ。普通はそう思う。だが、犯行のほとんどは白昼堂々、人前で行われているんだよ。そんな大集団だったら間違いなくばれている。さらにだ」
「さらに?」
「町はずれの山の中で今まで盗まれたガラクタがまとまって発見された。リコーダーや体操服、玩具、書籍、失くしたと思われていた手帳、幼稚園児が作った一等賞のメダル……。なんで盗んだのかもなんで捨てたのかもわからねえが、捨てちまったら盗った意味がなくなる。集団でそんなバカしても利益がねえ。つまり、盗むことそのものを楽しんでる個人の線が強いってことだ」
「わけわかんねぇ……」
捨てるくらいなら盗まなきゃいいじゃねえか。なんか聞いていて腹が立ってくる話だな。とりあえず犯人がクズ野郎ってのは理解できたから、ぶん殴る理由は十分にできただろう。
「警察は匙を投げた状態だ。無理もない。手がかりも何もわからない霧のような正体不明な奴なんだからな。だが、そんな快楽窃盗者でも俺達ならある可能性を考慮することが出来る──臭わないか?」
「ああ、たしかにトリアル臭ぇ。そんなバカやるのは調子にのったトリアルくらいだ」
どんな能力かはいまいちわからねえが、なんらかのトリアル能力であることは予想ができる。大方調子に乗って能力で遊びたくなったってところだろ。盗んで遊んでるって仮説も現実味を帯びるな。
「この地図はサポートの連中が被害状況を纏めてくれたものだ。いくつかの例外を除けば、概ねこの街を中心に活動していることがわかる。俺らがやるのはこんなバカをやらかしたトリアルを見つけて拘束するのと、締め上げて残りの盗品のありかを吐き出させることだ」
「あいよ。派手に暴れてやるとすっか!」
最後にソフトクリームを強請ってからバイクへと向かう。オレはサービスエリアのソフトクリームには目がないんだよ。ぶつくさ言いながらもちゃんと買ってくれるあたり、アカツキにも人の心ってものがあるんだろう。自分の分もちゃっかり買っていたのは見なかったことにした。あいつにソフトクリームなんて似合わねえ。
「なぁ、最近ここらで起こっているっていう窃盗事件について教えてくれねえか?」
「え、あの、誰ですか?」
「なんだよアンタ。なんか用かよ」
学ランを着た中学生のガキが、セーラー服の女の子をかばうようにしてオレの目の前に立つ。最近のガキにしちゃ珍しく短く刈った髪で、ボタンも第一までしっかり止めている上に詰襟もきちんと止めていた。見るからに真面目なタイプだ。
キッと精一杯ガンを飛ばしているみたいだが、背伸びしてるって感じがひしひしと伝わってきてあくびが出そうになった。つーか、最近のガキは態度悪ぃな。なにもとって食おうってわけでもねーのに。
「だから窃盗事件のこと教えてくれっていってるんだよ。おまえらんとこの中学、やられたんだろ?」
「仮に知っていたとしても見ず知らずの不審者に教えるほどバカじゃない」
「こ、こら! ……すみません、でも私たちも全然知らないんです」
「そっか」
女の子のほうは至って普通のセーラー服姿だ。前に立つガキと違うのは、そこまでかっちりと制服を着ているわけではないことだろう。スカート丈は校則の範囲内だろうけど、いい意味で活動的な印象を受ける。
あれからオレ達は二手に分かれて調査することにしたんだ。アカツキは近隣住民や被害店舗からの聞き込み、オレは被害を受けた学校の生徒からの聞き込みだ。学校帰りのを適当に捕まえて調査して、時間になったら集合することになっている。アカツキがこっちにいないのは、校門前で張り込みしていると不審者として通報されるからだ。
「でもよ、本当になんでもいいから変わったこととかなかったか? 見慣れない人がいただとか、変な車が止まっていたとか……オレ今仕事でその調査してるんだよ」
「お仕事?」
「そんなわけないだろ。本当に仕事しているのならそんなことペラペラ話すはずがない。第一、こんな格好でこんな歳で仕事? ごっこ遊びの間違いだろ」
このガキ、さっきから人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって……! ふんぞり返る姿はアカツキそっくりだ。すっげーぶん殴りたい。
「す、すみません! いつもはこんなんじゃないんです! ただ、大切なものを盗まれたので気が立っているだけなんです!」
女の子のほうはまともみたいだ。それを見ると猛っていた心もだいぶ落ち着いてくる。一応年上だし、この子に免じてここは引き下がってやろう。オレの寛大さに感謝しろよ、ガキ。
「……あ? 大切なもの? ここの中学は裁縫道具が盗まれたんじゃなかったのか?」
「確かにそうなんですけど、何人かはそれ以外にも無くなったものがあったんです。警察の人は信じてくれませんでしたけど……」
「おい、部外者に喋ったら……」
「その話詳しく」
おいおい、こりゃもしかして最初っからあたりを引いちまったか? 他とは違うってことは、それだけで手がかりになるじゃねーか。やっぱ日頃の行いがいいと運も回ってくるのかね。
「彼──哲也はお婆ちゃんから作ってもらったお守りを盗られました」
「お守り?」
「……婆ちゃんが作った袋。中身は普通だけど。形見だから、代えはない」
「おま、そりゃ……」
むっすりとした顔で観念したように哲也が答えた。形見を盗られたってんならだれだって気が立つものだろう。刺々しいむかつく態度にも理由があったってことだ。よし、理由があるのなら許してやろう。オレは寛大なんだ。
「私も大事にしていたストラップがなくなっていました。最初は落としたのかなって思ったんですけど、落とさないようにしっかり固定してましたし、なによりなくなった時期が一緒だったので」
「そりゃクロだな」
快楽窃盗者は今のところ同じものを大量に盗んでいる。だというのに今回に限ってピンポイントにこいつらの大切なものを一緒に盗んでいくか? いいや、普通は盗まない。つまり、この場合こいつらのものを盗むカモフラージュとして別の物を盗んだんじゃないか?
「なぁ、念のために聞くが、おまえら自身がよく思われてなくてその……いじめとして盗まれたって可能性はないよな?」
「そんなことあるはずがありません! 哲也はみんなのまとめ役で、嫌な先生から理不尽な目に合わされれているクラスメイトをかばったり、押し付けられた無茶苦茶な難題を一緒に対処したりしています。みんなのために職員室に怒鳴り込みにいったことだってあるんですから! クラスの誰からも哲也は慕われています!」
「おまえ……やるなぁ!」
「別に。人として普通のことをしただけだ。俺がすごいんじゃなくて連中がクズなだけだ」
それでも中学生でそこまでできるのはすごいことだろう。ほとんどの連中にはそんな正義感もなければ行動力もないはずだ。なんだかんだいって、こいつはオレと似ているところが少なからずある。やっべぇ、なんか楽しくなってきた。
「なぁ、おまえら。……本気でこの事件、解決してみたくないか?」
「何言ってる。警察に任せればいいだろ。部外者が余計な首を突っ込む必要はない」
「その警察はもう半年以上も捕まえられてねえぜ?」
「……」
「ぶっちゃけるとな、オレは今の段階でこの学校の関係者が犯人じゃねーかって思っているんだ。ついでに言えば、犯人の手口もある程度予想がついている」
「本当ですか!?」
「ああ。……そのお守り、まだ見つかってないんだろ? 一緒に取り返そうぜ。こう見えてもオレはプロなんだ」
哲也の瞳が揺らいだ。きっとこいつの心の天秤には今、二つの重りが乗っていることだろう。一つは犯人を捕まえてお守りを取り返したいと思う心。もう一つは現時点で不審者であるオレに従わずに模範的な行動をとらねばという正義感だ。
だが、オレにはわかる。こいつがどんな選択をするのか。
「…………話をするくらいなら、協力してやる」
「おっしゃ。じゃ、立ち話もなんだし喫茶店にでも行こうぜ」
「ほら、オレの奢りだ、好きなもん頼んでいいぞ!」
「ほ、本当に……?」
「ああ、腹いっぱい食っちまえ!」
女の子──智美はメニューを開いて目を輝かせた。色とりどりのケーキだのなんだのが一面に華々しく載っている。どれも見るからにうまそうだ。ちょうど今人気アニメとタイアップした商品が出ていて、注文するとなにやらおまけが貰えるらしい。
「本当に、いいんですか……?」
「お、お前が敬語を使うたぁ珍しいな!」
哲也がそうなってしまうのも無理はない。ここは中学生には絶対に手が届かないほど値段設定がアレなことになっているからだ。高校生のオレでも正直キツイ。大人だって週にそう何度も通うことは難しいだろう。質はいいが、その分お値段もばっちりな店だ。
「じゃ、じゃあこの『恋盗賊のチェリークラフティー』で」
「『夢見る魔法使いのショートケーキ』、お願いします」
「オレは『ときめく獣使いのベリータルト』な! あと紅茶三人分!」
こういう所は二人とも年相応なのか、でかでかと書かれていたいかにもおススメなやつを頼む。中学生にゃとても買えないお値段のものだ。こういう機会でもないと食べられないからだろう。もちろん、オレもそうなので余裕を見せつけるようにそれを頼む。
実をいうとオレも無一文なのだが、そこらへんは心配していない。ここはDWCの系列だから、特別活動課の社員証を見せるだけで支払いが会社に行くことになっている。おまけに三割引きだっていうから驚きだ。さらに言えばこれも調査費として経費で落ちることになっている。最高だね。
「じゃ、話をまとめるか」
哲也と智美の話でわかったことがいくつか。
こいつらの学校では二年生全員の裁縫道具が盗まれたが、一週間後に近くのゴミ捨て場に全員分が捨てられているのが発見された。表向きはそれだけの事件だ。
だがこいつらを始めとする何人かが同時期に何か大切なものを失くしている。お守り、ストラップ、種類は多岐にわたるがそのどれもが個人的に大切なものだったらしい。言い方を変えれば、ほかの人から見ればガラクタ同然だったというわけだ。
「それはおまえらのクラスだけか?」
「いえ、二年のクラスは多かれ少なかれ、どこもそうだったみたいです。私も本格的に調査したわけではないですけど。ただ、ほかの学年からはそんな話は聞いていません」
「ふぅむ。となるとやっぱその学年になにかありそうだな」
「だが別に変ったところなんてなにもない。あの日もいつもと変わらない日だった。本当に突然、みんなの裁縫道具がなくなっていたんだ」
運ばれてきたものを食べながらオレ達は話し合う。実際に事が始まると、智美よりむしろ哲也のほうが協力的だったのはうれしい誤算だ。
「俺はあのお守りはいつも肌身離さず持っていた。落とすなんてことは絶対にありえない。それこそ噂の泥棒が一緒に盗んだとしか考えられないんだ」
トリアルならそれが可能だ。だが今はこいつらにトリアルについて話すべきじゃないだろう。積極的に隠せとは言われていないが、話していいとも言われていない。知らなくていいことは教えるべきじゃねえな。
カランカラン
「優奈てめえなに勝手なことしてやがる」
「ひっ!」
がたっと智美が後ずさり、哲也は瞬間的に腰を浮かせた。悪くない判断だ。
そうした理由は実に明瞭。入口からサングラスをかけたヤクザみたいなやつがまっすぐ向かってきたからだ。もちろん、アカツキのことだ。
「そういうなって。超有力情報をつかんだんだからよ。どうせお前、碌な情報無かったろ?」
「……ああ、性格最悪ながめついヒステリーババアの話しか聞けなかった。そいつを部屋に呼ぶとあきらかに物がなくなっているんだと」
「よくある話じゃねえか。はずれだな」
ビビりまくっている二人をよそにわかったことをアカツキに伝える。順を追って説明していくとアカツキも何かあると感じたのか、次第に笑みを深くしていった。こいつは笑顔で人を殺せると思う。そんな笑顔だ。
「……初めてにしちゃ上出来だ。十中八九、そこに重要な手がかりがあるな」
「だろ? たぶん生徒の一人がやってるんじゃね? 万引きをゲーム感覚でやる中学生が多いってよく聞くし」
「ありがちだな。そのお守りを盗んだってのはわからねえが……。おい、その二人」
「「は、はいっ!」」
アカツキに睨まれた二人はそろってすくみ上った。オレの前では不躾な態度をとっていた哲也でさえ智美と同じように瞳に恐怖の色が表れている。アカツキってめっちゃ怖いもんな。その気持ちはわかる。
「一日猶予をやる。学年全員とその学年にわずかでもかかわりのある職員のお前らから見たプロフィールを作れ。なるべく詳細な奴だ。好きなもの、性格、交友関係、とにかく全部だ。噂や信憑性のないものも含めて纏めておけ」
「あの、生徒って百六十人近くいますし、教師も含めるとなると二百人くらいになると思うんですけど……」
「それがどうした?」
「い、一日でやれと?」
「二十四時間もありゃ余裕だろ? 今から即行で帰ってやれば夜明けまでにあらかた終わる。あとはほかの連中からも話を聞いて情報をすり合わせれば完璧じゃねえか」
「夜明けまでって……睡眠時間は?」
「二時間ありゃ充分だろ。部活もしてないみたいだし。社会人はみんなこんなもんだ。これも社会勉強だと思え。ああ、あと調査していると周りにばれるようなヘマはするなよ。敵は意外と近くにいるはずだ。バレたら一から出直しどころか最悪とり逃す可能性もある」
アカツキの言葉を聞いてさっと二人は青ざめた。
アカツキの目は至って真面目だ。まるで当たり前のことを言っているかのように平然としながら鬼畜なことを言ってやがる。間違いない。こいつは鬼だ。悪魔だ。
「できてなかったらそのときは……わかるよなぁ?」
アカツキが獰猛な笑みを浮かべた。智美のほうは泣きそうだ。哲也も足がガクガク震えてオレの足に当たっている。こればっかりは許してやろう。オレも同じことされたら泣きそうになる自信があるもん。
「おいバイト、店長呼んで来い、店長」
「はぁ? あなたなにを言って……」
「おいまて! 君の帽子のそれ、DWCのかな?」
「おお。社員証だ。これありゃいいんだろ?」
「ああ……そうなるね。噂には聞いていたが初めて見たよ。じゃ、スマホをここに……はい、ありがとうございます。またのご利用、お待ちしております」
太った店主にキャスケットの社員証を見せつけ、スマホでレジにピッてやってから喫茶店を後にする。哲也と智美はダッシュで家に走って行った。これから眠れない夜が始まるのだろう。なんとなく、巻き込んでしまったことを申し訳なく思ってしまった。
「実際よぉ、あの学校にトリアルはいるのか?」
「さぁな。だが連中になんらかの関わりがあるってのは間違いねえだろ。被害店舗の聞き込みでは碌なことがわからなかったし、現状で最も手がかりがあるのはそこだ。消去法的にもここが一番臭う」
とあるビジネスホテルの一室。今回もまともな宿泊施設がなかったからこんなしょっべえ場所だ。おまけに部屋が空いておらずまたもアカツキと同室。むかつくがここはDWCの系列じゃないし財布はアカツキが握っている。つまり、オレには選択肢がない。不本意だがしょうがなく一緒にいてやるだけだ。
「だが、一般人の、それもガキを巻き込んだのは感心しねえな。報告書に書くとぐちぐち言われんだよ」
「いーじゃねーかって。あいつらもやる気なんだし。第一、そんなこといいながらしっかりこき使ってるじゃねえか」
「まきこんじまった以上、使えるもんは使えるうちに使っとかねえともったいねえだろ。それに端から大して期待はしていない」
「あ?」
「所詮は中学生だ。できることには限りがある」
「じゃ、なんであんなこと頼んだんだよ」
「……まぁ、撒き餌と味方作りか? 今はそうとだけ思っておけ。おら、電気消すぞ。明日も早いからさっさと寝ろ」
「ちっちゃいのは点けといてくれよ?」
「……チッ」
ビジネスホテルに泊まるのは初めてだが、どうしてなかなか悪くない。狭いことは確かだが、明かりを消すといいかんじの安心感が出てくる。しかも値段も結構安いときた。これで飯がついて布団がもっとふかふかなら最高なんだがな。
「おまえは連中の授業が終わり次第迎えに行ってあの喫茶店へ行け」
「アカツキは?」
「裏付け調査と……まぁいろいろやる予定だ」
最後にそれだけ言ってアカツキは寝息を立て始めた。むかつくことに、今日もあいつは高級そうなふかふか枕を使っていやがった。
「よぉ、お疲れさん。眠そうだな」
「眠いってレベルじゃないですよぉ~」
「授業中に居眠りしたくなったのは初めてだ……!」
目の下にいくらかの隈を作った哲也と智美。哲也のほうは目が血走っていて、昨日に比べていくらか迫力が出ている。ま、オレには敵わねえけど。きっと徹夜したんだろうな、哲也だけに。
「で、例のブツは出来たのか?」
「もちろん! 頑張ったんですから!」
「これで捕まえられなかったら訴えるぞ」
ぱぁっと笑いながら智美が黒いファイルをカバンから覗かせた。ご丁寧に『マル秘ファイル!』なんて書かれてやがる。こういう遊び心は嫌いじゃない。
しかし、ずいぶんと厚いファイルだ。まさか本当に一晩でやっちまうなんてな。アカツキはああ言っていたが、この二人は意外と優秀なんじゃあるまいか。オレだったら匙を投げているね。
「ちょっと見ていい?」
「ええ」
ファイルから適当に一枚抜き取りざっと流し読みをする。とある男子生徒のプロフィールだ。
年は十四、七月の九日生まれ。
自宅電話番号は○○○○-○○-○○○○。
住所は綾藤市大字綾藤北字藤結○○○-○。
趣味はサッカー、部活もサッカー。成績は学年下位二十パーセントにギリギリ入らないくらい。弁当はだいたいのり弁で彼女はいない。アダナはジャッキー。明るい性格で男子の中では人気だが、軟派なやつで二股をかけて女子の中で吊るし上げにされたことがある……などなど。ずいぶんと細かく書かれているな。これ、普通に使えるんじゃねえか?
「これを、全員分?」
「つらかったぞ……!」
鬼の形相をして哲也が呟いた。そのツラ、アカツキの前でもできたら認めてやるよ。
「よし、さっそく喫茶店行くか。労いの意を込めてまたおごってやんよ」
「やったぁ! 私、どっちを食べようか迷っていたのが──」
「あなたたち、何をしているの?」
その場の空気が一瞬にして凍った。
ミミズが体を這ったかのようなねちっこくて嫌味ったらしい甲高い声。はしゃいでいた智美の顔がさっと青くなり、哲也は嫌悪で顔をゆがめた。
「あなた、部外者よね。なにをしているの?」
「なんだっていいだろうが」
ぬっと陰からそいつが現れる。
一言でいえば装飾過多なケバいババアだ。毒々しい赤の口紅に紫のアイシャドウ。化粧のしすぎで顔面は粉っぽい。ざぁますおばさんの典型のようなちょっとパーマの入った茶髪。そして──これが一番重要なのだが。
「いいわけないでしょう?」
じゃらり、とその女の全身が鳴った。
でかい宝石のついたごっつい指輪を両手に二つずつ。百円玉くらいの大きさがあるイヤリングは見るからに邪魔そうだ。たぶん、ひっつかんでひっぱったら耳たぶが引きちぎれると思う。厚い眼鏡にはチェーンが下品にだらりと下がっている。胸元にはこれまた品位の欠片もない派手なだけのネックレスが妖しく輝いていた。
「喫茶店に行く、と聞こえましたけど? 不良のたまり場ですよね。あなたたち、そんなところにまた行くんですか?」
「考え方が古ぃな。おまえは何年前を生きているんだ? 第一、誰がどこに行こうと勝手じゃないか」
「勝手なはずあるものですか! 制服でそんなところに行っていいわけがありません!」
「お言葉ですが、『喫茶店に行ってはいけない』という校則はありませんよ。放課後に制服で出歩くなという校則もありません」
哲也がさめきった瞳でそのババアを睨み返した。どうやらこいつもこのヒスババアが気に食わないらしい。
ババアはぎりぎりと歯ぎしりをして哲也を睨みつける。が、哲也は動じない。それどころか見下すようにして薄ら笑いを浮かべて見せた。
「……この人、ちょっと前に話した嫌な先生。哲也とすんごく仲が悪い。というか、この人を嫌いじゃない人がいない」
だろうな。オレだってこんなやつ頼まれたって仲良くしたくない。
「あなたたち、この人に何か渡そうとしましたね。見せなさい」
「なぜ?」
「なぜもへったくれもありません! 教師に逆らう生徒がいますか!」
「もう授業は終わっています。おまけに学校の敷地外です。今この場において、あなたが個人のプライバシーを超えて僕に何かを強要する権限はないはずですが?」
「口だけは達者なクソガキが……!」
周りに誰もいなかったからか、そいつはそうつぶやいた。もちろんオレ達に聞こえるようにつぶやいたのだろう。教師の癖に性根が腐りきってやがる。こんな三流ドラマみたいな教師なんて初めて見た。オレの学校の教師だって少なくともここまでひどくはなかったのに。
「……! あなた、さっきのそれが学校の情報じゃないと証明できるの? 学校の情報を部外者に渡すことを見過ごすなんて教師にはできません。もう一度だけいいます。私によこしなさい。やましいものでなければ問題ないはずよね?」
勝ち誇ったようにヒスババアが言った。顔にはいやらしい笑みを浮かべている。
むかつくことにカンはそれなりに働くらしい。学校の情報というか、個人のデータがたっぷり二百人分だ。バレたらまず間違いなくめんどくせえことになる。智美がそれを裏付けるかのようにオロオロとするもんだから、ババアがよりいっそうむかつく笑顔になった。
ところが、哲也は涼しい顔で言い切った。
「ご心配なく。この人は部外者じゃなくて僕のいとこのお姉さんなので。最近こっちに引っ越してきたので今日は遊ぶ約束をしていたんですよ」
「そんな見え見えの嘘が通じると……!」
もちろん、嘘だ。だがこの最高のパスをわざわざ空振りしてやるほどオレは優しくない。
「本当だぜ? 小さいころからテツの面倒はよくみてやったもんだ。こいつのおしめをかえたことだってあるし、風呂にいっしょに入ったことも何度だってある。それに連絡はずっととっていたからな」
にっと笑って哲也と目を合わせる。哲也は恥ずかしそうに目を伏せ、ちょっと口をとがらせてとんとん、と地面をけった。
──こいつ、役者だな。
「もう、優奈ねえさん。恥ずかしいからそういうこと言わないでよ」
「つれねえなぁ。昔はもっと可愛かったのによぅ。なんなら今晩、前みたいに一緒に風呂入るか?」
「ちょっ!?」
がしっと腕で挟み込むように哲也の頭を抱え込んでぐりぐりしてやる。ついでにサービスでちょっと当てといてやった。いっちょまえに目を白黒させて真っ赤になりやがって。自分から言い出したくせにこれくらいでうろたえやがるとは。まぁ、オレほどの美人にこれほどまでのスキンシップされたのだからしょうがない。
あと智美、睨むな。ババアをだますための演技なんだから。
「んじゃ、そういうことだから」
二人を連れてさっさと離れる。くくっというあのババアの歯ぎしりの音がどこまでも聞こえた気がした。
「ったくムカつくクソババアだったな。あんなステレオタイプなザマスババア初めて見たよ。もはや絶滅危惧種じゃね?」
「あれでまだアラサーらしいんですよ。年齢は頑なに言わなかったんですけど経歴から年を逆算したやつがいるんです」
「マジかよ。五十過ぎだと思った」
あのババアを撒いたオレ達は昨日の喫茶店にいた。昨日と同じ席に座り、昨日と違う注文をしてアカツキを待つ。
喫茶店に入ってからも哲也はどこか落ち着かないようで、ちらちらとオレの顔を見ては顔を赤くし、その度に智美にひじ打ちを喰らっている。ははは、愛い奴め。
「なんかオレ、あいつが真犯人じゃないのかって思えてきた」
「あはは、あるかもしれませんね。あれ、家庭科の先生なんですけどみんなから嫌われているんです。やたら女尊男卑な考えするし、失敗をいちいちねちねちつつくし、無茶苦茶な裁縫の実技課題を出すし、正論いわれるとヒステリー起こすし。しかも聞いてくださいよ! みんなが裁縫道具を盗まれたってのに、その翌日に抜き打ちで裁縫のテストとありえない量の裁縫の課題を出したんですよ!?」
「最悪だな」
「ええ、まったく」
今日頼んだのはコンポートゼリーとクリームソーダ。やっぱ喫茶店って言ったらクリームソーダだ。このしゅわっとした感覚は実に爽快。あのクソババアの不細工なツラで最悪になった気分を慰めてくれる。
「ところで優奈さん、昨日から気になってたんですけど、泥棒の手口って何なのですか?」
「あ、やっぱ気になる?」
「……むしろ、それがわかっているっていうから協力したんだ。あれがでまかせだったっていうんだとしたら、それこそ俺はあのババアの言うとおりやっちゃいけないことをしたことになるんだぞ」
「お堅いねぇ」
とはいえ、今ここで言うつもりはさらさらない。それにトリアルだってことはわかっていても、どんな能力だってこともわかっていないし。
カランカラン
「またせたな」
「おせーよ」
ちょうどいいタイミングでアカツキがやってきた。自然と哲也と智美の背筋が伸びる。
アカツキは席に着くとウェイトレスに紅茶を、とだけ言って向き直った。
「こっちの準備は上々だ。そっちの用意は出来たんだろうな?」
「なんとかやりましたよ。本当にこれで捕まえてくれるんでしょうね」
「さぁな。それの出来次第だ」
「見たらびっくりするぜ? 智美、見せてやれ」
促されて智美はバックを開いた。ふと思ったのだが、最近の中学生のバックって結構オシャレなのな。オレの時なんてみんなどこかしら擦り切れていたってのに。やっぱり高い金出して買ったのだろうか。
「あ、あれ?」
わずかな沈黙の中、智美はやがて焦ったような声を上げ、がばっとカバンを机の上に持ち出した。その衝撃でカップに入っていた紅茶がわずかに漏れる。
「……な、ない」
「あ?」
「ど、どこにもないんです! 確かに入れてあったのに!」
「……出来てねえなら最初からそう言え。そうすりゃそこまで怒らなかったんだがなぁ。俺に嘘をついたってことはそれなりの覚悟はあるんだよな?」
アカツキがすごむ。智美は涙目になった。
「待てアカツキ。ちゃんと作ってあったのはオレが確認している。中身もざっと目を通した。すっげえ詳細で手の込んだものだ。オレなら一枚だって作れはしないような出来だった。智美は嘘を言っていない」
「じゃ、もう一度よく探せ。バックの中全部出してみろ」
そう言われて智美はカバンをひっくり返して中身を机の上にぶちまける。筆箱、教科書、ノート、ルーズリーフ、手鏡、髪留め、哲也と撮ったプリクラの写真、ハンカチ、ティッシュ……小物類なんかも含めてそれらがオレ達の目の前に広がった。だが、たしかにこの目で見た黒いファイルだけはどこにも見つからない。
「盗まれた、のか?」
哲也がぽつりとつぶやいた。
たしかにそう考えるのが普通だろう。だが、いったいいつだ? 校門前から喫茶店に来るまで誰にもあのカバンには触れていないはずだ。ファスナーはしっかり閉じていたし、そもそも腕で挟むようにして持っていたカバンから本人に気づかれずに物を盗むなんて出来っこない。
「やっぱりバレていたか」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、もう気にするな。元から大して期待はしていない。というか、俺が怒りたいのはもっと別のことだ」
「別のこと?」
「お前だよ、優奈」
「オレ!?」
「向こうから近づいてきたのにみすみすとり逃しやがって。何のためにお前を迎えに行かせたと思っている」
「俺達を、撒き餌に使ったのか……」
哲也がアカツキの思惑に気づいたようだ。感心したような、呆れたような顔をしている。
「いや、百歩譲って捕まえられなかったのは良しとしよう。よくはねえがな。だが……お前、その醜態はなんだ。それともまだ気づいていないのか?」
「あ? んだよさっきから!! 言いたいことがあるならはっきり言えよ!!」
「キャスケットはどこいった? 社員証はどこにある? 携帯は懐にあるか?」
言われて頭に手を伸ばす。指通り滑らかなさらさらの感覚。オレの髪だ。
携帯を入れてあるはずのポケットに手を伸ばす。ふにょんとやわらかい感覚。実に健康的で美しいオレの体だ。
「絶ッ対になくすなって言ったろうがッ!」
アカツキの怒声が喫茶店に響いた。